Malaga

2月10日-12日
5時45分起き.タクシーでバスターミナルへ向かい,7時発の便でマラガへ.9時過ぎに,最終公演地であるTheatre Canovasに到着.
ステージ前半上部のスノコ高が5m程度しかなく,その後舞台奥までの3mくらいは,天井まで10m以上ある変な構造.前は,何に使われていた建物なんだろう?
また,もっとも注目すべきは,その舞台の高さ!客席床から舞台框まで,1m20cmをゆうに超える.つまり,ダンサーが舞台奥で床に寝ると,姿が消える...
劇場から断面図が送られてこなかったので,現場に入るまで何の対処もできなかったのだが,急遽客席前2列をブロック.どの席から見ても,観客の頭が舞台上を遮ることはないのだが,この2列からは立ち上がりでもしない限り,舞台上で何が行われているのかわかりゃしない.劇場スタッフも,問題は心得たものらしく,交渉はスムースに進む.前のグラナダでも,あまり床面は見えなかったのだが,それはそれで新たな見せ方ができたので,ここでもダンサーを含めてみんな,悲観的な様子は見せずに立ち位置を決めていく.実際僕も,リハを前で見てみるが,ダンサーの動きと光の関係が,新鮮で面白い.
もっとも心配されていた「紐」のシーンも,床面があまり見えなくてもどうやら内容は伝わるらしく,公演後に聞いた感想でも,あまり的はずれなものはなかった.もっとも,シンプルな英語かジェスチャー混じりのスペイン語の感想だけれど...
とにかくまあ,反応は上々.ただ,どうも観客の年齢層が,グラナダよりだいぶ高い感じだった.
この劇場は,美術大学やら音大に囲まれたところに建っているのだが,どうもそこの生徒より先生の方が多く観に来てくれていた模様.
ちなみに来月3月19日には,Ryoji Ikeda [C4I]も同劇場で公演予定.もしその頃近くにいる人は必見です.
写真は,劇場外観と問題の高〜い舞台,終演後の記念写真,モテモテダンサー,夜食で乾杯,あとグラナダのバスターミナルで早朝から,荷物をぶちまけて忘れ物を確認するM鍋氏.(紛失した高価なイアホンは,後発のダンサーによって,ホテルのベットと壁の間に挟まっているところを無事救出される.)

Casares


2月13日
前日無事に,Malagaでの最終公演終了.
機材をパッキングの後,みんなで教会横のレストラン街へ繰り出すが,日曜夜とあってあまり活気はない.僕たちだけ盛り上がって,乾杯.
とにもかくにも無事全公演が終了.完成には至らなかったが,何度も作り直しているシーンのサウンドトラックを,またほぼアップデートできたのも大きな収穫.秋には,新しい音で公演できるはず.
そして,この朝には.ダンサーのユカ嬢と音響のM鍋氏と僕の三人で,レンタカーを借りてアンダルシアのドライブに出発.
実は今を去ること15年前の1991年にも,GranadaでのpH公演の後に,ダムのメンバーと同じようなルートを回っている.しかしその頃は好奇心満タンですごいハードスケジュールをこなし,結局バタバタとした印象だったので,今回は僕としてはもう少し気楽にのんびりこの辺りを回りたいところ.(前回はグラナダから出発し,南はモロッコのタンジェ,西はポルトガルのリスボン,そして最後に北はマドリッドに戻るという行程を,一週間でこなした.)
日程は4泊で,最終日はSevillaに戻って,翌日5時起きで空港へ.
とりあえず,白い村として有名なCasaresに向かう.
途中,「ナビは任して下さい」と豪語していたM鍋氏によって迷い込んだ,何処ともわからない姥捨て山,もといリタイア老人の楽園らしきリゾートで,錯乱したM鍋氏が着衣のまま2月の海に飛び込む(写真参照)という珍事があるが,あとは概ね順調.
Casaresuは,どのガイドブックにも載っているような有名な村になってしまったが,前回訪れた時は,本当に素朴な山中の小さな村だった記憶がある.
今回到着時は,村の入り口近い道の路肩には,縦列駐車の車が列をなし,観光バスもそれに混じり,本気で引き返そうかと相談したのだが,村の中に入ってしまえばそれほど観光客で溢れかえっているという状況じゃなかった.宿泊施設は2軒しかなく,安い方は前と同じ街の広場に面したバルの上階で,近所にある肉屋さんの経営.相変わらずまったく英語の通じないおばあさんが部屋の鍵を渡してくれるが,家業の肉屋はガラスケースだけ残して廃業していた.宿代は,一人一部屋借りて,トイレシャワー共同で,20ユーロ.
街の中は車とバイクとバルの数がずいぶん増えていたが,その佇まいはあまり変わらない.もっとも大きな変化といえば,頂上にある教会の廃墟が改修され始めていたことだろうか.
夜は,バルを何軒かハシゴした後,マラガのスーパーで買い込んだワインをがぶがぶ.

