Fireworks on the Lake Biwa

久々に料理をする.
琵琶湖の,花火大会に行く.
花火にあわせて(たぶん),滋賀会館でコンタクト・インプロのWSが開催されていて,そのオープニングパーティがあった.地上の混雑から隔絶された特等席で,美味しい料理とビールを飲みながら花火をみる.
パーティへの参加に際して,一品持ち寄ると参加費の割引ありとの事で,とりあえず参加人数分4品を作って持ち込む.(そのうち一人は娘,4歳半だが,いちおうまあ頭数に入れて作る.でも,彼女の参加費は要らなかったけどね.)
パブリカ(赤・黄)のオリーブオイルのマリネ,焼きナスのマリネ,豚肉とゴーヤの梅味噌炒め,グレープフルーツとするめのベトナム風ニョクマム風味サラダ.
まあ,名前は長いが,簡単に作れるモノばかし.
久々に作ってみると,かなり料理は楽しかった.でも,結構なブランクがあるので(ここ数年,ほぼ妻に作ってもらってばかり...),ずいぶん味にシャープさが無くなってしまった感じ.無難にまとめ過ぎたか???
しかし,他のお料理は素晴らしく,しかも,琵琶湖の花火は大迫力.思わず歓声が上がる怒濤の連発.
興奮して,写真撮るの忘れてました.

Baba San

Snow
シンガポールにいる間に,友人が急逝してしまった.
大学の後輩で,バイト仲間だった.
たぶん僕は,最初に彼に会った時を覚えていて,それは大阪近郊で遊園地や公園の遊具なんかを作っている会社のバイトで,バレーボール部の別の後輩に連れられて,彼は颯爽とやって来たのだった.
バイトに来るのに,颯爽ともないもんだが,コート何か長衣を着ていてその裾を翻し,一癖ありそうな眼光の鋭さが彼の長身と相まって,3年ほども後輩ながらちょっと気圧されそうに感じて,その第一印象が忘れ難いのだと思う.
その後,その一癖ありそうな面持ちには決して微塵の悪意も無く,少々性格は屈折していつつも,おおらかな彼の人柄も分かってきた.
そしてなぜだか彼は,僕の渡り歩いた数々のバイトに,いつも付き合ってくれていろいろ助けてくれたのでした.
夏になると,今はもう無くなってしまった比叡山山頂のお化け屋敷で,夏休み中「オバケ」をやり,春と秋は宮川町の歌舞連場で,舞台袖や綱場に付いて「黒子」になった.その間に,古典的な舞台の裏方の仕事をちょっと噛って,フリーの大道具さんみたいな事もずいぶんやった.
その頃は,まだバイトの手配で小銭を稼ぐような時世じゃなくて,舞台大道具の会社との付き合いから,義理を感じて僕は学生バイトの人足頭みたいな事をしていて,それが,大学を卒業してあまり僕が現役学生と付き合いがなくなってからは,その仕事もばばさんが引き継いでくれた.
その後,たまたま借りたアトリエ(もと剣道場)の大家さんが,木屋町の端っこのバーのオーナーで,ひょんな事からその店を任される事になった.ダムのメンバー数人を含めた芸大生ばかりで,バーのイロハも知らずにやり始めたその店は,サントリーのホワイトと角瓶が並び,店の真ん中にでんとジュークボックスがある,とても京都らしい古いバーで,中を知らない一見さんの客は,とても怖くて入り口の戸を開けられないような所で,ものすごく古い話だけど「赤頭巾ちゃん気をつけて」シリーズの「葦舟」みたいな場所だった.
店番をしながら酔っぱらい,関係者といってはただ酒を呑み,コンパが有ると夜を明かし,帰るのが邪魔臭くなると転がり込み,毎日のようにその木屋町御池近くの店に屯っていた.たぶんまだそのバーはあって,今も学生上がりと関係者が共同経営していると思う.
ダムが頻繁にツアーに出るようになり,とてもバーの店番まで手が回らなくなった時に,跡を引き継いでくれたのも,ばばさんだった.
おそらく日本で初めてだっただろう,定期的なドラァッヴ・パーティにも,彼は最初から参加して踊りまくり,長身の女装でガハハと笑い,およそ面白そうな気配のある所には,何処にでもまめに顔を出していた.
まだハローウィンにそれほど馴染みがない時に,グリーナウェイの映画に出てくるシャム双生児の衣装をしつらえて,木屋町通をばばさんと僕と二人三脚で闊歩した.
彼は,僕なんか及びもつかないような,秀逸なデザインセンスを持っていて,大学を出た後はさぞ派手に活躍するかと思いきや,ずいぶん地味な職場を選び,僕は内心そのことにちょっと戸惑ったりしていたのだが,彼はそんなことは何処吹く風の涼しい顔で,毎日を楽しんでいるみたいだった.
まるで村上春樹の料理やマラソンの記述みたいに,毎日きっちりと仕事のノルマをこなし,日に平均一本以上の映画を観て,興味の赴くままに様々な本を読み,お気に入りのバーやカフェで談笑し,クラブで音楽に浸り,自転車を愛した.
mixiに日記を書くようになってからは,ほぼ毎日更新でその日に見た映画評をものして,僕がたまに映画館に行く際の指針になってくれた.
まるで,享楽的な仙人みたいだった.知識をため込む事や,偉そうにひけらかす事には,何の欲望も感じていなかったんだと思う.ただただ純粋に自分が楽しみ,人を楽しませ...
ギスギスした現実も十分に知りながら,それでもユーモアを手に,それに立ち向かえるヒトでした.
45年間,最後まで前向きに楽しめたでしょうか.
僕は,一度しか見舞いに行けなかったけど,その時「ベニスに死す」を音読していた,ばばさんの声は忘れません.
余談:
しかし,一昨年の6月にシンガポールで公演中には,父親が逝った.今年は,劇場こそ違え,ばばさんが...
まわりに,その人を共通に知る者がいないと,死の報告は難しい.
僕が,それを聞く立場だと,やはり困ってしまうだろう.雨が降るように,ヒトは死ぬ.死は日常でも,知人の死は特別だ.
true@シンガポール公演は,好評(おそらく)のうちに終了.
写真は,テスト映像の映る舞台.こういうシーンは,今のところありません.

Saxophone

7月16日に,京都のアルティホールで公演された,清水靖晃&サキソフォネッツを誘われて観に行く.ちょうど,祇園祭宵山の夜だったけれど,これがまたまあ,とっても気持ち良うございました.
サックスだけのグループ演奏というのは,遥か昔にダムで「サスペンス&ロマンス」という展覧会をやった時に,ハリー・切手君という方に手伝ってもらって,展覧会内ライヴを行った事があるのだけれど,何かそれ以来久々に聞きました.
いやあ,「呼吸」と直接繋がっているからでしょうか,とっても肉体と直接関係しつつ,あの楽器のメカニカルな外観といい,カチャカチャと音階を奏でるキー(何というのか教わったけど,忘れました)を押さえる音といい,機械的な部分が見えつつもとても人間的でした.エロテックなサイボーグという感じ.ロボットは,いくら外観を人間に近づけても,最後はメカニックですが,サックス奏者は外観がメカメカしくても,中身はとても人間っぽい.
面白かったのは,ライヴの中で5音階で作られた楽曲と,バッハ・オリジナルな楽曲が混在していたのだけれど,どう聞いても日本的(エチオピア的でもあるらしい)な5音階よりも,バッハの曲のほうが僕にはナラティヴで美しく感じられた事..,日本の文化が結構好きになってる気がしてたのに,音は別かな?
その後,あつかましくも打ち上げにもお邪魔して,いろいろな方とも楽しく話せて,良い夜でした.

Egg is standing

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卵が立ってるらしいです.
mixi内ブログで公開されてますが,Refined Colors関係者が,このところ毎晩立ててるそうな.
コンタクト・インプロビゼーションを始めたヒトを日本に喚ぶとかで,某Monochrome Circus代表と卵を立てていたアーティストがミーティングする機会があって,その時に立て方の秘伝が伝授された.
端で聞いていても,理論通りやれば,生卵が立ちそうな気がしたのだが,僕は試さなかった.自宅に卵がなかった,というのは言い訳でしょう.
しかぁ〜し,MC代表と「京都の暑い夏」代表は,夜な夜な立ててるらしいです.立て方を聞いた時に,二人が目をキラキラさせて,「うーんそれは,本当に,コンタクトの神髄!」てな事を言ってたんですが,熱中具合からして,本当にそうなのかも...
ちなみに貼っときますが,これはその某二人と僕が去年春に作った作品.踊ってるのは,某「暑い夏」代表.
全長30分弱.音はM鍋氏,LED12台とダンサーと僕だけで公演が成立します.8月末には,別府で公演予定.一番気楽に何処にでも伺えます.

