Melbourne 1

「声を失う」 – といっても,何かにあきれたわけではない,
10月14日の夜に飛行機に乗り,15日朝にBrisbaneに到着.空港のシステムがすごく分かりにくい上に,フライトが遅れて乗り継ぎ便を逃し,予定より2時間後の便でMelbourneに到着.その頃にはもう,咽がいがらくて風邪の兆候があったのだが,ちょっと無理をしてBelgiumから来たパフォーマンスを1本観劇.無理をしてでも観て良かった!といえる面白い物だったが,移り気な春の寒さのせいもあって体調はどんどん下降.翌朝起きた時点で,僕の声は自分の物とは思えないがらがら声に.
しかし,それはVoyageの仕込み初日のことである.初日の午後からは.照明のフォーカスがメイン,何が何でも大きな声で喋らなければならぬ.
常用している風邪薬と,いくつか携帯してきたホメオパシーのレメディーをちゃんぽん.そのかいあってか,別に熱も出ず咳もそれほどではなく,咽の痛みも不思議とないのだけれど,夕方以降にはほとんど話せなくなってしまった.
おしゃべりはどちらかというと苦手なほうだし,別に普段はそんなに話せなくても困らない気がするが,舞台仕込みの真っ最中となると,話はまったく別である.困ったというか情けないというか,何か自分が悪いような感覚に捕らわれる.
僕の敬愛するルポライターに,「AV女優」というタイトルの,まさしく日本のアダルトビデオの女優さん達にインタビューして歩いた大著をものしている,永沢光雄さんという方がいる.その彼が喉頭ガンで声を失くしてからあとの自伝というかエッセイがあり,それがなんというか,まったく泣けてくる,でも生きようという気になるとてもいい本なのだけれど,その本の事が無性に思い出された.
もっとも,僕の状況はただの風邪だが...
もしくは,最近読んだ失語症の話.周りの状況は,完璧に理解しているのに,ただそれが話せないというだけで,どこにも伝わらない.そのもどかしさ,ふがいなさのせいで,つい自分を責めてしまうという...
幸いな事に,一晩寝たら,声はある程度戻ってきた.今まで長く生きてきて,こんな体験は初めてである.ぎっくり腰をやったときもそうだが,無くしてみて初めて,それがどんなに得難いモノだったかが分かる.いやそんな,たいしたこっちゃないんですけどね...でも,発話できるというのは,すごいなと.
Melbourneの春は,日々の寒暖の差が激しくて,昨日は凍えるようだったのに,今日は一気に春めいて気持ちのいい気候です.

Melbourne 2

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公演は,無事に終了.
寒暖の差が極端な,気まぐれな天候のせいか,最後まで風邪は全快しなかったが,公演自体はうまくいったと思う.
前回memorandumで,同じこのフェスに来た時には,Forumという大箱のナイトクラブのような場所で,舞台の前3分の2くらいを仮設,天井部もトラスを吊り込むという,まず会場を作るのに一大労力を費やすという状況だった.しかし,今回はアートセンターの中の使いやすい劇場で,スタッフもバリバリ動くし,音響・照明機材も十分という恵まれた環境.3日間3回の公演共に,お客さんもほぼ満員で,何不自由なかった.
でも,それだけ恵まれているのに,天の邪鬼なのか風邪のせいか,何だかどうも街に馴染めない.Australia全体を知ってるわけじゃないし,今いるMelbourneだって,よく知らない.そんなぼくが言うのもなんだが,どうも不思議な感覚がつきまとう.そのわだかまりをつらつらと考えていて浮かんだのが,何だかシェルターの中にいるような,という感じだった.きっと入国時のチェックの厳しさや(Australiaは独自の自然環境を守るために,外からのいろいろな物の持ち込みを厳しく管理している),きわめて効率良く,誰にでも分かるように設定されたルールやなんやかやが,単純にぼくの思い込みを作っているだけだろうが,どうもなんだかやんわりとすべてが管理されている場所のように感じる.
もちろんここだって,駅前に行けば,行き場のない時間を持て余した若者がたむろしているし,ゴミだらけの路地もある.それに管理といったって,オーウェルの世界みたいに,悪意のあるビック・ブラザーが一挙手一頭足を見張ってるというのでもない.でも,何だか「後が無い」感じがするのだ.
シェルターの中は居心地がいい,安全だし行き届いている.でもそれは裏を返せば,外は大変だという事だ.シェルターは,外部が非常事態になってこそ,意味がある.
まだ,たぶん外もここも,そんなに違いはないと思う.まだ,別にここはシェルターではないのかもしれない.すべてが人工的な気がするのは,Australiaの強力な大自然に対抗して,自然に街がそういう発達をしているからかもしれない.でも,何だかね,外からの訪問者としては,そんな気がしたわけだ.
もっとも,日本だって外部に閉じてるのは,ここ以上かもしれないけど...
今日の午後は,Robert Wilsonの新作,I La Galigoを観劇.これまでにも確か2本別の作品を観た事があるが,生まれて初めて一秒も微睡みもせず,途中退場もなしで3時間に及ぶRobert Wilson作品を観た.シンガポールのEsplanadeがコプロダクションで参加し初演もしたこの作品は,インドネシアから50人強に及ぶダンサー・シンガー・語り部・ミュージシャンを連れてきておこなう一大神話絵巻.何度も繰り広げられる,上手から下手に流れる神話的な行列といい,いかにも絵巻っぽい.Robert Wilson/西洋(?)の視線で残虐シーンも口当たりよく編集された演出と,美しくデザインされた照明.3時間途切れる事のない,インドネシアン・ミュージシャンによるヴォイスと演奏.大変な労力を使った,綺麗な作品でした.それだけといえば,それだけだけど.
今晩,あと一本作品を観て,明日は帰国.
写真は,舞台でミーティングするダム・メンバー,使いやすかったPlayhouseのステージ,今回もっとも強力でかっこよかった劇場の搬入リフト.何とMAX25トンの稼働重量,Voyageの機材がトラックごと楽々と上がっていく.そして,melubourneの地下鉄.

