Festival

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まだ,むにょむにょしている企画の打ち合わせで,東京に行きました.
それで,たまたま宿が築地で,たまたま泊まっている期間,お祭りでした.
ホテルにいる時から,祭囃子が聞こえ,お昼を食べに場内に入ると,鯔背なおっちゃんが素敵な格好で.(最初の写真)
で,向こうからはお神輿も近づいてくるし,市場ん中だし.とても幸せな観光客でした.(2番目)
翌日,もう昨日で終わりかと思っていた祭囃子が,早くからホテルの部屋にも漏れ聞こえ,日曜でも朝早いのねと少々恨みもし,時間通りにチェックアウトして道に出たら,お神輿が場外を練り歩いてました.
築地,すてきです.

Ability

Plant
友人の見舞いに行った.
思っていたよりも,顔色も良くて,しっかり話も出来る.痩せてるし,身体にチューブがくっついていたけれど,僕がいる間に歩行訓練もして見せてくれて,3月に倒れたダメージから少しずつでも回復しているように見受けられた.
頭の腫瘍の手術を受けたということで,会話も少し努力がいるようだったけれど,でも言葉が出難いとはいうものの,それは思考の内容とは関係ないようだった.
あまり気の利いたことは言えないけれど,その時話したのは,発話と黙読の違いの話で,発話はほとんど本能のような生得的な能力だという.何の本で読んだのかは忘れてしまったけれど,ちょうど入院している部屋に行った時に,リハビリで音読を一人していたので,そういう話になった.
発話というか発声で他とコミュニケーションをとるという行為は,多くの動物で見受けられるが,黙読はまったく人間の技術である.しかも,かなり新しい.人や店の名前,祈りの言葉なんかは,昔から黙読するということが存在したかもしれないが,まとまった文章,しかも情景描写や抽象的な思考の足跡や,会話,様々なデータなどを声を出さずに読み込んでいくというのは,大半のヒトにとってはグーテンベルク以降,いや実際はもっと遅くて,小説の誕生以降に開発/体得された技術である.
そのことからも分かるように,今日僕たちが使っているような意味での,話す事と読み書き,そして付け加えるなら,そうして伝搬していく言葉の内容を理解することは,まったく別の能力で,使う脳の部分も違う.
友人は,話し方こそ詰まりながらだったけれど,こんな内容の会話なら,問題なく楽しめるようだった.それに,見舞いとして今後持参希望の本の話などしていたら,僕がこの前読んできれいさっぱり忘れてしまっていた有名作家の短編の内容を,よっぽどよく覚えていた.素人考えだけど,ただ単に読む技術のいくぶんかが消えてしまっただけなら,それはきっと取り戻せると思う.
そんなことを考えながら,あらためて秋葉原の人殺しの事を思う.
連日,マスコミを賑わしている事件だけれど,あの人殺しの現実(感)には,弱者も病者もいなかったんじゃないかと.容姿が悪い,お洒落じゃない,それで結局異性にモテない,だから負け組だというけれど,健康で飢えることもなく移動の自由もあったわけだ.それに,知識だって人並みにあった.
欠けていたのは,想像力でしょう.
もっというなら,親に無理強いされた義務教育期間だったというけれど,現存の人類の中で,日本レベルの教育を受けられて,それを自由に使える立場にある者がどれだけいることか...
別に,そういう迷惑な人達が海外に出て,今だにある程度は有効な,日本の国力を実感しろとはいわない.上を見るな,下を見ろ,という話でもない.ただね,「現実」は結局,その個人の想像力によって構成される,と思います.
ヤケクソになって人殺ししか選べないのは,他人のせいじゃない.
生き抜くための想像力を育てるのに,容姿も資産も関係ない.
世界の広がりや美しさを実感できるモノ/コトが,日に日に自分の周りから失われてきているという実感が,いまの日本で暮らしていると確かにある.それでも,想像力とユーモアで,それに立ち向かっていくこと.
写真は,まるで関係なく,部屋の窓際に育つ草や静物.

