11月6日に成田を発って,8日にRio de Janeiro着.30時間越えの移動.「true」のRio de JaneiroとSão Paulo公演.リオはもう終わったけれど,São Pauloはこれから,18日19日とSESC Pinheirosで行います.
で,リオ到着の翌日8日,人生で最大のピンチを迎える.
思い返せば,バックパッカーだった20代の頃は,結構用心深い旅人だった.まあ,たいてい一人でウロウロしていたし,いろいろ怖い話も聞いたので.
なのに,どこでこんなに平和惚けたのか,ついウッカリとというにはあまりにも緩過ぎる状態で,カモがネギ背負って鍋に飛び込んで行くような事してしまいました.
一月前くらいのEUツアーで買った,ぴっかぴかの高そげなリュックの中にデジカメなど諸々を詰め込んでリオ観光に出かけた8日,長旅の調整日で翌日から劇場で仕込みが始まる.
折しもすごく暑い日で泳ぐ気満々だったんだから,スーパーのレジ袋か何かに必要最小限の物だけ入れてフラフラすればいいものを,フル装備で宿を出発.いろいろ回って,イパネマ海岸に着いたのが夕方,でもまだ陽は明るくて浜はたいへんな人出.
あまりの暑さに負けて一杯ひっかけたカイピリーニャ(サトウキビ蒸溜酒カシャーサ+ライムぶつ切りと氷)の美味しさも手伝って,開放感一杯で海に突入.
今から考えると,大きな財布出して酒は買うは,道で着替えてリュックに服も財布も詰め込むは,120%鴨丸出し.
10人程度のグループ行動で,まあ常に3人くらいは,浜にまとめた荷物の周りにいる事はいた.
でも,あんな状況で,荷物の見張り番だけに専念できるはずはないし,そんな役目のためにイパネマまで来てるわけでもない.
さて,しばらくBrazilの波に浮かんで満足した私,その間30分くらいか?
そろそろみんな帰りましょうかと言いに浜に上がってみんなのところに行き,顔でも拭こうかとリュックからバスタオルを出そうとしたところ,どんなに鞄の山をひっくり返しても自分のリュックが見つからない.リュックの下に置いたサンダルはあるのに...
茫然自失,思考が停止するというのを,おそらく初めて体験.
むかーし,オーストラリアの奥地の砂漠で,乗ってたキャンピングカーが横転してえらい事になった事があるが,あの時でもいろいろ対処法や確認事項はすぐに浮かんできて対応できた.でも,今回はもうどうしたらいいやら,まったく考えられない.
今回いくつかとてもラッキーだった事があるが,その中でも最大級の助けは,T氏の友人で3週間前にイパネマに転勤になったばかりの,ポルトガル語ペラペラの日本人H氏が一緒だった事.それに,一人じゃなく,ツアーマネージャーのTさんや他のみんなも一緒だった事.
とにかく,海岸通りにいたパトカーに知らせて,しばらくしたら「観光警察」というのが来て対応してくれるからそれまでパトカーの横にいろと言われる.
この時点で,僕の格好はびちょびちょの海パン一丁にサンダル,まさしく海から上がったまんま.次第に現実を把握して,一番気になったのが何かというと,これが「眼鏡」.
そう,僕はど近眼なので,眼鏡がないと50cm先の人の顔も見えない.字も読めないから交通機関にも乗れない...で明日仕込みだ!
ようやく頭が回り出して,リュックの中身を思い出す.財布の中身は2万円弱のBrazil通貨リアル,クレジットカード,銀行のキャッシュカード,運転免許証,その他各種日本のカードとか診察券とかパスモとか...何ブラジルまで持って来てるんだか.
それに携帯,さっきまではいてたユニクロのパンツ,Tシャツ,バスタオル.ちょっとした常備薬と,仕事用のマグライトにペンチになる十得ナイフ,自宅等の鍵束,もっと痛いのが,大きめのポーチにまとめていた細々した仕事道具,卓上ライトやMACのビデオ出力用アダプター,水準器や変換プラグやテスター,それに照明用アプリのドングル!予備の眼鏡!ああもう,書いてても嫌になる.こんなのイパネマ海岸に持ってく必要があるか?