Position of color

Talk_event
もう1週間経ってしまったが,6日(日)に埼玉県川口市のスキップシティでのトークイベント「色の在処」無事終了.沢山の方に来て頂いて,かなり緊張したものの,小崎さん(『REALTOKYO』および『ART iT』発行人兼編集長)のナイス・リードで何とか乗り切る.
ダムのタカオちゃんや指輪の佐藤さんも見に(聞きに?)来てくれたり,新たに知り合えたアーティストの方々とも話せて,大変楽しゅうございました.
ヒト前で話すというのは,公演とはまったく別の緊張感で,インプロっぽいところがあって,気楽なところも多い.そういえば何処かで読んだか聞いたかしたが,ミュージシャンはセッションが終わったらさっさと済んだ事は忘れて,次の公演に思いを馳せるそうな.前の公演のビデオを見て,あーだこーだと考えて,ひとつのパフォーマンスを更新し続けるのとは,かなり違う.
大仰だけど,そんなミュージシャン的な楽しさを,少しは感じられたような気がした.
写真は,ずいぶん前から知り合いのMatronさんが,偶然にもスキップシティの依頼で,スティルの写真家として撮ってくれた1枚(僕が知りあった時には,彼はダンサーでヴィデオ作家だったんですが...今は?)でもとにかく,「Photo: Matron」.

Ability

Plant
友人の見舞いに行った.
思っていたよりも,顔色も良くて,しっかり話も出来る.痩せてるし,身体にチューブがくっついていたけれど,僕がいる間に歩行訓練もして見せてくれて,3月に倒れたダメージから少しずつでも回復しているように見受けられた.
頭の腫瘍の手術を受けたということで,会話も少し努力がいるようだったけれど,でも言葉が出難いとはいうものの,それは思考の内容とは関係ないようだった.
あまり気の利いたことは言えないけれど,その時話したのは,発話と黙読の違いの話で,発話はほとんど本能のような生得的な能力だという.何の本で読んだのかは忘れてしまったけれど,ちょうど入院している部屋に行った時に,リハビリで音読を一人していたので,そういう話になった.
発話というか発声で他とコミュニケーションをとるという行為は,多くの動物で見受けられるが,黙読はまったく人間の技術である.しかも,かなり新しい.人や店の名前,祈りの言葉なんかは,昔から黙読するということが存在したかもしれないが,まとまった文章,しかも情景描写や抽象的な思考の足跡や,会話,様々なデータなどを声を出さずに読み込んでいくというのは,大半のヒトにとってはグーテンベルク以降,いや実際はもっと遅くて,小説の誕生以降に開発/体得された技術である.
そのことからも分かるように,今日僕たちが使っているような意味での,話す事と読み書き,そして付け加えるなら,そうして伝搬していく言葉の内容を理解することは,まったく別の能力で,使う脳の部分も違う.
友人は,話し方こそ詰まりながらだったけれど,こんな内容の会話なら,問題なく楽しめるようだった.それに,見舞いとして今後持参希望の本の話などしていたら,僕がこの前読んできれいさっぱり忘れてしまっていた有名作家の短編の内容を,よっぽどよく覚えていた.素人考えだけど,ただ単に読む技術のいくぶんかが消えてしまっただけなら,それはきっと取り戻せると思う.
そんなことを考えながら,あらためて秋葉原の人殺しの事を思う.
連日,マスコミを賑わしている事件だけれど,あの人殺しの現実(感)には,弱者も病者もいなかったんじゃないかと.容姿が悪い,お洒落じゃない,それで結局異性にモテない,だから負け組だというけれど,健康で飢えることもなく移動の自由もあったわけだ.それに,知識だって人並みにあった.
欠けていたのは,想像力でしょう.
もっというなら,親に無理強いされた義務教育期間だったというけれど,現存の人類の中で,日本レベルの教育を受けられて,それを自由に使える立場にある者がどれだけいることか...
別に,そういう迷惑な人達が海外に出て,今だにある程度は有効な,日本の国力を実感しろとはいわない.上を見るな,下を見ろ,という話でもない.ただね,「現実」は結局,その個人の想像力によって構成される,と思います.
ヤケクソになって人殺ししか選べないのは,他人のせいじゃない.
生き抜くための想像力を育てるのに,容姿も資産も関係ない.
世界の広がりや美しさを実感できるモノ/コトが,日に日に自分の周りから失われてきているという実感が,いまの日本で暮らしていると確かにある.それでも,想像力とユーモアで,それに立ち向かっていくこと.
写真は,まるで関係なく,部屋の窓際に育つ草や静物.

Festival

Tsukiji_1Tsukiji_2Tsukiji_3
まだ,むにょむにょしている企画の打ち合わせで,東京に行きました.
それで,たまたま宿が築地で,たまたま泊まっている期間,お祭りでした.
ホテルにいる時から,祭囃子が聞こえ,お昼を食べに場内に入ると,鯔背なおっちゃんが素敵な格好で.(最初の写真)
で,向こうからはお神輿も近づいてくるし,市場ん中だし.とても幸せな観光客でした.(2番目)
翌日,もう昨日で終わりかと思っていた祭囃子が,早くからホテルの部屋にも漏れ聞こえ,日曜でも朝早いのねと少々恨みもし,時間通りにチェックアウトして道に出たら,お神輿が場外を練り歩いてました.
築地,すてきです.

It got excited

そろそろと,周りがざわざわして,忙しくなる予感.
今年も,前半は時間があって,うかうかとしている間にあっという間に過ぎる.で,9月以降は,ちょっと不安になるくらいの過密スケジュール.うーん,まずは体力トレーニングが必要かも...
しかし,毎年なぜ?
とにかく,7月はいくつか楽しみな予定が.
まずは,7月6日に埼玉で,trueがきっかけで設定してもらった,トークセッションがあります.
http://www.skipcity.jp/event/vm/exhibition/0803251.html
ページの下のほうに,案内があります.
「REALTOKYO」および「ART iT」発行人兼編集長の小崎哲哉さんとお話します.
ここだけの話,trueのセットと同じ24台のLEDを,直径6mの円形トラスに吊って,デモもやります.
もしお時間が合うようでしたら,いらして下さい.
8日は,横浜です.
http://www.dance-media.com/zaim_workshop2008/vol-3.htm
こちらは,去年3月にRefined Colorsのワークショップを,東京で開催した際お世話になった,Dance and Media Japanのワークショップに,ゲストでお邪魔します.先日のBerlinでの一連のWSが結構大変で,それで逆説的にもう少し人に,LEDを体感してもらうことに興味が湧きました.教えるんじゃないんですよね.
そしていよいよ,半年ぶりにtrue公演@Singaporeは,7月24日・25日・26日です.
http://www.thestudios.com.sg/2008b/microsite/
メインのEsplanadeサイトにも載ってます.
http://www.esplanade.com/SOPApp/espsop/portal_proxy?uri=o_nuinR7xVvpiW9f!2pKDV@5rq-E_AlsvZIm_9MEA@a@shK@GfG-7POZO5=WsQP0blaEsJFM
trueはこの後11月にNYで公演し,その後09年の初めはヨーロッパに行く可能性があります.なので,しばらく日本で公演する予定はありません.もし,もしですが,この時期にシンガポールに行く予定のある日本の方,よろしかったらぜひ観に来て下さい.
ちなみに,同時期にISEAという,メディアアートのカンファレンスも行われており,
http://www.isea2008singapore.org/index.html
その関連の展覧会なども,行われています.
Refined ColorsやPath,trueのクリエーションでお世話になっている,YCAMの活動もISEAで発表されるようで,
http://www.isea2008singapore.org/conference/conf_institutions.html
この時期,シンガポールは盛り上がります.
ちなみに,trueも関連イベントの一部です.
http://www.isea2008singapore.org/conference/conf_events.html
いやあ,楽しくなってきました.

End of Berlin WS

ComputersLed_room
Pet_bottle_1Pet_bottle_2
SubwayTaxi
Berlinから帰国.
今回印象に残ったのは,同じく講師として参加したY川氏の,アーテストとして様々なことにコミットする姿勢.その場を仕切るバイタリティーや,ちゃんと話に耳を傾ける姿勢は誠実でした.
アーティストとして,自分をアピールするのが半分仕事みたいなものだと思うが,その押しの強さの反面,まっとうにリベラルでした.
僕も,見習いたいもんです.
WSは,とにかく忙しなさ過ぎ.ヒト(受講者)を変え場所を変え,目一杯詰め込んで,結局誰もが消化不良.狙い目は良いのだけれど,ワークショップではなくて何かの展示会みたいでした.
まあそれでも,WSの経験値の低い僕としては,得るところは有りました.
結局,知識を相手へコピーするのではなく,経験を実感するのがWSだとすると,それなりの手法を開発しなければ,どうもいくらうまく説明できても何か欠けている(嘘臭い)のだと,改めて実感した次第.マニュアルを隅から隅まで隈無く読んでも,それで例えば格好良いギターが弾けるようになるわけじゃないという,当たり前のこと.
ダンスみたいに,身体を動かすことを教えるのが目標じゃないだけに,とても難しい.
写真は,WS会場に並んだノートブック(各役割は説明できても,それを使いこなすまでには,遠くて長い道のりが...)
同時期にあった,デザイン・フェスでのLED_Room.同じく,リサイクル・ペットボトルのオブジェ(遠景)と(近景).お洒落なカラーコーディネートの地下鉄.Berlinでは主流のタクシーメーター.
結局,EUの真ん中っぽい位置で,何処にもアクセスしやすくて,それでいてまだまだのほほんとしている面もあり,家賃が安いのが,Berlinにアーティストが移ってきている理由のようです.

