11日に帰国してから,既に2週間近い.
何度か更新を試みたのだが,酔いや眠気に負けて断念.
この期間,ほぼ毎日,僕の生家であり30数年過ごした家に通っていた.
去年末に祖母が他界し,その関係で売却され取り壊されることになったのだ.
建築後80年近く経った家で,無くなるのは残念だけれど,僕のモノではないのでどうしようもない.
せめて,再利用できるモノはと,たまたまこれから自宅の建築予定のある友人に建具や床板や階段のパーツなどをもらってもらい,僕自身も廊下の床板や,庭木の一部などを移し替えて持ち帰った.
祖父が,面白い趣味の庭いじりをしていて,あの家には色々な木々が植わっていた.その多くが「食べれる」モノだった.
記憶にある限り,時系列を重ねて羅列すると,南の玄関から入って時計回りに,まず笹に南天,それから柘榴・椿・棕櫚・芭蕉と続き,西に回ってグミ・夏蜜柑・妹の名前の由来になった山桜桃・母の名前の杏(杏子が母親の名前)・鬼胡桃の木があった,そこから北に回って,また棕櫚の木があって東の庭に抜けて,今度は食べられる胡桃の木が2本・それがあまりに高く育って倒れると危険だからと伐採してからは合歓木が植えられ,次に無花果・柿・山桜桃・椿・百日紅で一周して南側の玄関に戻った.
こじつけかも知れないが,ずいぶん後になってからチュニジアのサハラ砂漠で,ナツメヤシの群生するオアシスの中,高い木立の下に柘榴や無花果やバナナ(芭蕉に似ている)が植えられているのを見て,ひょっとして祖父はこの風景を何かで見たことがあったんじゃないかと,その類似性に驚いたことがある.
あと、とにかく,階段や廊下の板をはがすだけで,住処を建てることの大変さを実感.大工の棟梁の数だけ,様々な工夫や技があるのだ.
「建築物ウクレレ化保存計画」で,制作のために話を聞き取りに来てくれた伊達君に,「あまり建物には愛着がないの,庭木はどうにか出来ないかと,それは考えているのだけれど...」と言った母の言葉が,印象に残った.
離れて9年ほど経つ実家ではあるが,無くなるのは残念である.
まあせめて,その最後に立ち会えたのが,幸運としよう.
実際,まだメールがなかった頃,僕は長い公演ツアーから帰って,地下鉄の駅から出て家に向かうたびに,この数ヶ月の間に跡形もなく家が無くなっているんじゃないかと,何度も想像したものだった.
おととい土地建物の引き渡しで,今日改めて様子を見に行くと,既にパワーシャベルが入っていた.
百日紅と柘榴の木は,まだ立っていた.