何といっても,眼鏡は何度か困った目にあっているので,常に予備を持ち歩いていた.しかし海水浴は盲点だった,いつも使っていたのも予備も丸ごともって行かれる.
照明ソフトのドングルは,これも予備を持っていて,こちらは公演機材と一緒にまとめていたので,何とかセーフ.
そう,ラッキーだった事にいくつかのうち,コンピューターが無事だった事と,他の公演機材も何ともなかった事は大きい.つまり,お金で買えるものは無くなったけど,データ等は無事だった.ラッキー!眼さえ見えれば,公演は何とかなる.
この時点で,20分くらいはパトカーの横で待っていたのだが,観光警察はなかなか来ない.次第に,キャッシュカードや携帯が気になり出す.ひょっとしてすぐにでも止めないと,たいへんな事になるのでは...
横に付いていてくれたT氏,H氏,Tさんも同じ意見で,とにかくカードを止めようという事になり,折しもやっと来た観光警察のパトカーに乗り,まずH氏の自宅にお邪魔.ネットで,持っていたカードと携帯の緊急連絡先を検索してもらう.そして,Tさんの日本の携帯でガンガン電話.
しかし,一人で同じ状況だったら,たぶん死んでました.携帯もパクられてるから,どこにも連絡できないし,だいいち目も見えない.言葉も話せない.
まあ,一人では鞄を浜に置いたまま泳ぎには出ないかも知れないが,例えば睡眠薬強盗で身ぐるみはがされて放り出されたなんて話も,昔何処かで聞いた事がある.
そして,再度パトカーに乗り込み,警察へ向かう.
この時僕は,生乾きの海パンとH氏からお借りしたラルフローレンのピンストライプのYシャツにサンダル履き.
警察では,調書というか盗まれた時の状況やリュックの中身の事など聞かれるが,警察のおっちゃんほぼ英語通じず,ここでもH氏にまったくもってお世話になる.英語もたどたどしい僕だけだったら,いったいどのくらい時間がかかった事か.
ようやく事情聴取が済んで書類を作ってもらい,外に出たらもう夜の20時過ぎ.近くにショッピングセンターがあって,眼鏡屋も入っているというので,リオいち高級なお金持ちエリアにYシャツ海パンサンダル履きのほぼ盲目状態で,手を引かれるチンパンジーみたくして突入.
それでわかったのが,眼鏡を注文するにはまず眼科医に行って検眼しないといけない.日本みたく眼鏡屋で検眼は出来ないという事.それに最短3日以上は,作るのにかかる.
いやホント,ぞっとしました.繰り返しますが,明日から公演の仕込みです.
結論としては,コンタクトなら買えるかもという事になり,でもまず検眼しないとどの程度の度数のものを買えばいいのかわからないから,ちょっと僕のを試してみますかと,またしてもH氏から救いの手が差し伸べられる.で,彼の自宅に戻り「-3」という度数の使い捨てソフトレンズを目に入れてみる.
コンタクトなんて,20年くらい前にバレーボールをする時にだけ入れていただけで,とにかく入れるのもはずすのもすごい苦労.そしてわかったのが「-3」では僕の目はたいして何も見えないという事.コンタクト入れて,その上からH氏の眼鏡をかけてようやく何とか周りが見える.
でも仕方ないので,とにかくありがたく何セットか使い捨てコンタクトをいただく.これでも裸眼よりはずっとまし.そして,ようやく近くのレストランで,何か食べようという事になる.
この時僕は無一文,やっと乾いた海パンにYシャツ+サンダルという珍妙な格好.あの時は客観的に見れなかったが,相当変なヤツ.
そして食事後ようやく宿に帰り,それから旅行保険会社やカード会社にもう一度スカイプで連絡をとる.スカイプにいくらかチャージしていて,本当によかった!銀行も保険会社も,とにかく何とか繋がる.
そうこうしているうちに朝になり,それまで忘れていたクレジットカードが,もう一枚財布に入っていた事を思い出し,大急ぎで電話.
ちなみに,忘れていたカードの事ではないけれど,何で楽天カードはあんなに盗難時の連絡先を見つけ難いのか?
