Off

1 year 7 month 10 days

14日から18日(月)まで,祇園祭のため京都芸術センターがオヤスミ.なので,そこで稽古しているRefined Colorsの作り込みも休み.
なにせ自転車のルートによっては,御池通りから四条烏丸近くの芸術センターにたどり着くまでに,3つも4つも山鉾の横をすり抜けなければいけない.呉服問屋が軒並み並ぶ界隈にセンターはあるのだ.とてもじゃないが,祭りの間は通常の開館は無理だろう.京都らしい理由である.
おまけに気がつくと,17/18日と連休である.何だ「海の日」って???
日曜祭日は,保育園は休みだがかあちゃんは働きに行く.観光地の仕事なので,稼ぎ時なのです.で,僕がウチにいる時は,なるべく娘と過ごす.1歳半,凄いぞ.風邪ひいてようが何だろうが,むちゃくちゃ元気.
なので1日中振り回されてます.
一昨日,はじめて娘の散髪をした.
それなりに工夫して切ったつもりなのに,なぜか不評の声が多い.変にきちんと揃ってなくて,可愛いのに.
断乳は,拍子抜けするくらいうまく行きました.
あきらめがいいというよりは,我慢強いのかな?

RC update

YCAMでのpathが終わって,京都に帰ってちょうど一週間.
既に僕が山口にいる頃から始まっていた,9月に向けてのRefined Colorsの振り起こしと新パート制作に,ようやっと参加し始める.やっと,頭が切り替わりつつある感じ.
思い起こせば去年の今頃は,本番直前.毎日毎日レオパレスからYCAMのStudioBに通い,ダンスとLED照明にどっぷり浸かっていた.
毎年面白いなぁ.
それでRefined Colorsの京都公演.9月24日25日と,京都造形大Studio21で行います.19日からスタジオ入りして午前中はワークショップ,午後からは新パートの制作に専念します.そのための準備というか,ダンサーとの制作を,いま行っているわけ.今月中に出来上がるわけではないけれど,進む方向くらいは定めたいモノだと思う.
ひさびさに,2ヶ月程自宅にいる予定.
近所の人に怪しまれないように,何か言い訳考えないと...
今日で,子供の断乳2日目.かあちゃん,1年7ヶ月にも及ぶ授乳,ゴクロウサマでした.
この一週間ほどカレンダーに印を付けて言い聞かせてきたとはいえ,つい昨日まで毎朝毎夕と就寝時までおっぱいをねだっていたのに,盛大に泣きはしたモノの諦めた様子の子供に,なんてよく分かって聞き分けがいいんだろうと,感心しつつあまりの物分かりの良さに心配になる親馬鹿です.

Finish

いやぁ,あっという間に終わってしまいました.YCAMでのpath公演.
僕にとっては,初のインタラクティブかつ即興的な照明作品ということで,最後の方の日々は無我夢中.また,内橋さんと僕がおっさんなだけで,あとはまだみんな若いもんだから,連日連夜みんなコンピューターに向かう向かう.おかげで毎晩それに引きずられるように仕事をしていた僕は青息吐息で,終わってからのこの3日間ほどはほぼ思考力ゼロ.
しかし,楽しかったです.
おおまかなシーン分けこそ最初にしたものの,その後はどのリハも本番も即興.しかも,初日前夜の通しリハを除いては,テンションが下がるからと内橋さんとUAさんのセッションはほとんどなし.システムチェックはしましたが,2回の本番ともほぼぶっつけです,はい.
2日間の内容も,僕の感じたところではまったく違う.どちらも面白かったけれどね.
自分で言うのも何ですが,印象に残る公演でした.
公演途中に,内橋さんが音を外に出さずに演奏し,光のパターンを作っていくシーンがあるのだけれど,その際2日ともUAさんは,舞台上で両手を広げて寝ころんでました.それがかなり自然で良かったのだけど,公演後に彼女から聞いたところによると,どうも本当に微睡んでしまいそうになったらしい.
「私って凄いところまで来たと思ったわ.400人の前で眠れるって思ったもん.」
という彼女のコメントが,かなり面白かったです.
もちろん2人のパフォーマンスも良くって,僕はついふらふらと,翌日に小倉のSOAPであった内橋さんのライヴにも出かけてしまいました.YCAMとはまた違ったライヴハウスでの演奏で,他のパフォーマーもなかなかの手練れで,脳味噌の凝りがほぐされた夜でした.

What happen!!!

昨日,舞台の下見と,声データのサンプリングのために,UAさん来山.
前日(つまり一昨日),このpathの空間でどんなことが出来る可能性があるかを見せるために,とにかくいまあるネタを整理しようと考えていたら,横にいる大度君が奇声を上げた.彼はよくトラブルに見舞われる,というか,よくモノを無くしたり落としたり忘れたり勝手に壊れたり盗られたりするが,見ると何やら彼のディスプレーにあまり見たくないサインが...どうも,彼がさっき落としただか倒しただか踏んづけただかした,外付けのハードディスクを,Macに繋ぐといきなりカーネルパニックが起こるらしい.
面白がって,作業中のG5にそのHDを繋ぐと百発百中,間違いなくパニックが起こる.
世界最強無敵のHD,素敵.
関係のない人の方が多いだろうが,写真の状況など,見る人が見れば背筋が寒くなるはず.
そんなこんなで遊んでいたら,あっという間に昨日UAさんがYCAMに.

A week

YCAMに入って一週間,今日は音響システムの調整に京都から福原さん到着.
天井から吊るスピーカーと照明は,セットアップが完了し,調整を待つばかり.
あとはステージが組み上がってから,そのうえに照明を置いていくのだけれど,この2日間YCAM内ではこっちのセットアップと平行して,館内で長期展示していた「時間旅行展」の搬出が行われており,スタッフは皆さん大忙し.なかなかこっちにまで,十分な手が回らない.本当に限られた人数で,物凄い仕事量をこなしてます.
それでも,当初のスケジュールにほぼ近い形で製作は進行しており,あと数日で実験とリハーサルの日々となりそう.
楽屋に組んでいた臨時ラボの機材も,劇場内のオペレーション位置に引っ越しし,いよいよパフォーマンス内容のクリエーションモードに突入.

path@YCAM

6月8日に帰国.もうはや10日以上前のことである.
トランクは,帰る前々日,ソウルに到着して3日目の夜に,ホテルにぽつんと届いていた.2つあるナンバーロックの内ひとつが,何処かでもげて無くなっていたのだけれど,もう誰にクレームをつければいいのかとんと分からない.でも,中身が全て無事に戻っただけでも,今回はラッキー.
その後一週間,自宅で事務仕事と子供の相手をして,15日から山口市のYCAM入り.ギターリストの内橋和久さんと歌手のUAさんを迎えての,スピーカー30個以上のマルチサウンドシステムはあるわ,インタラクティヴ映像はあるわ,LED照明はあるわの,インスタレーションとコンサートの結合体「path」の滞在制作と公演のため,7月5日頃までの山口住まい.
この数日は,ステージセットの核となるスクリーン・オブジェの制作や,LED灯体の設定,スピーカーの吊り込み準備に費やされ,今日夕方とうとうスクリーンが高さ6.5mの空中に浮かんだ.その周りを照明とスピーカーが取り囲み,なかなか実験的で,かつゴージャスな状況になってます.
なんと言っても,YCAMのPA機材はすごくいいので(d&bとL-acoustic),まず音だけでも,稀な体験ができるはず.
設置を始めてから,既に4日目.しかも,これから12日かけて実験と制作を行う.ということは,こんな場所と余裕のあるスケジュールはなかなか実現しないので,今回見逃したら,二度とこの公演は体験することが出来ないかも知れない.とにかくすごいモノになるとは思います.乞う御期待.

