Old people IT

母親の所に,妹の所からe-macが戻ってきた.
少々邪魔臭い話しだが,数年前に両親の住み家にADSLをひいて,コンピューターを設置した.父親は会社の仕事でPCを使っていたし,僕はe-mailでのコンタクトが一番確実な生活の体制だし,何より妻の出産があって,そのすぐ後に妻と娘は僕の実家に身を寄せていたので,連絡用として実家のe-macは役に立った.ところが,僕たちが自分の家に戻ってしまうと,そのe-macを僕の父はうまく使えなかったようだ.
今から考えると,まあそれも無理ない.Win機しか使った事のない高齢者としては,自宅はMacで会社はPCという環境は,手に余っただろう.
そんな状況もあって,ある日,関東に住む妹が遊びに来た折りに,そのe-macを持って帰ってしまった.これはどうも,父親がそう仕向けたっぽい.今となっては,その父が他界しているので詳細はわからないが,とにかく母1人の所へこの正月にそのe-macが戻ってきた.何でも,妹の所は新しいMacを買うのだそうだ.
それでまあ,事情はどうあれ,新居に移って一人暮らしを謳歌している(ように見える)母親の所にコンピューターがあって,ネットに繋がっていれば,こちらとしても都合がいい.何といっても,母は僕の家から歩いて数分の所に住み,子供を預ける事も多い.食事も,一週間に数回はどちらかの家で一緒にとる,なかなか良い状況なのだ.僕が仕事で外に出た時も,自宅と母親宅の両方にリモートでアクセスできるほうが,何かと都合がいい.
なのでこの正月の時間がある時に,母親宅をADSL回線にしプロバイダーと契約し,ついでに妻と母と僕の携帯もsoftbankに統一し,ネットと携帯環境を整える事に.僕が国内にいる時は携帯で,海外からはSkypeで,お得なコミュニケーション環境を作ろうという目論見である.
ところがこれが,なかなか大変.
ある程度,ネット環境が広がり終えた日本の状況としては,いかに今まで親和性の低かった対象者をユーザーとしてインターネットに繋げていくかというのが課題だと思うのだが,そこんとこ全然出来てません.
いったんネットに入ると,それなりに高齢者に対する配慮が各種プロバイダーにも散見されるし,MacのOSでも使いやすいインターフェイスを提供しようという意識はある.携帯電話機だって,字を大きくする機能は結構付いている.
しかぁし!しかし,いざ新規にどこかのプロバイダーと契約しようとすると,また,番号そのままで新たな携帯電話会社に乗り換えようとすると,そこには何だかワケノワカラナイうじゃうじゃが蠢いているのだ!
はっきり言って,ネットも携帯も,老人から子供まで使える家電製品の世界とは,まだまだかけ離れている.
どれだけ素晴らしい製品が開発されようが,そのモノを使う基盤が,専門的な知識のない多くの人を排除するようなものだと,何の役にも立たないじゃん.
例えば,LithuaniaだかEstoniaだか,バルト三国のどれかの国では,誰でもネットに繋げる電話番号が国から提供されていた.
とにかくコンピューターがあってそこに電話すれば,誰でもネットに入れる.IDもパスワードも要らない.回線のスピードはそんなに速くなかったけれど,情報にはアクセスできる.そこからもっと早い回線のプロバイダーなり,他のサービスなりに繋がっていけるわけだ.もちろんそれは,言葉は古くなったがIT化された世界に対応していくための国家戦略な訳だ.
これからの戦力になる若者への投資だが,それは同時に高齢者へのケアーも兼ねている.ちなみに,僕のような旅行者にとっても,とてもありがたいサービスだった.日本も,莫大な予算使って何とか記念館を建てるよりも,そういう基本整備を何とか出来ないかなぁ.どうも,金持ちの国ほどそういう所にお金がかかる.ケチ臭いったらありゃしない.
とにかく,ネットに関する情報は,ネットの中に一番溢れている.例えば,日本の老人がインターネットを始めたいと思ったら,今の環境でいったい何処から手を付けたらいい?家電屋に行って大枚はたいて機械を買って,店の言うままに契約して...おまけにガスや電気などのライフラインに加えて,月々の支払いも増える.そんなものにあえて手を出そうという魅力を,ネットにアクセスしていない老人に提供できているのだろうか?
入ってしまえば,いろいろ良いものもある.キーボードとマウスによる入力はハードルではあるが,70歳過ぎの母親だって,携帯のくそややこしい番号キーで,楽しそうにメールを打っているのだ.何とかなる.そう,問題は繋がるまでなのだ.
とりあえず携帯は,今日のうちに母親のものをsoftbankに乗り換えた.何だかワケノワカラナイ制約&サービスが付いて,電話本体もタダみたいな値段で手に入る.国内通話なら,softbank同士はほとんどお金もかからない.といっても基本料金は3000円近く要るわけで,それだけ払えば後はもういいよという感じ.まあ,考え方がネットと同じ.欲望の入り口を作っておいて,あとの儲けはその中でいろいろ仕掛けていこうという事でしょう.これで,ほぼ1日を費やした.時間のあるお正月だからこそ出来る事だと,自分に納得させておこう.
何だかんだいっても,僕的には年々目に見えるように便利になっていっている世界ではある.
今年もよろしくお願いします.

