また時間のあるときに,などと書いてから,もう10日以上経ってしまった.
シンガポールのVictoria Theatreは,フェスティバル後にリノベーションのために2年間閉めるのだそうな.建て替えるだけなら,もっと短期間ですむだろうけれど,歴史的な外見は残そうということらしい.
今年のSingapore Arts Festivalのプログラムは,ダンスではEa Solaの他に,Nederlands Dans Theater IやRosasなど,シアター部門ではStation House Operaなども参加している.そしてもちろんシンガポールのアーティストもたくさん参加.
ここや香港で大きなフェスに参加するたびに思うんだけど,なぜ日本ではこういう規模のフェスがきちんと継続して行われないんだろう?東京国際芸術祭の中東シリーズはすごいと思うけれど,こういうフェスとはまた違う目的を設定したものだし,横浜の名前もこの頃あまり聞かない気がする.来るのは超ビックネームが単発で,しかもばか高い値段でばかり.
多くの観客に良いものを見せるのももちろん大事だけど,いち公演に5〜6千円や時には1万円以上なんて払ってたら,そうそう劇場に通えない.日本の観客は「金持ち」の上に馬鹿が付くと,プロモーターに思われてるんじゃないだろうか.
それに例えば日本のアーティストが,こういう規模のフェスに参加してさまざまなカンパニーなどと出会って,言葉を交わす機会がもっと必要だと思うんだけどなぁ.そして,それが継続することに意味がある.
決して西側にすり寄っていくことが大事だとは思わないけれど,知らないうちに日本はどんどん世界の端っこに戻っていってるんじゃないだろうか.
写真は,Victoria Theatre内部と公演後の舞台挨拶,そしてホテルの部屋から見えた一昨年Refined Colorsを公演したEsplanadeアートセンター(ハエの目玉みたいなヤツ.良いアートセンターです)
Hue
6月4日にシンガポールからベトナム中部の古都Hueに移動.
ドイツとシンガポールの公演は,特別なバージョンで,Eaさんが10年以上前に作った「乾燥と雨」のVol.1と2を,再編集して合わせて公演した.このVol.1のパフォーマーは全員おばあさん.作った当時で平均70歳代,現在80歳代.(お一人はお亡くなりになっていたそうだ.)この方たちが,元気でよく動き,そしてよく喋る.何とか会話したかったのだけれど,残念ながら何度か目で挨拶を交わすのみ.とにかく一言も言葉がわからない...
その歴史が体にしみ込んだような彼女たちとは,シンガポールでお別れ,HueではVol.2のみが正規の長さで公演される.
このHueのフェス.ビエンナーレということで,それでももう5回以上つまり10年ほどは続いているらしい.
とにかく規模が大きくて,確か世界遺産のはずの王宮跡のあちこちにステージが組まれているが,それが全部野外.ほぼすべて屋根無しで,舞台にも客席にもさんさんと日が降り注ぐ.
日中の気温がだいたい38度ほどで,直射日光に当たるとそれ以上.また逆に,雨が降らない保証ももちろんなく,事実数年前は大雨で日程がずれている.日が暮れるのがだいたい7時ごろで,4時ごろからは風が出てきて少しは体を動かす気になる.
最初スケジュールを聞いたときに,日中4時くらいまでは,あまり働けないと聞かされて,何だか怠けてるんじゃないかと思ったものだが,とてもとても...とにかく午後2時くらいになると,ホテルから出て近くの食堂に行くのも命がけ,だらだら汗をかいてふらふらになってたどり着くことになる.
つまり現場は設置から照明のフォーカスやサウンドチェックまですべてを夜中にして,しかもLED機材の雨対策まで行わなくてはいけない.それでいてその機材は,日中溶けてしまいそうな日差しにも曝されることになる.
むかし,夏になるとバイトで鴨川や平安神宮などに野外ステージを組む人足に借り出されたものだけれど,今回はもっと大変でした.それとも僕が単に年を取っただけかな.
写真は,完成していくステージの様子と横から見たところ.公演中も,観客が数人横から観ていた.
A holiday in Hue
6月9日.
Hueの公演は,計3回.2回目と3回目の間に1日休日がある.この日はワールドカップが開幕する日で,その所為かどうかは知らないけれど,とにかく1日休み.
ダンサーの一人がHue出身ということで,彼の育った家でのホームパーティに,みんなを招待してくれた.
決して豪邸とは言えないけれど,とても落ち着く家の庭にテーブルが並べてあり,これでもかというくらいのご馳走が出てくる.家の裏は畑でその向こうは河.蟹やらシジミを使った麺料理,豚肉や春巻きやさまざまな野菜に果物,冷えたビールと多分杏で作っただろうきついお酒が振る舞われ,夜もまだ早いうちから,もうべろんべろん.