Tossed around

Krean food

6月3日(金),TESLAでのセットアップも無事に前夜終了し,朝からベルリン−アムステルダム−大阪,そしてソウルへの移動開始.迎えのタクシーも時間前に来て,ずいぶん順調に空港に向かった.
しかし! ベルリン−アムステルダム間のKLMがフライトキャンセル.表示を見た瞬間から慌ててKLMのカウンターを探すが,見つけた時には既にもう長蛇の列.
明日4日中に着かないと,5日からはダムの公演のセットアップが始まる.日本時間を見るとまだ18時前だったので,速攻で日本の旅行代理店に電話.20分ほど後に,何とか日本のKLMオフィス手配で,ベルリン−ミラノ−大阪経由のAlitalia航空に変更してもらったとの連絡が携帯にはいる.
ただし,30分後には飛び立つので,あと5分以内にこちらの目の先にあるKLMカウンターから,変更したチケット(ぺらぺらの紙切れ)を発行してもらわなければいけない.でも,目の前の列はまだまだ減りそうにない.
一緒にいたダムのメンバーが,だめもとで隣のエアフランスのカウンターに交渉に行く.すると,エアフランスのおねーさんが立ち上がって,KLMのブースで動き始めてくれた.もちつもたれつ,KLM側だって,並んでる人数が少しでも減るなら,それに越したことはない.
何とかなりそうなのを確認して,とりあえず荷物を積み上げたカートを押してダッシュ.アリタリアのチェックインカウンターは少し離れている.あとから,ぺらぺらのチケット握りしめたメンバーもダッシュ.僕らを追い越しながらパスポートを集めて,チェックインカウンターに駆け込む.既に出発20分前.
でも,アリタリアのおねーさんもがんばってくれて,慣れない変更チケットに四苦八苦しながらもボーディングパスを出してくれた.でもって,セキュリティーで足踏みしながらも,またまたダッシュで飛行機に向かうバスに飛び乗る.
この時点で,出発10分前くらい.どうやら機内預けの荷物は,ミラノには間に合わないかもと思う.でも関空でソウル行きに乗るまで5時間ほどあるし,ダメでもソウルまで追っかけてくるだろうと諦める.
ミラノ行きが水平飛行になるくらいまで汗が引かなかったが,とにかく間に合った.何とかソウルに時間通りに入れると思ったら,急に空腹に.朝ご飯食べてないし...
イタリアのエアラインは,1時間半のフライトにどんな軽食を出すのか.わくわく. 答え:アイスクリームとコーヒーか紅茶.
まあ,なんと言ってもミラノの空港だし,トランジットに1時間ほどあるし,関空行きのフライトでもイタリアンな機内食がでるかも,と期待してマルペンサ空港に降り立つ.
関空行きのフライトをインフォメーション・モニターで探すが,ターミナルBとしかでていない.とにかくBへ向かう.
Bに着いて改めて表示を見ると,確かに14:30 KIX/OSAKAがあるが,その横に21:30という表示がEXP列にでている.何でしょ? EXPって???
イヤーな不安を抱きながらインフォメーションを探して尋ねると,屈託のないイタリアンのオッちゃんが,「シー,シー,オサカ,ディレィ.ユー,ゴーツー,フリーランチ,バスフリーつー」と笑顔で教えてくれた.
おいおい...続くかなぁ,こんなこと.
とりあえず,アリタリアのカウンターへ向かう.
ミラノはよほど日本人の観光客が多いのか,カウンターには日本人スタッフのおばさんが.そして,他にも二人ほどの日本の方が,団体客の添乗員相手に走り回っている.そのおばさんが,僕らの前に添乗員をなだめているのを聞きながら,今後の対策を練る.
「もうバスは出るんですか.どの辺に行くんでしょう.」
「はい.20分ほど行った,なかなか美しいホテルに,お食事をご用意しています.お部屋はお取りできませんが,フライトまでくつろいで頂けます.」(もちろん日本語)
「電話はありますか.」
「はあ...?」
「電話はありますか.皆さん日本にご連絡したいと.」
「ホテルですから,たぶん電話はあると思いますが...」
「皆さんお家に連絡したいんですけど,すぐにバスが出るならホテルから連絡するしかないですよね.ホテルに電話ありますか!」
「はあ...」
1.なぜこの添乗員は,3G携帯を持っていないのか? (仕事で使うでしょ,普通)
2.なぜこの添乗員は,電話のないホテルの存在を想像できるのか?
3.なぜこの添乗員は,アリタリアの地上スタッフに怒っているのか? しかもホテルに電話があるか無いかで.
まだまだ世界は謎に満ちていると思いながらも,足早に団体さんの所に向かった添乗員を尻目に,アリタリアのスタッフに事情を説明する.
すると彼女は,極めて現実的に,最初は関空−ソウルのフライト予約を遅い便に変更してくれようとした.
21:30のフライトで関空についても,明日夕方のソウル行きなら間に合う.ところが,ビジネスクラスまで調べてくれて,もちろんオーバーチャージはアリタリアが持つと保証してくれたのに,全て満席.恐るべし,韓流ブーム.未だ冷めやらず.
その後もミラノ−東京−関空や,ローマから直接ソウル入りなど,幾つかの変更にチャレンジしてくれたが,どれも結局うまく行かず,あれこれ探してついに,これからパリに向かいそこから直接ソウルに入るフライトを3席確保!
しかし!僕たちの機内預けの荷物が見つからない.まあ,普通10分前に駆け込んだら,荷物は遅れる.しかし,それを待っていると,パリ行きに変更したフライトに間に合わない.
ぎりぎりまで荷物を探してくれるとの声を聞きながら,今度はミラノ空港の中を,エアフランスのチェックインカウンターから搭乗口めがけて走る.ベルリン・ミラノ・パリ,ヨーロッパ盥回し.EU内フライトで,パスポートチェックが無くて,本当によかった!
またもや,ぎりぎりで機内に駆け込むと,飛行機はパリへ.
CDGでは,4時間ほどのトランジット.とにかく経過をメールして,ソウル到着がすこし遅れることを知らせる.でも,30分程度の遅れ.日本を経由しない分,今日のドタバタが相殺されている.
エアフランス・大韓航空共同運航便ソウル行きは,韓国のオッチャンオバチャンですし詰め.よくこんなところにねじ込んでくれたもんだと,改めてアリタリアのスタッフに感謝.とにかく間に合います.
大韓機内食名物ビビンバを食べて,ビールを飲んだら気絶.久々に飛行機で熟睡.
無事ソウル到着.
今日は,仕込み初日終了.順調です.韓国料理も美味しい.
でもまだ,アリタリアからもエアフランスからも大韓航空からも連絡無し.もちろんKLMからは無し.
僕ら3人のトランクは,世界の何処にいるんでしょう...(一時,テルアビブにあるとの噂あり)
毎日コンビニでパンツを買ってます.

Berlin

5月28日の昼にBergenを発って,アムステルダム経由でベルリンに到着.
Alexander platzに程近いPodewilという建物の中で,TESLAというオーガナイゼーションの主催でインスタレーションの展示をする.6月2日までそのセットアップ.
OR installation@TESLA/Berlin, Germany
03 – 19 JUN 2005
TESLA im podewil’s schen palais
Klosterstrase 68-70 10179 Berlin, Germany
www.tesla-berlin.de
今回は,ダムのメンバー2人と一緒.「3人が泊まるのは船のホテルだ」という連絡を事前に受けていて,それで連れて行かれたのがEASTERN comfortというhostelboat.
「船」というので,何となく大きめの客船(香港とかで海上レストランとして浮いてるようなヤツ)をイメージしていたのだけれど,来てみれば割りと小振りな本当に「ボート」という言葉がぴったりの船がホステルになっている.Spree河畔の双子の塔が特徴的な古い橋の近く.ベルリンの壁が長く残っていて,ボートはその壁で道から隔てられている,つまり昔は東西の緩衝地帯だった川に浮いている.
趣はあるし,それにたぶん料金も安そうだから,ベルリンに遊びに来てしばらく滞在するには面白い宿だと思う.実際,オープンしてまだ余り経っていないというのに,多くのバックパッカーで賑わっていた.(ただ僕らは仕事で,朝10時から夜中まで現場に行ったきりなので,あまり宿の面白さは実感できなかった.)

