もう1週間経ってしまったが,6日(日)に埼玉県川口市のスキップシティでのトークイベント「色の在処」無事終了.沢山の方に来て頂いて,かなり緊張したものの,小崎さん(『REALTOKYO』および『ART iT』発行人兼編集長)のナイス・リードで何とか乗り切る.
ダムのタカオちゃんや指輪の佐藤さんも見に(聞きに?)来てくれたり,新たに知り合えたアーティストの方々とも話せて,大変楽しゅうございました.
ヒト前で話すというのは,公演とはまったく別の緊張感で,インプロっぽいところがあって,気楽なところも多い.そういえば何処かで読んだか聞いたかしたが,ミュージシャンはセッションが終わったらさっさと済んだ事は忘れて,次の公演に思いを馳せるそうな.前の公演のビデオを見て,あーだこーだと考えて,ひとつのパフォーマンスを更新し続けるのとは,かなり違う.
大仰だけど,そんなミュージシャン的な楽しさを,少しは感じられたような気がした.
写真は,ずいぶん前から知り合いのMatronさんが,偶然にもスキップシティの依頼で,スティルの写真家として撮ってくれた1枚(僕が知りあった時には,彼はダンサーでヴィデオ作家だったんですが...今は?)でもとにかく,「Photo: Matron」.
Egg is standing
卵が立ってるらしいです.
mixi内ブログで公開されてますが,Refined Colors関係者が,このところ毎晩立ててるそうな.
コンタクト・インプロビゼーションを始めたヒトを日本に喚ぶとかで,某Monochrome Circus代表と卵を立てていたアーティストがミーティングする機会があって,その時に立て方の秘伝が伝授された.
端で聞いていても,理論通りやれば,生卵が立ちそうな気がしたのだが,僕は試さなかった.自宅に卵がなかった,というのは言い訳でしょう.
しかぁ〜し,MC代表と「京都の暑い夏」代表は,夜な夜な立ててるらしいです.立て方を聞いた時に,二人が目をキラキラさせて,「うーんそれは,本当に,コンタクトの神髄!」てな事を言ってたんですが,熱中具合からして,本当にそうなのかも...
ちなみに貼っときますが,これはその某二人と僕が去年春に作った作品.踊ってるのは,某「暑い夏」代表.
全長30分弱.音はM鍋氏,LED12台とダンサーと僕だけで公演が成立します.8月末には,別府で公演予定.一番気楽に何処にでも伺えます.
Saxophone
7月16日に,京都のアルティホールで公演された,清水靖晃&サキソフォネッツを誘われて観に行く.ちょうど,祇園祭宵山の夜だったけれど,これがまたまあ,とっても気持ち良うございました.
サックスだけのグループ演奏というのは,遥か昔にダムで「サスペンス&ロマンス」という展覧会をやった時に,ハリー・切手君という方に手伝ってもらって,展覧会内ライヴを行った事があるのだけれど,何かそれ以来久々に聞きました.
いやあ,「呼吸」と直接繋がっているからでしょうか,とっても肉体と直接関係しつつ,あの楽器のメカニカルな外観といい,カチャカチャと音階を奏でるキー(何というのか教わったけど,忘れました)を押さえる音といい,機械的な部分が見えつつもとても人間的でした.エロテックなサイボーグという感じ.ロボットは,いくら外観を人間に近づけても,最後はメカニックですが,サックス奏者は外観がメカメカしくても,中身はとても人間っぽい.
面白かったのは,ライヴの中で5音階で作られた楽曲と,バッハ・オリジナルな楽曲が混在していたのだけれど,どう聞いても日本的(エチオピア的でもあるらしい)な5音階よりも,バッハの曲のほうが僕にはナラティヴで美しく感じられた事..,日本の文化が結構好きになってる気がしてたのに,音は別かな?
その後,あつかましくも打ち上げにもお邪魔して,いろいろな方とも楽しく話せて,良い夜でした.
Baba San
シンガポールにいる間に,友人が急逝してしまった.
大学の後輩で,バイト仲間だった.
たぶん僕は,最初に彼に会った時を覚えていて,それは大阪近郊で遊園地や公園の遊具なんかを作っている会社のバイトで,バレーボール部の別の後輩に連れられて,彼は颯爽とやって来たのだった.
バイトに来るのに,颯爽ともないもんだが,コート何か長衣を着ていてその裾を翻し,一癖ありそうな眼光の鋭さが彼の長身と相まって,3年ほども後輩ながらちょっと気圧されそうに感じて,その第一印象が忘れ難いのだと思う.