Melbourne 3

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10月23日に無事帰国.
今回印象に残った公演を,忘れないうちに記録.
“Tragedia Endogonidia BR.#4” : “Societas Raffaello Sanzio” from Brussels present.
Directied by Romeo Castellucci.
今回観た中では,もっとも秀逸.
三方が,見た目は大理石プレートの高い壁に囲まれた舞台.なので袖がないので,転換時はいちいち割り緞帳が閉まる.でも,その閉まった,たぶん持ち込みの白い緞帳を使って,遮られて見えない舞台中がめちゃくちゃ明るくなっているような光の演出もあり,すべての要素をうまく利用している.
抽象的な,その何もない舞台に,最低限の要素を置いて,幻想的でインパクトの強い舞台をものしている.
次々と,新しい可能性のある舞台は出てくるが,それをいち早くオーストラリアまで喚んでしまうこのフェスは凄い.それに毎年だし...
とにかく,光の使い方が良かった.機材をチェックしたわけじゃないけれど,HMIと通常の舞台照明と蛍光灯,それにビデオプロジェクターも照明の一種としてうまく扱っていた.それらと,マジックでも使えそうな道具を駆使した舞台装置をあわせて,映画ばりの,つまり目前の舞台でリアルタイムに,普通だったら目視するのは不可能なような効果を,うまい事現実化してました.
“the 51st(dream) state” : Sekou Sundiata.
こっちは,超クール.
このSekou Sundiataというおっちゃんは詩人らしい.舞台上は映像や通常照明に加えてストロボなんかも効果に使い,4人のこれまた恰好良いコーラスガールとドラム・ウッドベース・キーボードと,何やらその筋では有名そうなホーンのおっちゃんを加えたバンドもSekou Sundiataと一緒に舞台に立つ.
4人のコーラスは,それぞれソロでも歌い,バイオリンも弾く東洋系(たぶんベトナム人だと思ってたら,名前は中国系)と,NYのハーレムでゴスペル歌ってそうな弾丸ねーちゃん,中東の香りぷんぷんの美人さんに,南アメリカ出身ぽいグラマラスなおねーさんと,よくぞ揃えたマルチ・カルチャラルな美人揃い.みんな歌唱力抜群.
しかし,その強力なバンドのパワーも全体の半分程度に抑えて,メインはSekou Sundiata氏自身の詩の朗読に比重があるところが,ものすごく渋い.しかも,当然ながらそれがうまい.
といっても,その流暢な英語と多彩な発話の表現,早口言葉も真っ青なスピードに,ほとんど一言も言葉の内容は分かりませんでした.まあ,何について喋ってるかくらいは,何となく見当付いたんですが...
それでも,その全体の構成には,ものすごく感服.
映像も自由に使えるだろうし,ミュージシャンもすごくうまくて,舞台要素(音響・照明を含む)もよくデザインされてて,優秀なスタッフがいる事が分かる.それらをうまくコントロールしながら,あくまでもメインは詩人本人の朗読に比重を置くというのは,実際に作るとなったら相当難しい.だって,ある程度は,何でも出来るし,それで誤魔化したくなる.
う〜ん,大人な感じ.
しかし,こういう内容になると,全然言葉についていけない,自分の英語力が恨めしい.