I will go to Berlin

そろそろ働かないと,という事で,来週からベルリンです.
めずらしくというか初めて,公演ではなくてワークショップだけの為に海外へ.Zensorsというオーガナイゼーション主催のモノで,何でしょね,目標はアーティストの情報/メソッドの交換かな?
詳しい告知は,ここに出てます.
http://www.myspace.com/zensors
myspaceというのが,どうも使い方が違うみたいで違和感が有るけど,まあ別に僕が設定したわけではないので...
僕の立ち位置としては,trueの延長線上で,現実感を構成する諸要素と脳の働き,みたいな事が見えるWSができたら良いかなと思うのだけれど,日本側からの他の参加メンバーがどういう準備をしているのか,ほとんど不明.とりあえず,行ってからミーティング.
そういえば,何人かの方に「肺炎だそうですが,大丈夫ですか?」と心配していただいた.
すいません,ありがとうございます.
でも,肺炎といってもいろいろあるみたいで,マイコプラズマ肺炎は,結構多くの人が知らずに発症して,ズルズルと長引きながらもそのうち自然治癒,という事が多いようです.要するに,何だかしつこい風邪だなぁ,ぜんぜん咳止まんないや,と言っているうちにそのうち治るという感じ.実際僕も,抗生剤を朝晩二回五日間飲み続けたら,どうやら完治したみたいです.どうも皆さん,ご心配をおかけしました.

Pasta

Pasta
久々にパスタを作った.
もう,ずいぶん昔に買ったパスタマシーンがあって,生地を伸ばすのも麺に切るのも,ハンドルを回せば出来る.それに,今日はじめて妻にやり方を教えてもらったが,ウチにあるフ−ドカッターで,生地を捏ねるのもうまくできる.こりゃ便利.
といいつつ,ちょっと工夫が必要なのが,娘がアレルギーの為に卵を受け付けない.饂飩や餃子の皮なら卵は使わないが,パスタを打つにはたいてい「強力粉300グラムに鶏卵3個」とかが基本だったりして,ちょっと困る.そもそも,あまり天気の良くない日曜日に,娘と遊べるアトラクションとしての,パスタを打って昼ご飯,なのだ.最後に美味しく食べられないと,作った意味がない.
そこで代用に,トマト缶のジュースとオリーブオイルを使って,強力粉を捏ね始める.分量は,卵を使った時と同じ比率で,粉300グラムに対して150グラム(鶏卵1個分を500グラムとして考える).
結構綺麗な色が生地について,なかなかよろしい.
「うわー,ペールオレンジやぁ〜」と娘が言って,ちょっとびびる.「どこで,教えてもうたん,そんな色の名前.」「うん,保育園のクレパスにあんねん.」
お洒落でんなぁ,今どきの子は.
で,鶏卵を使った時よりは,なかなか生地が堅くて思うように伸ばせず苦戦しつつも,粉を打ち始めてから2時間弱で昼ご飯にありつく.こういう事をするといつも思うが,経験値や情報量を高めるという目的がない限り,市販のパスタや餃子の皮を使った方が,経済効率は絶対高い.
特にパスタは,お米を研いでご飯を炊くより,形にして食べられるまでにかなり手間と時間がかかるし,それに乾麺のスパゲッティやマカロニなどがあまりにもポピュラーで,これはもともとそういうもんだとの認識が定着している.
でもね,大仰に言うと,食べ物の成り立ちを理解するには,饂飩もパスタも蕎麦も,打ってみないと分からない.結構簡単です,だからこそ常食というのか,今の感覚だとご飯を炊くように,主食にしたのでしょう.もちろん,小麦の栽培効率というのも,重要な理由でしょうが.
パンを焼くのも,同じですね.ご飯を炊くぐらい簡単にパンを焼く.でなきゃ,毎日その作業をするのは無理.もしくは,豆腐屋さんみたいに,どこにでもあると...
これは,興味深いなぁ.日本だと,豆腐もパンも,専門職というか,近所に必ず製造業専門職が存在するものになっているけれど,日本以外はどうなのだろう?
豆腐はともかく主食のパンは,メインのポジションを守るためには,自宅でも簡単に作れるという事が,かなりポイント高いと思うのだがどうでしょう?
写真は,トマトを練り込んだタラッテリア(自家製)

Mycoplasma

さて,風邪だ風邪だと思っていたら,よく言ったもんで風邪は万病の因,あまりのしつこさに病院へ行ったら,マイコプラズマウィルス由来の肺炎になってました.
肺炎って...!と,病名を聞いた時にはかなり腰が引けたものの,別に入院する事もなく,処方された抗生剤を朝晩2回5日間飲み続けたら,どうやら完治したようで,それがゴールデンウィーク突入手前.
なかなか完治しない咳や熱が続く場合は,売薬を飲み続けるよりは,さっさと病院に行った方が正解かも.順番待ちは長かったけれど,血圧・体重・身長など測って,診療後は血液検査とレントゲン,尿検査も受けて,それでまあ,マイコ何ちゃら以外はさしたる異常もなく,薬まで買っても3000円から4000円の間(国民健康保険の三割負担ですが).薬局の売薬買うのと,それほど変わらないかも....
おかげさまで,家族にもうつらず,というか,実は家族の方が先に3月くらいに罹っていて,僕が今ごろ遅れて発症しただけかもしれないが,まあ回復して5月を向かえ,4日の日曜日には久々に妻と娘(4歳半)といっしょに大文字山に登る.娘,最後まで自力で登りました.
あとは,京都芸術センターで開催されていたワークショップ・フェスティバルのうちの,こども・おとなWSに娘と妻が参加.それに付いて行って,久しぶりに香港のダニエル・ユンと再会.思えば,ダニエルの仕事で結構長く香港に行くことになって,それでこのブログを始めたのでした.
そのダニエルが,5月5日のこどもの日には,京都でまだあんまりわけの分かんない娘に,WSで接していたのでした.観ていても,結構面白かったです.
その前日は,坂本公成の子供(と親)向けのWSで,そこに森裕子さんも参戦.小さい子供でも,無理なく入って行ける,楽しいものでした.
そして一番僕が観ていて興味深かったのは,6日のチョン・ヨンドゥさん(韓国)のWSで,もちろん子供もついて行けるものなのですが(ここがたぶん一番難しい),視覚や記憶などに絡みつつ,知識ではなく経験的に現実を認識するような,良いWSでした.といっても,僕は横で見ていただけですが.
と,まあ,そうこうするうちにGWも終わり,そろそろ忙しくなるかなぁ...などとうかうか考えている間に,いきなり雪崩のように打ち合わせやら申請やらが押し寄せて,あっという間に巻き込まれ,今日は久々に,こんな時間までMacに向かっているのでした.

Carbon Copy Cloner

さて,風邪は治んないし,ヒトは死ぬし,桜は散るし,何か散々であります.
時間はあるので,いろいろ溜まっていた仕事をこなしたり,密かに山積みになっている本/資料を読まねばと思うのだけれど,洟は垂れるし,眠いし...でも,まあ,ぽつぽつと作業を進めて,ようやく,去年茅野市民館でやった「lost」公演の映像を編集しました.YouTubeで,ショートバージョンを観れます,「lost Fujimoto」などと入れて,検索かけてみて下さい.lostだけだと,あのアメリカドラマの,無人島に飛行機が落っこちたヤツの関連が多くて見つかりません.(その点では,trueもいっしょ.)
ちなみに,僕と同姓同名同漢字の声優さんがいらっしゃるようで,Googleで検索するとその方が引っ掛かるんですが,YouTube内で僕のフルネームでサーチすると,これまでの僕がLED照明を使った作品だけが出てきます.
それで,HDD換装から結構日にちも経ち,もう続きを書く気も失せたのですが,とにかく無事に動いております.
入れ替えたHDDに,まずOS(tiger)をインストールして,移行アシスタントで旧HDDからデータを移そうと試みたのだけれど,何かが引っ掛かって途中でアウト...
で,仕方なしにというか,これまでバックアップ用に重宝していたC.C.C. (Carbon Copy Cloner)で,旧から新HDDにデータをバックアップして,それをメインシステム(起動ディスク)として使っているのだけれど,アプリの再インストールの必要もなく,問題なく無事に動いておりまする.C.C.C.は,英語環境でしか正しく動作しないので,起動する前に,システム環境設定の言語環境を英語(米語)に変えて再起動しないといけないけれど,それさえすれば,僕が使っている程度の環境なら,簡単にコピーできて起動ディスクとして使えるようです.
それで,とりあえず7200回転の200GBを組み込むことが出来たわけで,しばらくはこの環境であまり不自由を感じなくてすみそうです.

