Vacant land

Karasuma Syako

14日(土)・15日(日)と7月初めに公演する作品の打ち合わせに,山口に行ってきた.今月初めにも4日間ミーティングと実験のためにYCAM(山口情報芸術センター)に滞在していたが,今回はその追加ミーティング.
YCAMでは公演の合間を縫って,7月の作品のために実験をしてくれていて,実際の公演場所に仮のセットを組んだり,システムチャートを考えたりと,着々と準備が進んでいる.
単なる公演会場というのではまったくなく,ソフト・ハードの両面で,作品制作のパートナーという感じ.
プロジェクト自体のサイトは今制作中だが,簡単な告知は既にYCAMサイトに上がっている.興味のある方は見てみて下さい.
https://www.ycam.jp/archive/works/path/

ところでこの帰国中,おもに関わっていた実家の件だが,この前思い立って見に行ったら,何とも綺麗さっぱりさっさと更地になっていた.
あっけないもんだ,とはよく聞く弁だが,本当に家の最後というのも(人の最期と同じように),あっけないもんである.
このまっ平らになったスペースの上で,何人の時間がどれだけ交差したことか.
いろんな思いが絡み合ったのだろうけれど,もうその記憶は微塵も感じられない.
この場所の持ち主だった祖父は,晩年呆けて最後はここから歩いて10分程度の病院で息を引き取った.
葬式はここに建っていた家で行ったのだが,そのためには当然病院からここまで祖父を連れて帰ってこなければいけない.
何を使って,もう死んでしまった身体を運ぶのか.これは案外問題である.普通は車だろうが,でもそれは霊柩車でも救急車でもない.そういう特別な車があるにはあるのだが,わざわざ来てもらうには,家はほんの鼻先である.
かといって普通の車に乗せようとしても,とにかく相手はもう死んでいるので,身体が硬くなっていて,簡単にヨイショと折り曲げて,車の後部座席に座らせるわけにも行かない.本当に,こういう状況に陥った他の人はどうしているのか,聞きたいくらいであるが,その時にはそんな余裕もなかった.(ついでに携帯も持っていなかった.)
それで,その場にいた僕と父親は,ちゃんと病院の許可を得て,10分足らずの道のりを,可動寝台の上に祖父を乗せて,ゴロゴロとアスファルトの上を手動で押し帰ることにした.
時間はたぶん深夜近かったと思う.まあ,そりゃそうだろう,真っ昼間にのほほんと死体を運んでいるのは,どう考えてもまずい.もし誰かに出会ったら,どちらも災難である.
それでまあ,結局誰にも出会わず,夜中に僕らは祖父の死体を載せた寝台を押して,病院からこの場所まで移動した.確か病院の看護婦さんか誰かも,横について来てくれた記憶がある.
家の玄関は石段を5段上がらなければいけなくて,そこからは遺体を担いでいった.晴れた夜だった.
すごく特別なことのような気がするが,案外誰もが同じような経験をしているのかもしれない.
不思議なことに,その後十数年間あまり祖父の後を受けて家を守っていた祖母が,あのときどうしていたのか,どうしても思い出せない.悲しみに暮れて,何処かに引き籠もっていたんだろうか.

One Reply to “Vacant land”

  1. あらま、本当にあっけないですね。
    ああいう更地って、妙にちっぽけに見えます。
    そこをよく通る人も急に景色が変わって、そのときは気にするのですが、次に新しい建物が建つと、前に何があったか思い出せないのです。
    何か寂しいですね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です