Summer to Spring

CreditEntrance_1Stage_8Asa
3日ほど前に帰国.
不覚にも,深夜のフライトだったのに,「エラゴン」「ロッキー・ファイナル」「ホリディ」(途中まで)と見続けてしまい,一睡もせず関空着.JALだったので,全部日本語吹き替えが付いていて,なーんにも考えずに,何も考えなくていい映画を見ていたのが敗因かと.しかしロッキー,酷過ぎ.都合のいい夢しか見ないアメリカ人が,自分の事だけ考えていいように作った話.ホリディは,面白そうだったのに,主人公二人が家を交換して,1日が過ぎた頃に,飛行機が関空に向かって降下...
シンガポールでの制作/公演は,楽しかった.
Eaさんとの制作は,どちらかというと彼女のイメージを具現化する作業だったけれど,今回は自分のイメージを作品に嵌め込んでいくような作業だった.しかも,まったくゼロからの新作制作は久々.全体的な構成には疑問もあるけれど,それはディレクターのKa faiとの方法論の違いか.でもとにかく,出発点としては良いモノができたと思う.問題は,他の場所で,同じシステムが再現できるのかどうか.たぶん,ダウンサイジングしないとダメだろうなぁ.
京都は,桜満開.しかも花冷え,寒の戻り.
とても京都らしい時期だけれど,シンガポールの気候に3週間ほども馴致された身体には,かなり辛いです.せっかくの,満開の桜なのに,寒くて夜に散歩する気にもならない.
早く暖かくなって欲しいです.
写真は,
・Drift Net会場/TheatreWorks のクレジット.
・あくまでもお洒落な会場,TheatreWorksのエントランス.
・舞台と,パフォーマーのRizman氏.
・けっこう毎朝お世話になったカフェの,ココナッツミルク風味のご飯と甘いコーヒーしめて240円くらい.

Escalator

この3週間程度の地下鉄通勤で,ずっと考えている事が,エスカレーターである.
もちろん,Singaporeに来て,生まれて初めてエスカレーターに乗ったわけではないけれど,普段京都で自転車を活用し,しかも通勤などというものをほとんどした事が無いので,こんなに毎日続けて同じルートを通る事は稀だ.一回の乗り換えを含めた通勤では,ホームへのアクセスを含めて,片道6つのエスカレーターに乗る.これがまあ面白い事に,長さも,速さも,乗り始めと終わりの平坦なパートの有無も違う.
試しに,手摺りに掴まらずに,なるべくそれまでの移動速度を変えないように,エスカレーターに乗り込む.(乗り込むったって,そんな大げさなものではないが...)難しい...そのまま同じ速度で歩き続けて,エスカレーターの終点でも止まる事なく,動かない地面にアクセスする.難しい.これらの難しさは,上りと下りで違いがある.
何の話しかというと,目の話.つまり脳の話.
エスカレーターに乗り込む時点で,処理している情報は,形と距離感(3D)に,速度まで加わっている.しかも平面方向への移動速度には,自身の歩行速度と共にエスカレーターの移動速度が有り,その上,あの踏み板というか階段部がせり上がってきたり下がってきたりする速さも有る.
一般的に,下りのエスカレーターへのアクセスの方が難しいと思うのだが,それは段差が垂直面として見れずに,踏み板上面のパターンでしか認識できないせいだと思う.両眼の視差で距離感や立体を認識しているのは周知の事だが,同じパターンの平面に高低差があっても,それを上からしか見れないと認識が難しい.しかも高さは,あるところまでは刻々と変わっていくので,それを水平面に延びていくパターンの変化から推測しないといけない.
そして,ここが面白いところなのだが,通勤時の6つのエスカレーターは,ハッキリわかるほどに速度がバラバラで,高低差の出来る速さを体感的に経験値として固定できない.つまり,毎回エスカレーターにアプローチするたびに,それに近づきつついくつかの速さを確認し,周囲の状況にも対応しつつ,自身の移動速度を調整していく.
ついでに,Singaporeでは次の地下鉄の時間がホームより上の階層でも刻々と表示されていたりするので,それを見て1分後に地下鉄が来るとかだと,慌てて走ったりする.
この時,目から入った情報は,形や,色,距離,速度といった違うエレメントごとに脳のいくつかの部位で別々に処理されて,しかも,「ああもうすぐ地下鉄が来る」とか,「あれ,あの人知ってるかな」とか,「エスカレーターの階段部って,尖っててギザギザで堅そうで,痛そう」とか,色々考えてもいるわけである.
例えばこれを,ホンダのASIMO君にでもやらせようと思ったら,現在なら出来るのだろうか.確か数年前までは,階段の昇降も難しかったはずだ.
しかも人は,片手に荷物を抱えたりして,物理的な条件も様々で,服によっては動き難かったりもして,大変な事である.それに,いろんな事考えているだろうし,おまけに体内では,そんなこととは関係なく,脳の管理下で摂取したものが分解され,エネルギーに変わり,血液が全身をまわり,侵入してくる細菌なんかにも対応している.
そう思うと,躊躇しながら手摺りに掴まりようやくエスカレーターに乗り込むおばちゃんも,ひょいと飛び乗るちびっ子も,それぞれがものすごい奇跡の産物のように思えるこの頃.