Catch a cold

手ひどい風邪をひいてしまいまして,家族と接する以外は世間様と隔絶したような1週間を送っておりました.
熱は出ないものの,始めは咽がひりひり痛く,やがて鼻にきて,少々遅めの花粉症のように洟ズルズル.2日で,ティシュ1箱使い切りです.
どれくらいぶりでしょう,こういう風邪をひくなんて.このところ,あまり風邪などひかなかったのに...
おまけに,今朝知らせがあって,大学の時によくしてもらった先生が亡くなったとのこと.まだ60歳前だったのに.
楽しそうに生きてる感じのヒトでした.
リュウマチが原因で,との事ですが,そんな死に至る病だとは,知りませんでした.
幸い今日は,天気が良かったのが救い.

HDD replacement

MacBook Proのファンを修理した勢いで,ハードディスクドライブ(HDD)も入れ替えることにした.
僕がまだ現役のメインマシンとして使っているのは,MacBook Pro初期の1.83GHzだが,このマシンのHDDは80Gしかない.基本的には,VectorWorks, Acrobat professional, Mail, Safariと後はillustratorとPhotoshopあたりが動けばいいので,使い出した初めの頃は問題なかったのだが,いろいろ作ったらデータも溜まるし,簡単な動画まで編集し出したら,さすがに80Gでは慢性的に容量が足りなくなってきた.
購入した時に,前のG4でも同じ容量のHDDで,もう少しあった方がいいかなと,換装の可能性を探ったんだけど,その時はまだSATA(シリアルATA接続)の9.5mm厚のHDDはあまり出ていなかった.確か2年前だが,その時すでに15mm厚のSATAHDDは結構あったのだけど,9.5mmはまだ出始めという感じ.
それをうろ覚えで,何となく僕のマシンはハードディスクが特殊に小さくて,なかなか安く普及するようにはなっていない,と覚えていて,ずいぶん他人にも言ってたりして(恥)本気で換装を考えなかったんだけど,これを機に探してみると...さすがに日本のコンピューター市場(たぶん世界で一番安くて充実している),SATA9.5mmの7200回転容量200Gで1万5千円を切っている.
その気になって検索すれば,換装手順もご親切に写真付きでアップしてあるし,ハードディスクの回転数が上がった時の体感速度の向上はG4時代に体感済みなので,速攻で7200bpm200Gを発注.ついでに見つけた秋葉館のこれも購入.
http://www.akibakan.com/100001akibakan/shop/product/detail.do?shopId=100001&pfid=BCAK0012280&sku=BCAK0012280A&pdListCf01=sub_menu.html&pdListCf02=&pdListCf03=&pdListCf04=&pdListCf05=header_tab_mac.html&pdListCf06=&pdListCf07=&pdListCf08=&pdListCf09=&pdListCf10=
これで,移行の準備も整ったと,期待満々で土曜の朝を迎える.前述のFireWire Toasterは,まだ届いてはいないものの,宅急便のサイトで,午前中にはウチに届くことを確認済み.
さて,土曜の朝,とにかくまずHDDを入れ替えちゃえと,マシンを裏向けてひたすらネジを回し,裏面からアクセスできる長いの〜とか,側面のネジは全部短い,とか確認しながらそれぞれを小皿にわけて外していくと,いきなり問題が.トルクスネジの大きさが,G4に使われていたものより小さい.
確かに,ネット上の説明とかでは,T6のトルクス(星形の)ドライバーを用意,とか書いてあるんだけれど,T6がどのくらいの大きさかは分かんないじゃん.何でAppleは,わざわざ前のマシンより,ネジを小さくするかなぁ...と,文句を言っても始まらないので,ドライバーを買いに行こうと思うが,取り出したHDDのデータを移すために必要な,外付け用クレドールの宅配がまだ届かない.
何度か宅急便の営業所とやりとりして,「すぐに配達は無理だけど,1時間後に伺います」という確約を得て,必死で電気屋街まで自転車で走って数軒廻ってT6トルクスドライバーを購入,息切れしながら何とか1時間以内でウチに戻ったら,不在票発見.買い物に出た10分後くらいに,配達に来てた...
なんやねん,佐川急便.
まあ次の時間区分には配達されるように電話で設定して,ようやく本題のHDD換装の続き.今度はめでたく全てのネジを外し,本体を表返してパームレストとキーボードが一体化した表面を持ち上げようとするが,さすがにそんな,ネットの解説に書かれているようにはうまくいかない.隙間にマイナスドライバーをねじ込んだり,パネルが歪むほど曲げつつ持ち上げたりしながら,ようやく内部にアクセスできるようになり,HDD上面に関係しているケーブルプラグを外したりしながら,ようやくHDD入れ替え成功.
続きは,明日.

true_YouTube

去年創った「true」の、すごく短い紹介映像が、YouTubeにあがっている。
5月にベルリンでワークショップがあるんだけど、その講師紹介みたいな形でアップされたものです。
近々trueのサイトも本格的に更新して、10分程度の映像も上げようと思っているので、その前振りのようなものです。「true」「LED」「Fujimoto」とかで、検索してみて下さい。
ところで、1月のアメリカツアーの頃から様子のおかしかったMacBook Proのファンが、一昨日また本格的におかしくなった。何だか、マイミクさんの一人も同じような状況に見舞われているとブログにあったが、とにかくパワーの要る作業にかかると、爆音でファンが唸りだして、なかなか止まらなくなる。あきらかに軸がずれているようで、モニターしてみると片ファンが止まっていることもあったりして、本体の熱はかなりのもの。
一昨日は、夜中に30分弱の映像をレンダリングしているときに鳴り出して、往生した。キャンセルすると、またいちから書き出さなくてはいけないし、かといって熱暴走して止まるのも嫌だし…
それで、腹をくくって、翌日心斎橋アップルストアのGENIUS BARに持って行った。大阪まで行くのは手間ではあるけれど、ネットで予約すれば待ち時間もなく、ファンの在庫を速攻で調べてくれて、できるだけ短期間のお預かりということに。で、早速今日の夕方、修理完了の電話が来た。クイックガレージが京都にあるので、どっちが早いかと迷ったんだけど、たぶんアップルストアーのほうが部品の在庫はあるだろうし、それに久々に大阪に行ってみたかったこともあって、心斎橋を選んだ。まあ結果として、約48時間以内で修理ということで、良しとしましょう。
ということで、今はLiddell用のWin機でネットにアクセスして、メールチェックやこれを書いたりしています。本来なら、照明機材としてのPCなので、下手にネットなどに繋がない方がいいのですが、さすがに丸1日メールチェック等をしないと、どうも不安になります。
しかし、Win機のフォントって、何でこんなに粗雑な感じがするんでしょう?ただ単に、このPCが古いせいかな?

Exile or abandonment

今年初めのEaさんのツアーから帰って以来,ずっと気になっている事がある.気にしても仕方のない事だし,どうなるモノでもないのだろうが,整理のために少し書いてみよう.
Eaさんのアメリカツアーは,最初の公演地だけ東海岸で,あとはずっと西海岸での公演だった.いろいろと段取りの悪い事などあったが,まあ諸条件から考えると何とかなった方だと思う.
ただ,もっともピンチだと感じたのは,実は当時のブログには書いていない,最初の劇場での公演が終わった翌日の出来事だった.
公演が終わった翌朝,一人のダンサーがいなくなった.
前に書いているように,場所はBostonから車で3時間ほど離れた大学町で,その朝そのダンサーは,鞄に自身の荷物を詰めて,バスに乗ってどこかに行ってしまった.
そしてそのまま,遂に帰ってこなかった.
ツアーは,その人をアメリカに残したまま,約一月後に終了し,僕たちは日本に,ダンサー達はベトナムに帰国した.
もともとダンサー達はあまり英語が話せず,僕はベトナム語もフランス語も話せないので,それほど会話はなかった.でも,もう足掛け3年目の付き合いだから,その人の事も少しは知っている.
僕にとっては,ダンサー達の年齢は本当に分かりにくくて,それはもう外国人が日本人の歳をずいぶん若く見てしまうのと同じようなもので,みんな年齢不詳なのだけれど,その中では若干年上だったのだと思う.ハノイバレエからキエフに留学していた事もあるそうなので,ベトナム・クラッシックバレエ界ではエリートだったんだろう.結婚していた事もあるはずで,子供もいたと思う.
聞いた話では,ツアーにでる前に,新しく赴任したハノイバレエの芸術監督に,戦力外だと言い渡されたらしい.それが,レパートリーの中の何かの作品に対する決定なのか,それとももうベトナム国内ではどこでも踊らせないという事なのか,そもそも僕にはベトナムバレエ界のシステムが判っていないので,どれほどの決定なのかイマイチよく分からない.
社会主義の国だし,何度か滞在した経験から,プライベートのダンスカンパニーはおそらく作る事もできないだろうという事は想像つく.でも,そのディレクターが言い渡した言葉が,そのダンサーの人生にどれほどの衝撃を与えたのかまでは,僕には想像できない.
そして,このツアーは,おそらくベトナム国外に出れる,最後のチャンスだった.Eaさんのこの作品の公演には,先のスケジュールは入っていない.新作を作る予定はあるんだけれど,この作品を続けるかどうかは,未定なのだ.
それで,消えてしまった...
最初の公演が終わっても,その時点ではあと一月弱のヴィザが残っていた.おそらく,東海岸の方が,伝手のあるベトナム人が,多く住んでいたのかもしれない.(アメリカには,当時「南」から移住してきたベトナム人コミュニティーが,結構あるみたい)
でも,でも,だ...
たぶん,もう踊れないじゃないか.もし,お金なり何なりの工面が付いて,新しい名前と身分を手に入れたとしても,アメリカで自分が踊れるポジションにたどり着くのは,おそらく不可能に近い事くらい,分かっていたと思う.
もう,戻れないんじゃないのか,とも思う.子供だっていたし,親だって,友人だっていただろう.別に,国家に命を狙われるような事態じゃなかったとも思う.でも,もう簡単にはベトナムに戻れないだろう.
何がそんな気持ちを駆り立てたんだろう? 
そんなに,「国」という存在に重きを置かないような,考え方や文化が根付いているんだろうか?
僕はあれから,時々自分の中に「亡命」や「棄国」という言葉を探してみるけれど,まったくもって見つける事ができない.それほどまでに,失踪したダンサーと僕の間には,理解を超えた差があったのに,まったく解らなかった.ハノイに滞在していた時だって,そんなプレッシャーというか,国を捨てなきゃいけないような雰囲気は,感じなかった.
失踪は,極度に個人的な事情によるものだったかもしれない.でも僕は,その前日に「ひさしぶりー」とか言って挨拶していたのだ.
何が,そういう決断に,導いたんだろう?
それが別に,何か悪い事だと思ってるわけではないんです.ただ,結構いろいろな国に行って,様々なモノをずいぶん見たし経験もしてきたのに,知らない事感じていない事はまだまだあるし,しかも自分は,そういうモノ/コトを考えるのが仕事じゃないかと,強く考えているわけです.

