Conversation


先週は,人前で話したり,懐かしい人々と言葉を交わすことが多かった.
そういえば,何かの指示を出したり報告をしたりする以外の「会話」をすることが,ずいぶん少なくなったのを実感.
その分,メールでコミュニケーションを図っていることが多いが,リアルタイムで言葉が交換される会話と,時差のあるメールでは,自ずと内容(もしくは流れかな?)が違ってくる.
集中して,本を読み切るということも,しなくなっていると気がついて,ちょと焦る.飛行機の中など,場所に縛り付けられている時には,本を読んでいることが多いけれど,ネットが繋がっている状況では,ついつい手がコンピューターに伸びてしまう.おかげで,読みかけの本が机上に散乱している.
造形大であったGolan氏達のパフォーマンスは,画像認識をうまく使っていて,面白かった.構造はそんなに難しいモノではないようで,「いったいどうやって?」というような謎に満ちたところはないけれど,完成は高い.何より,インプットとアウトプットがちゃんと繋がって見えるというか,彼らがこういうアクションを起こしたから,今このビジュアルや音が出ているというのが,よく分かる.それでいて,すぐに厭きるような単調なモノでなく,十分パフォーマンスとして見続けられることが,作品のクォリティーを証明している.
大学にあったプロジェクターや横の春秋座から借り出したPA,ありあわせの単管と足場,すごく安価な白の防炎シートで構成された会場も,機材のスペックの限界に縛られてはいるが,公演の妨げにはなっていなかっただろう.
少々無理があっても,良いモノを学生達に見せるチャンスは最大限生かしたい,という椿さんの心意気は伝わったかな.
アートカレイドスコープでのトークは,司会の華英さんを含めれば7人という大人数のせいもあって,全体的に散漫で緩い感じに終始した.あまり同じ傾向のスピーカーだけを集めたくなかった,という考え方も分かるけれど,僕としては,大竹さん・東屋さん・内橋さんと,トーンを揃えた3人の大暴れ先鋭トークというのも,見て(聞いて)みたかった気もする.
LOVERSのセカンドトークは,先週の浅田さん達と替わって,森村・松尾・泊・高嶺と,いわば悌二の身近にいた人達が,悌二やダムの活動に絡めて当時の状況を話すというモノ.僕は客席で聞く側だったが,改めて整理された流れを追いつつ,80年代から90年代を思い出していた.

One Reply to “Conversation”

  1. 遅くなりましたが、娘様のお誕生日おめでとうございます。
    本を集中して読まなくなったり、何だか前までしていた音楽をゆっくり聴くとか、リズムに心底のる。しかも一人で家で。というのが無くなってる!と感じると焦ります。慌てます。不安になります。大丈夫なのか、俺……と。
    私は久し振りに友人とのんびりお酒を飲むことができました。何だか、ナカオチとか頼んで幸せでした。いつか東京にこられることがあったら、会ってやってください。では、残すところ今年もあとちょっとですが、お体くれぐれもご自愛下さい。

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