UC_Riverside – San Francisco

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Riversideの公演も終了し,遂に最終地San Franciscoに到着.
Riversideは何というか,これまでの大学の中では一番お馬鹿な大学っぽくって,好感が持てました.
学生の幅が広いというか,ピンからキリまでいる感じ.これまでのところは,カラーが(肌の色じゃなくて)あまりにも単一で一定レベル以上で幅が無い感じだったけれど,ここはそうでもなかった.
まあ,キャンパス内をふらふらしている学生の数が,ただ単に多かっただけかもしれないけれど...でも,みんなのびのびしてる感じがしました.まあ2日間程度,しかもほとんど劇場内の滞在だったので,適当な事しかいえません.それにしても,Riversideでも学生の半分くらいはアジア系.何でしょね,アメリカの大学は,アジア系の学生を海外から受け入れる事で,大学の寿命を延命しているのか,もしくは,アメリカの人口比率でアジア系の占める割合が飛躍的に増えているのか.
とにかくまあ,Riversideも無事公演終了.
そして,かなり学習の成果が上がったのか,さしたる混乱もなく,空港のチェックインカウンターで大荷物を預ける事に成功し,LA空港を発って一路San Franciscoへ.
いやぁ都会です.ツアー2ヶ所目のSeattleの劇場は,大学キャンパス内でダウンタウンから相当離れたところだったけれど,今回はYerba Buena Centerなので,おそらくはSFのダウンタウン直下,向かいはSF MOMA.久々に行くあてもなく街に溜まっている,学生じゃない若者を見る.そう,今までの公演地では,若者といえばほぼ学生,大人はみんな先生か事務員さん,みたいな世界だったので,すっかり忘れてましたこういう空気.ここには山ほどのホームレスや鬱屈した若者や,バリバリ稼いでそうな小綺麗な人達,いろんな肌の色と言葉とファッションがごちゃごちゃになってます.
Yerba Buena Center for the Artsのテクニカルスタッフも,かなり個性的な面々.仕込み初日が済んで分かったんだけど,頼りになる人達です.
そして,ここは食べ物が美味しい(高いけど).それに,わりと適量なところが多い.
今回改めて実感したけれど,合州国内の食べ物屋で盛りつける量を,人が食べるべき適量に減らすだけで,地球温暖化も飢餓に苦しむ人々もエネルギー不足も解決できるんじゃないだろうか?それくらい,僕にとっては尋常じゃない量が一人前として出てくるし,結構みんな平気で残している.まあ,学生なんかは,ドギーバックをもらって持ち帰っていたけれど...
あと,いろいろ廻った大学の全ての学食で,使い捨ての食器とスプーンやフォークが使われていた.おそらく経済的には,食器等を洗って使い回すよりも,そのほうが安いんだろうし,食洗機なんかを使い出したら,ひょっとしたら洗う方が余計にエネルギーを使うのかもしれない.でもね,学食でベルトコンベアー式に食物を皿に盛られて,食べ終わったら食べ残しごとお皿をごみ箱にポイ,というのを毎日繰り返していたら,それは相当ダメな状況だと思うのだが,いかがなものか.
もちろん,日本でだって,コンビニでは時間刻みでお握りやお弁当を捨てているし,割り箸だって使い捨てで,アメリカはあからさまにそういうのが見えているだけなのかもしれない.だけど,どう考えたってまともじゃない.
写真は,好感度の高いUC riversideのキャンパスと,劇場の外観・舞台.