Problem-solving skills

しばらく前に,帰国してます.
それで今日は,京都の町を自転車で,リサーチ&買い物.というのも,京都市の環境課が行っている,「電動式生ゴミ処理機購入助成金」というのに当たった.これは,申請して選ばれれば,3万5千円を上限に,生ゴミ処理機の購入金額の半額が京都市から返ってくるというもの.
ちょっと調べてみると,大体売れ線の,乾燥式家庭用ゴミ処理機が6〜7万なので,その半額を市が払ってくれるという事.まあ1件で3万前後というのは,そんなものかと思うけれど,対象が2000件だか2500件という話なので,全体予算としてはかなり大きい.でも,ゴミ処理場を建てる事に比べたら,微々たる予算だし,それで各家庭に処理機が入って,各々が支払う電気代でゴミが減れば,ゴミ袋有料化とあわせてそれなりの効果はある.なかなか頭のいい戦略だと思うのだけれど,京都市のゴミ袋有料化はいろいろ取りざたされても(それもたいてい,準備が出来ていないだの分別収集が大ざっぱすぎるだの,否定的な事ばかり),助成の方はそれほどでもない.家電店のゴミ処理機コーナーには助成金のチラシがあったが,それじゃあ元から興味のある人しか見やしない.戦略は良くても,広報がダメだとなぁ...
とにかく,価格.comで最安5万円くらいの値がついている人気商品を購入すべく,寺町四条や外側の大型量販店を自転車で回る.
それで,もっとも安かったのが,税込み送料無料で,6万3千円.
高いなぁ,こういう既製品を買うなら,ネットの方がやはり断然安い.しかし,まあ送料は含まれていないが,最安の所と比べて1万円も高いというのは,どこがどう違うんだろう?昔みたいに,買った所が,その使い方から修理,果ては廃棄まで,全部面倒見ますという,近所づきあい的な関係なら分からなくもないが,どうせどこだって,売ってしまえばあとはメーカー任せでしょ.
しかし,助成金の但し書きには必須条件として,京都市内の店舗で購入の事とある.
で,それとはまったく関係ないが,久々に京の街を自転車で走り回ったら,ものすごく目についたのが,携帯のメールをチェックもしくは送信しながら走っている自転車だった.
最初は,バッカじゃなかろか危ないなぁ,と思ってたんだけど,そのうち怖くなった.
本読みながら,自転車乗れるか?
そんなの無理でしょ? じゃあ,なぜ携帯の画面なら,読めると思うんだろう?
すれ違ったのが,ことごとく若者だったのも気になった.あえて言っちゃいますが,みんな二十歳から三十歳くらいの人でした.
それで,ほとんど無理やりだけど,タイトルの「問題解決能力」.
以前読んだ脳の本で,一番衝撃的だった「環境ホルモン」の話.まあ,いろいろ恐ろしそうな事が取りざたされていた(この頃は話の端にあまり上らないけど)環境ホルモンだけど,身体に異常が出たり,精神的に障害が出るのは,ある意味分かりやすい.それより怖いのは,人間の機能としての,問題解決能力の劣化だという.
つまり端的に言うと,このままでは,何か重大な問題に直面した時に,どうしていいか分からなくて,呆然としてしまう人が増えるかもしれない.
これはかなり怖い.いっけん普通に暮らせるし,決められたシステムの中では,たぶん何の支障もなく社会のいちパーツを務められるだろう.でもその人が,特異な事態では,使い物にならなくなってしまうのだ.
しかも,どこまでそういう事になってしまっているのか,非常事態が起こるまで,確かめようもない.
もっと恐ろしいのは,いつの間にか自分も含めて周り全員の,解決能力が衰える事である.これは,ある意味惚けるよりずいぶん深刻だ.
ここからは,本の受け売りではなくて,僕の勝手な意見だが,問題解決能力が減退すると,どういう特徴が現れるか考えてみると...
・マニュアルに頼るようになる.
だって,自分で何とか出来ないなら,他人の知見に頼るしかない.
・他者とのコミュニケーションができなくなる/うわべだけになる/人目を気にしなくなる.
ほとんどのトラブルは,他者との交渉によって解決されるから.
・データや身の回りや,その他いろいろ,整理整頓できない人が増える.
解決の糸口は,まず整理して状況を把握する事だと,僕は思っているので.
これって,今どきの若者の...
と,自転車に乗って走っていると,いろいろ想像は膨らむ.
願わくば,これが僕の強迫観念的な,思い込みでありますように.