Catedral de Sal Zipaquira

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コロンビア滞在最終日に行った名所旧跡「Catedral de Sal Zipaquira」.古くからの岩塩採掘場跡を,教会にしたもの.
Bogotaからバスで1時間程度.折しもイースターも終わりの頃とあって,昼にはミサがあってとんでもない人出になるというので,朝早くに行く事に.でも...チャーターバスは,約束より1時間以上遅れてホテルに来る始末.まことにコロンビア時間.(通訳さんに聞いた話だと,コロンビア女子とのデートでは,2時間は遅れてくるのが当たり前だとか)
しかしまあ,道が空いていた事もあって,入り口の開く9時を少しまわった頃に無事到着.
ヘルメットにライトの付いた英語を話すガイドさんが,案内してくれる.入場料は一人1万2千ペセタ,日本円で600円くらい.ちなみに,バス(というかミニバンだけど)は,6時間貸し切り運転手付きで8500円くらい.
最初はインディオが平掘りで塩を取っていた山に,そのうちスペイン人が入って坑道を掘り,機械掘りになってやがてはダイナマイトでどっかんどっかん掘り進んだという穴は,奥へ行くほど広大な空間になっていて,とにかくすべて人工の空間かと思うとそれなりに凄い迫力.鍾乳洞の神秘とは違うけれど,初めてイタリアで教会を見た時の威圧感というか,これ建てるのに何世代が関わって何人くらい死んだんだろう...という宗教の魔力のようなものを感じる...
でもよく考えてみれば,教会になったのは岩塩採掘の終わった後で,この穴が掘られたのは宗教じゃなくて経済がエンジンなのでした.(だけど,跡地を教会にしようと思い立った背景には,上述の空間の力の類似みたいなものが,確かに関係していると思う)
とにかく,自分が立っている場所から遥か高みにある天井部にも,よく見ると手彫りの鐫の痕みたいなものが見受けられる.最初はみっちり詰まっていた岩の中に手を入れて,最後にはこんなに茫漠とした空間を,人が地下に出現させたのかと思うと,改めてそのエネルギーに圧倒される.その上辺を飾るのが宗教だというのも,何だか納得.
写真は,坑道への入り口・いくつもあるステーション(坑道が少し広がった所で,今は各ステーションに十字架が彫られてライトアップされている)・一番大きな聖堂を遠方から望む(この,目に入る空間すべてがヒトの手による)・塩の壁・大聖堂の十字架(照明はネオン管,青色LEDとかが使われている場所もあって,照明デザイナーそれなりにがんばってました)
さいごは,フリーマーケットの会場で見かけた,焼き肉風景.コロンビア人,主食は肉です.キリスト教ってその辺り(生き物の殺生とか),全然関係ないのね.砂漠の宗教って,サバイバル.

Bogota festival

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さて,Bogota festival.国の状況はというと,お世辞にも安全といえない中で,前に書いたようにもう22年もがんばっている.絶対安全,お金持ちの日本国で,毎年開催と謳ってはそうそうに隔年開催になり,数年で跡形もなく消えて行く,有象無象のあまたのフェスティバルとは大違いだ.(国とかの公的予算が付いた,首都の名前や「国際」と名が付いたフェスでも,アーティストやプログラム・ディレクターの思うように任せられないこの日本は,ホントどうかと思う...)
公演初日までは,人生で一番といっていいほど切羽詰まったBogota公演だったが,全部で5回の公演があったので,初日が終わると後は楽ちんだったかというとそうでもない.初日・2日目と夜8時からの公演だったけれど,3日目は昼・夜の2公演,最終日は昼公演と,なかなかのんびりできないし,他の公演を観る時間もない.
そうこうするうちに,はや最終日を迎えたのだけれど,Bogota fesなかなか大盤振る舞いです.実はすっかり公演が終わった翌日,1日Colombiaでのオフをくれました.なので,公演終了の翌日は名所旧跡廻りと,フェス参加作品の観賞.うまくタイミングが合って観れたのは,Akrama Khan Dance Companyの「bahok」と,チリのカンパニー(なのかプロジェクトなのか...)Teatro Cinemaの「Sin sangre」.
Akrama Khanは,去年埼玉でのAkram Khan + Sidi Larbi Cherkaouiの「zero degrees」(残念ながら未見)というデュオが多いに話題になったけれど,「bahok」という作品は,中国・韓国・中近東(国名までは分からず)・あとはたぶんBelgiumのダンサー達が,London空港のようなシチュエーションから端を発して踊りまくるというような内容.
いやもう踊る踊る,僕は自分が踊る人じゃないので,ただただ感嘆して観てました.あんなに踊れたらいいだろうなぁ,自分の作品で使いたいかどうかは別だけど,単純にすごく踊れるというのはカッコいいなぁ.
そしてチリのTeatro Cinema.読んで字のごとく,映画と演劇の合体.フロント・プロジェクション用のスクリーンとリア・プロ用スクリーンの間で役者が芝居をする.特筆すべきはフロントスクリーンで,その後ろの役者のアクティングエリアとの間に遮光用のパネルが動いてる事は分かるんだけど,それが全面をカバーするわけではないのに,フロントの映像が入るとその後ろにいた役者はかき消えるように見えなくなる.まるで魔法のよう.
フロント映像と,うまく照明の当たった役者の実像と,リアプロの映像(これは当然ながら役者の背景に見えている)があいまって,書き割りみたいだけれど動きのある舞台が実現する.
残念ながらバリバリのお芝居で,英語字幕さえないスペイン語オンリーの舞台だったので,芝居の内容はまったくもって判らなかったけれど,舞台を観ているだけで最後まで楽しめました.どうやら,来年09年には,字幕の準備もして東京公演に来日するとか.チリ,侮りが足しです.
いくつもあるプログラムの中の2つだけを観ても,とても面白かった.
どれだけのカンパニーが来ているのかきちんと把握していないけれど,たぶんこのフェスは地元主導でちゃんと情熱があって続いているものなのだ.Colombiaでできて日本でできないのは,何の差なんだろう?日本でも,私財や時間を投げ打ってまで,きちんとしたフェスを継続しようとがんばっている人達はいる.なのに,その熱情がなかなか報われないのは,結局文化をきちんと自国の力にする事のできない(どうしていいか分からない),行政の責任じゃないだろうか.きちんと継続する,気長に育てる,というのは,コロンビア人より日本人の方が得意そうな気がするのに,どうもちがうんだなぁ.
写真はまず,闇雲なColombia人のマッチョな姿.
この写真で彼らが担ぎ上げている箱(22番)は,重さが500キロ弱ある.かなり扱いが面倒で,パワーゲート付きトラックが絶対いるとか,それが無理ならフォークリフトを用意しろとか,貨物輸送のネックになっていたものなのだけれど,今回初めてフォークリフトが来るのを待ちきれないコロンビア野郎約10名によって,人力で持ち上げられて積み込まれました.いやもう,勢いに任せた熱情.たぶん誰かが手を滑らせたり躓いたりしていたら大惨事...積み込んだ後は,そんな杞憂を吹き飛ばすような笑顔.
あとは,名前は忘れちゃったけれど,コロンビアらしい果物.皮を割るとネトネトの種だらけの果肉.種ごとズルズル食します.食べ過ぎるとてきめん下痢するとか.
坂のある通り.
トラスまでバラシ終わった,ダム公演会場.