San Francisco/Yerba Buena Center for the Arts

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ついに!というか,やっと...というか,いよいよSan Francisco公演最終日,一ヶ月間のツアーの終わりにきて,とてもコンディションの良い劇場で公演できている.周りには,学生のいい加減なスタッフなんて一人もいない.気持ち良く仕事してます.
90年代のはじめ頃に,ダムの作品展示でSan Francisco MOMAに来ているはずなんだけど,何一つ覚えていない.もしくは,SF MOMAの周りがまったく変わってしまったようで,ひとつとして見覚えのあるところが無い.
まあ,今回の会場でありSF MOMAの向かいにあるYerba Buena Center for the Artsも,93年だか94年だかに建ったらしいので,前に来た時はまったく違う景色だったのだろう.
そのSF MOMAでは,Ólafur Elíassonの大きな展覧会をやっていた.多くの作品は03年のベネチアビエンナーレ・デンマークパビリオンで観たものだったけれど,やはりどれも素晴らしい.03年以降の作品も交えて,興味深い作品の多い展覧会でした.サイトスペシフィックな作品の多いアーティストらしいので,できればどこかの建築用に作り込んだ作品を,そのうち現地で観てみたいなぁ.
あと,ホテルから劇場へ行く道の途中に,どうやらリベスキンドらしい建築中の建物があって,表示を見ると「Jewish contemporary museum」だった.何だか,いっぱい建ててますな.まあそれが仕事なんでしょうが.
写真は,Yerba Buena Center for the Artsの劇場舞台部外観と内側.SF MOMAとリベスキンドらしき建築中のミュージアム.

Monster Project

アメリカツアーの顛末も,帰国後のなんやかやも,書きたい事はいくつかあるのだけれど,どうも京都に居るとのんびりさんです.
そんな状況ながら,明日・明後日は下記公演に,照明で参加です.
お時間のある方は,ぜひ京都の劇研でお会いしましょう!
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Flyer_monster_s
モノクロームサーカス×アンジェ国立振付センター×アトリエ劇研
 M o n s t e r    P r o j e c t 
Avec:藤本隆行/真鍋大度/Softpad/堂本教子
─What is monster for you? What is monster in your body?
日仏の2人の振付家のヴィジョンと日仏の優れたダンサー2人の身体の交差、そして豪華なアーティストとのコラボレーションによって生み出される新たな『怪物』!!
ご予約はWEBサイトからどうぞ →→→ http://www1.neweb.ne.jp/wb/hot-summer/mc
【日時】
3月15日(土)19:00開演
3月16日(日)15:00開演 *アフタートークあり
【上演作品】
怪物 ─オリジナルバージョン
怪物 ─イクスチェンジ・バージョン
怪物 2
演出・振付:坂本公成(怪物) エマニュエル・ユイン(怪物2)
出演:佐伯有香 アリーヌ・ランドゥロー
舞台監督:渡川知彦
照明:藤本隆行
音響:真鍋大度
音響オペレーション:川島玲子
衣装:堂本教子
ビジュアルプロダクション:Softpad
制作:小鹿由加里(Underline)+Esther Welger-Barboza + Arnaud HIE(CNDC)
主催:モノクロームサーカス
共催:アトリエ劇研 /アンジェ国立振付センター/関西日仏学館/関西日仏交流会館Villa 九条山
助成:文化庁国際創造共同活動 /笹川日仏財団
アトリエ劇研フランチャイズ事業
京都芸術センター制作支援事業
協力:茶水
【会場】
アトリエ劇研
地図:http://www.gekken.net/map.html
【料金】
前売 一般 2,800円 /学生 2,300円*要学生証(当日+200円)
※日時指定自由席・各回70席限定
【お問合せ 】
アトリエ劇研 075-791-1966(10:00~18:00 火曜休館)
Underline 090-9704-8648(制作)
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Lack of sleep in Bogota