その後,その一癖ありそうな面持ちには決して微塵の悪意も無く,少々性格は屈折していつつも,おおらかな彼の人柄も分かってきた.
そしてなぜだか彼は,僕の渡り歩いた数々のバイトに,いつも付き合ってくれていろいろ助けてくれたのでした.
夏になると,今はもう無くなってしまった比叡山山頂のお化け屋敷で,夏休み中「オバケ」をやり,春と秋は宮川町の歌舞連場で,舞台袖や綱場に付いて「黒子」になった.その間に,古典的な舞台の裏方の仕事をちょっと噛って,フリーの大道具さんみたいな事もずいぶんやった.
その頃は,まだバイトの手配で小銭を稼ぐような時世じゃなくて,舞台大道具の会社との付き合いから,義理を感じて僕は学生バイトの人足頭みたいな事をしていて,それが,大学を卒業してあまり僕が現役学生と付き合いがなくなってからは,その仕事もばばさんが引き継いでくれた.
その後,たまたま借りたアトリエ(もと剣道場)の大家さんが,木屋町の端っこのバーのオーナーで,ひょんな事からその店を任される事になった.ダムのメンバー数人を含めた芸大生ばかりで,バーのイロハも知らずにやり始めたその店は,サントリーのホワイトと角瓶が並び,店の真ん中にでんとジュークボックスがある,とても京都らしい古いバーで,中を知らない一見さんの客は,とても怖くて入り口の戸を開けられないような所で,ものすごく古い話だけど「赤頭巾ちゃん気をつけて」シリーズの「葦舟」みたいな場所だった.
店番をしながら酔っぱらい,関係者といってはただ酒を呑み,コンパが有ると夜を明かし,帰るのが邪魔臭くなると転がり込み,毎日のようにその木屋町御池近くの店に屯っていた.たぶんまだそのバーはあって,今も学生上がりと関係者が共同経営していると思う.
ダムが頻繁にツアーに出るようになり,とてもバーの店番まで手が回らなくなった時に,跡を引き継いでくれたのも,ばばさんだった.
おそらく日本で初めてだっただろう,定期的なドラァッヴ・パーティにも,彼は最初から参加して踊りまくり,長身の女装でガハハと笑い,およそ面白そうな気配のある所には,何処にでもまめに顔を出していた.
まだハローウィンにそれほど馴染みがない時に,グリーナウェイの映画に出てくるシャム双生児の衣装をしつらえて,木屋町通をばばさんと僕と二人三脚で闊歩した.
彼は,僕なんか及びもつかないような,秀逸なデザインセンスを持っていて,大学を出た後はさぞ派手に活躍するかと思いきや,ずいぶん地味な職場を選び,僕は内心そのことにちょっと戸惑ったりしていたのだが,彼はそんなことは何処吹く風の涼しい顔で,毎日を楽しんでいるみたいだった.
まるで村上春樹の料理やマラソンの記述みたいに,毎日きっちりと仕事のノルマをこなし,日に平均一本以上の映画を観て,興味の赴くままに様々な本を読み,お気に入りのバーやカフェで談笑し,クラブで音楽に浸り,自転車を愛した.
mixiに日記を書くようになってからは,ほぼ毎日更新でその日に見た映画評をものして,僕がたまに映画館に行く際の指針になってくれた.
まるで,享楽的な仙人みたいだった.知識をため込む事や,偉そうにひけらかす事には,何の欲望も感じていなかったんだと思う.ただただ純粋に自分が楽しみ,人を楽しませ...
ギスギスした現実も十分に知りながら,それでもユーモアを手に,それに立ち向かえるヒトでした.
45年間,最後まで前向きに楽しめたでしょうか.
僕は,一度しか見舞いに行けなかったけど,その時「ベニスに死す」を音読していた,ばばさんの声は忘れません.
余談:
しかし,一昨年の6月にシンガポールで公演中には,父親が逝った.今年は,劇場こそ違え,ばばさんが...
まわりに,その人を共通に知る者がいないと,死の報告は難しい.
僕が,それを聞く立場だと,やはり困ってしまうだろう.雨が降るように,ヒトは死ぬ.死は日常でも,知人の死は特別だ.
true@シンガポール公演は,好評(おそらく)のうちに終了.
写真は,テスト映像の映る舞台.こういうシーンは,今のところありません.