ネット系の会社なのに,いくらHPをくまなく見ても,どこに電話かければいいのかなかなかわからない.しかもフリーダイヤルしか載っていなくて,スカイプからかからない.前日借りた携帯でまず連絡を入れたので,処理は済んでいてカードは止まっていたけれど,今後の事や詳しい状況の話をしようとしても繋がらなかったのは楽天カードだけでした.あとは,全てスカイプ経由で話が出来た.
いちおう参考と自戒のために書いておくと,僕が翌朝まで忘れていたカードは,十万円弱の買い物に立て続けに使われていて,カード会社が緊急対応で止めていてくれた.
それで聞いたところ,泥棒はかなり手慣れたグループのよう.盗難に遭った時間からさして経たないうちに,1万円・4万円・4万円,そして4千円台の買い物にカードが使われてますと,カード会社が教えてくれた.
いちおう保険で何とかなりそうで,被害はあまり大きくないようだが,この使い方をみると,まず1万円くらいの小物を買って,カードが生きているのを確認,その後,怪しまれない程度の高額商品を2個買っている.
僕はちゃんとカードの裏にサインしていて,しかも漢字だ.あまり高額のものは,さすがに対面販売では買えなかったようで,それで4万円台くらいなんだろうと思う.そして,カードが止まる前の4千円台って何だ,と思っていたんだが,先日Pay TVの会社から今月の会費を引き落とし出来ないとのメールが来て謎が氷解(しかし,リュックの中身を調べ上げて,僕のメアドまで使っているのには驚く.メアドの悪い使い道が無いかどうか,慌てて考えたけれど,アドレスは分かってもメールサーバーやPWまではわからないから何とかセーフかとは思う).
つまり,高めの品物を店で買った後は,さっさと見切りをつけて,今度はネットですぐ入手できる権利を買うと.
悔しいけれど,考えてやがる.そして,一件使った時点で,カード会社が介入してくれて,カードが使用不能になったという事だと思う.
あまりにも長くなったが,翌日に招聘してくれたフェスティバルのディレクターのリサーチで,何と1時間でできる眼鏡屋を発見.
実際は半日かかったけど,眼鏡が出来た.眼鏡屋のすぐ横にはお抱えの眼科医さんも開業していて,店で事情を話せばすぐに検眼,幸い僕の目にも合う「-9」という超ーど近眼用の2weekアキュビューも置いてあるプロフェッショナルな品揃えで,午後には劇場に戻って,コンタクトで仕込みに参加.夕方には眼鏡が届く.支払いは,T氏のカードでとりあえず払ってもらった.
いやもうとにかく,公演が無事できて良かった!
MACが無事で,いくらかの日本円も無事で,いやもう勉強させてもらいました,イパネマ海岸.
なので,今回のツアーは写真がまったく無いのです.そして,明日からSão Pauloの劇場入り!
Brazilian tour ended from continuous crisis
今回のブラジルツアーは,はなっから綱渡りの連続.それでも,最終的に何とかなってしまうところが,この国の良さというか,だから学習しないの?というか...
まずは,ヴィザ.
毎回,いろんなカンパニーが必ずもめてアタフタする.数えきれないほど同じような状況に陥っているだろうに,何ヶ月も前から急かしていたのに,東京出発組の労働ヴィザが降りてパスポートを受け取ったのが出発当日の午前中.関西組は,名古屋の領事館発行で,出発前日に手元に届く.
もちろん,届いて良かった!でも,なんで,やっぱりこんなにギリギリなの.
そして私は,イパネマ海岸で,海パン一丁で茫然自失.
でも,改めて思うけれど,コンピューターが無事で,パスポートが無事で,身体にも何一つ怪我もせず,仕込みも公演も,何の支障もなくて良かった!
いやホント,仕込み初日にコンタクトをはめて劇場に戻ったら,何の事はないまだ劇場の舞台と客席を作り直している最中.つまり,作業的には零以下.
僕がいてもいなくても,問題は無い感じでした.日本から参加してくれたスタッフが,少々手持ちぶたさな感じで,劇場スタッフのお尻を叩いてたのでした.
次は,ブラジル到着数日後.イパネマの災難もちょっと癒え,仕込みもリハも順調なある朝.