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ダムの公演で,南米Colombiaの首都Bogotaヘ行ってきた.
そう,過去形なのはもう実は帰ってきているところなので...Bogotaでブログの更新をしたかったのだけれど,忙しくてなかなかできず,やろうとした時にはNiftyがメンテ中.何だかね,間が悪い.
一時期は,バックパッカーの間でも治安が悪いと評判で,あまり進んで遊びに行く人も少なかったBogotaだけど,いまはそれほどでもなく全然身の危険は感じなかった.もっとも,大きなフェスティバルヘの参加で,通訳件ガイドさんがダム専属で2名も付いてくれるような,至れり尽くせりの状態だったので,ふらふらと一人で遊びにいくのとは,かなり違った状況だったけれど.
そのBogota festivalは隔年開催ではや11回目,つまり22年も続いているそうで,規模もかなり大きくて成熟したフェスティバル.いっちゃあ何だが,僕が身の危険を感じなかったといっても,街が荒れていたのは事実で,いまもそこここに銃を構えた兵士が,これでもかというくらい警備に立っている.そんな状況下にたくさんのアーティストを喚んで,ちゃんと公演をオーガナイズして無事に帰すのは,さぞかし大変だろう.それを22年も続けるなんて,本当に大したもの.
もっとも,何年か前には,どこぞのアーティストが,「行ってはいけない所」に迷い込んで殺されたとか...それでも続いているんだから,やっぱり大したものか.
ところで,僕たちの公演した劇場だけど,大学内の劇場で客席数は1000名以上,それにしては舞台の面積だけはある程度あるのに,バトンがほとんどない!しかも,舞台天井部にはスノコがなくて,ビルの構造鉄骨にモーター・ホイスト直付け.電源は,電源車手配でまかなって,照明ディマーも持ち込みと,要は空っぽの箱だけあって後は仮設.
僕は過去にメキシコとブラジルでの公演を経験した事があるので,ある程度設備が整っていても設営には時間がかかると踏んでいたのだけれど,それに輪をかけた悪条件.案の定,設営に要した時間は通常の2倍程度,でも仕込みはいつもと同じ2日間.もともと3日以上欲しいとリクエストしていたんだけれど,会場のスケジュールが詰まっていて無理でした.
という事で,つまりは初日仕込みが朝から夜中過ぎまでで,2日目に至っては朝5時まで仕込んで3時間ほど寝て,それからまた仕込んでリハをして,夜8時の公演開始までプログラムの修正.
いやはや,覚悟はしていたけれど,よく間に合ったもんです.
現地照明スタッフは,2日間劇場に泊まり込み.機材の間で,寝袋にくるまって寝てました.通訳さんも,僕等が帰るまではフル稼働.
ゴクロウサマでした.
つづく...
写真は,劇場の外と内.

