11月3日
京都造形芸術大学 舞台芸術研究センター 主催
ジャン・ジュネのテクストに基づくダンス公演『恋する虜』のための公開セミナー
「裏切りとしての身体—ジュネの言葉とダンスの出会う場所」
http://www.k-pac.org/kpac/study/061105_f.html
というのに行ってきた.
この試み,2年間かけてダンサーや舞台美術家,映像作家に現代フランス文学者に批評家と,まさに大学の研究機関ならではのクリエーション・メンバーが,きちんと作品を作っていこうという試み.
コラボレーションという言葉は,さまざまな分野で,いやになるほど使われているけれど,実際にクリエーター同士がじっくりとミーティングから始めて,ある程度の認識を共有して,作品を共同製作している例は本当に少ない.
たいていは,何だか大御所の彫刻家だかなんだかが作ったわけの分からない物の上で,ダンサーが適当に,こんなインスピレーションがこの物を見ていると湧いてきました,という感じで踊っている(ように僕には見える.)実際,このプロジェクトに参加している方々の作品でも,そういうのを観た覚えがあるが,今回は違った.
まさに,大学ならではの企画というか,実際にさまざまな人材を抱えていて,アカデミックなネットワークもあって,しかも劇場やスタジオまで持っている機関だからこそ,こういう長期プロジェクトが組めるんだという好例.
特に,僕の好みとしては,映像作家の伊藤高志さんと舞台美術家の杉山至さんの仕事が素晴らしい.これは言葉を変えると,パフォーマーとテクニカルサイドが,きちんと話し合いを積み重ねて,お互いに作品を理解しているという事だと思う.当たり前の事みたいだけど,これは日本の舞台作品の制作システムの中では,なかなか難しい.特に,自分の事をアーティスト/独立した作家だと思っていないテクニカルの人は,いきおい作品の内容より,出演者やディレクターなどの口から出た言葉だけを,現実化する事を仕事だと思っていて,作品の中身にはあまり関心が無いように見える.これはたぶん,制作場所や予算なども含めた,日本の制作環境にも原因があるのだが,この企画は,その環境に一石を投じるような試みだと思う.
ただ,できうるなら,音響と照明のスタッフも,作品のコラボレーターとして,同じレベルで作品に関わっていって欲しいと思う.(内実は知らないが,音響と照明のスタッフは,今回のクレジットには載っていても,プロジェクトのメンバーリストには名前が挙がっていなかった.)
そして,特に,これが批評家とかでなく舞台に上がる人,ダンサー・コレオグラファーで京都造形大学主任研究員(教授)の山田せつ子さんを中心に展開されているのも注目に値する.
また以前,「公務員的なダンスで全然面白くない」と書いた砂連尾理・寺田みさこさんのダンスも,今回は他の舞台要素と相まって,とても面白かった.僕は何かを研究しているわけではないので,個々のダンサーの作品を系統だってみるような事は,意識的にはしていない.そして,こうやって個人的な感想を時々ブログに書くぐらいだけれど,これからも機会があれば前の作品に関係なく,積極的に様々な作品を観ていきたいと思う.
そうそう,上記の二人も造形大で教えておられるそうで,そのポジションがこういう作品になって還ってくるわけだから,大学という場所もなかなか捨てた物じゃない.
あと,実は白井剛さんもこのプロジェクトに関わっていて,彼の仕事の断片が観られる事を楽しみにしていただけれど,今回は体調がすぐれず欠席との事.残念...
それと,別にたいした事ではなけれど,このブログのプロフィールに少し個人的な情報を載せました.
というのは,もともとは親しい知り合いや身内に向けて書いていたつもりなので,何も載せていなかった.だけど,このブログについつい忘備録的に公演の感想などを書いてしまう,しかも,かなり酷評してしまう時があるので,それならこちらの名前なども載せておかないと,フェアーじゃないと思ったわけです.
あくまでも個人的な感想で,批評とかでは全然無いけれど,そんなこの僕の感想に何かコメントなど付けようと思った人がいても,名前も分からないようではやっぱり躊躇してしまうだろうしね.
