God of odds

Macaoにtrueの公演で,来ています.
といっても,公演はすでに無事に終了.会場が国立劇場的なところで,スタッフも設備もかなりよくて,ブラジル以来の久々の公演ながらも,さしたる問題もなくするすると進んで,いい出来で終わりました.
それから,図面描きや打ち合わせなどを進めるために,ちょっとMacaoに残っているのだが,終日曇天の割りにはわりと過ごしやすい気候で,しかも物価が安くて食べ物がなかなか美味しいので,ぶらぶらと散歩しては飯を食うだけで,あっという間に1日が終わる.
しかし,Macaoは噂にたがわずカジノだらけの凄い町で.とにかく,そこら中に突拍子もないビルが建ち,変なビルはことごとくカジノ.
中心地の,世界遺産のある辺り以外,それほど観光客は多くないように見えるが,いざカジノに入るとヒトでごった返している.見ていると,大半がメインランド(中国)からの観光客のようだ.
僕も,とにかく外見が派手なカジノを3軒ほど回ってみたけれど,どうも何が面白いのか理解に苦しむ.
というのが,もう100%どう見ても全てのシステムはデジタルでコンピューター制御されている.
中には,ディーラーすら画面に映ったCGが相手というところもある.まあ,大半はちゃんと人間がディーラーをしていたけれど,でも,ゲームに何かの機械が関与していないところは無い.カードだって,変なマシンに入れたら,下から必要な枚数が出てくるようになっている.
人間が,研鑽を重ねた手技でいかさまをやるのも困るけれど,でも機械は誤魔化さないなんて,なぜ信じられるのだろう?
もっと不思議なのが,簡単な骰子ゲームなどは無人化されていて,骰子が画面に表示されていたりするのだが,あれは物理的なものではなくてプログラミングなのに,なぜ同じゲームだと思えるのだろう.
ギャンブルには詳しくないので,的外れな意見かもしれないが,賭け事で運否天賦を競うのには,その一番根っこに0か1か,赤か黒かの確率は常に2分の1だというのがあるように僕は思う.
つまり,もっとも単純なゲームで,例えば半丁とか大小とか,確率1/2のゲームがあったとして,仮に100回同じ出目が続いたとしても,つまり100回連続で「半」が出たりずっと「大」だったとしても,次に丁半や大小のいずれの目が出るかは,やはり確率2分の1でしかないというのが,博打の魅力じゃないかと思えるのだ.
でも,システムに制御されたギャンブルは,きっとそうじゃない.
裏側の何処かでは,出目の統計と出入金の管理が細かくされていて,たまにガス抜きのためにある程度の当たりがでるように,細かくプログラミングされているのではないかと僕は勘繰ってしまう.
そうなると,それは賭け事ではなくて,複数の参加者のうちの誰が幸福(当たり)を掴むかという,能力とは関係ないサバイバルゲームのようなものに思えてくる.
それは確率の神との勝負というより,参加者が上を向いて,お宝が落ちてくるのを口を開けて待ってるような状態に思える.
まあ,宝くじもおんなじようなもんだと思うけれど,そんなの面白いか?