Jean Genet

11月3日
京都造形芸術大学 舞台芸術研究センター 主催
ジャン・ジュネのテクストに基づくダンス公演『恋する虜』のための公開セミナー
「裏切りとしての身体—ジュネの言葉とダンスの出会う場所」
http://www.k-pac.org/kpac/study/061105_f.html
というのに行ってきた.
この試み,2年間かけてダンサーや舞台美術家,映像作家に現代フランス文学者に批評家と,まさに大学の研究機関ならではのクリエーション・メンバーが,きちんと作品を作っていこうという試み.
コラボレーションという言葉は,さまざまな分野で,いやになるほど使われているけれど,実際にクリエーター同士がじっくりとミーティングから始めて,ある程度の認識を共有して,作品を共同製作している例は本当に少ない.
たいていは,何だか大御所の彫刻家だかなんだかが作ったわけの分からない物の上で,ダンサーが適当に,こんなインスピレーションがこの物を見ていると湧いてきました,という感じで踊っている(ように僕には見える.)実際,このプロジェクトに参加している方々の作品でも,そういうのを観た覚えがあるが,今回は違った.
まさに,大学ならではの企画というか,実際にさまざまな人材を抱えていて,アカデミックなネットワークもあって,しかも劇場やスタジオまで持っている機関だからこそ,こういう長期プロジェクトが組めるんだという好例.
特に,僕の好みとしては,映像作家の伊藤高志さんと舞台美術家の杉山至さんの仕事が素晴らしい.これは言葉を変えると,パフォーマーとテクニカルサイドが,きちんと話し合いを積み重ねて,お互いに作品を理解しているという事だと思う.当たり前の事みたいだけど,これは日本の舞台作品の制作システムの中では,なかなか難しい.特に,自分の事をアーティスト/独立した作家だと思っていないテクニカルの人は,いきおい作品の内容より,出演者やディレクターなどの口から出た言葉だけを,現実化する事を仕事だと思っていて,作品の中身にはあまり関心が無いように見える.これはたぶん,制作場所や予算なども含めた,日本の制作環境にも原因があるのだが,この企画は,その環境に一石を投じるような試みだと思う.
ただ,できうるなら,音響と照明のスタッフも,作品のコラボレーターとして,同じレベルで作品に関わっていって欲しいと思う.(内実は知らないが,音響と照明のスタッフは,今回のクレジットには載っていても,プロジェクトのメンバーリストには名前が挙がっていなかった.)
そして,特に,これが批評家とかでなく舞台に上がる人,ダンサー・コレオグラファーで京都造形大学主任研究員(教授)の山田せつ子さんを中心に展開されているのも注目に値する.
また以前,「公務員的なダンスで全然面白くない」と書いた砂連尾理・寺田みさこさんのダンスも,今回は他の舞台要素と相まって,とても面白かった.僕は何かを研究しているわけではないので,個々のダンサーの作品を系統だってみるような事は,意識的にはしていない.そして,こうやって個人的な感想を時々ブログに書くぐらいだけれど,これからも機会があれば前の作品に関係なく,積極的に様々な作品を観ていきたいと思う.
そうそう,上記の二人も造形大で教えておられるそうで,そのポジションがこういう作品になって還ってくるわけだから,大学という場所もなかなか捨てた物じゃない.
あと,実は白井剛さんもこのプロジェクトに関わっていて,彼の仕事の断片が観られる事を楽しみにしていただけれど,今回は体調がすぐれず欠席との事.残念...
それと,別にたいした事ではなけれど,このブログのプロフィールに少し個人的な情報を載せました.
というのは,もともとは親しい知り合いや身内に向けて書いていたつもりなので,何も載せていなかった.だけど,このブログについつい忘備録的に公演の感想などを書いてしまう,しかも,かなり酷評してしまう時があるので,それならこちらの名前なども載せておかないと,フェアーじゃないと思ったわけです.
あくまでも個人的な感想で,批評とかでは全然無いけれど,そんなこの僕の感想に何かコメントなど付けようと思った人がいても,名前も分からないようではやっぱり躊躇してしまうだろうしね.
プロフィールへのリンクは,写真(娘)の下に小さくあります.