R.I.P. Noriko Ibaragi san

スペイン・ドライブの続きを書こうかと思っていたら,茨木のり子さんの訃報を知った.
数日前に,亡くなられたそうである.
面識は全くないが,茨城さんの詩集の一冊「自分の感受性くらい」は,もうずいぶんずいぶん前から,僕の本棚にある.ほとんど詩集のたぐいは持っていないのだけれど,茨城さんのこの本は,いつも本棚の前面に置かれている.
シンプルな言葉と表現で,何かを騙すようなところはひとつもない.
「左官屋」という詩が好きで,そして表題の「自分の感受性くらい」は,気持ちがぶすぶすした時に力になってくれる.
聞けば,孤独死というか,亡くなられて数日後に見つけられたとか.それも,茨城さんに関して言えば,凛とした生き様の延長だったような気もする.
ご冥福を,お祈りします.
ゴクロウサマでした.

Cadiz-Sanlucar de Barrameda


2月14日・15日
Casaresでの一泊のあと,Algecirasを通過してCadizへ.
モロッコに渡りたい,という気持ちもないではなかったが,スケジュールを考えると無理.なので,ひたすら走って午後のわりと早くに街に入り,駐車場と安宿も確保.前は,夜中過ぎに着いて,午前中には出発した街だった.それでも,町の古い佇まいが妙に印象に残っていて,今回はそれをなぞるようにゆっくり街中を歩いてみた.
昔から栄えていた港町というのは,独特の感じがある.特にスペインでは,北のLa CorunaやSan Sebastianが忘れられない.南と北ではずいぶん印象が違うけれど,Cadizも素晴らしい.
そして港町は,食べ物が美味しい!特に,このCadizの海沿いのわりと寂れた地区にある,たぶん超有名レストラン+バルで食べた「あさりのサフラン煮,溶き卵とほうれん草入り」は,今回最大の美味.新鮮な小魚のフライや貝類,エビなどももちろん美味しかったが,料理という意味では,これが一番美味しかった.
翌日は,わりと近場のSanlucar de Barramedaへ移動.
Cadiz周辺では,シェリー酒の産地であるJerez de La Fronteraが有名だが,Sanlucarはそのシェリー酒の中でもManzanillaという,特に有名なお酒の産地.Jerez周辺で採れるブドウで作られる,独特の製造法のワインをシェリーと呼び,その中でもSanlucar de Barrameda産のものをManzanillaと呼んで区別するらしい.
街中には,ボデガと呼ばれる,要するに造り酒屋の酒蔵が何軒もあり,見学できる.しかも海辺でシーフード.
しかし,目的地をここに決めたのは,それだけじゃない,「地球の歩き方」によると,近くにスペインいちの国立公園があり,この町からツアークルーズが出ている.夏季は朝と夕方の2便,冬季は朝のみ,ツアー行程3時間半,水辺の野鳥や湿地の生き物,スペインの野生動物見ほうだい出会いの旅!
これは行かねば,という意見がM鍋氏と一致して一路CadizからSanlucarへ向かうが,何だかなかなか着かない.どうやら,一度Sevilla近くまで北上してから,また海辺に南下した模様.
しかも,さすがに「地球の騙し方」.意気揚々とツアークルーズ申し込みのためビジターセンターに行くと,「次に船が出るのは土曜日です」とのこと...また,騙された.
仕方がないので,夜はマンサニーニャがぶ飲み,シーフードやけ食いバルはしご.ローシーズンで格安の雰囲気のあるリゾートホテル(ダブル47ユーロ・シングル31ユーロ)に帰り着く頃には,ベロベロ.あー美味しかった.
写真は,Cadizの南方情緒溢れる聖堂と引き潮の海岸,Sanlucarの酒蔵とかとか.