Bergen_Grieghallen 2

5月25日(水):ベルゲン国際フェスティバル開幕.僕たちの公演会場で,昼間に別のセットアップをして,フェスティバルのオープニングセレモニーが行われた.ノルウェーのプリンス・プリンセスが来るので,劇場やフェス側もなかなか対応が大変そうだった.
ちなみに,同会場で夜にあるダムの公演にもプリンス・プリンセスは来られた.何でもプリンセスが妊娠中とかで,開演前に少しパフォーマンスの音量が取りざたされるが(重低音と爆音),予め大きな音が出ることを伝えて,必要なら耳栓やもっと心配なら無理矢理観ることもないということで,話が収まる.フェスティバル側のスタッフが,王室関係者との間に立ってがんばってくれた.当たり前のことだが,なかなかこうはいかない.長く続いているフェスティバルで,スタッフもちゃんと自分たちの考えを持ってやっているなぁと関心.
結局問題なく,1500席ほぼ満席で無事公演終了.その後盛大なレセプション.僕らにあわせてくれたのか,お寿司と白ワインがでた.
5月26日(木):朝から大雨と強風が吹きまくっていたが,何だかベルゲン市民の半分くらいは,傘も差さずに雨の中を歩いている.合羽も着ずに自転車に乗っている人までいる.彼等にとっては,このくらいの天気は珍しくもないのかも.
そんな天気でも,今晩も公演は盛況.この2日間いつもよりスーツ姿の観客が多くて,どうも年齢層が高い気がする.まあ,拍手も多かったし,喜んでもらえたとは思うので,問題はないんだけれど...
公演後のバラシも問題なく,搬出時に外に出たら,すっきり晴れ上がっていた.既に23時近いのだが,空はまだ明るい.
劇場では,明日からもコンサートやオペラの公演が続くので,夜中にもかかわらず次の公演の仕込みが始まっている.1年に1度のことなので,スタッフもハイテンションで楽しくやっている感じ.
ホテルへの帰り道,ちょっと不思議な白色光の街灯があるなぁと思ってよくよく見たら,高輝度白色LEDの照明だった.ちょっと寒々しい白で,街に似合ってはいるが,よけい寒さがつのるかも.
5月27日(金):今日はオフ,1日だけ時間がある.フィヨルドの観光というのにも強く惹かれたけれど,無精をして何の下調べも手配もしてこなかったので,あきらめて近くの丘に登る.行きはケーブルカー,往復チケットを買ってあったんだけれど,天気も良いし割りと楽そうなので,帰りは徒歩で下りる.街のすぐ近くなのに,素晴らしい景色.美しい森と山道だった.
ベルゲン美術館にも行ったが,そこで奇妙な体験を.
あまり人の行かなさそうな奥の展示室に写真のコレクションが並んでたんだけど,ふと角を曲がるといきなり知人の顔が飛び込んできた.Thomas Struthという写真家が撮った「The Okutsu Family, 1996」という作品で,そこには以前山口でお世話になったOkutsuさんがご家族と写真に収まっていた.
いきなりノルウェーの美術館で,しかもまったく予想だにしていなかったので,とても不思議な感覚だった.世界が狭いのか,美術界が狭いのか...
夕方からUBU,夜はCarte Blancheのパフォーマンスを観る.Carte Blancheは2部構成で2人の振付家の作品.振付や照明は好みだったが,残念ながら音が全然ダメ.(あくまで僕の好みの問題です.)
明日28日は,ベルリンに移動.

Bergen_Grieghallen/Norway

5月22日(日)の朝に関空を発ってBergen/Norwayへ.KLMなので,アムステルダム乗り換え.スキポール空港で4時間程度のトランジットだったが,異常に眠かった.このところ早寝早起きの生活が続いた上に,さすがに前夜はあまり寝ていられなかったので,飛行機に乗ってからほぼずっとウトウトしていたが,それでもまだ眠い.
Bergen行きの飛行機が,何かの修理のために1時間出発が遅れたために,飛行場の外に出る頃には既に22日の夜23時を少し回っていた.でもまだ空は明るい.
昨日/23日(月)は朝から仕込み開始.さすがに前夜は街の探索にも出ず,シャワーを浴びてすぐベッドへ.
会場のGrieghallenは,席数1500席余りと非常に大きいが,バルコニー(2階席)はなく,ステージ面からなだらかなスロープが扇状に広がる珍しい構造.しかも,ステージ面が客席最前列と同じレベルで,必要なら客席前側がオーケストラピットかもしくは予備の客席エリアとして沈むようになっている.
YCAMのStudioAが同じ構造だが,他ではあまり見たことがない.この構造は舞台床面が見やすくて良いと思う.またプロセニアムも完全に開いて無くすことが出来て,非常にフレキシブル.しかも客席が広がっている割りにはあまり見切れが無くて,両サイドの席でも何とか我慢できる.
まだお客さんが入っての公演を打ったわけではないが,使いやすくて良い劇場な気がします.
今日/24日(火)も朝から照明のフォーカスの続き.作業ペースがのんびりしていた割りには,問題なく午前中に終わる.
しかし今回は,フェスティバルのオープニングを飾ることになっていて,ノルウェーのロイヤルファミリーが初日に観に来るとか,僕らのステージ上で公演前にオープニングセレモニーを行うとかで,公演以外にいろいろ邪魔くさいことが多い.
なるべくなら公演だけに集中したいが,でもオープニング・パフォーマンスにわざわざ選んでくれたのだから,ありがたい話しでもある.

Vacant land

Karasuma Syako

14日(土)・15日(日)と7月初めに公演する作品の打ち合わせに,山口に行ってきた.今月初めにも4日間ミーティングと実験のためにYCAM(山口情報芸術センター)に滞在していたが,今回はその追加ミーティング.
YCAMでは公演の合間を縫って,7月の作品のために実験をしてくれていて,実際の公演場所に仮のセットを組んだり,システムチャートを考えたりと,着々と準備が進んでいる.
単なる公演会場というのではまったくなく,ソフト・ハードの両面で,作品制作のパートナーという感じ.
プロジェクト自体のサイトは今制作中だが,簡単な告知は既にYCAMサイトに上がっている.興味のある方は見てみて下さい.
https://www.ycam.jp/archive/works/path/