ベトナムの人は呑み方が中国式で,立て続けに乾杯の嵐.小さな杯にきつい杏の焼酎を注いでいっき呑み.ダンサーたちが面白がって代わる代わる注ぎに来るもので,すっかりやられてしまった...
でもすごく楽しい夜と,美しい家と庭でした.
写真は,明け方セッティングの帰りに見た蓮池,フェスの会場,そして招いてもらった家と庭での宴会.
The final day at Hue
6月10日
Hue公演最終日.
Hueのフェスティバルの観客管理は変わっていて,会場である王宮跡に入る時に受け付けがあって,その後は中に幾つかあるステージを観客が自由に行き来できる.ディズニーランドのようなテーマパーク方式とでもいうのだろうか.
結果,多くの子供を含めたお客さんは,あらかじめ知らされているスケジュールというよりは,音に反応してそこら中をうろうろする.
つまり,あっちのステージから大きな音が聞こえてきたらそちらに向かい,また違う場所から面白そうな音が聞こえたらざざざっとそっちに行く.各ステージに仕切りはないので,観客は客席側のみならず,舞台裏からも,舞台袖横からもぞろぞろ歩いてくるし,公演中も自由に移動する.
最初Hueについた時に,僕らの前の公演(ジャズ・フュージョンのコンサート)を,同じ舞台で見た時には,正直その野放し状態にあきれた.子供は走り回り,携帯に大声で話してるおっちゃんは居るは,人の出入りは激しいは,とても大変な感じだった.
それが,同じように決してマナーができているとはいえなかったけれど,同じ舞台でおこなった公演を,かなり熱心に観てくれるお客さんが沢山いて,それだけでもこのフェスで公演したことは,とてもよかったといえる.
夜の闇が降りて灯の入った舞台は,かなりのクォリティーを保っていて,周りの喧騒にも負けずに舞台の魅力を発散していた.
写真はかなり暗くなった頃の舞台リハと,撤収が終わったところ.
Hanoi
6月11日,Hanoiに移動.
その後2日間休憩の後,劇場入り.
Hanoiの公演は,かなり大きな劇場でおこなわれた.シンガポールの劇場は凍えるほど寒かったのだが,Hueの灼熱の野外を体験した後ではとても魅力的に思えて,Hanoiの劇場での仕込みも,暑さから逃れられるという点ではかなり期待していた.
ところがどっこい,仕込みの2日間はエアコンが動かなかった.僕は,この劇場に空調はないのだと思っていたくらいである.
ソ連の影響下で作られたこの施設は,大仰でほこりっぽくって,比喩ではなくて薄暗くどろどろのスチームサウナで,12時間ほどセットアップを続けるような状況だった.一日の終わりには,顔から服から咽の奥まで,ドロドロでれでれ汗まみれ.
おまけにソ連系の劇場は色んな規格が少しずつ大きくて,しかも機材がかなり古い.バルト三国をツアーした時も同じような目に遭ったが(でもとにかくバルトの劇場は掃除されていたし暑くはなかった),バトンが太すぎて照明のハンガーが入らない.彼らは,パイプをトラス構造にはせずに,太くして広い舞台間口に対応している.
では,どうやって照明が付いているかというと,ちょっとやそっとでは外せないような輪っかとボルトナットで,バトンに固定されているのだ.
また,舞台の管理と,バトンの上げ下ろしは劇場の職員,つまり公務員の仕事である.この方達が,まあとても日本のある種の公務員の方達に似ているというか,自分たちはクーラーの効いた小部屋か出てきてもステージ横の一つだけある大きな扇風機の前に陣取って,何度かオーダーするとやっと腰を上げて,頼んだ件の担当者を探しに行く.
おばさんが多かったが,とにかくあまり本公演には関係のなさそうなことを喋り続け,時間には厳しくさっさとどこかへ消えていく.
何とか体裁が整った1日だけの本公演日には,会場整備が混乱の極みに達して,いちおう恰好良く指定席で売り出していた席をお客さんに提供するために,2日前からセットしていた客席中のオペレーションテーブルを別の場所に退けられないかと,怒った顔で文句を言いに来る会場責任者までいる始末.
そんなこんなで最高に厳しかったHanoi公演だけど,Hueと同じかそれ以上に舞台のクォリティーは高かった.それはダンサーやミュージシャンのみならず,舞台装置や照明音響も含めての相互作用で,久々に感じたケミストリーだった.数日前まであんなに埃だらけでぼろぼろの場所だったところが,満員のお客さんも含めて,特別な時間と場所に変わる.大げさかもしれないが,ベトナムの舞台史に記憶される公演に参加できたような気がした.
こういうことがあるから,この仕事は辞められない.
写真は,初めて見た蛍光灯のアッパーホリゾントライトとそれに対峙するホーおじさん像,公演後の挨拶,結構話しかけてくれた退場するお客さん達.