起きてベッド脇のサイドテーブルの目覚ましを持ち上げると,なぜか底がびちょびちょ.??? その時には出来ていた新しい眼鏡をかけてみると,どうもサイドテーブルの天板がキラキラ.その真ん中に,宿のキッチンから持って来た背の高いプラスチックのコップがある.
そうだ,昨夜結構酔って帰って,台所でウォータークーラの水を入れ,ぐびぐび呑んで残りを入れたままそこに置いた...
天板の上には,3冊の本.その一番下の漫画,西原理恵子先生の「できるかなEX」が,見た目はっきりブヨブヨしている.そして,サイドテーブル2段目からはMacBook Proの上面がはみ出して,そこにはどう見ても透明なH2Oが微妙に溜まっている!
原因は,プラコップが明らかにひび割れていた.捨てろよ!そんなコップ.
僕が呑み残した水は,夜中じゅうかかって天板上面に広がり,西原センセの漫画をブヨブヨにしたのみならずそこから下に滴って,Macの上面と回り込んで底もかなり湿っぽい.
どうすんだよぉ.と文句を言っても始まらないが,Macはスリープ状態で前面の白色ダイオードがゆっくりウインクしている.とにかくまわりを拭いて,神仏は信じないものの何かにすがる気持ちで恐る恐る蓋を開けてエンターキーを一打すると,うぃぃい〜んと目覚めの音を発して画面が馴染みのディスクトップになったかと思うと,ぷっといきなり画面が真っ暗に!あわわわっわわわわわわわっっわ!
落ち着け,相手は水だ,H2Oだ,無色透明乾けば何の痕跡も残さない.
ずいぶん前に,確かM鍋氏が同じような事になって,その時は僕は何してんだかって鼻で笑って,でも翌日には「乾かしたら直りました」とふざけた事を言っていて,そんなまあとても都合の良いと思ったけれど,とにかく速攻でバッテリーをはずし,蓋を90度開いてHDD側を上にして立て,そこに全力最大風速で扇風機を向ける.
前に,HDDの換装をしたので,だいたいMacの中身は覚えている.僕のマシンはわりと古いので,電源と同じ側にHDDが位置している.とにかくデータが無事なら何とかなる.
それにしても,ここ数日のうちにダムのギリシャ/アテネ公演とフランス/カンヌ公演の図面を仕上げないと,サンパウロでの「true」公演が終わったら,その足でギリシャに向かうのだ!
そのまま扇風機フル稼働で約1日.翌朝祈るような気持ちでバッテリーをはめ,起動一発,MacBook Proさま見事ご生還.
コツは,いい感じで蓋を開け,内蔵ファンの排気口からバッテリーをはずした裏面に向けて,うまく風を送り込む事かも.
Macびちょびちょに濡れても,乾いたら動きます.
そしてリオの公演も無事終わり,僕等はサンパウロへ飛行機で移動.
到着翌日はほぼオフで,夜10時にリオから到着するトラックを待って搬入.
会場のSESC Pinheirosは劇場も立派で,大きな複合施設なので,搬入だって楽勝でしょうと鼻歌交じりで出かけたら,あらびっくり劇場の地下4階まで通じるエレベーターはどう見ても僕等の貨物の一番小さい箱がやっと載るかどうか,あとは駐車場の通路,よくあるグルグル螺旋に降りて行く道,しかもところどころにスピード出し過ぎ防止にわざわざ凸凹が作ってある坂道をぐるぐるぐるぐる地下4階まで行かなければいけない.
現地受け入れ側プロデューサーのペドロ氏も,通路の事は知っていたのかどうか,でもこちらの貨物の大きさはまったく把握しておらず(テックライダーの最初に書いてあるのに!),機材の箱の大きさを見てちょっと腰が引けている.
前の公演の搬出とダブりながら,約束の30分後ぐらいにようやく集まってきた搬入要員は,どう見ても60過ぎの白髪のおじいちゃんまで交じっていて,こんな夜中に1個600kg弱のフライトケースを計3個,地下4階までスロープを転がして降りて行けるようには見えなくて,その時はもう夜中23時.
そこにどこからか現れたのが,1台のフォークリフトとなかなか頼もしげなおっちゃん.何で,夜中におっちゃんがフォークリフトで?散歩?...