ところでこの帰国中,おもに関わっていた実家の件だが,この前思い立って見に行ったら,何とも綺麗さっぱりさっさと更地になっていた.
あっけないもんだ,とはよく聞く弁だが,本当に家の最後というのも(人の最期と同じように),あっけないもんである.
このまっ平らになったスペースの上で,何人の時間がどれだけ交差したことか.
いろんな思いが絡み合ったのだろうけれど,もうその記憶は微塵も感じられない.
この場所の持ち主だった祖父は,晩年呆けて最後はここから歩いて10分程度の病院で息を引き取った.
葬式はここに建っていた家で行ったのだが,そのためには当然病院からここまで祖父を連れて帰ってこなければいけない.
何を使って,もう死んでしまった身体を運ぶのか.これは案外問題である.普通は車だろうが,でもそれは霊柩車でも救急車でもない.そういう特別な車があるにはあるのだが,わざわざ来てもらうには,家はほんの鼻先である.
かといって普通の車に乗せようとしても,とにかく相手はもう死んでいるので,身体が硬くなっていて,簡単にヨイショと折り曲げて,車の後部座席に座らせるわけにも行かない.本当に,こういう状況に陥った他の人はどうしているのか,聞きたいくらいであるが,その時にはそんな余裕もなかった.(ついでに携帯も持っていなかった.)
それで,その場にいた僕と父親は,ちゃんと病院の許可を得て,10分足らずの道のりを,可動寝台の上に祖父を乗せて,ゴロゴロとアスファルトの上を手動で押し帰ることにした.
時間はたぶん深夜近かったと思う.まあ,そりゃそうだろう,真っ昼間にのほほんと死体を運んでいるのは,どう考えてもまずい.もし誰かに出会ったら,どちらも災難である.
それでまあ,結局誰にも出会わず,夜中に僕らは祖父の死体を載せた寝台を押して,病院からこの場所まで移動した.確か病院の看護婦さんか誰かも,横について来てくれた記憶がある.
家の玄関は石段を5段上がらなければいけなくて,そこからは遺体を担いでいった.晴れた夜だった.
すごく特別なことのような気がするが,案外誰もが同じような経験をしているのかもしれない.
不思議なことに,その後十数年間あまり祖父の後を受けて家を守っていた祖母が,あのときどうしていたのか,どうしても思い出せない.悲しみに暮れて,何処かに引き籠もっていたんだろうか.

Corridor

花粉症の時期も過ぎ,気持ちの良い日々が続いている.
打ち合わせに数日出かけたが,あとはほとんど自宅で仕事をする日々.普段あまり会わないマンションの住人に出会う機会が多くなり,昨日はとうとう「仕事オヤスミですか?」と訝しげに尋ねられた.すいません,ぶらぶらしていて...
前に実家の解体の話を書いたが,その時に一番感心したのがこれ.(真ん中の写真)
何かというと,これは廊下の板の一番端を,下から掛け金のように引っかけていたモノである.名称は不明.
古い家だったので,まだフローリングのように組み木にする構造が無く,この廊下の板はネタ(構造を支える桟)の上に,表に出ないように斜めに釘で打ち付けてあった.(余談だがわりと長い廊下で,測ってみたら繋ぎ目無しで5.6mの材が使われていた.珍しいので何とかそのまま残せないかと思ったのだけれど,それほど数があるわけでもなく運ぶのも大変なので,やもなく半分に切断.)
で,この廊下を桟に打ち付けるには,写真の向かって左から板の側面と桟を釘で縫っていく.右利きの大工さんである.だがもうその作業の時には壁が立っているので,最後の3枚程度は右手に立つ壁との距離が近すぎて,思うように金槌が使えない.
たぶんそういう理由で,最後の3枚は大工さんが床下に潜り,この掛け金状のモノで床板を桟に固定していった模様.これが,その時の通常の工法なのかどうかは,僕には分からないが,一緒に解体を手伝ってくれた鉄職人の友人も僕も初めて見るものだった.
こういう細かな技がいろいろ発明されては,忘れ去られていくのかと実感.
結局,人の足が80年間近く磨き続けた廊下の板は,自宅の床に設置.木ネジを十数本使ったので,大家さんに見つかったら怒られるかもしれない.トップシークレットです.

Demolition

 

11日に帰国してから,既に2週間近い.
何度か更新を試みたのだが,酔いや眠気に負けて断念.
この期間,ほぼ毎日,僕の生家であり30数年過ごした家に通っていた.
去年末に祖母が他界し,その関係で売却され取り壊されることになったのだ.
建築後80年近く経った家で,無くなるのは残念だけれど,僕のモノではないのでどうしようもない.
せめて,再利用できるモノはと,たまたまこれから自宅の建築予定のある友人に建具や床板や階段のパーツなどをもらってもらい,僕自身も廊下の床板や,庭木の一部などを移し替えて持ち帰った.
祖父が,面白い趣味の庭いじりをしていて,あの家には色々な木々が植わっていた.その多くが「食べれる」モノだった.
記憶にある限り,時系列を重ねて羅列すると,南の玄関から入って時計回りに,まず笹に南天,それから柘榴・椿・棕櫚・芭蕉と続き,西に回ってグミ・夏蜜柑・妹の名前の由来になった山桜桃・母の名前の杏(杏子が母親の名前)・鬼胡桃の木があった,そこから北に回って,また棕櫚の木があって東の庭に抜けて,今度は食べられる胡桃の木が2本・それがあまりに高く育って倒れると危険だからと伐採してからは合歓木が植えられ,次に無花果・柿・山桜桃・椿・百日紅で一周して南側の玄関に戻った.
こじつけかも知れないが,ずいぶん後になってからチュニジアのサハラ砂漠で,ナツメヤシの群生するオアシスの中,高い木立の下に柘榴や無花果やバナナ(芭蕉に似ている)が植えられているのを見て,ひょっとして祖父はこの風景を何かで見たことがあったんじゃないかと,その類似性に驚いたことがある.

あと、とにかく,階段や廊下の板をはがすだけで,住処を建てることの大変さを実感.大工の棟梁の数だけ,様々な工夫や技があるのだ.
「建築物ウクレレ化保存計画」で,制作のために話を聞き取りに来てくれた伊達君に,「あまり建物には愛着がないの,庭木はどうにか出来ないかと,それは考えているのだけれど...」と言った母の言葉が,印象に残った.
離れて9年ほど経つ実家ではあるが,無くなるのは残念である.
まあせめて,その最後に立ち会えたのが,幸運としよう.
実際,まだメールがなかった頃,僕は長い公演ツアーから帰って,地下鉄の駅から出て家に向かうたびに,この数ヶ月の間に跡形もなく家が無くなっているんじゃないかと,何度も想像したものだった.
おととい土地建物の引き渡しで,今日改めて様子を見に行くと,既にパワーシャベルが入っていた.
百日紅と柘榴の木は,まだ立っていた.

In and Out

1 Year 5 Month

早朝6時50分のフライトでストックホルムからパリへ飛び,空港で4時間半待って日本へ.
まだ桜が咲いていて,しかも良い天気.美しいなぁ.
でも夜には花粉症で鼻がずるずるいいはじめる.グァバ茶を飲んだら,だいぶんましになった.
ちょっと愚痴.
CDG空港の,ゲートが並んでいる箱船のような巨大な空間で,待つことに厭きたのか日本のおばちゃん達が,宴会芸のようなことをやりながら,ぎゃはぎゃは騒いでいた.楽しそうなのは悪い事じゃないし,別にじーっと大人しく座っていなきゃいけないわけでもない.たまのバケーションだしね.
でもねオバチャン,あなた達だって日本では,周りを一切気にかけずに一心不乱に地下鉄の中で化粧する娘さんや,通行人を気にせずコンビニの前に座り込む少年達に眉ひそめてない?
何で,言葉が違ったり自分があまり来ないような場所だと,周りの人を人とも思わなくなるかなぁ?
帰ってテレビをつけたら,北京の対日デモのことばかり目についた.
確かに,あまりいい気はしない.でも,彼等がなぜ怒っているかについては,通り一遍の説明だけで,よく分からない.どうも日本のメディアは,「理不尽なデモ」という印象を,僕たちに与えたがっている感じを受ける.
他にも韓国との「島」の問題や,その他色々なことが一気に出てきてるけど,なんだかなぁ.
「周りは敵だらけ」って印象を強くして,「自衛隊をきちんと軍隊にしよう」という方向に世論を持っていきたい人達が,アメリカのネオコンみたいに,日本政府の何処かに存在してるんじゃない?