Position of color

Talk_event
もう1週間経ってしまったが,6日(日)に埼玉県川口市のスキップシティでのトークイベント「色の在処」無事終了.沢山の方に来て頂いて,かなり緊張したものの,小崎さん(『REALTOKYO』および『ART iT』発行人兼編集長)のナイス・リードで何とか乗り切る.
ダムのタカオちゃんや指輪の佐藤さんも見に(聞きに?)来てくれたり,新たに知り合えたアーティストの方々とも話せて,大変楽しゅうございました.
ヒト前で話すというのは,公演とはまったく別の緊張感で,インプロっぽいところがあって,気楽なところも多い.そういえば何処かで読んだか聞いたかしたが,ミュージシャンはセッションが終わったらさっさと済んだ事は忘れて,次の公演に思いを馳せるそうな.前の公演のビデオを見て,あーだこーだと考えて,ひとつのパフォーマンスを更新し続けるのとは,かなり違う.
大仰だけど,そんなミュージシャン的な楽しさを,少しは感じられたような気がした.
写真は,ずいぶん前から知り合いのMatronさんが,偶然にもスキップシティの依頼で,スティルの写真家として撮ってくれた1枚(僕が知りあった時には,彼はダンサーでヴィデオ作家だったんですが...今は?)でもとにかく,「Photo: Matron」.

Egg is standing

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卵が立ってるらしいです.
mixi内ブログで公開されてますが,Refined Colors関係者が,このところ毎晩立ててるそうな.
コンタクト・インプロビゼーションを始めたヒトを日本に喚ぶとかで,某Monochrome Circus代表と卵を立てていたアーティストがミーティングする機会があって,その時に立て方の秘伝が伝授された.
端で聞いていても,理論通りやれば,生卵が立ちそうな気がしたのだが,僕は試さなかった.自宅に卵がなかった,というのは言い訳でしょう.
しかぁ〜し,MC代表と「京都の暑い夏」代表は,夜な夜な立ててるらしいです.立て方を聞いた時に,二人が目をキラキラさせて,「うーんそれは,本当に,コンタクトの神髄!」てな事を言ってたんですが,熱中具合からして,本当にそうなのかも...
ちなみに貼っときますが,これはその某二人と僕が去年春に作った作品.踊ってるのは,某「暑い夏」代表.
全長30分弱.音はM鍋氏,LED12台とダンサーと僕だけで公演が成立します.8月末には,別府で公演予定.一番気楽に何処にでも伺えます.

Saxophone

7月16日に,京都のアルティホールで公演された,清水靖晃&サキソフォネッツを誘われて観に行く.ちょうど,祇園祭宵山の夜だったけれど,これがまたまあ,とっても気持ち良うございました.
サックスだけのグループ演奏というのは,遥か昔にダムで「サスペンス&ロマンス」という展覧会をやった時に,ハリー・切手君という方に手伝ってもらって,展覧会内ライヴを行った事があるのだけれど,何かそれ以来久々に聞きました.
いやあ,「呼吸」と直接繋がっているからでしょうか,とっても肉体と直接関係しつつ,あの楽器のメカニカルな外観といい,カチャカチャと音階を奏でるキー(何というのか教わったけど,忘れました)を押さえる音といい,機械的な部分が見えつつもとても人間的でした.エロテックなサイボーグという感じ.ロボットは,いくら外観を人間に近づけても,最後はメカニックですが,サックス奏者は外観がメカメカしくても,中身はとても人間っぽい.
面白かったのは,ライヴの中で5音階で作られた楽曲と,バッハ・オリジナルな楽曲が混在していたのだけれど,どう聞いても日本的(エチオピア的でもあるらしい)な5音階よりも,バッハの曲のほうが僕にはナラティヴで美しく感じられた事..,日本の文化が結構好きになってる気がしてたのに,音は別かな?
その後,あつかましくも打ち上げにもお邪魔して,いろいろな方とも楽しく話せて,良い夜でした.