Lack of sleep in Bogota

Bogota_01Bogota_02Bogota_03Bogota_04
ダムの公演で,南米Colombiaの首都Bogotaヘ行ってきた.
そう,過去形なのはもう実は帰ってきているところなので...Bogotaでブログの更新をしたかったのだけれど,忙しくてなかなかできず,やろうとした時にはNiftyがメンテ中.何だかね,間が悪い.
一時期は,バックパッカーの間でも治安が悪いと評判で,あまり進んで遊びに行く人も少なかったBogotaだけど,いまはそれほどでもなく全然身の危険は感じなかった.もっとも,大きなフェスティバルヘの参加で,通訳件ガイドさんがダム専属で2名も付いてくれるような,至れり尽くせりの状態だったので,ふらふらと一人で遊びにいくのとは,かなり違った状況だったけれど.
そのBogota festivalは隔年開催ではや11回目,つまり22年も続いているそうで,規模もかなり大きくて成熟したフェスティバル.いっちゃあ何だが,僕が身の危険を感じなかったといっても,街が荒れていたのは事実で,いまもそこここに銃を構えた兵士が,これでもかというくらい警備に立っている.そんな状況下にたくさんのアーティストを喚んで,ちゃんと公演をオーガナイズして無事に帰すのは,さぞかし大変だろう.それを22年も続けるなんて,本当に大したもの.
もっとも,何年か前には,どこぞのアーティストが,「行ってはいけない所」に迷い込んで殺されたとか...それでも続いているんだから,やっぱり大したものか.
ところで,僕たちの公演した劇場だけど,大学内の劇場で客席数は1000名以上,それにしては舞台の面積だけはある程度あるのに,バトンがほとんどない!しかも,舞台天井部にはスノコがなくて,ビルの構造鉄骨にモーター・ホイスト直付け.電源は,電源車手配でまかなって,照明ディマーも持ち込みと,要は空っぽの箱だけあって後は仮設.
僕は過去にメキシコとブラジルでの公演を経験した事があるので,ある程度設備が整っていても設営には時間がかかると踏んでいたのだけれど,それに輪をかけた悪条件.案の定,設営に要した時間は通常の2倍程度,でも仕込みはいつもと同じ2日間.もともと3日以上欲しいとリクエストしていたんだけれど,会場のスケジュールが詰まっていて無理でした.
という事で,つまりは初日仕込みが朝から夜中過ぎまでで,2日目に至っては朝5時まで仕込んで3時間ほど寝て,それからまた仕込んでリハをして,夜8時の公演開始までプログラムの修正.
いやはや,覚悟はしていたけれど,よく間に合ったもんです.
現地照明スタッフは,2日間劇場に泊まり込み.機材の間で,寝袋にくるまって寝てました.通訳さんも,僕等が帰るまではフル稼働.
ゴクロウサマでした.
つづく...
写真は,劇場の外と内.

Monster Project

アメリカツアーの顛末も,帰国後のなんやかやも,書きたい事はいくつかあるのだけれど,どうも京都に居るとのんびりさんです.
そんな状況ながら,明日・明後日は下記公演に,照明で参加です.
お時間のある方は,ぜひ京都の劇研でお会いしましょう!
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Flyer_monster_s
モノクロームサーカス×アンジェ国立振付センター×アトリエ劇研
 M o n s t e r    P r o j e c t 
Avec:藤本隆行/真鍋大度/Softpad/堂本教子
─What is monster for you? What is monster in your body?
日仏の2人の振付家のヴィジョンと日仏の優れたダンサー2人の身体の交差、そして豪華なアーティストとのコラボレーションによって生み出される新たな『怪物』!!
ご予約はWEBサイトからどうぞ →→→ http://www1.neweb.ne.jp/wb/hot-summer/mc
【日時】
3月15日(土)19:00開演
3月16日(日)15:00開演 *アフタートークあり
【上演作品】
怪物 ─オリジナルバージョン
怪物 ─イクスチェンジ・バージョン
怪物 2
演出・振付:坂本公成(怪物) エマニュエル・ユイン(怪物2)
出演:佐伯有香 アリーヌ・ランドゥロー
舞台監督:渡川知彦
照明:藤本隆行
音響:真鍋大度
音響オペレーション:川島玲子
衣装:堂本教子
ビジュアルプロダクション:Softpad
制作:小鹿由加里(Underline)+Esther Welger-Barboza + Arnaud HIE(CNDC)
主催:モノクロームサーカス
共催:アトリエ劇研 /アンジェ国立振付センター/関西日仏学館/関西日仏交流会館Villa 九条山
助成:文化庁国際創造共同活動 /笹川日仏財団
アトリエ劇研フランチャイズ事業
京都芸術センター制作支援事業
協力:茶水
【会場】
アトリエ劇研
地図:http://www.gekken.net/map.html
【料金】
前売 一般 2,800円 /学生 2,300円*要学生証(当日+200円)
※日時指定自由席・各回70席限定
【お問合せ 】
アトリエ劇研 075-791-1966(10:00~18:00 火曜休館)
Underline 090-9704-8648(制作)
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San Francisco/Yerba Buena Center for the Arts

Yerba_buena_1Yerba_buena_2SfmomaLibeskind
ついに!というか,やっと...というか,いよいよSan Francisco公演最終日,一ヶ月間のツアーの終わりにきて,とてもコンディションの良い劇場で公演できている.周りには,学生のいい加減なスタッフなんて一人もいない.気持ち良く仕事してます.
90年代のはじめ頃に,ダムの作品展示でSan Francisco MOMAに来ているはずなんだけど,何一つ覚えていない.もしくは,SF MOMAの周りがまったく変わってしまったようで,ひとつとして見覚えのあるところが無い.
まあ,今回の会場でありSF MOMAの向かいにあるYerba Buena Center for the Artsも,93年だか94年だかに建ったらしいので,前に来た時はまったく違う景色だったのだろう.
そのSF MOMAでは,Ólafur Elíassonの大きな展覧会をやっていた.多くの作品は03年のベネチアビエンナーレ・デンマークパビリオンで観たものだったけれど,やはりどれも素晴らしい.03年以降の作品も交えて,興味深い作品の多い展覧会でした.サイトスペシフィックな作品の多いアーティストらしいので,できればどこかの建築用に作り込んだ作品を,そのうち現地で観てみたいなぁ.
あと,ホテルから劇場へ行く道の途中に,どうやらリベスキンドらしい建築中の建物があって,表示を見ると「Jewish contemporary museum」だった.何だか,いっぱい建ててますな.まあそれが仕事なんでしょうが.
写真は,Yerba Buena Center for the Artsの劇場舞台部外観と内側.SF MOMAとリベスキンドらしき建築中のミュージアム.

UC_Riverside – San Francisco

Ucr_campusTheater_outsideTheater_inside
Riversideの公演も終了し,遂に最終地San Franciscoに到着.
Riversideは何というか,これまでの大学の中では一番お馬鹿な大学っぽくって,好感が持てました.
学生の幅が広いというか,ピンからキリまでいる感じ.これまでのところは,カラーが(肌の色じゃなくて)あまりにも単一で一定レベル以上で幅が無い感じだったけれど,ここはそうでもなかった.
まあ,キャンパス内をふらふらしている学生の数が,ただ単に多かっただけかもしれないけれど...でも,みんなのびのびしてる感じがしました.まあ2日間程度,しかもほとんど劇場内の滞在だったので,適当な事しかいえません.それにしても,Riversideでも学生の半分くらいはアジア系.何でしょね,アメリカの大学は,アジア系の学生を海外から受け入れる事で,大学の寿命を延命しているのか,もしくは,アメリカの人口比率でアジア系の占める割合が飛躍的に増えているのか.
とにかくまあ,Riversideも無事公演終了.
そして,かなり学習の成果が上がったのか,さしたる混乱もなく,空港のチェックインカウンターで大荷物を預ける事に成功し,LA空港を発って一路San Franciscoへ.
いやぁ都会です.ツアー2ヶ所目のSeattleの劇場は,大学キャンパス内でダウンタウンから相当離れたところだったけれど,今回はYerba Buena Centerなので,おそらくはSFのダウンタウン直下,向かいはSF MOMA.久々に行くあてもなく街に溜まっている,学生じゃない若者を見る.そう,今までの公演地では,若者といえばほぼ学生,大人はみんな先生か事務員さん,みたいな世界だったので,すっかり忘れてましたこういう空気.ここには山ほどのホームレスや鬱屈した若者や,バリバリ稼いでそうな小綺麗な人達,いろんな肌の色と言葉とファッションがごちゃごちゃになってます.
Yerba Buena Center for the Artsのテクニカルスタッフも,かなり個性的な面々.仕込み初日が済んで分かったんだけど,頼りになる人達です.
そして,ここは食べ物が美味しい(高いけど).それに,わりと適量なところが多い.
今回改めて実感したけれど,合州国内の食べ物屋で盛りつける量を,人が食べるべき適量に減らすだけで,地球温暖化も飢餓に苦しむ人々もエネルギー不足も解決できるんじゃないだろうか?それくらい,僕にとっては尋常じゃない量が一人前として出てくるし,結構みんな平気で残している.まあ,学生なんかは,ドギーバックをもらって持ち帰っていたけれど...
あと,いろいろ廻った大学の全ての学食で,使い捨ての食器とスプーンやフォークが使われていた.おそらく経済的には,食器等を洗って使い回すよりも,そのほうが安いんだろうし,食洗機なんかを使い出したら,ひょっとしたら洗う方が余計にエネルギーを使うのかもしれない.でもね,学食でベルトコンベアー式に食物を皿に盛られて,食べ終わったら食べ残しごとお皿をごみ箱にポイ,というのを毎日繰り返していたら,それは相当ダメな状況だと思うのだが,いかがなものか.
もちろん,日本でだって,コンビニでは時間刻みでお握りやお弁当を捨てているし,割り箸だって使い捨てで,アメリカはあからさまにそういうのが見えているだけなのかもしれない.だけど,どう考えたってまともじゃない.
写真は,好感度の高いUC riversideのキャンパスと,劇場の外観・舞台.