Dansens Hus

公演3日目最終日の朝.
公演が3日以上あると,ずいぶん気楽である.
初日は,照明の調整等のために,朝から劇場入りしなくてはいけないし,最終日はバラシの準備をし,終わってからバラしてパッキングして積み込んで...間に公演のみの日があれば,街も見れるしずいぶんゆっくりした気分になれる.
会場のDansens Husは,とても居心地が良い.
前にも書いたように,プロセニアムは少し低いし,楽屋からはステージを通らないとホワイエに行けないし,客席の足下灯や非常灯が明るすぎるなど,数えだしたら幾らでも欠点は挙げられるのに,でもこれまでに訪れた幾つもの劇場の中でも,格段に気持ちよく公演が出来る.前に来た時も,同じ感じを受けた.
うまく書けないけれど,劇場のポリシーというか心構えみたいなものが,公演するアーティストにも,観に来るお客さんにも気持ち良く過ごしてもらえるように,細かなところまで心配りされている感じなのだ.それも,決して押しつけがましくなく,あくまでも個人の裁量でいろいろできる隙間を残しつつ.
働いているスタッフ数は決して多くないし,前回に来た時とは顔ぶれも変わっていたけれど,劇場の空気は変わっていない.
こう書くと,何だか凄く特別な場所のようになってしまうが,実際は他の劇場と何か大きな違いがあるわけではない.時たま出会うレストランやホテルでも,こういう場所がある.特にリッチでもゴージャスでもなく,でもリラックスできて何度でも通いたくなるようなところ.たぶん,こういう空気は厭きずに少しずつ細かなことを積み上げて,出来てくるものなのだと思う.
写真は,グリーンルームを兼ねた楽屋の溜まり場(この周りに,個人用のキャビンがある)と,たぶんロビー,街中,そして打ち上げ(これは後から写真を追加).

Stockholm

DANSENS HUS

一昨日,パリからストックホルムに移動.
CDG空港2Dエリアの出発情報表示システムがおかしくて,危うく乗り遅れるところ.
もともとあの空港は,僕の感覚では分かりにくい気がする.考えなくてもやり方(行き方)が分かる,というのが良い駅であったり空港であったりだと思うのだけれど,あそこは考えないと飛行機までたどり着けない.
しかも今回は,2時間前からずーっとモニターを睨んでいたのだが,ついに一度もチェックインカウンター番号が表示されなかった.全部がそうなら,まずスタッフに聞いてみるが,他の一部のフライトや,自分の乗る便の出発ゲートは出ている.ただ,ストックホルム行きを含めた5便ほどの,チェックインカウンター番号だけが,いつまでたっても出ない.遅いなぁと思いながらだらだら待っていて,5分前に飛ぶフライトのボーディングが始まったとの表示が出てから,慌ててスタッフに聞くと,こともなげにカウンター番号を教えてくれた.「何処のモニターにも表示が出てない!」と怒ると,肩をすくめて何でかなぁという顔をされた.
驚異的なスピードで手荷物チェックを通り(これはこれで大丈夫か?),飛行機に駆け込む.
ストックホルム・アーランダ空港で,日本から来る他のメンバーと合流.しかし今度は,僕より少し後に着くはずのみんなが,なかなか到着ロビーに出てこない.なんとこっちもアクシデントで,こちらはKLMでアムス経由だったが,12名中8人分の荷物が一緒に着かなかったとのこと.これはかなりの確率.でも,数時間後にはホテルに届いて,まあ大きな問題はなかった.
昨日から,DANSENS HUSで仕込み開始.
前に一度[OR]という作品で来ている.
スタッフや設備・雰囲気共に良い劇場なのだが,惜しいかなプロセが低い.もともとの建物の問題だろうが,防火壁の飛び切りでステージの額縁の高さが決まってしまい,これが6m を少し切る.
あと1m 全てが高ければ,とても使いでがあるのになぁ.
セットアップは,問題なく進行中.

Refined Colors in Creteil


Creteil公演終了.
無事終了と書きたいところだが,今回は「何とか終了」という感じ.
お客さんはずいぶん満足してくれた感じだったし,内容的にもあまり遜色はなかったと思う.
でも,僕たちとしては,ずいぶんヒヤヒヤした公演だった.
本番の前日に,ダンサーのひとりが突然,腰の故障にみまわれて,その夜に予定していたラン・スルーが出来なかった.
僕が前に経験した「ぎっくり腰」とは少し違うみたいだが,とにかく身体が必要以上に緩んだところで急に動いた拍子に,何処かの筋が伸びきってしまったらしい.
背骨などには異常はなく,「ただ痛いだけ」で,無理に動いても何か後遺症があるわけではない,という医者の診断は嬉しかったが,でもそれで痛みが消えるわけではない.「ただ痛いだけ」と言われても,痛いものは痛い.そして僕の経験では,それはほとんど恐怖に近い...
本番当日の午前中いっぱい医者に診てもらって,何とか動けると劇場に本人が戻ってきた時は本当に嬉しかった.でも実際の話,本番中もとっても痛かったんだと思う.
2日目の本番が終わった時には,みんなほっとした様子だった.もちろん一番嬉しかったのは,負傷した本人だろう.
ただ,そんな事情は観客の知るよしでないし,内容的にも何かを省略したり変更したりしたわけではない.
公演のあとの拍手も,パリの友人の話では「3度あれば上々」というコールが4度(初日)・5度(2日目)とあったし,幾人かに聞いた評判も良かった.何より,まだ確定ではないけれど,次の公演の話が幾つか来たことが嬉しい.
公演が続くと,内容に手を加えていけるし,この作品に集中できる時間も増える.
今回の機会を作ってくれた,MAISON DES ARTS DE CRETEILのEXITフェスティバルに感謝.

今日はオフ.
明日は,ダムのVoyage公演のためにStockholmへ移動.
日曜で何処も開いていないかと思っていたら,近くで路上マーケットが開催されていて美味しい食事をゲット.南君・大度君と,公園で白ワインを飲みつつ盛大にブランチ.その後,観光地(Barcy)のショッピングモールへ行っていろんな食材やおみやげを買い込み,夜は夜でパリ在住の知り合いの案内で鴨を食す.満足...

写真は,Creteilの舞台とオペレーション・ブース.手前から,照明コントロールPCノート,南君のMACpb,劇場の音響ミキサー,その奥が大度君と彼のpb.実質,ノートブック・コンピューター3枚で,全ての操作をしている.

Paris/Creteil

一昨日,3月29日(火)の朝に自宅を出て,関空12:00発のフライトでパリに.同日の現地時間で17:15にCDG空港に到着.12時間程度の直行便で,半日ほど本を読んだりテレビを見たりして,ゴロゴロと過ごした感じ.ラクチンでした.
あいにくの雨模様だったけれど,ずいぶんと暖かい.
僕はというと,パリの後にダムの公演でストックホルムへ行くので,セーターの上から冬用のコートを着て着ぶくれ状態.出る前に調べたところ,ストックホルムの最低気温はマイナス一度.
空港で,別便で来ていたRefined Colorsメンバーと合流.モノクロームの面々には京都で会ったけれど,何処にいても忙しい南君や東京の大度君はずいぶん久しぶりに会う.彼等はソウル経由の朝早い便だったので,ずいぶん疲れた様子.お疲れ様です.
(でもその代わり,僕がストックホルムから日本へ帰る便の出発時間は,早朝6時過ぎ.つまり空港には4時過ぎに着いてなくてはいけない...劇場でのバラシが夜中1時くらいで終わるとして,それからホテルでパッキングして,シャワーを浴びて,あとちょっと時間をもてあますかな...)
昨日,30日は朝から劇場入り.10時に入ると,もう既に壁と床は出来上がっている.
会場はパリ郊外で,地下鉄の8番南の終点クリテイユにある,la Maison des arts de Creteil.
ダムとは縁があって,もう10年以上のつきあい.ここの小劇場(Petite salle )で,pH・S/N・OR・memorandum・Voyageを公演している.なので今回も,準備は万全.何せRefined Colorsは,軽量化を試みている作品なので,セットもシンプルなもの.それでももちろん仕上がりには差が出てくるものだが,今回はオーダー通りの仕上がり.
あとは頑張るのみ.