2007

Guruguru
今年になってから,今年の予定が決まってきている.
遅すぎるだろ,いくら何でも...と焦ってはいるが,嬉しさもある.実は,新作を作る話しが進行中.それがようやく,現実的に形になりつつある.
他に,Singaporeのアーティストとのコラボレーションや,ダムのパフォーマー・ソロ公演での照明のお手伝い,RCの東京公演の可能性など,ほぼ決まったものから3月頃の助成金の結果次第のものまで様々だが,いずれも進行中・調整中.僕が,パチンコや宝くじも含めて賭け事全般に興味ないのは,人生が博打みたいなものだからか...
娘と妻と,金魚を買いに行った.なくなった実家から古風な水槽をサルベージしてきていて,そこで飼おうと思って.
僕の思惑としては,闘魚(ペタ)なら長生きしそうだし,派手で良いかと思って熱帯魚屋さんに行ったんだけど,そこで娘が選んだのが,なんとも金魚らしい金魚.闘魚を飼うなら水槽に蓋が要る(飛び出してしまうらしい),との熱帯魚屋さんの兄ちゃんのアドバイスもあり,ペタはあきらめてその真っ赤な金魚に決定.娘が素早く,「ぐるぐる」と命名.小さな生き物が身近にいるのは,なかなかよろしい.

DANCE X MUSIC!

少し前になるが,1月24日に京都芸術センターでDANCE X MUSIC!を観た.
JCDN主催で,「振付家と音楽家の新たな試み」と副題のついたこのシリーズは,今回2回目とのこと.コンテンポラリーの振付家と音楽家を引き合わせて,滞在制作の場まで含めたプロダクションを立ち上げるというのは,日本の現状を見ると素晴らしいことだと思う.
もともと舞台作品は,ムーヴメントと音,装置と照明などの要素の相互作用で成り立つものだが,特にダンス作品の音と動きは,たいてい緊密な関係にある.なのに,自分の好きな曲だからとか,強いインスパイヤを受けたからといって,市販されているCDの曲を使って作品を立ち上げるというのが,あまりにも安直に行われている気がする.
もちろん,ある時代の気分や特定の世代の感情と強く結びついている曲というのがあって,作品の内容によってそういう曲の使用が不可欠,ということがあるのもわかる.でも,でも,それにしても,仮に必死で山のような曲の中から,自分たちのイメージにあうものを探し出したとしても,それはどうなんだろうと思ってしまう.
ちょっと違うかもしれないが,以前,J.P.ゴルチェのショップで買ってきた服を着て踊ったダンサーが,フライヤーに「衣装:J.P.ゴルチェ」と書いていたというのを聞いたことがある.これは,たぶん誰が考えたっておかしいと思うだろうけれど,アリモノの曲を使うというのも,僕は同じような印象を受ける.
だってそこには,音楽家もしくは音響制作者と振付家/舞台制作者との,創作のやりとりが抜け落ちている.
しかも,デジタル機器の普及もあって,誰でも簡単に音作りに取り組める現状である.(今回の作品では,デジタルな音は使われていなかったけれど...)
それに,調べたわけではないけれど,舞台作品の振り付けなどに関わる人よりも,音作りに関わっている人の方が,数は多いのではないだろうか.振付家はCDの山を発掘するより,音楽家との出会いを求めた方がよほど有効で,しかもそれほど難しくないんじゃないだろうか?音楽家は,振付家がいなくても,容易に作品が作れる.でも,振付家が,音楽抜きで作品を作るのは難しい.(不可能ではないけれど.)だからたぶん,振付家側からのアプローチが必要なのだ.
なのに,いまだに音源はCDから借りてきました,という作品が散見されるのは,どうも残念なことだ.それには,予算的なことまで含めて,いろいろな日本的理由があるんだろうけれど,作品を作る側の気持ちというか意識が,いちばん大きく関わっているんじゃないか?
確かに時間もお金もかかるし,難しいことは一杯ある.でもね,バレエの古典作品だって,最初は振付家と作曲家のコラボレーションから生まれたものだ.
そういう状況に,制作サイドであるJCDNが関わって,こういう舞台を用意するというのは,至極まっとうで説得力がある.
とまあ,長い前置きだったけれど,かなり面白い舞台でした.
最初の,森下真樹さんとTHIS=MISA x SAKOUのコラボレーションは,その力技に圧倒される.シリアスなダンスダンスしたパートから,ずいぶんコミカルなパートまであって,最初僕は「面白けれど,何となく今の気分じゃのらないなぁ」などと勝手な思いで観ていたのだが,首根っこ捕まれて引きずりあげられるような感じで,終いにはずいぶんと笑ったし楽しんでいた.
THIS=MISA x SAKOUの音楽の力をかなり強く感じたけれど,森下さんの動きも負けていなかったし,何より参加者3人全員の相乗作用でこの作品を作り上げたというのがよくわかった,良いものでした.
つづく,「ほうほう堂」と「にかスープ&さやソース」の作品は,かなり残念な感じ.僕の好みの問題だが,ほうほう堂の動きが,どう楽しめばいいのかわからなかった.「日々出会う衝動や微細な感覚に焦点をあてた独自のダンス」らしいが,独自というより幼児的,それに動きの形は独自のものかもしれないけれど,振りの構造というか作り方みたいな所は,極めてオーソドックスなものに感じられた.
音とのコラボレーションというのも,組んず解れつ音楽と格闘したというよりも,あらかじめ想定した行程を何とかやったというような感じ.(あくまでも僕の感想です.)
「にかスープ&さやソース」の音楽+パフォーマンスがとても面白かっただけに,残念でした.でも,こういう試みは重要だし,アーティストも,やり続けることでしか自分たちの方法は見つけられない.
次が楽しみな企画でした.

RCWS

3月初めに,東京でRefined Colorsのワークショップを開催します.
http://dance-media.com/tech-workshop/index.htm
お時間のある方は,ぜひぜひ遊びに来て下さい.
自分の振りと好きな音に,自分で選んだ色の明かりを付けるWSです.望めば,音の編集もできます.