Bogota festival

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さて,Bogota festival.国の状況はというと,お世辞にも安全といえない中で,前に書いたようにもう22年もがんばっている.絶対安全,お金持ちの日本国で,毎年開催と謳ってはそうそうに隔年開催になり,数年で跡形もなく消えて行く,有象無象のあまたのフェスティバルとは大違いだ.(国とかの公的予算が付いた,首都の名前や「国際」と名が付いたフェスでも,アーティストやプログラム・ディレクターの思うように任せられないこの日本は,ホントどうかと思う...)
公演初日までは,人生で一番といっていいほど切羽詰まったBogota公演だったが,全部で5回の公演があったので,初日が終わると後は楽ちんだったかというとそうでもない.初日・2日目と夜8時からの公演だったけれど,3日目は昼・夜の2公演,最終日は昼公演と,なかなかのんびりできないし,他の公演を観る時間もない.
そうこうするうちに,はや最終日を迎えたのだけれど,Bogota fesなかなか大盤振る舞いです.実はすっかり公演が終わった翌日,1日Colombiaでのオフをくれました.なので,公演終了の翌日は名所旧跡廻りと,フェス参加作品の観賞.うまくタイミングが合って観れたのは,Akrama Khan Dance Companyの「bahok」と,チリのカンパニー(なのかプロジェクトなのか...)Teatro Cinemaの「Sin sangre」.
Akrama Khanは,去年埼玉でのAkram Khan + Sidi Larbi Cherkaouiの「zero degrees」(残念ながら未見)というデュオが多いに話題になったけれど,「bahok」という作品は,中国・韓国・中近東(国名までは分からず)・あとはたぶんBelgiumのダンサー達が,London空港のようなシチュエーションから端を発して踊りまくるというような内容.
いやもう踊る踊る,僕は自分が踊る人じゃないので,ただただ感嘆して観てました.あんなに踊れたらいいだろうなぁ,自分の作品で使いたいかどうかは別だけど,単純にすごく踊れるというのはカッコいいなぁ.
そしてチリのTeatro Cinema.読んで字のごとく,映画と演劇の合体.フロント・プロジェクション用のスクリーンとリア・プロ用スクリーンの間で役者が芝居をする.特筆すべきはフロントスクリーンで,その後ろの役者のアクティングエリアとの間に遮光用のパネルが動いてる事は分かるんだけど,それが全面をカバーするわけではないのに,フロントの映像が入るとその後ろにいた役者はかき消えるように見えなくなる.まるで魔法のよう.
フロント映像と,うまく照明の当たった役者の実像と,リアプロの映像(これは当然ながら役者の背景に見えている)があいまって,書き割りみたいだけれど動きのある舞台が実現する.
残念ながらバリバリのお芝居で,英語字幕さえないスペイン語オンリーの舞台だったので,芝居の内容はまったくもって判らなかったけれど,舞台を観ているだけで最後まで楽しめました.どうやら,来年09年には,字幕の準備もして東京公演に来日するとか.チリ,侮りが足しです.
いくつもあるプログラムの中の2つだけを観ても,とても面白かった.
どれだけのカンパニーが来ているのかきちんと把握していないけれど,たぶんこのフェスは地元主導でちゃんと情熱があって続いているものなのだ.Colombiaでできて日本でできないのは,何の差なんだろう?日本でも,私財や時間を投げ打ってまで,きちんとしたフェスを継続しようとがんばっている人達はいる.なのに,その熱情がなかなか報われないのは,結局文化をきちんと自国の力にする事のできない(どうしていいか分からない),行政の責任じゃないだろうか.きちんと継続する,気長に育てる,というのは,コロンビア人より日本人の方が得意そうな気がするのに,どうもちがうんだなぁ.
写真はまず,闇雲なColombia人のマッチョな姿.
この写真で彼らが担ぎ上げている箱(22番)は,重さが500キロ弱ある.かなり扱いが面倒で,パワーゲート付きトラックが絶対いるとか,それが無理ならフォークリフトを用意しろとか,貨物輸送のネックになっていたものなのだけれど,今回初めてフォークリフトが来るのを待ちきれないコロンビア野郎約10名によって,人力で持ち上げられて積み込まれました.いやもう,勢いに任せた熱情.たぶん誰かが手を滑らせたり躓いたりしていたら大惨事...積み込んだ後は,そんな杞憂を吹き飛ばすような笑顔.
あとは,名前は忘れちゃったけれど,コロンビアらしい果物.皮を割るとネトネトの種だらけの果肉.種ごとズルズル食します.食べ過ぎるとてきめん下痢するとか.
坂のある通り.
トラスまでバラシ終わった,ダム公演会場.