Back and Go

St Medardの公演は,ちょっと変わっていたものの,無事終了.
600席程度の劇場だったんだけど,そのうち200人程度が小中学生.まあ,おおよそ8割が小学生高学年程度.
劇場が,国立だったのも関係していると思うが,ボルドーから大量に団体鑑賞で参加.
最初はどうなることかと思ったけれど,これが案外ちゃんと楽しんでくれて,こちらもオペレートしていて面白かった.
なんせ,目の前にも彼等が座っていて,大きな音が鳴ると飛び上がったりクスクス笑ったり,反応がダイレクトにわかる.
もっとも,普通の?観客はずいぶん戸惑っだろう. でもまあちょっと「シッー(静かに)」という声が聞こえたものの,それ以外は周りさえ見回さなければ,別に問題なかったと思う.
終了後は,バラしてパッキング,トラック積み込み.
その後,小さな町で深夜に開いている店はないからと,今回からツアーに参加してくれたフランス人スタッフが,わざわざ用意してくれた,ケイタリングのクスクスとワインで遅い食事と乾杯.バラシの後にまともに食事できることは珍しいので,かなり満足.
翌朝,まだワインの酔いが残っているままに,ボルドー空港へ.
僕はみんなと違うフライトなので,チェックインカウンターで別れてロンドンへ. もともと日本からの繋ぎは良くないフライトなので,ロンドン_ガトウィック空港からヒースロウ,それから香港で関空へと,各トランジットで4〜5時間待ち.行きよりはましかと,G4を開けては細々した用事を済ませつつ,24時間後くらいに日本着.
いまもまだ帰国中だけれど,とにかくほぼ全日子供の世話.
面白い.
自分の子だから,特別そう感じているのかも知れないが...
来週火曜からは,パリへ.
今度は去年作ったRefined Colorsの公演. EU初舞台.

to the sea

今日は変則的な中休み.
長年ツアーに出ているが,仕込みの1日目と2日目の間に休みがあるのは初めてである.
既にもう予定が決まっていたところに,僕らがボルドーに来ることが決まって何とか公演をねじ込んでくれたようで,どうしても今日だけは劇場が使えないという.
でも,舞台は何も仕込まないので,1日目の仕込み終了時のままで置いておいてくれればいいからというので,いったい何をするんだろうと思っていたら,映画の上演だった.
おいおい,どうしても今日しかダメな上演かい?と思ったが,まあ今日は日曜日,それなりの理由はあるんだろうし,休みがあるのはありがたい.
ただ,小さな町でしかも日曜なので,ここにいてもあまりすることがない.
なので,今回から参加のフランス人スタッフのお薦めで,海へ行くことにした.

ボルドーは,案外海が近い.それに海辺の観光地なら,日曜でもレストランが開いている.
バスで40分程度,まっすぐな水平線が広がるロングビーチは,良い気分転換になった.
海辺のレストランも,満席で対応はお世辞にも速いとはいえなかったが,料理もワインも美味しかった.
昼13時半に席について,牡蛎やその他の貝,エビ・蟹の盛り合わせの前菜をみんなでシェアーして平らげて,それから各自のメインを白ワインと共にあれこれ味見して,デザート・コーヒーと,サーヴの遅さも手伝って,食べ終わった頃にはもう17時近くだった.
いやいや,ゆったりとした食事でした.
たまには,こういうのも良いかな.

その後溜まっていたメールの返事を書いて,いまからお風呂に入ります.

Angouleme>>>St Medard

St Medard Theater

昨晩,公演終了後バラシ.
今日は,Angoulemeから2番目の公演地,St Medardへ移動.ボルドーの近郊の町でAngoulemeからは,バスで2時間程度.先日TGVで来た道をバスで戻ったことになる.

Angoulemeは,なかなか美しい観光地で,ちょっと僕が疲れていて,いろいろ見て回れなかったのが残念.フランスの他の町と同じく,古い建築が並ぶが,ちゃんと表面が洗われて,手入れされているところが多かった.
劇場も外観は残して,中はお洒落にリニューアルされていて,良い小屋だった.市場やレストランでも,古くて良いものはきちんと残しつつ,それでも観光客に対しては英語でも対応してくれる.食べ物もワインも美味しい.美味しいお酒があるところは,たいてい良い土地のような印象がある.

今日着いたSt Medardは,どちらかというと主役ではなくて,ボルドーのベットタウンのような感じ.町も小さいし,公演も一回だけ.まあでも,テクニカル・ディレクターは昨日の公演を観に来てくれていて,打ち合わせも済んでいるので,気は楽.おまけに劇場の都合で,仕込み一日目と二日目の間に一日中休みがある.つまり,明日働いたら明後日は休み.気分的にずいぶんゆったりしている.
夕方から少しワインを飲んで,小さなパフォーマンスを観て,寒い中少し離れたレストランまで歩いて行って夕食.なかなか美味しくて,わざわざ行く価値はあった.
白インゲンと野菜のたっぷり入った「お百姓さんのスープ」とステーキのロックフォード・ソース,それにメドックの赤ワインで満腹.

Long trip

フランスは,BordeauxのAngoulemeという町から.
早くもVoyage公演2日目.今日の公演が終わったらバラして,同じくボルドーのSt Medardという町へ移動.

香港を出てから,気の遠くなるような移動だった.のんびりだらだらと旅をするのは楽しいが,今回は航空運賃のシステムが理由の移動である.だから旅というよりは「移動」だし,楽しいとは言い難いが,でも稀な体験ではある.愚痴になるといやなのだが,メモがわりに行程を書き留めておこうと思う.

