昨日は、レンタカーを借りて、トロント市内の劇場を計8カ所見て回る。遥か昔にダムの作品を公演したPower Plantの中の劇場から、バレー教室付随の小さなスタジオまで。
どうやら、カナダの劇場システムは、日本と同じで貸し館主体で回っているらしく、借りる条件にはレンタルコストも重要なファクターになる。
お金払って借りるというのは、公演する側にとってチャンスが広がるという面もあるけれど(資金さえ用意すれば、自分たちのやりたい公演がうてる可能性がある)、逆に言えば、金さえ払えばある程度なんでもありになる。
話が極端になるけれど、実際に昔、僕がバイトに行っていた公共ホールでは、どう見てもねずみ講な(でもまだ事件にはなっていない)団体の、勧誘集会みたいなものも行われていた。
バイト当日劇場に行くと、ポルシェやフェラーリなどのスーパーカーが駐車場に何台も停まっていて、会場ではチャラケタ兄ちゃんが「僕はこれでスーパーカーを買いました!みなさんも一緒にお金持ちになりましょう!」と舞台上から客席にまくしたてている・・・。
まあ、これは舞台公演ではないし、あくまでも特殊な例だけど、でも公共の平等と貸し館という資本主義のルール上では、こういう事態だって当然起こる。そこの住民が借りたいといい、スケジュールが空いていて、料金が払えるのなら、法に抵触しない限りは断りようが無い。
また、貸し館が主体で予算が組まれると、その劇場が自主的にやりたい公演のクリエーションなども、スケジュール次第では難しくなる。
やりたいことをやるにはお金が要り、お金を稼ぐには舞台を貸さねばならなくて、貸しているとスケジュールは細切れに入り、まとまったクリエーションの時間は取りにくくなる。
結局は、そこに劇場の意思表示が必要になり、それにはその劇場の顔というべきディレクターの存在が必要になる。
そのディレクターがNOといえば、いくらスケジュールが空いていようが大金を積もうが、その劇場は使えない。ある種暴君的な存在だけど、そういうシステムは必要だと思う。
そして、そのディレクターに仕事を続けてもらうかクビにするかの権限を、公共ホールであればそこに税金を支払っている住民が持つべきで、プライベートホールならオーナーの意思になる。
そういうシステムが、日本ではほんの一部の施設を除いて決定的に欠けている気がするけれど、カナダはどうなんだろう。
公共ホールの館長が、引退前の役人の名誉職で数年ごとの持ち回り、他に責任を取るべき役職も無く、なるべく穏便に次の職場に移りたい公務員ばかりの劇場だと(決してそういう所ばかりではないけれど)、そんな意思表示などできるわけが無い。
そういうことが、これからいろいろ見えてくれば、さらに面白くなるかな。(もしくは、とたんにつまらなくなるかも・・・)
ああ、でも昨日回った劇場は、どちらかというとプライベートな所が多かったと思う。