Baba San

Snow
シンガポールにいる間に,友人が急逝してしまった.
大学の後輩で,バイト仲間だった.
たぶん僕は,最初に彼に会った時を覚えていて,それは大阪近郊で遊園地や公園の遊具なんかを作っている会社のバイトで,バレーボール部の別の後輩に連れられて,彼は颯爽とやって来たのだった.
バイトに来るのに,颯爽ともないもんだが,コート何か長衣を着ていてその裾を翻し,一癖ありそうな眼光の鋭さが彼の長身と相まって,3年ほども後輩ながらちょっと気圧されそうに感じて,その第一印象が忘れ難いのだと思う.
その後,その一癖ありそうな面持ちには決して微塵の悪意も無く,少々性格は屈折していつつも,おおらかな彼の人柄も分かってきた.
そしてなぜだか彼は,僕の渡り歩いた数々のバイトに,いつも付き合ってくれていろいろ助けてくれたのでした.
夏になると,今はもう無くなってしまった比叡山山頂のお化け屋敷で,夏休み中「オバケ」をやり,春と秋は宮川町の歌舞連場で,舞台袖や綱場に付いて「黒子」になった.その間に,古典的な舞台の裏方の仕事をちょっと噛って,フリーの大道具さんみたいな事もずいぶんやった.
その頃は,まだバイトの手配で小銭を稼ぐような時世じゃなくて,舞台大道具の会社との付き合いから,義理を感じて僕は学生バイトの人足頭みたいな事をしていて,それが,大学を卒業してあまり僕が現役学生と付き合いがなくなってからは,その仕事もばばさんが引き継いでくれた.
その後,たまたま借りたアトリエ(もと剣道場)の大家さんが,木屋町の端っこのバーのオーナーで,ひょんな事からその店を任される事になった.ダムのメンバー数人を含めた芸大生ばかりで,バーのイロハも知らずにやり始めたその店は,サントリーのホワイトと角瓶が並び,店の真ん中にでんとジュークボックスがある,とても京都らしい古いバーで,中を知らない一見さんの客は,とても怖くて入り口の戸を開けられないような所で,ものすごく古い話だけど「赤頭巾ちゃん気をつけて」シリーズの「葦舟」みたいな場所だった.
店番をしながら酔っぱらい,関係者といってはただ酒を呑み,コンパが有ると夜を明かし,帰るのが邪魔臭くなると転がり込み,毎日のようにその木屋町御池近くの店に屯っていた.たぶんまだそのバーはあって,今も学生上がりと関係者が共同経営していると思う.
ダムが頻繁にツアーに出るようになり,とてもバーの店番まで手が回らなくなった時に,跡を引き継いでくれたのも,ばばさんだった.
おそらく日本で初めてだっただろう,定期的なドラァッヴ・パーティにも,彼は最初から参加して踊りまくり,長身の女装でガハハと笑い,およそ面白そうな気配のある所には,何処にでもまめに顔を出していた.
まだハローウィンにそれほど馴染みがない時に,グリーナウェイの映画に出てくるシャム双生児の衣装をしつらえて,木屋町通をばばさんと僕と二人三脚で闊歩した.
彼は,僕なんか及びもつかないような,秀逸なデザインセンスを持っていて,大学を出た後はさぞ派手に活躍するかと思いきや,ずいぶん地味な職場を選び,僕は内心そのことにちょっと戸惑ったりしていたのだが,彼はそんなことは何処吹く風の涼しい顔で,毎日を楽しんでいるみたいだった.
まるで村上春樹の料理やマラソンの記述みたいに,毎日きっちりと仕事のノルマをこなし,日に平均一本以上の映画を観て,興味の赴くままに様々な本を読み,お気に入りのバーやカフェで談笑し,クラブで音楽に浸り,自転車を愛した.
mixiに日記を書くようになってからは,ほぼ毎日更新でその日に見た映画評をものして,僕がたまに映画館に行く際の指針になってくれた.
まるで,享楽的な仙人みたいだった.知識をため込む事や,偉そうにひけらかす事には,何の欲望も感じていなかったんだと思う.ただただ純粋に自分が楽しみ,人を楽しませ...
ギスギスした現実も十分に知りながら,それでもユーモアを手に,それに立ち向かえるヒトでした.
45年間,最後まで前向きに楽しめたでしょうか.
僕は,一度しか見舞いに行けなかったけど,その時「ベニスに死す」を音読していた,ばばさんの声は忘れません.
余談:
しかし,一昨年の6月にシンガポールで公演中には,父親が逝った.今年は,劇場こそ違え,ばばさんが...
まわりに,その人を共通に知る者がいないと,死の報告は難しい.
僕が,それを聞く立場だと,やはり困ってしまうだろう.雨が降るように,ヒトは死ぬ.死は日常でも,知人の死は特別だ.
true@シンガポール公演は,好評(おそらく)のうちに終了.
写真は,テスト映像の映る舞台.こういうシーンは,今のところありません.

