Exile or abandonment

今年初めのEaさんのツアーから帰って以来,ずっと気になっている事がある.気にしても仕方のない事だし,どうなるモノでもないのだろうが,整理のために少し書いてみよう.
Eaさんのアメリカツアーは,最初の公演地だけ東海岸で,あとはずっと西海岸での公演だった.いろいろと段取りの悪い事などあったが,まあ諸条件から考えると何とかなった方だと思う.
ただ,もっともピンチだと感じたのは,実は当時のブログには書いていない,最初の劇場での公演が終わった翌日の出来事だった.
公演が終わった翌朝,一人のダンサーがいなくなった.
前に書いているように,場所はBostonから車で3時間ほど離れた大学町で,その朝そのダンサーは,鞄に自身の荷物を詰めて,バスに乗ってどこかに行ってしまった.
そしてそのまま,遂に帰ってこなかった.
ツアーは,その人をアメリカに残したまま,約一月後に終了し,僕たちは日本に,ダンサー達はベトナムに帰国した.
もともとダンサー達はあまり英語が話せず,僕はベトナム語もフランス語も話せないので,それほど会話はなかった.でも,もう足掛け3年目の付き合いだから,その人の事も少しは知っている.
僕にとっては,ダンサー達の年齢は本当に分かりにくくて,それはもう外国人が日本人の歳をずいぶん若く見てしまうのと同じようなもので,みんな年齢不詳なのだけれど,その中では若干年上だったのだと思う.ハノイバレエからキエフに留学していた事もあるそうなので,ベトナム・クラッシックバレエ界ではエリートだったんだろう.結婚していた事もあるはずで,子供もいたと思う.
聞いた話では,ツアーにでる前に,新しく赴任したハノイバレエの芸術監督に,戦力外だと言い渡されたらしい.それが,レパートリーの中の何かの作品に対する決定なのか,それとももうベトナム国内ではどこでも踊らせないという事なのか,そもそも僕にはベトナムバレエ界のシステムが判っていないので,どれほどの決定なのかイマイチよく分からない.
社会主義の国だし,何度か滞在した経験から,プライベートのダンスカンパニーはおそらく作る事もできないだろうという事は想像つく.でも,そのディレクターが言い渡した言葉が,そのダンサーの人生にどれほどの衝撃を与えたのかまでは,僕には想像できない.
そして,このツアーは,おそらくベトナム国外に出れる,最後のチャンスだった.Eaさんのこの作品の公演には,先のスケジュールは入っていない.新作を作る予定はあるんだけれど,この作品を続けるかどうかは,未定なのだ.
それで,消えてしまった...
最初の公演が終わっても,その時点ではあと一月弱のヴィザが残っていた.おそらく,東海岸の方が,伝手のあるベトナム人が,多く住んでいたのかもしれない.(アメリカには,当時「南」から移住してきたベトナム人コミュニティーが,結構あるみたい)
でも,でも,だ...
たぶん,もう踊れないじゃないか.もし,お金なり何なりの工面が付いて,新しい名前と身分を手に入れたとしても,アメリカで自分が踊れるポジションにたどり着くのは,おそらく不可能に近い事くらい,分かっていたと思う.
もう,戻れないんじゃないのか,とも思う.子供だっていたし,親だって,友人だっていただろう.別に,国家に命を狙われるような事態じゃなかったとも思う.でも,もう簡単にはベトナムに戻れないだろう.
何がそんな気持ちを駆り立てたんだろう? 
そんなに,「国」という存在に重きを置かないような,考え方や文化が根付いているんだろうか?
僕はあれから,時々自分の中に「亡命」や「棄国」という言葉を探してみるけれど,まったくもって見つける事ができない.それほどまでに,失踪したダンサーと僕の間には,理解を超えた差があったのに,まったく解らなかった.ハノイに滞在していた時だって,そんなプレッシャーというか,国を捨てなきゃいけないような雰囲気は,感じなかった.
失踪は,極度に個人的な事情によるものだったかもしれない.でも僕は,その前日に「ひさしぶりー」とか言って挨拶していたのだ.
何が,そういう決断に,導いたんだろう?
それが別に,何か悪い事だと思ってるわけではないんです.ただ,結構いろいろな国に行って,様々なモノをずいぶん見たし経験もしてきたのに,知らない事感じていない事はまだまだあるし,しかも自分は,そういうモノ/コトを考えるのが仕事じゃないかと,強く考えているわけです.

カテゴリーUSA

2 Replies to “Exile or abandonment”

  1.  日本から出る引越をして、「もう日本は捨てましたか?」と聞かれたことがある。
    なんてバカな質問だろうと思ったけれど、でもこのダンサーのように、恐らく二度と帰れなくなるという状況は、文字通り「棄国」と言い得るものでしょう。
    想像しても追いつかない果てしなさですが、それでも想像していちばん胸に苦しいのは「新しい名前と身分を手に入れたとしても,アメリカで自分が踊れるポジションにたどり着くのは,おそらく不可能に近い事くらい,分かっていたと思う.」というところ。新天地でも実は可能性はない、とわかった上でする選択…。
    kinseiさんかEaさんは、いつかどこかでまた彼に会うことができるかな・・・。

  2. そうなんですよ。
    何か、ポジティブな展望が、少しはあったんだろうか?突発的に自暴自棄になったにしては、計画的な感じだったし。。。でもなぁ。ベトナム人にとって、自国はそんなに閉塞感があるんだろうか?ちょろっと仕事で行ったり遊びにいっただけでは、わからないです。
    ところで、ベルリンは、5月後半にワークショップの仕事で行きます。まだあんまり内容が見えてないので、決まったら連絡します。

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