Catedral de Sal Zipaquira

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コロンビア滞在最終日に行った名所旧跡「Catedral de Sal Zipaquira」.古くからの岩塩採掘場跡を,教会にしたもの.
Bogotaからバスで1時間程度.折しもイースターも終わりの頃とあって,昼にはミサがあってとんでもない人出になるというので,朝早くに行く事に.でも...チャーターバスは,約束より1時間以上遅れてホテルに来る始末.まことにコロンビア時間.(通訳さんに聞いた話だと,コロンビア女子とのデートでは,2時間は遅れてくるのが当たり前だとか)
しかしまあ,道が空いていた事もあって,入り口の開く9時を少しまわった頃に無事到着.
ヘルメットにライトの付いた英語を話すガイドさんが,案内してくれる.入場料は一人1万2千ペセタ,日本円で600円くらい.ちなみに,バス(というかミニバンだけど)は,6時間貸し切り運転手付きで8500円くらい.
最初はインディオが平掘りで塩を取っていた山に,そのうちスペイン人が入って坑道を掘り,機械掘りになってやがてはダイナマイトでどっかんどっかん掘り進んだという穴は,奥へ行くほど広大な空間になっていて,とにかくすべて人工の空間かと思うとそれなりに凄い迫力.鍾乳洞の神秘とは違うけれど,初めてイタリアで教会を見た時の威圧感というか,これ建てるのに何世代が関わって何人くらい死んだんだろう...という宗教の魔力のようなものを感じる...
でもよく考えてみれば,教会になったのは岩塩採掘の終わった後で,この穴が掘られたのは宗教じゃなくて経済がエンジンなのでした.(だけど,跡地を教会にしようと思い立った背景には,上述の空間の力の類似みたいなものが,確かに関係していると思う)
とにかく,自分が立っている場所から遥か高みにある天井部にも,よく見ると手彫りの鐫の痕みたいなものが見受けられる.最初はみっちり詰まっていた岩の中に手を入れて,最後にはこんなに茫漠とした空間を,人が地下に出現させたのかと思うと,改めてそのエネルギーに圧倒される.その上辺を飾るのが宗教だというのも,何だか納得.
写真は,坑道への入り口・いくつもあるステーション(坑道が少し広がった所で,今は各ステーションに十字架が彫られてライトアップされている)・一番大きな聖堂を遠方から望む(この,目に入る空間すべてがヒトの手による)・塩の壁・大聖堂の十字架(照明はネオン管,青色LEDとかが使われている場所もあって,照明デザイナーそれなりにがんばってました)
さいごは,フリーマーケットの会場で見かけた,焼き肉風景.コロンビア人,主食は肉です.キリスト教ってその辺り(生き物の殺生とか),全然関係ないのね.砂漠の宗教って,サバイバル.

Exile or abandonment

今年初めのEaさんのツアーから帰って以来,ずっと気になっている事がある.気にしても仕方のない事だし,どうなるモノでもないのだろうが,整理のために少し書いてみよう.
Eaさんのアメリカツアーは,最初の公演地だけ東海岸で,あとはずっと西海岸での公演だった.いろいろと段取りの悪い事などあったが,まあ諸条件から考えると何とかなった方だと思う.
ただ,もっともピンチだと感じたのは,実は当時のブログには書いていない,最初の劇場での公演が終わった翌日の出来事だった.
公演が終わった翌朝,一人のダンサーがいなくなった.
前に書いているように,場所はBostonから車で3時間ほど離れた大学町で,その朝そのダンサーは,鞄に自身の荷物を詰めて,バスに乗ってどこかに行ってしまった.
そしてそのまま,遂に帰ってこなかった.
ツアーは,その人をアメリカに残したまま,約一月後に終了し,僕たちは日本に,ダンサー達はベトナムに帰国した.
もともとダンサー達はあまり英語が話せず,僕はベトナム語もフランス語も話せないので,それほど会話はなかった.でも,もう足掛け3年目の付き合いだから,その人の事も少しは知っている.
僕にとっては,ダンサー達の年齢は本当に分かりにくくて,それはもう外国人が日本人の歳をずいぶん若く見てしまうのと同じようなもので,みんな年齢不詳なのだけれど,その中では若干年上だったのだと思う.ハノイバレエからキエフに留学していた事もあるそうなので,ベトナム・クラッシックバレエ界ではエリートだったんだろう.結婚していた事もあるはずで,子供もいたと思う.
聞いた話では,ツアーにでる前に,新しく赴任したハノイバレエの芸術監督に,戦力外だと言い渡されたらしい.それが,レパートリーの中の何かの作品に対する決定なのか,それとももうベトナム国内ではどこでも踊らせないという事なのか,そもそも僕にはベトナムバレエ界のシステムが判っていないので,どれほどの決定なのかイマイチよく分からない.
社会主義の国だし,何度か滞在した経験から,プライベートのダンスカンパニーはおそらく作る事もできないだろうという事は想像つく.でも,そのディレクターが言い渡した言葉が,そのダンサーの人生にどれほどの衝撃を与えたのかまでは,僕には想像できない.
そして,このツアーは,おそらくベトナム国外に出れる,最後のチャンスだった.Eaさんのこの作品の公演には,先のスケジュールは入っていない.新作を作る予定はあるんだけれど,この作品を続けるかどうかは,未定なのだ.
それで,消えてしまった...
最初の公演が終わっても,その時点ではあと一月弱のヴィザが残っていた.おそらく,東海岸の方が,伝手のあるベトナム人が,多く住んでいたのかもしれない.(アメリカには,当時「南」から移住してきたベトナム人コミュニティーが,結構あるみたい)
でも,でも,だ...
たぶん,もう踊れないじゃないか.もし,お金なり何なりの工面が付いて,新しい名前と身分を手に入れたとしても,アメリカで自分が踊れるポジションにたどり着くのは,おそらく不可能に近い事くらい,分かっていたと思う.
もう,戻れないんじゃないのか,とも思う.子供だっていたし,親だって,友人だっていただろう.別に,国家に命を狙われるような事態じゃなかったとも思う.でも,もう簡単にはベトナムに戻れないだろう.
何がそんな気持ちを駆り立てたんだろう? 
そんなに,「国」という存在に重きを置かないような,考え方や文化が根付いているんだろうか?
僕はあれから,時々自分の中に「亡命」や「棄国」という言葉を探してみるけれど,まったくもって見つける事ができない.それほどまでに,失踪したダンサーと僕の間には,理解を超えた差があったのに,まったく解らなかった.ハノイに滞在していた時だって,そんなプレッシャーというか,国を捨てなきゃいけないような雰囲気は,感じなかった.
失踪は,極度に個人的な事情によるものだったかもしれない.でも僕は,その前日に「ひさしぶりー」とか言って挨拶していたのだ.
何が,そういう決断に,導いたんだろう?
それが別に,何か悪い事だと思ってるわけではないんです.ただ,結構いろいろな国に行って,様々なモノをずいぶん見たし経験もしてきたのに,知らない事感じていない事はまだまだあるし,しかも自分は,そういうモノ/コトを考えるのが仕事じゃないかと,強く考えているわけです.