プロフィールへのリンクは,写真(娘)の下に小さくあります.
Move around
久々に,ほぼ徹夜状態.
もともとロング・スリーパーなだけに,明日(もう今日か)は,使い物にならないかもしれない.(はやく寝ろ!)
といっても,もうすぐ機上の人.久々に,Eaさんの公演で,アメリカはノースキャロライナのChapel Hillという所へ向かう.
http://www.carolinaperformingarts.org/performances/event.aspx?id=dde5643f-51f8-4a23-9ac4-b6761d6679b8
しかし,GoogleEarthで見る限り,かなり田舎.大学のある町というか,町化した大学という感じの所のようなので,案外楽しいかもしれないが...
アメリカの田舎って,どこよりも世界の辺境だと思う.
で,徹夜な訳は,今回初めて,通常の舞台照明とLED照明を,両方一人でオペレートする.今まではフランス人の相方がいたんだけど,予算の都合でカット.その皺寄せで,準備が間に合わずこういう事に.
まあそうは言っても,別に無理なスケジュールだったわけでも無く,ただ僕がのんびりしていたと.それでも,何とかキュー・プログラムも組み上げたので,まあよしとしよう.
のんびりついでに,娘の七五三に吉田神社に行ってきた.僕自身は,子供の頃も含めて,そういう神仏への風習が無い環境で育ったので,新鮮でなかなか面白い体験だった.ただ,この12月で3歳になる娘の七五三は,どうやら去年に行うものらしい.数えで3歳という事か.
しかし,ちょいと大きくなった今でも,着物を着せるのは大変なんだから,去年は無理だろうと思ったけれど,よく考えれば,昔の人は生まれてからずっと,着物で暮らしていたのだった.
で,娘の写真.
それでは,行ってきます.
NW
Northwest航空では,ついに国際線でもアルコール類が有料化されていた.しかも,ビールでもワインでも何でも一律5ドル.缶ビールの350ml一本5ドルはぼり過ぎでない?
前夜の無理が祟って,エコノミー座席で爆睡.目覚めてもしばらく身体が固まって動かず,首や肩がガチガチに.
関空の出発が,機体のトラブルで2時間遅れ,当然乗り継ぎは逃し,一便遅れて着いたノースキャロライナの空港では,今度は空港側の機材の故障で着陸後30分ほど機内に缶詰め.大丈夫か,アメリカの航空業界?
日曜に飛んだので,現地との連絡も思うようにとれず(メールはおろか携帯も繋がらない),迎えのタクシーは当然もう待っているはずもなく,自分で捉まえたタクシーでたどり着いたのは,世界の果てのようなHoliday Inn, Chapel Hill.
ネットだけは,各部屋に無料の無線がバンバン飛んでて快調なので,さっそくGoogleEarthで現在位置を見てみるが,これがもう周りにあるのは森と道路とコンビニ.Chapel Hillの街に行くのも,車が必要な模様.
今日は,旅の疲れから回復するrecover day なので,街を散歩しようかと思っていたけど,それも億劫に.
自宅の旧iBookにやっとiSightが付いたので,Skypeでビデオ電話.時差がちょうどいい感じで,こっちの朝7時に繋げると,日本は夜9時.子供が寝る前に,顔を見て話が出来る.
しかし,こういう技術とサービスが現実のものになってるなんて,やっぱり凄いなぁ(しかもタダ).今居るような広大な田舎があるからこそ,アメリカでこういう技術が発達していくのかしらん.で,日本でも,マンションの隣の部屋が,一生訪れないような遠い場所になって行くと.まあ,ネットのせいで,日本で近所付き合いがなくなって行っているわけではないが...
Chapel Hillどこか分かるかな.
About mail
11月17日:素晴らしい,秋晴れ.
昨夜,Chapel HillでのEaさんの初日が無事に明けた.
まだまだ照明的には納得できない所もあるが,とにかく大きな支障はなく公演できて,ひとまずほっとしている.
