6月11日,Hanoiに移動.
その後2日間休憩の後,劇場入り.
Hanoiの公演は,かなり大きな劇場でおこなわれた.シンガポールの劇場は凍えるほど寒かったのだが,Hueの灼熱の野外を体験した後ではとても魅力的に思えて,Hanoiの劇場での仕込みも,暑さから逃れられるという点ではかなり期待していた.
ところがどっこい,仕込みの2日間はエアコンが動かなかった.僕は,この劇場に空調はないのだと思っていたくらいである.
ソ連の影響下で作られたこの施設は,大仰でほこりっぽくって,比喩ではなくて薄暗くどろどろのスチームサウナで,12時間ほどセットアップを続けるような状況だった.一日の終わりには,顔から服から咽の奥まで,ドロドロでれでれ汗まみれ.
おまけにソ連系の劇場は色んな規格が少しずつ大きくて,しかも機材がかなり古い.バルト三国をツアーした時も同じような目に遭ったが(でもとにかくバルトの劇場は掃除されていたし暑くはなかった),バトンが太すぎて照明のハンガーが入らない.彼らは,パイプをトラス構造にはせずに,太くして広い舞台間口に対応している.
では,どうやって照明が付いているかというと,ちょっとやそっとでは外せないような輪っかとボルトナットで,バトンに固定されているのだ.
また,舞台の管理と,バトンの上げ下ろしは劇場の職員,つまり公務員の仕事である.この方達が,まあとても日本のある種の公務員の方達に似ているというか,自分たちはクーラーの効いた小部屋か出てきてもステージ横の一つだけある大きな扇風機の前に陣取って,何度かオーダーするとやっと腰を上げて,頼んだ件の担当者を探しに行く.
おばさんが多かったが,とにかくあまり本公演には関係のなさそうなことを喋り続け,時間には厳しくさっさとどこかへ消えていく.
何とか体裁が整った1日だけの本公演日には,会場整備が混乱の極みに達して,いちおう恰好良く指定席で売り出していた席をお客さんに提供するために,2日前からセットしていた客席中のオペレーションテーブルを別の場所に退けられないかと,怒った顔で文句を言いに来る会場責任者までいる始末.
そんなこんなで最高に厳しかったHanoi公演だけど,Hueと同じかそれ以上に舞台のクォリティーは高かった.それはダンサーやミュージシャンのみならず,舞台装置や照明音響も含めての相互作用で,久々に感じたケミストリーだった.数日前まであんなに埃だらけでぼろぼろの場所だったところが,満員のお客さんも含めて,特別な時間と場所に変わる.大げさかもしれないが,ベトナムの舞台史に記憶される公演に参加できたような気がした.
こういうことがあるから,この仕事は辞められない.
写真は,初めて見た蛍光灯のアッパーホリゾントライトとそれに対峙するホーおじさん像,公演後の挨拶,結構話しかけてくれた退場するお客さん達.