これがまた地獄に仏,フォークの名人.600kg弱の箱をフォークで差して,バックで搬入経路をグルグル降りて行く.しかもこのフォークリフトが優れもので,全部のフォークがそうなのかどうか知らないけれど,貨物を差したままフォークが左右にも動く.上下左右微妙に貨物位置を調整しながらほぼ通路幅一杯の貨物と共にグルグルグルグル,あっという間に一番重い箱を地下4階まで降ろしてくれた.
ありがとう,おっちゃん男前.
そして昨晩,サンパウロでの2日間仕込み後の2日計2回公演が無事終了.
客席が一杯でなかったのはちょっと残念だけど,お客さんの反応はとても良く,公演後わざわざオペブースにきて声をかけてくれる人も続出.公演の内容も,これまでのベストと言ってもいいかも知れない.
なにより,音響機材が充実していて,すごく音が良かった.ただし,配線やセットアップがいい加減だったみたいで,音響のF原さんがほぼ2日かかって全面的に繋ぎ直して調整し直していた.
みなさまゴクロウサマです.良い公演でした.
僕は,T氏とF原さんと一緒に,明日アテネに移動.
月曜からは,アテネでダムのVoyage仕込み開始.
Athenae
サンパウロでの「true」公演が終わって,ギリシャのアテネに移動.今度はダムタイプの「Voyage」公演.
ルフトハンザで,サンパウロからフランクフルトへ直行,そこでマドリットから来る別チームと合流しアテネへ.サンパウロ>フランクフルトは,日本からEUまで飛ぶより少し短い時間で行けて,思ったより近い.
ギリシャは初めて.公演会場は,「Megaron」という名の,日本だと新国立みたいな位置づけのホール.とにかく,むちゃくちゃでかくて,お金もかかってます.4トン車よりも大きなトラックでも,道路より下にある駐車場への螺旋通路をグルグル回り降りて,そのまま舞台上手袖近くまで車ごと進入できる.袖も,上下手とも舞台と同じ大きさが確保されている.
人伝てに,ギリシャの劇場スタッフはどうしようもないとイタリア人が言っていた,というのを聞いて,内心どうなる事かと思っていたけれど,Megaronのテクニカルはみんな技術もしっかりしていてやる気もあり,とても良かったです.
惜しむらくは,こちらの送った図面や情報が,何処かで止まっていて,実際いに働く人達には何も伝わっていない.わかればてきぱきと動くんだけど,いちいち次は何をするのか申し送りと確認が必要で,聞いてから全て対応していて,その分時間がかかってしまった.でも,公演は無事に終わりました.
客席は,バルコニー3階席まであって,たぶん全部埋まれば1500人とか2000人規模.さすがに3階は入っていなかったので,2回公演でそれぞれ70%の入りくらいだと思う.
そして今日はオフで,明日はカンヌに移動.
アテネの人は,だいたい2時半くらいにお昼を食べて,夕食は21時以降,しかもお昼はがっつり夜はお酒を飲みながら何かつまむというパターンが多いそう.それで,今日は僕もお昼を2時前に食べに出て,そのまま街を散歩.
アテネの街は,少し歩くだけで表情がくるくる変わる.
ホテルの近くは移民街で,パキスタンやアフリカ系の人達が屯っていて,その中に中国人も多い.
でも10分も行くと端正な並木が続き両側にお洒落なカフェが建ち,そのうちパルテノンの建つ丘が見える,お土産屋さん乱立の広場に出る.
そうかと思うと,山のように皮を剥がれた羊の頭や,頭の先から尻尾まで全身を剥かれて吊るされた羊・子豚・トリで一杯の肉屋がぎっしり並ぶマーケットやら,金物の並んだ道具屋筋,強大な建築の続く官庁街(劇場もこの辺りにあった)まで,結構足で歩けてしまう.
わりと大きな街の印象があるが,実際は街の端から端まで歩こうと思えば歩ける感じ.
数千年前から街があったというだけあって,いろんな時間がそこここに積もっている.
ずっとホテルと劇場の往復だったので,今日少し散歩しただけで,ずいぶん街の印相が変わった.こんなにいろんな面が見える街も,珍しい気がする.