能に照明をつける試み、2日目「安達原」終了。
能では、常に前段というかこれまでの話の経過があり、それに続いて舞台が展開されるらしい。
今回僕が関わらせてもらった、「葵上」と「安達原」も例に漏れず、葵上では、六条御息所と光源氏の蜜月時代があり、そこに葵上が現れて源氏の関心を一身に集め、六条御息所は捨てられるという、それだけでハーレクイーンロマンス一冊分かという前振りがあり、それは周知の事実とした上で物語が始まる。
安達原では、まず「黒塚」という話があり、難病の娘を抱えた母親が、妊婦の生き肝を食べさせれば娘の病が治るときかされて(そんな事言う方も鬼畜だが)、肝を手に入れるべく外に出て荒れ野で妊婦の旅人が来るのを待つ。
やがてどのくらいの月日が経ったか分からないが、妊婦とおぼしき妻と夫の夫婦が通りかかり、都合の良い事に産気づいた妻のために薬草を採りに夫が山に行き、その間に母は妊婦を殺す。
と、妊婦の身に着けていたお守りが母の目に入るが、それは母が娘に与えた物だった・・・というギリシャ悲劇顔負けの話。
それで母親は完全に物狂い、さらに荒野深く分け入って鬼婆と化し、殺人マシーンとなり幾星霜・・・というところから、話が始まる。
つまり、固定客というか、集団的な合意としての構造があって、その上に物語が形成されている。しかも、タランティーノばりの鬼畜エンターティメント。僕けっこう「From Dusk Till Dawn」とか好きなんですけど、お能、負けてません。
そんな所に、照明という新しい演出をつけるとなると、緊張します。
だって、通になればなるほど、頭の中では情景が出来上がっているはず。売れた小説の映画化ほど難しい物はないでしょう。
最近では、ジャンルは違うけど「BECK」の映画化かな。音楽物を漫画で描いた傑作ですが、ビジュアル化しつつ音は一切聞こえない漫画だからこそ、「世界的に認知される日本のバンド」という物語を組上げられたのだけれど、映画にしたらその彼らの曲どうすんねん、という話ですね。
僕はまだ観てませんが(シンガポールにいたので)、映画監督は、あえていいますが、卑怯にも漫画と同じ手法を使ったようで、それはちょっと・・・。
となると、僕の解釈が、積み上げられて来たイメージとそれほど剥離がないことを願いつつ、自分のイメージをちゃんと照明で現出させていくしかないでしょう。
幸せな事に、今回は3日間時間があり、3日間というと短いようですが、通常のクリエーションなら、そのうちに振り付けや音や照明や舞台での全てのクリエーションがあるのだけれど、今回は照明のみ。山本能楽堂の能舞台、独占貸し切り状態。
舞台上に、公演の衣装を飾ってもらって、暗転中で一日ほぼ12時間照明のプログラムし放題の3日間でした。
しかも、僕が望むなら、もっとやっていいですよと言ってもらえました。こんな事は、滅多に無いです。たいていは、もうそろそろ・・・と言われます。
今回は、「今日はこんな所で勘弁したろ」と一人つぶやきつつ、自分から終了して帰る毎日。
楽しかったです。
ということで、またそのうち機会があるかもしれません。
あったらいいなぁ、ということで、とりあえず無事終了。