Move around

753
久々に,ほぼ徹夜状態.
もともとロング・スリーパーなだけに,明日(もう今日か)は,使い物にならないかもしれない.(はやく寝ろ!)
といっても,もうすぐ機上の人.久々に,Eaさんの公演で,アメリカはノースキャロライナのChapel Hillという所へ向かう.
http://www.carolinaperformingarts.org/performances/event.aspx?id=dde5643f-51f8-4a23-9ac4-b6761d6679b8
しかし,GoogleEarthで見る限り,かなり田舎.大学のある町というか,町化した大学という感じの所のようなので,案外楽しいかもしれないが...
アメリカの田舎って,どこよりも世界の辺境だと思う.
で,徹夜な訳は,今回初めて,通常の舞台照明とLED照明を,両方一人でオペレートする.今まではフランス人の相方がいたんだけど,予算の都合でカット.その皺寄せで,準備が間に合わずこういう事に.
まあそうは言っても,別に無理なスケジュールだったわけでも無く,ただ僕がのんびりしていたと.それでも,何とかキュー・プログラムも組み上げたので,まあよしとしよう.
のんびりついでに,娘の七五三に吉田神社に行ってきた.僕自身は,子供の頃も含めて,そういう神仏への風習が無い環境で育ったので,新鮮でなかなか面白い体験だった.ただ,この12月で3歳になる娘の七五三は,どうやら去年に行うものらしい.数えで3歳という事か.
しかし,ちょいと大きくなった今でも,着物を着せるのは大変なんだから,去年は無理だろうと思ったけれど,よく考えれば,昔の人は生まれてからずっと,着物で暮らしていたのだった.
で,娘の写真.
それでは,行ってきます.

NW

Chapelhill
Northwest航空では,ついに国際線でもアルコール類が有料化されていた.しかも,ビールでもワインでも何でも一律5ドル.缶ビールの350ml一本5ドルはぼり過ぎでない?
前夜の無理が祟って,エコノミー座席で爆睡.目覚めてもしばらく身体が固まって動かず,首や肩がガチガチに.
関空の出発が,機体のトラブルで2時間遅れ,当然乗り継ぎは逃し,一便遅れて着いたノースキャロライナの空港では,今度は空港側の機材の故障で着陸後30分ほど機内に缶詰め.大丈夫か,アメリカの航空業界?
日曜に飛んだので,現地との連絡も思うようにとれず(メールはおろか携帯も繋がらない),迎えのタクシーは当然もう待っているはずもなく,自分で捉まえたタクシーでたどり着いたのは,世界の果てのようなHoliday Inn, Chapel Hill.
ネットだけは,各部屋に無料の無線がバンバン飛んでて快調なので,さっそくGoogleEarthで現在位置を見てみるが,これがもう周りにあるのは森と道路とコンビニ.Chapel Hillの街に行くのも,車が必要な模様.
今日は,旅の疲れから回復するrecover day なので,街を散歩しようかと思っていたけど,それも億劫に.
自宅の旧iBookにやっとiSightが付いたので,Skypeでビデオ電話.時差がちょうどいい感じで,こっちの朝7時に繋げると,日本は夜9時.子供が寝る前に,顔を見て話が出来る.
しかし,こういう技術とサービスが現実のものになってるなんて,やっぱり凄いなぁ(しかもタダ).今居るような広大な田舎があるからこそ,アメリカでこういう技術が発達していくのかしらん.で,日本でも,マンションの隣の部屋が,一生訪れないような遠い場所になって行くと.まあ,ネットのせいで,日本で近所付き合いがなくなって行っているわけではないが...
Chapel Hillどこか分かるかな.