Sevilla-Paris


2月16日・17日
16日,Sevillaへ戻り,10日ほど前と同じホテルに落ち着く.スペインの郊外は,非常に走りやすいが,街中はややこしい.Sevillaに入ってからは,かなり迷う.
ホテルは,やはり素晴らしい.
夜は,前にお世話になったバルへ.バルの親父さんが,テレビで僕らの公演の紹介を見たといってくれた.そういえば取材に来ていたなぁ.
あと,親父さんはずっとこの町にいるが,若い頃から店に日本人が来たり他の国の人もたくさん訪れているようで,それで親父さんは英語が話せるし,日本語も少し覚えたとのこと.灯台みたいな,飲み屋である.
帰り際に(どうも僕らが演劇関係者だという思いこみもあったようで),僕ら三人にそれぞれ,スペイン語の小説本をくれた.わざわざ,買いに行ってくれた模様.また来ます.
17日,朝5時起き.
迷いつつ,空港へ.途中でぼそっとM鍋氏が,「僕,タクシーで行こうかな」というほどの,ピンチ.(三人とも次の目的地が違い,彼が一番早いフライトだった.)でも,まあ結果は無事に余裕で到着.
彼を送り出してから,今度はレンタカーの返却場所を探して,空港の周りをうろうろ.インフォメーションで聞いても,要領を得ない.国際空港のインフォメーションが,片言の英語しか話せないのは,いかがなものか?
でも,何とか間に合って,僕はパリへ.ユカ嬢は,リスボンへ.
パリでは,仕事のミィーティングをひとつ.その後,現在パリ在住のダムのダンサーYuuと再会.今晩Teatre de la Villeである,Alain Platelの新作が見れるかどうか,チケットは売り切れなのだがトライ.
結果は,階段通路に直座りだが,チケットゲット.客席は,超満員.しかし作品は,もはやAlain Platel様式というか,決まったパターンをなぞっているような感じで,理由が伝わってこない.セットは良くできていたけど...
明日は,12時間ほどかけて,香港へ.
写真は,今回のM鍋氏4態.スペイン到着初日に泥酔・マラガの街角でシェスタ・劇場前の公園で爆睡・カサレスの教会跡で孤独をかみしめるM鍋氏.
本人の手の届かないところでの,誹謗中傷は望みではないが,これはいちおう事前にことわってもいるし,何より責めるつもりは毛頭ない.いやぁー,楽しい公演ツアー+旅でした.面白かった!

Hong Kong-Kyoto


2月18日午後CDG発,19日早朝に香港に到着.
ほぼ1年ぶりの香港.去年の今頃は,大学寮のゲストルームで暮らしつつ,ダニエルや公成達と制作に励んでいたのだった.
今年も,街では香港アートフェスティバルが開催中.折しも,ちょうどEaさんも香港にいるので,一泊して今年のツアーに関するミィーティング.5月後半から6月いっぱい,ドイツ・シンガポール・ベトナム2カ所と回る予定だが,少しダムのツアーとかぶっていて,そこが問題.
とりあえず,予約しておいてもらったホテルに向かうと,まだ朝早いにもかかわらず,すんなり部屋の鍵をくれる.フェスティバル経由で頼んだからか,それとも国際都市としては当たり前のことなのか,こういうサービスは非常に嬉しい.なにせ,体内時計は夜中過ぎなのだ.お風呂に浸かってから,3時間ほど寝る.
午後からミィーティングと,その後フェスティバル・プログラムのCloud Gate(台湾のダンスカンパニー)を観る.前に一度,メルボルンで観た作品の続編.漢字の形や筆順から着想を得た振り,波の音などの自然音を多用したSE,中国武術のような型.ダンサーはすごいテクニック.まあ,良く綺麗に動くこと!でも,ソロやデュエットがあって,振りや身体の美しさを見せていくという構造は,いわゆるクラッシック・バレエと変わらない.
その後,ダニエルと再会.彼も仕事を抱えて忙しいにもかかわらず,夜も遅くに北京風小食をつまみながら青島ビールで乾杯.去年の思い出や,LPHのメンバーの消息などを話しつつ,数時間を過ごす.ちなみに,ダニエルは,今回僕が泊まっているホテルの近く,つまり香港島側に引っ越したとのこと.ゲストルームもあるとのことで,次回から香港の宿は決まった.空港から,エアポート・エクスプレスで約30分100香港ドル(約1500円),香港駅からすぐ近くとのこと.いいロケーションです.九龍が恋しくないわけじゃないけれど,スターフェリーですぐ渡れるしね.
2月20日午後,やっと関空に向かう.
勇んで,JRの駅に向かうが,「はるか」はこの時間帯は1時間に1本.売店も閉まっていて,寂しい限り.確かに,そんなに乗客はいないけどね.おまけに,京都駅から乗ったタクシーも,何だか喧嘩腰.とても,日本が世界に誇る観光地とは...
久々に会った娘は,妙に顔がびよ〜んと伸びる.
写真は,名前に恥じないHarbor View International Houseの部屋からと,懐かしのスターフェリーと,京都の午後.

