Berlinから帰国.
今回印象に残ったのは,同じく講師として参加したY川氏の,アーテストとして様々なことにコミットする姿勢.その場を仕切るバイタリティーや,ちゃんと話に耳を傾ける姿勢は誠実でした.
アーティストとして,自分をアピールするのが半分仕事みたいなものだと思うが,その押しの強さの反面,まっとうにリベラルでした.
僕も,見習いたいもんです.
WSは,とにかく忙しなさ過ぎ.ヒト(受講者)を変え場所を変え,目一杯詰め込んで,結局誰もが消化不良.狙い目は良いのだけれど,ワークショップではなくて何かの展示会みたいでした.
まあそれでも,WSの経験値の低い僕としては,得るところは有りました.
結局,知識を相手へコピーするのではなく,経験を実感するのがWSだとすると,それなりの手法を開発しなければ,どうもいくらうまく説明できても何か欠けている(嘘臭い)のだと,改めて実感した次第.マニュアルを隅から隅まで隈無く読んでも,それで例えば格好良いギターが弾けるようになるわけじゃないという,当たり前のこと.
ダンスみたいに,身体を動かすことを教えるのが目標じゃないだけに,とても難しい.
写真は,WS会場に並んだノートブック(各役割は説明できても,それを使いこなすまでには,遠くて長い道のりが...)
同時期にあった,デザイン・フェスでのLED_Room.同じく,リサイクル・ペットボトルのオブジェ(遠景)と(近景).お洒落なカラーコーディネートの地下鉄.Berlinでは主流のタクシーメーター.
結局,EUの真ん中っぽい位置で,何処にもアクセスしやすくて,それでいてまだまだのほほんとしている面もあり,家賃が安いのが,Berlinにアーティストが移ってきている理由のようです.
It got excited
そろそろと,周りがざわざわして,忙しくなる予感.
今年も,前半は時間があって,うかうかとしている間にあっという間に過ぎる.で,9月以降は,ちょっと不安になるくらいの過密スケジュール.うーん,まずは体力トレーニングが必要かも...
しかし,毎年なぜ?
とにかく,7月はいくつか楽しみな予定が.
まずは,7月6日に埼玉で,trueがきっかけで設定してもらった,トークセッションがあります.
http://www.skipcity.jp/event/vm/exhibition/0803251.html
ページの下のほうに,案内があります.
「REALTOKYO」および「ART iT」発行人兼編集長の小崎哲哉さんとお話します.
ここだけの話,trueのセットと同じ24台のLEDを,直径6mの円形トラスに吊って,デモもやります.
もしお時間が合うようでしたら,いらして下さい.
8日は,横浜です.
http://www.dance-media.com/zaim_workshop2008/vol-3.htm
こちらは,去年3月にRefined Colorsのワークショップを,東京で開催した際お世話になった,Dance and Media Japanのワークショップに,ゲストでお邪魔します.先日のBerlinでの一連のWSが結構大変で,それで逆説的にもう少し人に,LEDを体感してもらうことに興味が湧きました.教えるんじゃないんですよね.
そしていよいよ,半年ぶりにtrue公演@Singaporeは,7月24日・25日・26日です.
http://www.thestudios.com.sg/2008b/microsite/
メインのEsplanadeサイトにも載ってます.
http://www.esplanade.com/SOPApp/espsop/portal_proxy?uri=o_nuinR7xVvpiW9f!2pKDV@5rq-E_AlsvZIm_9MEA@a@shK@GfG-7POZO5=WsQP0blaEsJFM
trueはこの後11月にNYで公演し,その後09年の初めはヨーロッパに行く可能性があります.なので,しばらく日本で公演する予定はありません.もし,もしですが,この時期にシンガポールに行く予定のある日本の方,よろしかったらぜひ観に来て下さい.
ちなみに,同時期にISEAという,メディアアートのカンファレンスも行われており,
http://www.isea2008singapore.org/index.html
その関連の展覧会なども,行われています.
Refined ColorsやPath,trueのクリエーションでお世話になっている,YCAMの活動もISEAで発表されるようで,
http://www.isea2008singapore.org/conference/conf_institutions.html
この時期,シンガポールは盛り上がります.
ちなみに,trueも関連イベントの一部です.
http://www.isea2008singapore.org/conference/conf_events.html
いやあ,楽しくなってきました.
Festival
Ability
友人の見舞いに行った.
思っていたよりも,顔色も良くて,しっかり話も出来る.痩せてるし,身体にチューブがくっついていたけれど,僕がいる間に歩行訓練もして見せてくれて,3月に倒れたダメージから少しずつでも回復しているように見受けられた.
頭の腫瘍の手術を受けたということで,会話も少し努力がいるようだったけれど,でも言葉が出難いとはいうものの,それは思考の内容とは関係ないようだった.
あまり気の利いたことは言えないけれど,その時話したのは,発話と黙読の違いの話で,発話はほとんど本能のような生得的な能力だという.何の本で読んだのかは忘れてしまったけれど,ちょうど入院している部屋に行った時に,リハビリで音読を一人していたので,そういう話になった.
発話というか発声で他とコミュニケーションをとるという行為は,多くの動物で見受けられるが,黙読はまったく人間の技術である.しかも,かなり新しい.人や店の名前,祈りの言葉なんかは,昔から黙読するということが存在したかもしれないが,まとまった文章,しかも情景描写や抽象的な思考の足跡や,会話,様々なデータなどを声を出さずに読み込んでいくというのは,大半のヒトにとってはグーテンベルク以降,いや実際はもっと遅くて,小説の誕生以降に開発/体得された技術である.
そのことからも分かるように,今日僕たちが使っているような意味での,話す事と読み書き,そして付け加えるなら,そうして伝搬していく言葉の内容を理解することは,まったく別の能力で,使う脳の部分も違う.
友人は,話し方こそ詰まりながらだったけれど,こんな内容の会話なら,問題なく楽しめるようだった.それに,見舞いとして今後持参希望の本の話などしていたら,僕がこの前読んできれいさっぱり忘れてしまっていた有名作家の短編の内容を,よっぽどよく覚えていた.素人考えだけど,ただ単に読む技術のいくぶんかが消えてしまっただけなら,それはきっと取り戻せると思う.
そんなことを考えながら,あらためて秋葉原の人殺しの事を思う.
連日,マスコミを賑わしている事件だけれど,あの人殺しの現実(感)には,弱者も病者もいなかったんじゃないかと.容姿が悪い,お洒落じゃない,それで結局異性にモテない,だから負け組だというけれど,健康で飢えることもなく移動の自由もあったわけだ.それに,知識だって人並みにあった.
欠けていたのは,想像力でしょう.
もっというなら,親に無理強いされた義務教育期間だったというけれど,現存の人類の中で,日本レベルの教育を受けられて,それを自由に使える立場にある者がどれだけいることか...
別に,そういう迷惑な人達が海外に出て,今だにある程度は有効な,日本の国力を実感しろとはいわない.上を見るな,下を見ろ,という話でもない.ただね,「現実」は結局,その個人の想像力によって構成される,と思います.
ヤケクソになって人殺ししか選べないのは,他人のせいじゃない.
生き抜くための想像力を育てるのに,容姿も資産も関係ない.
世界の広がりや美しさを実感できるモノ/コトが,日に日に自分の周りから失われてきているという実感が,いまの日本で暮らしていると確かにある.それでも,想像力とユーモアで,それに立ち向かっていくこと.
写真は,まるで関係なく,部屋の窓際に育つ草や静物.