3月5日夜8時前にLPHの最終公演開始.9時半頃に無事終演.お客さんがいなくなったら,さっそくバラシ開始.とにかく自分でパッキングした方が安心な機材を片っ端からまとめて,LED照明用トランクに放り込む.
夜10時半,まだ続くバラシを横目で見ながらみんなに挨拶,タクシーで空港へ向かう.
0時を越えて,3月6日0時40分,香港から韓国ソウルの仁川空港へ向けて出発.
3時間15分のフライトで,韓国時間朝5時頃に仁川国際空港着.ここで4時間55分のトランジット.
眠れそうな場所を探して落ち着く.仁川空港の椅子は肘掛けがなくて,5個くらい席が空いていると簡単に横になれるので嬉しい.
2時間ほどウトウトしたら,エアコンから冷気が吹き出し始めて寒くて起きる.外気温はマイナス2〜3度とのこと.レストランとかも開き始めたので,軽くユッケジャンなど食べてネットカフェでメールチェック.(韓国は日本と同じく,携帯電話に独自の周波数帯を使っていて,3G携帯は繋がらない.)
3月6日朝9時50分ソウル発1時間40分のフライトで,11時半関空到着.飛行機の隣の席に,アメフトの雑誌を読みふける巨大なおデブが座って,僕を圧迫する.
無事入国して宅急便を自宅に送り,ちょっと入金しようと関空内の銀行に行ったら,日曜で何も出来ない.不便さを感じつつ空港内のホテルへ.
ちなみに,関空から宅急便を送ると通常の2倍はする.ぼったくりである.地下にあるコンビニからゆうパックを使って送ると,普通の料金で送れる.
12時半にホテルにチェックイン.夕方4時半(4時間後)に起こしてと念を入れて部屋へ.バスタブにお湯をたっぷり張って入浴し,ベッドへ.
夕方5時にチェックアウトして(もったいないが,凄くリフレッシュして助かった),出発ロビーでチケットを受け取り,キャセイにチェックインして出国.
6時20分出発,再度香港へ向かう.
4時間25分のフライトで,現地時間夜21時45分香港到着.実に21時間ぶりの香港である.
何だかくらくらしてきて,ロンドン行きのゲートへ向かい2時間程度のトランジットをボーっと椅子に座って過ごす.23時55分,ロンドンヒースロー空港に向かって出発.
13時間10分のフライト.各席に液晶の付いている機体だったので,何か一本くらいは映画を観ようと決めて,日本語吹き替えだった「Ray」を見る.もし英語版で流して聞いていたら,あまり意味は掴めなかったと思うが,吹き替えで良かった.面白い映画だった.あとはずーっとウトウト.関空でバタバタして,日本語の本を仕入れなかったことを後悔する.
3月7日現地時間朝5時5分.ロンドンヒースロー空港到着.ボルドー空港へのフライトは,同じロンドンでもガトウィック空港からのフライトになるので,いったん手荷物をピックアップしてイギリス入国.イギリスのパスポートコントロールはいつも嫌な感じだが,今回はすんなり通る.
ガトウィック空港へはバス移動なので,バス停へ向かう.何とかガトウィック行きを見つけて乗ろうとするが,ポンドしか使えないと運転手がいう.空港である,しかもトランジットで手荷物ゴロゴロ.切符売り場ではユーロやカードが使えるらしいが,朝5時過ぎでまだ開いていない.バスの本数も少なくて,次のバスは30分後.それを逃すとボルドー行きフライトに間に合いそうもない.
仕方なくまた空港のメインビルまで戻って,ATMを探して20ポンド引き出す.しかしイギリスは,いつまでアメリカに尻尾振ってEU入りしないつもりなんだろう...
何とか次のバスで,ガトウィックへ.フライト1時間前にチェックイン,問題なし.
3月7日朝8時45分,ボルドー空港へ向けて飛び立つ.1時間30分のフライトで現地時間11時15分ボルドー着.飛んでる間は気絶してた.
11時半頃にフランスに入国し,僕らが来週公演する劇場のスタッフと落ち合う.いまから向かう公演先はまだここから少し離れているので,彼女に列車の駅まで送ってもらって,切符を買う手助けをしてもらう.
12時過ぎに車で駅に到着.惜しくも,目的地Angouleme行きの列車は出たばかり.次は2時間後の14時発.とにかく切符を買って,スタッフは帰り,僕は仕方がないので駅のカフェで軽く昼食...か何だか分からなくなってはいるが,とにかく食べる.フランスで飲むコーヒーは美味しい.
14時,列車は定刻に来て出発.外は寒い.
15時,Angouleme到着.そのままタクシーで劇場へ.
数分後に無事劇場到着.中ではセットアップが進んでいる.久々にダムのメンバーに会って,状況を確認.進み具合は悪くはない.今回新しく付いてくれた,英語が堪能なフランス人スタッフが,ずいぶん頼りになる感じ.
とにかくスケジュールは決まっているので,そのまま仕事開始.16時には各バトンの高さを決めて,それから照明のフォーカスにかかる.その後ここのスタッフの夕食時間を聞くと,夕方18時から20時まで2時間とって,それから24時まで働くという.へなへなと膝の力が抜けそうになって困った顔をしていると,先方が気を利かせて「休憩はとらずにこのまま20時半まで働いて,それで今晩は終わりというのはどうだ」と提案してくれる.助かったぁ!
何とか出来るだけやって,21時前には劇場を出る.それから軽くレストランで食べて,シャワーを浴びて就寝.
ああ,凄かった.
(写真は,劇場の舞台からVoyageの鏡床を舐めつつ客席を見る,と,ロビーの公演宣伝)

Stack

公演2日目.何とか無事終了.
昨日よりは良い感じだった.
ただ,protoolsは昨日よりさらにスタックしまくり,結局公演中に4度の再起動.LiddellにWAVを入れて,全ての音がバックアップとして出力されるようにしておいたので何とかなったが,非常にストレスの溜まる公演だった.
まあ,お客さんの反応は上々で,昨日に比べてダンサーもずいぶん元気だった.
Pro Tools LE 6.4の操作にも慣れてきて,凍った時はまずアプリを強制終了して,G4を再起動しつつ,ミキサーのdegi 002の電源も入れ直せば,その後の一回目はだいたい動くことが分かった.なので,とにかくそう焦って切り替える操作も少ないので,ファイルを立ち上げるたびに動作チェックして,ダメなら再起動する,それで何とか最後まで行けそうな気がする.明日の最終公演で試してみよう.
明日は,公演最終日で,しかも僕と坂本君は公演が終わって数時間後の,夜中0時半のフライトで日本へ向かう.
実は僕はフランスへ行かなくては行けないのだが,2ヶ月以上香港に滞在していた僕は,一度日本に帰った方が航空運賃が格段に安いのだ.詳しい理由は知らないが...
なので,香港ーソウルー関空と飛び,関空に8時間ほどいてキャセイに乗り,今度は関空ー香港ーロンドンーボルドーと飛ぶ.何なんだかなぁ.数万円なら知ったこっちゃないが,これで十数万からもうちょっと違うとなると,考えてしまう.
どうなってるんでしょう? 航空運賃って!
とにかく,香港での書き込みはこれで最後.
フランスでこんなコトしている余裕があるかは疑問だが,出来れば続けます.
ではではまた.

Puremia

初日終了.
どうにか最後まで行ったので目出度くもあり,途中困ったこともあったので目出度くもなし.
でも通って良かった!!!
何だかちょっと予想通りというか,起こったら困るなぁということが本番で起こったので,少々責任を感じている.
実はこのプロダクションの最大の弱点は音響で,Anthonyがいろいろ音を作ってくれているのだが,彼は本番のオペレートが出来ない.なぜかというと,別の仕事が既に入っていたから...
おまけに,protoolsとDegidesignのミキサーを使ってサラウンドシステムを組んでいるのだが,そのおおもとのマシンは,僕がいまこの文章を書いている僕所有のPBG4だ.
なんでも,今回音響用に借りることが出来たのがibook G3だけだったので,それよりは僕のPBG4の方がマシだろうということで,僕のマシンを使うことになった.
しかし,いろいろ仕事に使うアプリケーションやなんやかやが,このマシンには詰まっていて,とてもじゃないが安心して音響の出力には使えない.しかも,何カ所か音響と照明の同期をとっているところがあるので,音が止まると照明もそれに続く.
いやぁ,冷や冷やしました.さいわい同期しているシーンではなく,単に音が出なかっただけで,しかもJae Hyoがライヴ・ポジションにいたので,即興で演奏して何とかその場を切り抜けたが,あれが音と照明の同期しているシーンだったら,酷いことになっていた.
音が流れなければ,照明も動かない.もしその場が暗転だと,ずっと暗いままで何の音もしないということになる.もちろん,いちおういざというときのために何か照明は点けられるように別の照明卓を近くに置いているのだが,地明かりを点けるぐらいしか対処できない.コンピューターは諸刃の剣だということを,あらためて実感.
特に今回は,Anthonyの替わりに,頑張ってはくれているがあまりこういう事に詳しくないスタッフが音響のオペレートをしてくれてるので,なかなか非常時に対処しづらい.決まった操作なら,何の問題もないのだが...
それで実際今晩は,本番中にprotools(PBG4)がフリーズして音が出なくなり,何とかライヴ演奏でその場を乗り切り,その後再起動して何とか同期もうまく行ったのだが,ずっと健康に良くないくらい冷や冷やしてました.
明日はいちおう僕の照明用Liddellからも,常時2MIXの音を出力しておいて,非常時のバックアップにしようと思う.
その準備で,明日も早いこと劇場入りです.