Fireworks on the Lake Biwa

久々に料理をする.
琵琶湖の,花火大会に行く.
花火にあわせて(たぶん),滋賀会館でコンタクト・インプロのWSが開催されていて,そのオープニングパーティがあった.地上の混雑から隔絶された特等席で,美味しい料理とビールを飲みながら花火をみる.
パーティへの参加に際して,一品持ち寄ると参加費の割引ありとの事で,とりあえず参加人数分4品を作って持ち込む.(そのうち一人は娘,4歳半だが,いちおうまあ頭数に入れて作る.でも,彼女の参加費は要らなかったけどね.)
パブリカ(赤・黄)のオリーブオイルのマリネ,焼きナスのマリネ,豚肉とゴーヤの梅味噌炒め,グレープフルーツとするめのベトナム風ニョクマム風味サラダ.
まあ,名前は長いが,簡単に作れるモノばかし.
久々に作ってみると,かなり料理は楽しかった.でも,結構なブランクがあるので(ここ数年,ほぼ妻に作ってもらってばかり...),ずいぶん味にシャープさが無くなってしまった感じ.無難にまとめ過ぎたか???
しかし,他のお料理は素晴らしく,しかも,琵琶湖の花火は大迫力.思わず歓声が上がる怒濤の連発.
興奮して,写真撮るの忘れてました.

Summer vacation

Bonodori
Pool

もう8月も終わりだが,私は何をしていたのか.
5日には,恒例の紅州音頭フェスティバル@岡崎グラウンド.簡単に言えば,大盆踊り大会.夕方に,グラウンドの近くを通れば,連なった観光バスの車内から,続々浴衣に身を包んだおばちゃんたちが,団扇を片手に降りてくる.
今年は,夕食が遅くなって,グランドに着いてわりとすぐに終わりの時間になっちゃったけど,娘はちゃっかり今年もみたらし団子を頬張って,満足した模様.
8日は,琵琶湖の花火大会に.これは,前にも書いた.
10日は,これまた琵琶湖の白髭浜に遊びに行く.水遊びと浜の松影でのバーベキュー.妻のコーディネートで,かなり早朝の出発だったが,そのおかげでいい場所を陣取って,ゆっくりした休日.この日に合わせて仕込まれていた塩豚や豆のスープや,その他にもいろいろ美味しくて,久々の夏休みらしい日でした.
14日.娘,生まれて初めての映画.まあこのタイミングなら当然の,「崖の上のポニョ」.
二条城近くの映画館は,毎月14日は1000円で観れる.夏休みといえどもそれは同じで,お盆まっただ中なのに,見上げたまっとうな姿勢で値段変わらず.しかも,ネットで時間/座席指定ができる.おまけに,子供用に座席に置くクッションまで無料貸し出し.一番大きなスクリーンで,何とか終わりまでポニョを観る.
途中,娘は何度かまわりをきょろきょろして,集中力は途切れたけれど,最後まで見た映画はそれなりに面白かったようで,ウチに帰っても「ポニョポニョ」言ってました.
15日.保育園の夏休みも,終わり近し.
西京極のプールに行く.さすがに人は多かったけれど,芋を洗うような状況ではなく,それなりに楽しく,本格的な水泳にチャレンジ.娘は「泳いだ」といっているが,まあ泳いだようなもがいたような...でも楽しかったようなので,それでいいや.
ちなみに,僕等がいたのは小さい方のプールなのだが,西京極は本格的な体育施設なので,メインプールは高飛び込みやシンクロのできる深いプールと,50mのモノがある.そこで,一番高い飛び込み台から何度も飛び込み練習している姿を,家族3人でしばらく観賞したりしてました.
21日は,僕の誕生日.娘が,妻の料理を手伝うようになりました.そんなに早く,いろいろできるようにならなくてもいいと思うのだが...
料理は,大変美味しゅうございました.
と,楽しい事もいろいろありつつ,それなりに仕事もしてました.
8月のほぼ大半を費やしたのが,先月シンガポールで撮ったtrue公演の編集.
YCAMで撮って編集してもらった映像があるのだが,去年末の金沢と横浜でずいぶん変わった後半を,ちゃんとDVD化して広報に使いたかったので,カメラ3台を入れてビデオ収録用にパフォーマンス.
それをまあ,何とか編集しました.
70分全編と,15分に編集したダイジェストを作ったんですが,それをさらに10分にしたモノをYouTubeにアップしました.
そうこうしているうちに,何だかとても涼しくなりました.