大学の時の恩師が亡くなった,とのメールが今朝Munichから届いた.
何人もお世話になったセンセイはいるけれど,もっとも印象に残る人だった.
東京芸大を出るだか中退だかして,その頃の西ドイツに渡る.
そこで大学に入り直して,改めて絵画を学び,画家になる.
日本に戻ろうかと思ったら,たまたま京都芸大に募集があって,応募して審査を受けたら受かった.そしてここにいるのだと,彼は話していた.
僕が油画の3回だか4回だかの時だったと思う.
洛西の団地に住み,大学から与えられた教員室で旺盛に絵を描いていた.僕は,彼以外に,学校で制作していた油画の先生を知らない.
油画の学生ならヨーロッパを見てみないといけない,といって,自ら旅行会社とタイアップして,学生数十人を引き連れての,ヨーロッパツアーを企画してくれた.
今ではわりとある企画だと思うが,当時そんなことに時間を割いてくれる先生はいなかった.
いや,たぶん彼自身ヨーロッパが恋しかっただけかもしれない.
でも,彼のプランで初めて回ったヨーロッパの印象は,今も強く残っている.あのツアー以来,足を踏み入れてない街も多くある.あの時のツアープランは,たぶんなにがしか彼の記憶の結晶で,彼の見ていたヨーロッパなのだと思う.
結局僕は,彼の企画したヨーロッパツアーに参加して,帰ってきたら大学院を落ちてフリーターになっていた.
もともと就職する気はさらさらなくて,何の就活もしていなかったので当然のこと.
絵は下手だったのに,やる気と好奇心だけは旺盛だった僕に,「おまえみたいなヤツが世界に出ればいろいろ面白いかも知れないけど...」といってくれたのは結構ありがたかった.たぶんその後に続く言葉は,「でも絵は下手過ぎるから,他の道を探せ」みたいなことだったと思うのだけれど.
そんな彼は,そのまま行けば教授になるようなレールにのっていたのに,数年でさっさと京芸をやめてドイツに戻ってしまった.
詳しいことは知らないけれど,世俗的なことを理由に,自分が嫌な事や馬鹿馬鹿しいと思うことを我慢して,収入を増やしたりポジションを上げていけるような人ではなかったのだと思う.
そして,いつだったかはっきりしないのだけれど,彼がドイツに戻るというので空港まで見送りに行った.
その時のいでたちが,もうチェックインは済ませて手荷物だけの姿だったのだけれど,胸ポケットに歯ブラシさして手にはペラペラの紙袋を抱えていた.袋に何を入れていたのか覚えがないけれど,「飛行機乗るのに,別に何も要らないよ,パスポートとチケットがあればいい」と笑っていたのが記憶に焼きついている.そしてそれが,今も僕の旅のスタイルの理想像だ.
その後も彼は,定期的に日本に戻り,画廊で個展をひらいてはドイツに帰っていった.
僕は何度か,ダムの公演などでMunichに行き,タイミングが合えばパフォーマンスを観に来てもらい,それが無理でも会えるようなら食事をしたりして,そのうちメールなんかも使えるようになり,気がつけば20年以上の付き合いになっていた.
と言っても,その間に会ったのは数回だけれど...
山が好きで,ヨーロッパが好きで,古いタイプかもしれないけれどまっとうな画家で,己に正直なアーティストで,僕に世界と画家の矜持を見せてくれた人です.
たまたま9月後半からEUにtrueのツアーで行くので,先月半ばにメールを送ったところでした.その時は,文面からは具合が悪いなんて読み取れなかったのに...9月後半の予定まで書いてあって..
3~4週間くらい前から具合が悪くなって,病名はleukaemia(白血病)だそうです.ご家族がそれを知ったのは先週の金曜との事でした.
Some of you may know that Masa has been sick during the last 3 or 4 weeks. The diagnosis leukaemia we were told only last Friday shocked us. The physicians did their best but were not able to help him.
Masa died on Sept. 1st around noon having suffered a short but heavy illness.
できれば,もう一度会いたかったです.