Young Friends

リハーサル最終日.
色々あったが,それは当事者だけのお楽しみ.(諍いもあれば,アクシデントもある)
とりあえず,なんとか事は進み,プロデューサーやその他諸々の人達からの,感想希望注文等耳にしながらも,とにかく,これまでの2ヶ月間作ってきた6人の意見を,集約させる方向で制作を進める.
まだまだ調整が必要なところはあるが,とにかく明日は初日.
今晩は,Open Dress Rehearsal (Young Friends)とスケジュールには書かれていて,まあ,想像はしていたのだが,中学生が50〜60人,リハーサルを只見しに来た.香港芸術祭的情操教育である.
何とも行儀良く,静かに観ていて,でも笑うべきところでは笑っていたので,ショーイングした方としては,悪い気はしなかったが,ぜひとも感想を聞いてみたかった.一般公演のようにアンケートがあるわけでもなく,終わると先生に引率されてさっさと帰ってしまったので,何の話も出来なかったのが残念.
普段,あまり中学生の観客はいないので,どんなふうに作品を観たのか,とても興味深いところなんだけどなぁ.

2 days rest

何だか日にちが変わって,もう3月1日になってしまった.
あと2日のリハを残すのみ.
2日続けて9時から23時までの劇場入り.明日も9時入り.
現場で新作を作っている感じがもりもりして,楽しくもあるがハードでもある.

Setup

仕込み初日終了.
いちおう舞台の立込から,音響,照明のフォーカスまですべて終了.ちょっとのんびりしたペースだったけれど,9時から23時までという長い作業時間に助けられて何とかなった.
今日初めて,舞台セットの壁やLED用のプラットフォームなどを見たが,どうも作りが粗い.セットの継ぎ目が見えたり,壁の奥行きが図面と違ったり...
聞けば全部中国で作っているという.いや,中国のプロダクツが悪いというわけじゃないんですが...
とにかく,メイン・ランドは香港よりずいぶん安いらしい.
そう,香港の人は,中国をメイン・ランドと呼んでいる.広東語で話している時には,どうだか知らないが,英語ではそう呼んでいる.
字面だけ見ればえらそうだが,どうも「メイン・ランド」には,色々な感情がこもっているようだ.

MultiFunctionHall B

今日は夕方16時から最後の通しをして,LED照明をバラしてパッキング.
このMultiFunctionHall Bとも,いよいよお別れである.(この正式名称は,一昨日の通しリハのフライヤーを見て知った...)
主に寒かったことしか記憶にないが,それでも一月半以上はここで過ごしたことになる.CCDCにも通ったが,メインはここだったしね.お世話になりました.
もうたぶん,一生来ることはないだろうと思うと,なかなか名残惜しいものである.
明日からは,香港文化中心(HKCC)へ.
仕込み日も入れて,本番初日までにまるまる4日間,会場を押さえてくれている.十分とは言えないが,それでもこのフェスティバルの忙しいさなか,なかなか頑張ってくれた配慮だと思う.
本番と同じ場所と設備が長く使えるのは,何よりもありがたい.
その点,Rifined Colorsを作った時のYCAMや,アップデートのために10日間以上会場を使わせてくれたシンガポールのEsplanadeは,ものすごく作る側に立った配慮をしてくれている劇場だし、恵まれてたなあと思う.
ちょっと心配なのは,明日からの早起き.といっても8時起きとかだが...
ここんとこずーっと3時頃に寝て,11時くらいまではベットでゴロゴロしてたからなぁ.
いやぁ,起きようという気持ちはあるんですが...

A rest

今日は,体調の余りよくない人もいて,ちょっとひと休み.
明日は大学の稽古場で最終の通しで,明後日には劇場に移動.順番も決まって,細かいところをつめたいところだが,こういうちょっとした谷間では,往々にして何かアクシデントがある.
まあ,焦る気持ちもあるが,とにかく全員が揃わないと出来ないことも多いので,そこは気持ちをスパッと切り替える.
溜まっていた洗濯をして,ゆっくりお昼を食べて,ひとりずつに最終確認しながら照明の吊り込み図を描く.他のメンバーも,元気な人はそれぞれ個人練習.
夜は,Anthonyのスタジオで,最終のミックスダウンと,あとProtools-Liddell間の同期の確認.何事もなく,サクサクとMTCで同期してひと安心.

話は飛ぶが,cooleditが使えるようになったのは,今回の大きな収穫かな.とにかくwavデータさえもらえれば,自分でキューが探せるし,必要なら編集も出来る.1台のwin機上で音も照明もいじれるのは,とにかく面白い.

LEDの反応の早さも,かなり普通の劇場照明とは違う感じが作れる.Refined Colorsで試して確認したが,カラーキネティクス社のLED照明は,0.02秒の指示にちゃんとオンタイムで反応するから,NTSCビデオのフレームレートよりちょっとだけ早い.前にもっと適当に作ったキューでも,それだけ見ているとちゃんと音と照明が同期しているように見えるのだけれど,1台のPC上できっちりフレーム単位であわせたキューは,もっと気持ちいい気がする.
もっとも,僕がそう思ってみているからかも知れないが...
そう,いろいろ詰めていきたいところはあるが,とりあえず今日はちょっと休憩.

94%

Traial

気温が上がったら湿度も上がった...
本日,平均気温19度湿度94%.
こら香港,喧嘩売ってんのか?
朝起きたら,窓なんか真っ白である.部屋の暖房をつけっぱなしで寝たら,翌朝窓の内側が曇っていることがあるが,ここでは暖房もなく,外側が湿気で真っ白に曇っている.
今日は,またまたランスルー.学生達に公開することになっていて,夜20時からの通しなのに,結構30人くらい集まった.まあ,観客がいるのは,緊張感があって,良いモノである.
いちおう順番も決まって,繋ぎのおかしなところなど,調整している.まだまだ時間はかかるが,方向は見えたか.
まだ,エンディング,ちゃんと決まっていないけれど...
土曜日にもう一度,ここで通して,日曜には劇場入り.
まだまだ時間は欲しいけれど,早く劇場に入って照明等すべて揃った環境で制作したくもある.
ランスルーが終わったらもう22時過ぎで,今日は出来合いのサラダとカップヌードルの夕食.
まあ,こういう日もある.

English

ずいぶん前,最初に香港に来るまで,僕は香港の人はみんな英語が話せると思っていた.いやぁ,すまんこってす,文化というか,そこに住む人達の根っこみたいなものには,あんまり考えが及んでいませんでした.ここでは,英語が話せる人も多いが,基本は当然広東語.まったく英語が話せなくても,十分暮らしていける.
でも,Danielなんかはかなり英語が話せる.Arifもいまはドイツを活動のベースにしていて,英語とドイツ語もかなり話せる.
香港,マレーシア,インドネシア,韓国,日本のメンバーで制作していて,どのようにコミュニケートをとるかというと,英語しかない.学生と話す時も英語.広東語が話せない僕たちは,何処でも英語.おかげで坂本君と話す時も,つい英語を使ってしまう.変な感じだ.
おかげで,あまり劇場では使わない英単語も覚えた.僕の英語は,基本的に劇場で作業をする時に使うモノか,メールで打ち合わせをする時に使うモノに限られている.中・高・大学と,英語苦手だったしなぁ.
ここ数日で覚えた単語,
interpreter
compromise
funeral
どうでしょう?
ハムレットがらみの作品を作っていて,わりと時期的に切羽詰まってきている感じがするかな?
しかし,アジアでの制作で,アジア系のメンバーしかいなくて,英語というのもおかしな感じではある.
どうだろう,何十年後かに同じような状況になったら,話しているのは北京語(mandarin)かな.