DANCE X MUSIC!

少し前になるが,1月24日に京都芸術センターでDANCE X MUSIC!を観た.
JCDN主催で,「振付家と音楽家の新たな試み」と副題のついたこのシリーズは,今回2回目とのこと.コンテンポラリーの振付家と音楽家を引き合わせて,滞在制作の場まで含めたプロダクションを立ち上げるというのは,日本の現状を見ると素晴らしいことだと思う.
もともと舞台作品は,ムーヴメントと音,装置と照明などの要素の相互作用で成り立つものだが,特にダンス作品の音と動きは,たいてい緊密な関係にある.なのに,自分の好きな曲だからとか,強いインスパイヤを受けたからといって,市販されているCDの曲を使って作品を立ち上げるというのが,あまりにも安直に行われている気がする.
もちろん,ある時代の気分や特定の世代の感情と強く結びついている曲というのがあって,作品の内容によってそういう曲の使用が不可欠,ということがあるのもわかる.でも,でも,それにしても,仮に必死で山のような曲の中から,自分たちのイメージにあうものを探し出したとしても,それはどうなんだろうと思ってしまう.
ちょっと違うかもしれないが,以前,J.P.ゴルチェのショップで買ってきた服を着て踊ったダンサーが,フライヤーに「衣装:J.P.ゴルチェ」と書いていたというのを聞いたことがある.これは,たぶん誰が考えたっておかしいと思うだろうけれど,アリモノの曲を使うというのも,僕は同じような印象を受ける.
だってそこには,音楽家もしくは音響制作者と振付家/舞台制作者との,創作のやりとりが抜け落ちている.
しかも,デジタル機器の普及もあって,誰でも簡単に音作りに取り組める現状である.(今回の作品では,デジタルな音は使われていなかったけれど...)
それに,調べたわけではないけれど,舞台作品の振り付けなどに関わる人よりも,音作りに関わっている人の方が,数は多いのではないだろうか.振付家はCDの山を発掘するより,音楽家との出会いを求めた方がよほど有効で,しかもそれほど難しくないんじゃないだろうか?音楽家は,振付家がいなくても,容易に作品が作れる.でも,振付家が,音楽抜きで作品を作るのは難しい.(不可能ではないけれど.)だからたぶん,振付家側からのアプローチが必要なのだ.
なのに,いまだに音源はCDから借りてきました,という作品が散見されるのは,どうも残念なことだ.それには,予算的なことまで含めて,いろいろな日本的理由があるんだろうけれど,作品を作る側の気持ちというか意識が,いちばん大きく関わっているんじゃないか?
確かに時間もお金もかかるし,難しいことは一杯ある.でもね,バレエの古典作品だって,最初は振付家と作曲家のコラボレーションから生まれたものだ.
そういう状況に,制作サイドであるJCDNが関わって,こういう舞台を用意するというのは,至極まっとうで説得力がある.
とまあ,長い前置きだったけれど,かなり面白い舞台でした.
最初の,森下真樹さんとTHIS=MISA x SAKOUのコラボレーションは,その力技に圧倒される.シリアスなダンスダンスしたパートから,ずいぶんコミカルなパートまであって,最初僕は「面白けれど,何となく今の気分じゃのらないなぁ」などと勝手な思いで観ていたのだが,首根っこ捕まれて引きずりあげられるような感じで,終いにはずいぶんと笑ったし楽しんでいた.
THIS=MISA x SAKOUの音楽の力をかなり強く感じたけれど,森下さんの動きも負けていなかったし,何より参加者3人全員の相乗作用でこの作品を作り上げたというのがよくわかった,良いものでした.
つづく,「ほうほう堂」と「にかスープ&さやソース」の作品は,かなり残念な感じ.僕の好みの問題だが,ほうほう堂の動きが,どう楽しめばいいのかわからなかった.「日々出会う衝動や微細な感覚に焦点をあてた独自のダンス」らしいが,独自というより幼児的,それに動きの形は独自のものかもしれないけれど,振りの構造というか作り方みたいな所は,極めてオーソドックスなものに感じられた.
音とのコラボレーションというのも,組んず解れつ音楽と格闘したというよりも,あらかじめ想定した行程を何とかやったというような感じ.(あくまでも僕の感想です.)
「にかスープ&さやソース」の音楽+パフォーマンスがとても面白かっただけに,残念でした.でも,こういう試みは重要だし,アーティストも,やり続けることでしか自分たちの方法は見つけられない.
次が楽しみな企画でした.

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