true_YouTube

去年創った「true」の、すごく短い紹介映像が、YouTubeにあがっている。
5月にベルリンでワークショップがあるんだけど、その講師紹介みたいな形でアップされたものです。
近々trueのサイトも本格的に更新して、10分程度の映像も上げようと思っているので、その前振りのようなものです。「true」「LED」「Fujimoto」とかで、検索してみて下さい。
ところで、1月のアメリカツアーの頃から様子のおかしかったMacBook Proのファンが、一昨日また本格的におかしくなった。何だか、マイミクさんの一人も同じような状況に見舞われているとブログにあったが、とにかくパワーの要る作業にかかると、爆音でファンが唸りだして、なかなか止まらなくなる。あきらかに軸がずれているようで、モニターしてみると片ファンが止まっていることもあったりして、本体の熱はかなりのもの。
一昨日は、夜中に30分弱の映像をレンダリングしているときに鳴り出して、往生した。キャンセルすると、またいちから書き出さなくてはいけないし、かといって熱暴走して止まるのも嫌だし…
それで、腹をくくって、翌日心斎橋アップルストアのGENIUS BARに持って行った。大阪まで行くのは手間ではあるけれど、ネットで予約すれば待ち時間もなく、ファンの在庫を速攻で調べてくれて、できるだけ短期間のお預かりということに。で、早速今日の夕方、修理完了の電話が来た。クイックガレージが京都にあるので、どっちが早いかと迷ったんだけど、たぶんアップルストアーのほうが部品の在庫はあるだろうし、それに久々に大阪に行ってみたかったこともあって、心斎橋を選んだ。まあ結果として、約48時間以内で修理ということで、良しとしましょう。
ということで、今はLiddell用のWin機でネットにアクセスして、メールチェックやこれを書いたりしています。本来なら、照明機材としてのPCなので、下手にネットなどに繋がない方がいいのですが、さすがに丸1日メールチェック等をしないと、どうも不安になります。
しかし、Win機のフォントって、何でこんなに粗雑な感じがするんでしょう?ただ単に、このPCが古いせいかな?