この3週間程度の地下鉄通勤で,ずっと考えている事が,エスカレーターである.
もちろん,Singaporeに来て,生まれて初めてエスカレーターに乗ったわけではないけれど,普段京都で自転車を活用し,しかも通勤などというものをほとんどした事が無いので,こんなに毎日続けて同じルートを通る事は稀だ.一回の乗り換えを含めた通勤では,ホームへのアクセスを含めて,片道6つのエスカレーターに乗る.これがまあ面白い事に,長さも,速さも,乗り始めと終わりの平坦なパートの有無も違う.
試しに,手摺りに掴まらずに,なるべくそれまでの移動速度を変えないように,エスカレーターに乗り込む.(乗り込むったって,そんな大げさなものではないが...)難しい...そのまま同じ速度で歩き続けて,エスカレーターの終点でも止まる事なく,動かない地面にアクセスする.難しい.これらの難しさは,上りと下りで違いがある.
何の話しかというと,目の話.つまり脳の話.
エスカレーターに乗り込む時点で,処理している情報は,形と距離感(3D)に,速度まで加わっている.しかも平面方向への移動速度には,自身の歩行速度と共にエスカレーターの移動速度が有り,その上,あの踏み板というか階段部がせり上がってきたり下がってきたりする速さも有る.
一般的に,下りのエスカレーターへのアクセスの方が難しいと思うのだが,それは段差が垂直面として見れずに,踏み板上面のパターンでしか認識できないせいだと思う.両眼の視差で距離感や立体を認識しているのは周知の事だが,同じパターンの平面に高低差があっても,それを上からしか見れないと認識が難しい.しかも高さは,あるところまでは刻々と変わっていくので,それを水平面に延びていくパターンの変化から推測しないといけない.
そして,ここが面白いところなのだが,通勤時の6つのエスカレーターは,ハッキリわかるほどに速度がバラバラで,高低差の出来る速さを体感的に経験値として固定できない.つまり,毎回エスカレーターにアプローチするたびに,それに近づきつついくつかの速さを確認し,周囲の状況にも対応しつつ,自身の移動速度を調整していく.
ついでに,Singaporeでは次の地下鉄の時間がホームより上の階層でも刻々と表示されていたりするので,それを見て1分後に地下鉄が来るとかだと,慌てて走ったりする.
この時,目から入った情報は,形や,色,距離,速度といった違うエレメントごとに脳のいくつかの部位で別々に処理されて,しかも,「ああもうすぐ地下鉄が来る」とか,「あれ,あの人知ってるかな」とか,「エスカレーターの階段部って,尖っててギザギザで堅そうで,痛そう」とか,色々考えてもいるわけである.
例えばこれを,ホンダのASIMO君にでもやらせようと思ったら,現在なら出来るのだろうか.確か数年前までは,階段の昇降も難しかったはずだ.
しかも人は,片手に荷物を抱えたりして,物理的な条件も様々で,服によっては動き難かったりもして,大変な事である.それに,いろんな事考えているだろうし,おまけに体内では,そんなこととは関係なく,脳の管理下で摂取したものが分解され,エネルギーに変わり,血液が全身をまわり,侵入してくる細菌なんかにも対応している.
そう思うと,躊躇しながら手摺りに掴まりようやくエスカレーターに乗り込むおばちゃんも,ひょいと飛び乗るちびっ子も,それぞれがものすごい奇跡の産物のように思えるこの頃.