この作品とのつきあいも,もう1年を超えるし,作品の立ち上げから関わっているので,かなり内容が頭に入っていて,何とかオペレーションができた感じ.
もともと僕の担当だったLEDのキュー数が80くらいあって,新たに通常の劇場照明のキューがこれまた70CUEくらい加わって,全部で150弱のきっかけがある.他の人の仕事を知らないので,はっきりとは言えないが,これはたぶん70分くらいのパフォーマンスにしては,かなり多いんじゃないかな.
もっとも,Refined Colorsは,全体の2/3くらいがタイムコードで同期して走っているので,シーンによってはもっとキュー数が多い.
MAXでテクストとして書き出した時間を,そのままLIDDELLに読み込んでキューを書いたりできるので,最初にいろいろ試していた時には,4分ぐらいのシーンで2000キュー以上になった事もある.まあこれなんかは,パチパチ鳴る音,いち音いち音に光の点滅を割り振ったりしていたんだけど,結局あまり多過ぎるとかえって分からなくなるので,いまはかなり減った.
でも,話は戻るが,昨夜の公演は,すべてのキューを手で操作しているので,きっかけを覚えるだけで一苦労.
それでも,とにかく覚えてしまえば,こっちのもんである.
ところで,どうもアメリカに入って以来,メールが送信できていないようである.別に跳ね返ってくるわけではないので最初は分からなかったのだが,日が経つにつれて,返事が来ないのを訝った電話が携帯にかかってくるようになり,それで判明.こっちも,メールを送ったのに一向に返信がないのでいらだっていたりしたのだが,どうもどのメールも送り先には届いていない模様.
スカイプは繋がるし,こうやってブログの更新などもできるのだが...
僕のメールサーバーの問題かとも思ったのだが,一緒に来ている他のテクニカルも,別のサーバーを使っているのに同じように送れていないとの事.困った!
とにかく,ここにいる限りにっちもさっちもいかないので,帰国したらすぐ再送します.もし僕から何か返信があるはずなのに,何も届いていない方がいれば,その旨メール下さい.おそらく受信は全部できていると思うので,帰国したら返信します.
明日には,日本に向かうので,今日がChapel Hillでの最終日.
聞く所によると,この街のほとんどを占めるUNC(ノースキャロライナ大学)は,アメリカ最古の公立大学らしい.他にももっと古い大学はありそうなもんだが,ハーバードとかそういう僕でも名前を知っている所は,皆プライベートスクールだとの事.
しかしまあ,何でこんな田舎にと思っていたら,この辺り一帯は,アメリカいちの煙草と綿製品の産地らしい.特にアメリカの煙草メーカーのほとんどは,ここに拠点があるとの事.なんともまあ,のほほんとして牧歌的に見えるが,その氏素性は奴隷制バリバリの白人ご都合主義の産物だったわけで,そこにこの国初の公立大学ができたと.
町自体が大学で,たいていの大学街がそうであるように,今は白や黒や黄色やいろんな色の目や髪の人々が,誰に遠慮もなく闊歩しているし,中にいる限り快適だが,この州の他の地域はどうなんだろう?
そして当然ながら,ノースキャロライナは圧倒的に共和党支持らしい(また聞きです,違ったらごめん).バーなどでも,ちょっと耳を澄ますと,ブッシュがどうした,とかの会話が聞こえてくる.まともには聞き取れないので,雰囲気だけの解釈だけど,今回の民主党の躍進で,共和党内でもかなりブッシュ批判は高まっているんだろう.
でも,思うんだけど,共和党が攻撃的で民主党が平和的かというと,そういうことではないだろうという気がする.
もちろんブッシュのいかれた原理キリスト教的倫理観や好戦性は最低だが,彼はたぶん単純でアホなだけだ.で,何でそんな人が現職の大統領になれたのか,しかも2選目だ,というほうが問題で,そういうのもたぶん共和党だからという答えではないんだと思う.