Kyoto Municipal Museum of Art − Tokyo

ようやく実時間に追いついたと思ったら,明日から東京.
打ち合わせを入れつつ,にしすがも創造舎でヤスミン・ゴーデル,さいたまでフォーサイスを観る予定.
(まだ連絡していない人ゴメンナサイ.暇だったらメール下さい.できるだけ,時間のある限りお返事します.3日間ほどいるので,会えれば嬉しいです)
今日はあいにくの雨だったので,家族で京都市美術館に,造形大の制作展を観に行く.といっても,まあウチから徒歩10分.
椿さんひきいる空間デザイン学科は,展示室に新たな壁と天井を作って,まさしく展示空間をデザインしていた.
ずいぶん前に,同じ市美術館の大陳列室でダムのpHという作品の公演をしたことがあり,あそこの使いにくさを知っているだけに,感心する.
もともと,絵画か彫刻を展示することしか,考えられていない場所なのだ.おそらく,十分な電力も,情報ラインも,パーティションも,未だに確保されていないのではないか?
ヨーロッパの美術館なんか,100年前の建物でも,内部はリノベして新しくなっているところがあるから,やる気で予算さえ確保できれば,市美術館だってもっと使いやすい情報発信地になると思うのだが,今のままではただのお荷物.
そこを,短期間の搬入時間で,あそこまで作り込んだんだから,よくやったモノだと思う.
他にも,駆け足で展示室を回っただけだが,面白い作品があった.(2歳3ヶ月の娘が,きゃあきゃあ走り回るので,ちゃんと見て回ったわけではないが)
みんな,達者だなぁ.うかうかしてられない.

Birthday

えー今日は,もうかれこれ10年も一緒に暮らしておる,妻さんの誕生日でした.「奥さん」「パートナー」「同居人」と,いろいろ呼び方はありますが,どれもそれぞれ理由があって好きではなく,まあ「妻」さんが呼びやすいかなと.一番しっくり来るのは「かあちゃん」ですがね.
それでまあ,娘と一緒にお祝いいたしました.
東京で見たフォーサイスとヤスミン・ゴーデルは,共に面白かったし,またずいぶんと考えさせられました.
ヤスミン・ゴーデルの「ストロベリーと火薬」に関しては,期待が大きすぎたとの声が多かった.彼女らが生活している現実の方が,表現よりよほど切羽詰まっているということだろう.
でも僕は,とにかくその現実に向かい合おうという,その姿勢を評価します.ただ,幾らシビアな現実でも,その悲惨さだけを強調しても,それは何処にも繋がらないとも思いました.たぶん,酷い現実であればあるほど,その当事者には何かユーモアのようなモノ,シビアな現実を乗り越える/迂回する別の回路が必要になるのではないかと...
ただ,それを,もし僕がその現実を受けとめる当事者になっても,言えるかどうか?
フォーサイスは,ただただ圧倒されるばかり.特に最初に観た最新作は,振付ではあるだろうけれど,人の所作を自在に編集したような,誰もが日常の動きを何の気なしにコンピューター上で弄くれるようになった現実があってこそ,初めて可能になった作品のような気がした.
しかも,このところずっと気になっている,人の脳はいかに動きを分析し認識するのか,という疑問に何だか答えてくれた.もちろんこれは,言葉ではちょっと説明しがたいが...
あとの2作品も,2000年の作品だが,いまでも十分すごい.まずは,そのダンサー達のテクニックに圧倒されるが,観ているうちにそれが現実にリンクしてくる.そこに,より現実に対抗できる力を感じた次第です.