UC Santa Barbara/Campbell Hall

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27日にLAから Santa Barbaraに移動.UC Santa Barbaraは確かに大学なんだろうが,劇場の周りは研究施設が建ち並んでいるような印象.あまりのどかなキャンパスという感じがしない.公演会場のCampbell Hallは今回最大の難所.タッパが低くて,でもバトンは一切降りず,舞台奥行きも通常この作品を公演している半分くらいしかない.でも,間口は広くて客席は傾斜があまりなくて800席と,要するに講演会場.もしくはリサイタル・ホール.(実際,アコースティクな音環境は,すごくいいみたい.)
しかも,しかも毎日朝から午後2時までは大学の授業で使われていて,仕込みもリハも本番日も会場入りは午後2時から.
最初に図面を見た段階で,オーガナイザーに「無理」と伝えたんだけど, 何だか絶対やらないといけないみたいで...Eaさんも,ダンス的な部分はカスタマイズできるというし...
で,2日間仕込みでやってみたら,何とかできました.はい.
結局は劇場は「人」というか,無理な事をやらなきゃいけないと一番認識しているのが現地スタッフで,とにかく一生懸命対応してくれる.少しでもよくなるように協力してくれるという体制で,なんとかなりました.(でも,基本的には,そんな無理して見せるんじゃなくて,普通にがんばって100%に近いものを,お客さんには観てもらいたいですが.)
そんなこんなで,毎日朝から昼過ぎまでは時間があったんだけれど,ほぼホテルから外に出ず.というか,車がないと何もで出来ない.Santa Barbaraの街は映画「ゾロ」の設営ロケ地だとかで,スペイン風の低層住宅が建ち並ぶ瀟洒な町らしいのだが,ホテルが郊外にあるのか街が何処にあるのか全然分からない.聞く所によると,住民の80%くらいは,金持ちのリタイア老人らしい.物価も,他に比べてバカッ高.僕の見聞きしたほんのわずかな事柄からの印象としては,この地域全体が高級老人ホームと研究施設の集合体.こんな所にゃ,住みたくない.
そして,またまた1回公演の本番が終わって,バラシてその夜にRiversideに移動.車で2時間半くらいだったかな.今度は,UC RiversideのUniversity Theaterで公演.1日仕込みで翌1日1回公演.ベルトコンベアーに乗ってるみたいですな.
夜中2時過ぎに宿泊先に着くが,今回は学生寮というか,大学の宿泊施設で,普通のホテルじゃない.到着が遅いので,チェックインのやり方をあらかじめ,メールで教えてもらっていたのだが,それによると,何時に着く事になっても玄関先のインターフォンの下の赤いemergencyボタンのようなものを人がでるまで押して,誰か答えたら「I NEED CHECK IN !!!」と叫べと書いてある...何かめちゃくちゃだなと思いはしたが,まあその通りにすると,数分後に胸に「Geek !」と書いた気の良さそうな東洋人の眼鏡君がとことこ出てきて,無事チェックイン.
はあやれやれとベットに潜り込み,翌日(もう同日朝だが)の仕込みは10時からなので少しは眠れるなぁと熟睡していたら,朝8時にこのツアーのオーガナイザーアシスタントのジャッキーから,つまらない電話がかかってきてたたき起こされる.
まだ会った事はないが,こいつ絶対バカだ.(ひとの悪口は,そのうち自分に返ってくると思うのですが...あまり溜めておくのも,精神衛生上よくないので,ちょこっと書いておこう.
写真は,Santa Barbaraのホテルの庭.カリフォルニアの青い空.Campbell Hallの外観.そして客席だけど,これは終演後ではありません,14時に授業が終わったところで,これから僕等は仕込み開始.
そして,初めて見た脚立.A ladderというのだそう.そのまんまの名前.

Los Angeles UCLA/Live Royce Hall

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ツアー4ヶ所目,
ここは美しい劇場で,建物自体は古いのに(1928年建築とかいう話),中は趣味よく改修も重ねられ,機材もなかなか充実していて,手入れもされている.舞台の奥行きや,客席の形状など,残念な所もあるけれど,それはもう全面建て替えしか更新のしようもないようなもので,この劇場はそんな道は選ばずに,ぜひこのままの方針であと何百年も存在していて欲しい.
テクニカルも,チーフ格はおじいさんやおばあさんが多いが,今の技術にもきちっと対応していて仕事も的確で,手伝いに入っているいい加減な若者とは大違い.
いちおう今は無事仕込みも済んで,リハとその後続く本番を控えて,ダンサーのウォームアップを横目で見つつこれを書いているのだけれど,ここにたどり着くまでは,なかなかハードな日程でした.
まず,San Diegoでの1回限りの公演が終わってバラシ,その後1時間ほど劇場でLAに向かう車が来るのを待つ.今回のツアーはほぼ大学内の劇場を回っていて,その会場のほとんどが広大なキャンパスの中にある.なので,車でのピックアップを頼んだ場合,十中八九ドライバーは迷う.
特に今回は,ロスのシャトルカンパニーに,僕たちの輸送がオーダーされていたので,San Diegoに慣れていないドライバーはかなり迷ったらしい.でもまあ12時の予定が12時半には車が来て,一路ロスへ.しかし,おそらく理由はあるのだろうが,UCLA公演の宿泊先のホテルは,ロス市内ではなくてなぜだかCulver Cityという所にとられていて,ドライバーも何となくしかホテルの場所が分からない.
この移動が200キロ程度なので,例えれば京都で公演が終わったその夜中に名古屋まで車で移動,2時半頃に名古屋近郊の街についてホテルを探してひとしきりウロウロしたあと一眠り,翌朝8時過ぎにこれまた車に乗り込み,30分ほど走って劇場入りという感じ.
何だろね,こういうハードなスケジュールの時に限って,こんな離れたホテルをとるというのは,いったいいかなる配慮なのか?(きっとオーガナイザーは,僕等のスケジュール的な事は何も考えてない.)このUCLAは,仕込みが1日しかない.まあ,日本では普通だけど,このツアーは基本2日仕込みで考えているので,がんばって夜23時まで作業.その後これまたタクシーが迎えに来るのを30分ほど待って,30分走ってホテルに帰り,翌朝,また車で劇場へ.
しかし,アメリカの大学というのは大きいね.しかも,西に来てから学生の中でアジア系の占める割合が,圧倒的に増えた.そのせいか,San Diegoにはタイフードの学食があったし,ここには日本食と中華のフードコートがある.(地下にゲーセンもあったのには驚いた.大学構内に...)そんなSUSHI&SOBAレストランに座って周りを写真に撮っても,きっと誰もUCLA校内だとは信じてくれないだろう.周り中,ほぼアジア系.僕はアメリカの大学事情には全然詳しくないんだけど,みんな何を学んでいるんだろう?
写真は,劇場客席を舞台から.ホワイエ.そしてこれは初めて見た,前室ならぬ前廊下.劇場への入り口には,普通は遮光のために小さな部屋があるかカーテンで仕切られていたりするんだけど,ここはそれが廊下になっている.ちょっと感動したお洒落な造り.この写真の右側がホワイエ,左の扉が客席に開いている.