本人にとっては,自分好きなコトをやって来たというだけかもしれませんが,それこそが僕の手本です.
ありがとうございました.
僕には,数少ない年上の友人でした.
あまりに急な話ですが,ご冥福を祈ります.
Upright two-wheel running
昨夕,6歳弱の娘が,初めて近所の公園を自転車で,補助輪無しで独立で回周した.
補助輪をはずしてからはや数ヶ月,保育園に通う彼女と共に,自転車を抱えて公園に通う時間がなかなかとれず,ようやく一緒に行った一昨日までは,まだ数メートルしか自律走行できない彼女の,やれハンドルを持てとか,後ろから押せとか,肩を持てとか側を離れるなとか,いろいろな無理難題に翻弄された.
それが,昨日公園で,危なっかしくフラフラしながら直線10mほどを走り切ったと思ったら,それからモノの数十分で,公園一周を独力で回り切った.
さらにもう数回並走した時点で,彼女は危なげにハンドルを取られても自律軌道修正し,次には余裕綽々で「父ちゃん,もう横走らんでもいいで」とのたまう.
その十数分で娘の中に起こった変化は,言語で説明は難しい.彼女は,言葉で説明できるような身体操作を,自ら意識して行ったわけではないので...
何だかね,ありきたりな言いようですが,すべての個体が奇跡というか.
娘にしても,5年10ヶ月ほど前は目に見えないほど微細な遺伝情報だった.
実際僕は,精子も卵子も単体で見た事はない.それが,環境因子の影響は絶大だとは言えるけれど,それでも僕の遺伝情報と妻の情報とをかっきり半々に合わせ持った彼女が,6年弱で自転車に乗れるまでに大きくなったというのは,単純にすごいなと思います.
だって,生まれる前は,本当に形もなかったんだから!(当たり前だけど)
Transart
イタリアのBolzanoという町で行われているTransartというフェスに,ワークショップで参加.
今回は,true_EUツアーの前ノリという形で,僕とT氏の2人でWSを行う.
T氏はヴェニスで小品の公演をして,それからBolzanoに,僕は,関空>Amsterdam>Roma>Veronaと乗り継いで,そこで迎えに来てくれていたフェスのディレクターに拾われ,夜中の高速をアベレージ180キロぐらいでぶっ飛ばして1時間半くらいかけてBolzanoに着く.
かなりの長旅で,車中ではほぼうたたね.
Bolzano周辺は,鍾乳洞がありそうな,雨に削られ切り立った山肌を見せる奇岩がにょきにょきと生えている.その斜面にはブドウ畑.麓にはリンゴ畑が広がっている.こう書くと,さながらおとぎの国っぽいけれど,そのリンゴの木がどういう品種なのか,背も低くてあまり枝も広げていないのに,あらゆる部分に無理やり実を付けているような状態で,ボコボコリンゴがなっている.しかもボロボロ地面に落ちて転がっている.
まあそれなりに落ち着いた石畳の町並みがあり,ゆっくり散歩でもできたら気持ちよさそうなところなのだが,残念ながら今回のWS会場は町から車で30分ほど離れた村に建つ,お洒落な街灯を作っているらしき会社のミーティングルーム.
この会社が独自でLED照明器具を作っていて,それを使ってWSをしてくれというお願い.機材は,それなりに明るくて,Liddellで制御した反応も悪くないけれど,何せ街灯用なので防水等作りが万全過ぎてかなり重い.今回は床置きで使ったけど,もし舞台でバトンに吊るなら,普通の舞台照明より重いくらいなので,何だか使い勝手が悪い.
あと,なぜかチャンネルの設定がRGBではなくてGRB.それでいけない理由もないが,なぜ?波長の長い順でもないし,アルファベット順でもない.イタリア語の色の名前に関係あるのかな?なので,チャンネルのパッチをいちいち変えなければいけなくて,それがちょっと面倒でした.
そして,3日間の滞在、毎日朝9時から夕方17時まで,この会社に滞在.受講生はBolzanoの大学でデザインを学ぶ学生9人とその先生2人.熱心でしかも楽しんでくれた様子.今回はT氏がフィジカル面でいろいろサポートしてくれて,WS終了後の感想でも,普段あまり身体を動かさないので,毎日最初にやるストレッチやゲーム的なエクスサイズがとても刺激になったとの声もあった.