ああもちろん,そんなアメリカの事に茶々入れてるうちに,日本も同じように酷い事になってるようで,いつまでもご主人様のアメリカに尻尾振って付いて行こうとしていると,そのうちぽいっと道端に捨てられそうな状況である.そういえば,安倍さんって,何となく捨て犬が似合いそうな顔.
In mourning
こういう事をこの場に書くのはどうかとも思うが,今年の6月に実父が他界した.突然の死というわけではなく,ある程度の覚悟はしていたのだが,その翌月に妻の父が逝ってしまった時には,かなり驚いた.
それで,ひどく慌ただしい6月と7月だったわけだが,一連のお別れが終わった後に困ったのは,こういうのは,誰にどのように伝えなければいけないのかという判断だった.誰だっていきなり僕に,「この前,父親が二人とも逝っちゃってね...」などと話しかけられたら,びっくりするだろうし,そんな話を聞かされてどうリアクションすればいいかも困るだろう.
と,以上は言い訳で,多くの友人・知人にようやく喪中葉書を出し終わった今日まで,父親二人のコトはほとんど誰にも話さなかった.
僕の実父は十数年前に,アルコール依存症で一度死にかけている.そしてそれを期に断酒して,同じ元依存症の人たちが集う断酒会の支えもあって,その後死ぬまでの十数年間は一滴のアルコールも口にしなかった.断酒するまでの彼の人生は,本当につらかっただろうと今なら僕も思えるが,その渦中は家族もかなり大変で,彼の気持ちを思いやる事は難しかった.それでも,最後の十数年間,父親はずいぶんがんばったと思う.えらそうな事を書けば,この年月がなくてあの時逝ってしまっていたら,それはそれは悲しい人生だっただろう.
その無理な飲酒が祟って,断酒してからの彼の身体は,肝臓はもとより体中ボロボロだった.それでもそれなりに,母親ともいろいろな所に旅行にも行き,長年住み慣れた住み家から新居に引っ越しも済まし,ある程度のけじめというか準備も整えた後に何度か入退院を繰り返し,6月に帰らぬ人となった.
実は僕は,父親が逝く前と,逝ってしまった時には,別々の仕事でそれぞれ海外に出ていて,今際の時にもお葬式にも間に合わなかった.というか,もともともしかしたらそういう事になるかもという了解を,僕の母親も含めた(そして父親もわかっていたはず)家族から得ていて,「次に帰るまで元気で.」という言葉が父と交わした最後の会話になった.
もちろん,親不孝のそしりは免れないが,我が儘を承知でいうと,そんなに不幸な別れ方だったとも思わない.ただ,僕の両親はやっと新居に落ち着いたばかりだったので,あと数年間くらい,これまでの事を取り返すように,もう少しゆっくりと寛いだ時間があればもっと良かったのにとは思う.
逆に,妻の父親は,治療のはずの手術の後,そのままついに麻酔から覚めなかった.本人はもとより家族の誰一人として,こんな結果は思いも寄らなかったはずだ.かつ,意識は戻らないものの,数日間は呼吸も心臓もしっかりしていたので,その間の手術に対する葛藤というか疑心というか様々な思いは,ずいぶんと妻や家族を苦しめた.
僕は,此処でも不孝者で,最後に義父と言葉を交わしたのはずいぶん前で,次に会った時には,もう眠り続けておられる時だった.妻の両親は,少し離れた土地に住んでいて,日々の忙しさとそれを理由に,長らく遊びに行かなかった.後悔しても,今から取り返せる事ではない.すいませんでした...
暑い夏の義父のお葬式には,娘も連れて家族3人で妻の里に帰った.人を送る儀式が,今僕らが住んでいる所よりずいぶん濃密に残っている場所で,それなりのお別れをすませたように感じたのだけれど,義母や妻や兄弟姉妹にとっては,それでもまだにわかには別れがたい,突然の死だった.
今年の夏は,そんな一生忘れられない夏でした.
その簡単なお知らせの喪中葉書を,12月になる前にといわれて慌てて出したので,此処にもいちおう書いておきます.