SanDiego/Mandeville Auditorium

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アメリカ3ヶ所目.
ホテルは海の近くですこぶる気持ちいいのだけれど,朝から晩まで劇場で仕事.まあそれは仕方がないが,劇場がまたもう,68年に建ったとかで,その当時はモダンな建物だったのだろうが,客席の傾斜はないは,バトンは一切降りないし,しかも例に漏れず大学内劇場で,今回初めてのほぼ全員学生ボランティアスタッフ.前のツアーでもひどい目に遭って,オーガナイザーに,スタッフは必ずプロを雇うようにと念を押しておいたにもかかわらず,打ち合わせをしていた雇われテクニカルの兄ちゃん以外は,初めて劇場に足を踏み入れたような大学生ばかり.まったくもう,えらいこった.
それでも,日本から一緒に来ているスタッフの頑張りで,照明のフォーカスも無事終了.何とか無事本番を迎えられそう.
これから,夜に1回公演したら,バラシてそのまま車でLAに移動.ここから2時間半ほどの距離とか.それで,明日1日仕込みで明後日から2日間2回公演.
ロスの劇場はしっかりしているという話だけれど,どうかなぁ.
写真は,公演前にようやく見つけた散歩の時間.それと劇場.

Seattle/Meany Hall

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2ヶ所目のSeattle/Meany Hallでの3回公演を終えて,今日の朝,San Diegoに飛行機で南下.Mandeville Auditoriumという場所で明日から2日間仕込みの1日本番でバラシ.そのままLAに車で移動して,翌日1日仕込みでそれから2日間2回公演.このツアー最初のヤマ場である.
Seattleの会場は,Washington大学キャンパス内で,周りには学生や先生たちがたむろするカフェやレストランも多くて,いまだにちょっと60年代の香りがするような所でした.
でも,劇場は設備もよく若いスタッフも隅々まで行き届いた働きぶりで,非常に気持ち良く進みました.特に照明関係は,去年ディマー等の設備を,全部最新のETCのシステムに入れ替えたとかで,小さな有線のステーションを,各照明バトンなどの電源部につなぐ事で,ディマーナンバーをDMXアドレスみたいにパッチできる.そうしてそれを,メインのコンピューターが管理している.こう聞くと2度手間のような仕組みに聞こえるけれど,僕みたいに外から機材を持ち込んで,劇場のディーマー共々持ち込みの卓で動かそうとした時など,すごく便利.
公演は,あまり学生の姿は見かけず,年配の人々中心だったけれど,毎回客席の7〜8割は埋まり,寂しい思いはせずに済みました.
そして,San Diego.
Seattleから約3時間.それなりに季節は冬だけれど,ずいぶんと暖かい.海の傍のホテルに落ち着いて,少し外を歩いたら,満月で花なんかも咲いていて,昨日までとは別世界.
写真は,少し前だけれど,HannoverからBostonに移動した際の凍りついたバスと,Seattleの劇場.

Domestic time zone

アメリカの東の端から西の端へ.しかし北方にいる事は変わらず,ここSeattleも寒い.
Seattleちゅうのは,Washington州なんですね.で,公演する劇場のあるのがWashington大学内.それで,Boston空港で荷物超過でもめつつ何とか乗り込んだ飛行機が最初に向かったのが,Washington.D.C.
アメリカの両端に,同じ名前の所があるのは,混乱を招かないのか?
しかも,落とし穴のように待っていたのが,東と西の時差3時間.
朝3時に起きて3時半にロビー集合,ホテルのシャトルをピストン運転してもらって,莫大な荷物と18人のメンバーが空港へ向かい,やっとの事で飛行機に乗り込みWashington(D.C.)へ.その時点で朝8時前だったのに,乗り換えてSeattleへ向かうにつれて,時間が逆行.WashingtonからSeattleまで5時間程かな,結構嫌になるくらい飛行機に乗って,たどり着いたらそこはまだ午前11時前.
おんなじ国で,時差3時間ってどうよ.
仕込み当日に移動になったテクニカルの自分としては,ラッキーって事なんですが,朝3時に起きたと身としてはどうだか...しかも,到着が1日遅れて作業が遅れたからか,劇場スタッフはサポート体制万々で,今日は23時まで働いていいという.いや,ありがたい事です.
で,遅れを取り戻すくらい思いっきり仕事が進んで,確かにとても助かったのですが,数えてみればもう24時間は起きてるわけですね.
20代や30代の若者じゃないんだから,もうそろそろこういうのは遠慮しないと...何だかうまく騙されて,徹夜しちゃったわけかな?明日になってもこの身が,同じように働けますように.

Cold weather

Cold_wave_1_2Cold_wave_2Warm_room_2
Dartmouth/Moore Theaterでの仕込みと公演は,眠気との戦いながらも無事終了.2日仕込みの1日(1回)公演.何だかやっとセットして,すぐにバラシ.まあ,この規模の大学で,2回公演は集客が大変なんだろう.バルコニーをあわせて600席程度の客席は,ほぼ埋まっていた事だし.
その後2日間のオフ.居心地のいいホテルに籠もって,これからの公演地の最終図面を描いてメールで打ち合わせ.
この昨日と一昨日のオフは,良く晴れたわりと穏やかな天候だったのに,シアトルへの移動日だった今日は一転して大吹雪.昨日の夜中には,寒波到来のニュースと共に,乗るはずだったフライトがキャンセルに.そして,朝起きたらもう窓の外は真っ白.
おかげで,今日一日は飛行機は飛ばないという事で,とりあえずBostonの空港近くのホテルに移動.明日朝5時半のフライトに間に合うために,早朝3時半ロビー集合.何だかつくづく仕込み初日が大変な感じ.それも実際に,明日になってみないと,シアトルまでたどり着けるのやらどうやら...でも,少し余裕の2日間仕込みだし,詳細な図面も送ってあるので,なんとかなるでしょう.それよりも,いま手持ちで動いているLED機材が,無事に乗り換えの混乱などをくぐり抜けてシアトルにたどり着けるのやらどうやら.....
さあ,もう寝よう.

Dartmouth/Moore Theater

Dartmouth_01Dartmouth_02
1月7日に出発して,Eaさんのツアーでアメリカへ.東海岸のNYよりだいぶ北,Hanover周辺のDartmouth Collegeというところにいるのだが,とっても田舎.何でアメリカの大学は,何処もここも街から隔絶されたところにあるのだろう.それとも,このツアーが,そういう所ばかりを廻っているのか?
7日に飛んで日付変更線を越えて,日本を発った時とほぼ変わらぬ時刻にSan Franciscoに着くが,そこで乗り換えたBoston行きが遅れに遅れる.最初は計器の故障とかで,いったん滑走路まで出たもののもとの駐機場に戻り,スイッチのユニットを交換,それで3時間ぐらい遅れたのだが,それでもなんだかおかしかったようで,機体を変えるためいったん乗客全員が移動.新しい機体が用意できて,ぞろぞろ隣のゲートに移動し,乗り込んだまでは良かったものの,そこでもまた待ちぼうけ.
いよいよ機内がざわついてきたら,何だか怒ったような機長(女性)のアナウンス.確実に聞き取れたわけではないけれど,既にかなりの時間が経過しているので,このまま飛ぶと乗務員の労働時間が超過になって,服務規程違反でえらい罰金を払わなければいけない可能性があるので,客室乗務員を入れ替えるとか何とか...当の乗務員は乗務員で,「私達ゃまだ何にも仕事してないし...」と,降りたくもなさそう.それでなんだか仲間割れというか乗務員同士で討論していて,それに乗客も加わって...でもみんな怒るというよりかは苦笑いしながら話していて,慣れているのかな?
そうこうするうちに,ようやく入れ替えも済んで,遂に6時間遅れで機体は空へ.
西から東へ飛ぶという事は,時間が進むという事で,Boston到着は現地時間午前3時!しかも,劇場のあるDartmouth Collegeは,空港からタクシーで3時間!!!この朝9時からは仕込み開始である.なんでしょね,Eaさんが悪いわけではないけれど,アメリカがあわないのかな...僕に.それとも他の誰かに.
それでも,一番心配だった空港タクシーのドライバーさんは,午前3時でもバッゲージクレーム出口で僕たちを待っていてくれた.22時半から,空港で待機していてくれたとか.ありがとう.
そして,予定時間を30分短縮して,朝5時半にはホテルに到着.幸いにも,劇場はホテルのすぐ横,歩いて3分.
シャワーを浴びて1時間半ほど仮眠して,ちゃんと朝ご飯を食べて,仕込み初日に挑んだのでした.
写真は,ホテル周辺.いやぁ,寒いの何の...

2008

2008_seasongreeting
明けましておめでとうございます.
Eaさんのアメリカツアー出発まで,残り一週間を切るが,さすがに元旦・2日は仕事が出来る状況でもなく,家人手作りのお節を食べ,親戚と会い,娘と遊び,雑煮を食べ,酒を飲む.日本のお正月.
しかし,今日2日には,もうアメリカから仕事のメールが届く.クリスマスが終わると,もうあまり浮かれてないのだねぇ.なかなかやるなと思いつつ,でも明日までは絶対読んでやらない.ちょっと休憩.
ということで,思い立って年賀状用のイメージを作り,そのままずぼらしてメールで送信.ここにも貼っておきます.
皆さん,旧年は本当にお世話になりました.
今年もよろしくお願いします.