この辺り,イタリアとはいいながら第一次大戦前まではオーストリア.
住人もイタリア系とドイツ系がいて,WSの学生グループも自然とイタリア系チームとドイツ系チームに別れていた.
で,どうも食べ物も,確かにパスタなんかも多くあるのだけれど基本は肉と芋.それにビールとワイン.特筆すべしは,パンがとても美味しい.まあこれは太れと言わんばかりの状況.
結局,美味しいイタリア料理が食べたい!と勇んで行ったレストランが一番高くてイマイチの味だった.ハウスワインは,とても美味しかったけど.
で,安くて美味しいけどオーストリア料理屋さんだよと言われたところが,ビールも料理も雰囲気も良かった.
肝心の,Transartフェスは週末ごとにイベントがある.
基本的に町の住人に対する公演なので,僕等の滞在時にはあまりイベントがなかった.
でも,グラニュラーシンタシスの片割れのKurt Hentschlager氏のFeedのリハを見せてもらったのはよかった.去年だか一昨年だかに評判になっていた作品だけど,噂に違わず思い切って突き抜けてました.まだまだいろんな事ができるなぁと感心.
Newcastle
イギリスのNewcastleにあるDance cityというオーガナイゼーションでWS.
イタリアはT氏と一緒だったが,それに加えてS君も合流.trueのパフォーマー2人と共にColorBlast20台でColorWaveを使って,3日間で参加者が3分程度のパフォーマンスを作る.
参加者は,結構少なかったんだけど,最初は2グループに分かれていたそれぞれのメンバーが,結構楽しんで,グループの作品に加えて個々人でもショートピースを作り出して,プレゼンテーションは最終的に6作品に.S君も自分のトライアルを作ったりして,結構見ごたえのあるプレゼンでした.
最終日のプレゼンが17時には終了したので,それからみんなで街を散策.
Newcastleは,川沿いが再開発で結構な景観が展開.昔の重工業華やかなりし頃の男らしー橋と,現代的な線の細い橋が並んでいて,その向こうにモスラの幼虫みたいなコンサートホールが建っている.
古い街並みは強固に残っているけれど,そこから新しい芽が出始めている感じ.ちょっとグロテスクではあるけれど,新鮮な眺めでした.
その後,美味しいインド料理を食べて,翌日Amsterdamへ移動.
いよいよtrueの公演が始まる.
Amsterdam_Stadsschouwburg
Amsterdam市民劇場の新館,Amsterdam Stadsschouwburgで「true」の公演.この春にオープンしたばかりの新ホールは,何となく作りがYCAM_StudioAに似ていて,なかなか使いやすくて痒いところに手が届いている.舞台も客席も,全体に少し横長のプロポーションなのは,「true」のように小柄なパフォーマンスにはとっと間口が広過ぎるが,でも全体にどこからも舞台が近くて見やすい.窓の開くオペレーションルームや余裕のある客席周り,舞台の高さを造るのに,客席最前列3列分を逆に沈めて舞台を高くできるという機構も,StudioAと同じ.客席を退けて平場にできるというわけではないけれど,なかなか良いです.
特筆すべきは,音響設備の良さで,d&bがYCAMよりゴロゴロいっぱいある.今回の音も,質といい音量・音圧共に申し分なし.
あと,舞台奥の上に窓があって,仕込みの時なんかは日光が燦々と入る.これでちゃんと遮光も考えられているからいい感じ.ただし,しょっちゅうスタッフが休憩に行くので,遮光が必要な時にスタッフを探しに行くのがちょっと面倒.
写真は,劇場とtrueの小道具スプーンに映るLEDリング.今回の足場と振動子.3枚目の写真の,左側の光っている壁の中はトイレで,一件それとわからなくて見つけるのに苦労する.スプーンとフォークは,trueテーブルにちなんで穴あきなんだけど,たぶん誰も気がつかない.