About mail

11月17日:素晴らしい,秋晴れ.
昨夜,Chapel HillでのEaさんの初日が無事に明けた.
まだまだ照明的には納得できない所もあるが,とにかく大きな支障はなく公演できて,ひとまずほっとしている.
この作品とのつきあいも,もう1年を超えるし,作品の立ち上げから関わっているので,かなり内容が頭に入っていて,何とかオペレーションができた感じ.
もともと僕の担当だったLEDのキュー数が80くらいあって,新たに通常の劇場照明のキューがこれまた70CUEくらい加わって,全部で150弱のきっかけがある.他の人の仕事を知らないので,はっきりとは言えないが,これはたぶん70分くらいのパフォーマンスにしては,かなり多いんじゃないかな.
もっとも,Refined Colorsは,全体の2/3くらいがタイムコードで同期して走っているので,シーンによってはもっとキュー数が多い.
MAXでテクストとして書き出した時間を,そのままLIDDELLに読み込んでキューを書いたりできるので,最初にいろいろ試していた時には,4分ぐらいのシーンで2000キュー以上になった事もある.まあこれなんかは,パチパチ鳴る音,いち音いち音に光の点滅を割り振ったりしていたんだけど,結局あまり多過ぎるとかえって分からなくなるので,いまはかなり減った.
でも,話は戻るが,昨夜の公演は,すべてのキューを手で操作しているので,きっかけを覚えるだけで一苦労.
それでも,とにかく覚えてしまえば,こっちのもんである.
ところで,どうもアメリカに入って以来,メールが送信できていないようである.別に跳ね返ってくるわけではないので最初は分からなかったのだが,日が経つにつれて,返事が来ないのを訝った電話が携帯にかかってくるようになり,それで判明.こっちも,メールを送ったのに一向に返信がないのでいらだっていたりしたのだが,どうもどのメールも送り先には届いていない模様.
スカイプは繋がるし,こうやってブログの更新などもできるのだが...
僕のメールサーバーの問題かとも思ったのだが,一緒に来ている他のテクニカルも,別のサーバーを使っているのに同じように送れていないとの事.困った!
とにかく,ここにいる限りにっちもさっちもいかないので,帰国したらすぐ再送します.もし僕から何か返信があるはずなのに,何も届いていない方がいれば,その旨メール下さい.おそらく受信は全部できていると思うので,帰国したら返信します.
明日には,日本に向かうので,今日がChapel Hillでの最終日.
聞く所によると,この街のほとんどを占めるUNC(ノースキャロライナ大学)は,アメリカ最古の公立大学らしい.他にももっと古い大学はありそうなもんだが,ハーバードとかそういう僕でも名前を知っている所は,皆プライベートスクールだとの事.
しかしまあ,何でこんな田舎にと思っていたら,この辺り一帯は,アメリカいちの煙草と綿製品の産地らしい.特にアメリカの煙草メーカーのほとんどは,ここに拠点があるとの事.なんともまあ,のほほんとして牧歌的に見えるが,その氏素性は奴隷制バリバリの白人ご都合主義の産物だったわけで,そこにこの国初の公立大学ができたと.
町自体が大学で,たいていの大学街がそうであるように,今は白や黒や黄色やいろんな色の目や髪の人々が,誰に遠慮もなく闊歩しているし,中にいる限り快適だが,この州の他の地域はどうなんだろう?
そして当然ながら,ノースキャロライナは圧倒的に共和党支持らしい(また聞きです,違ったらごめん).バーなどでも,ちょっと耳を澄ますと,ブッシュがどうした,とかの会話が聞こえてくる.まともには聞き取れないので,雰囲気だけの解釈だけど,今回の民主党の躍進で,共和党内でもかなりブッシュ批判は高まっているんだろう.
でも,思うんだけど,共和党が攻撃的で民主党が平和的かというと,そういうことではないだろうという気がする.
もちろんブッシュのいかれた原理キリスト教的倫理観や好戦性は最低だが,彼はたぶん単純でアホなだけだ.で,何でそんな人が現職の大統領になれたのか,しかも2選目だ,というほうが問題で,そういうのもたぶん共和党だからという答えではないんだと思う.
ああもちろん,そんなアメリカの事に茶々入れてるうちに,日本も同じように酷い事になってるようで,いつまでもご主人様のアメリカに尻尾振って付いて行こうとしていると,そのうちぽいっと道端に捨てられそうな状況である.そういえば,安倍さんって,何となく捨て犬が似合いそうな顔.