Aoino_ue

葵上@山本能楽堂、終了。
満員御礼。
LEDうんぬんというよりは、普段から能を観る事を楽しみにしておられるお客様なのだろう。
お話を聞いて納得したのだが、能楽堂はプライベートな所が公共施設より多いらしい。いわゆる「小劇場」もそうかもしれないが、日本の舞台の今まで意識していなかった一面。日本中に、どれくらい能楽堂ってあるんだろう?
知らなかったという事では、公演までのプロセスというか、そういうのもぜんぜん違う。
まず、舞台監督がいないし、オペレーションブースもない。
そりゃそうだ、謡も鳴り物もPA通さないし、照明に至ってはそもそもそれ自体存在しない。
15年ほど前に、ダムで「隅田川」の公演をサポートした時には、無理矢理頼んでリハーサルをやってもらったけれど、本来「能」では僕らがリハとして認識しているような事はしない。
「モウシアワセ」というのはあるらしいのだけれど、ゲネプロとか通しリハみたいな事をすると、かえってその公演の即興的な魅力が削がれるので、舞台はその時その場で毎回初めて挑む物らしい。なんか凄い。日々の稽古の積み重ねと、インプロの能力、両方が試されるわけだ。
前の時よりは少しは考えることが出来るようになったのか、僕の知っている舞台作品と能の構造的な違いが、とてもおもしろい。
まず、先日、能面をかけさせてもらって実感したのだが、周りなんて見えやしない。それでいて共演者がいないわけではなく、舞台上にはたくさんの人が上がっていて、それらのほとんどの人はシテ方が見える。面(おもて)をかけている主役だけが、極端に視覚を奪われているわけだ。で、もっともよく動く。
舞台装置等は、極端に簡略化されているけれど、物語自体がなくなってしまっているわけでもない。
逆に多層構造で、レイヤーが多いのだけれど、そのほとんどを謡の語り?(説明?)で済ませている。
物語の基礎構造は言葉で造って、最後に情念とか怨念とかそういう言語化しちゃうとただの説明になってしまうとこだけ、ピンポイントに舞台にあげてる感じ。あくまでも、僕の私的感想ですが・・・
なんかね、間違えないように稽古して稽古して、その成果を出来るだけ寸分違わず本番の舞台に上げるというのではなくて、「稽古して稽古して」は同じでも、それで毎回違う成果が出るように期待するというのは、健全な気もするし面白いとも思う。
何だか大人な感じ。
でも今回の照明は、プログラムして時間入れて動かしてるんだなぁ。他にどういう操作があり得るのか、考えてみると面白い気がするが、今回はタイムアウトか・・・今までと同じような作り方で、まずはゴアイサツ。
公演は、日曜もあります。「安達原」です。
葵上と違って、設定が野外から始まります。
お楽しみに。

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