Kamoshida San

シンガポールでの制作も,かなり押し詰まってきているのだが,作業の合間に横目で見ていたネットで,西原さんの元夫の鴨志田さんが亡くなった事を知る.いや元夫じゃなくて,今年の始め頃にアルコール依存から離れて,ようやく西原さんとよりを戻したとの事だったから,「元」は取れて夫の鴨志田さんか.
漫画家の西原さんも鴨志田さんも,こちらが一方的なファンだというだけで,お会いした事は無いけれど,特に鴨ちゃんには親しみを感じていただけに,何だかショック.
享年42歳って,僕より若いじゃないですか...
公開されているものだから,ここに書いてもいいと思うが,ozmallというエンタメ系サイトの中に,「カモのがんばらないぞ」という,鴨ちゃんの闘病エッセイがあって,制作中に思わず読みふけってしまった.
鴨ちゃん,ゴクロウサマでした.
西原さんには,お悔やみ申し上げます.

In production

MrtSign
ほぼ毎朝,地下鉄で1回乗り換えて駅から10分ほど歩いて,約45分の通勤をしている.
時間は9時前から11時ごろまでとまちまちなのだが,ほぼたいてい一杯の乗客である.東京や大阪なんかでもそうかもしれないが,京都ではこんなにどの時間でも一杯という事はない.帰りは,タクシーの事も多いが,たまに22時とか23時ごろに地下鉄に乗ってもやっぱり一杯.
どの時間帯でも,日本みたいに異常に皆さんダークスーツで,夏でも・秋でも・冬でも・春でもほぼおんなじような格好の男性ばかり,という事はない.僕が乗るどの時間帯でも,老若男女様々な人種のとりどりの格好をした人が乗っている.
なので,表示もこんな感じ.英語に北京語にマレー語とヒンドゥ語と,ほぼたいてい4カ国語表記.
つくづく,日本はモノカルチャーだなぁと(単一民族というわけではないのに),何だかみんな同じ方向を向いている気がして怖くなる.
制作は,ただいま音や映像が出来てくるのを待っているところ.照明は,毎回仕込むので,極端な事をいえば僕のプラン次第で毎回セットアップも変えられるし,LEDだと色も動きも簡単にアップデートできる.
しかし,音も映像も変更可能だとはいえ,一度作って組み込んでしまうと,そうそうは作り替えが利かない.その分初期クリエーションに,莫大な時間がかかる.
でもそのかわり,ツアーなんかだと,圧倒的に照明/舞台の仕事量が多くなる.何しろ,毎回セットアップしてはバラす物量が違う.という感じで,いつもクリエーションの中盤にさしかかると,他のエレメントの出来上がり待ちになる.今回のプランを描いて,スクリーンや灯体を吊り込んだ時点で,実は照明の仕事の半分くらいは終わっているのだ.

Tokyo-Yamaguchi-Singapore

Setup_2Riverside
人前で話すのはかなり苦手で,まともな挨拶も満足にできない.どうもそういうのって,嘘臭く思えるのだ.
嘘も方便,必要なら嘘にならない程度に大げさに...という状況も十分に有りだと思うのだけれど,さて己がやるとなるとどうもいけない.でも,そういう機会がだんだん増えてきて,少々話せるようになったかと思ってたんだけど,6日の東京芸術見本市でのプレゼンは,あまりうまく話せなかった.
最初は物珍しさで使ったLEDだが,使ううちに色々可能性が見えてきて,その一部は,舞台表現に留まらないように思っているのだが,どうもそこまで話を持って行けなかった.
どうせ人前で話さなければいけないのなら,もう少しちゃんと思っている事を伝えられるテクニックを身に付けなけりゃなぁと反省.
6日夜から始まったRCワークショップは,とても刺激的だった.
毎回各地で驚かされる事が有るが,今回は特に,僕の思いもかけないアプローチが多かった.
ColorWaveを作っていただいたプログラマー本人まで,参加して下さって,WS中に漏れ聞こえるアプリケーションに対する様々な要望が,翌日には反映しアップデートされるという,かなり贅沢な状況.RCやpathの制作時に,タマさん開発チームに山口まで来てもらった時と同じような,愉快な環境でした.
これまでも何度かおこなってきたWSと何が違ったのかと考えると,今回の参加者の方が,個々人の自分の舞台に関するイメージが,はっきりしていたように思う.そのバリエーションが,とっても面白かった.なお,9日のトライアルの順番は下記の通り.
01_nekomimi
02_shirotama
03_oshima
04_ruby
05_ichiri
06_takao
07_shirotama/motohara
08_so sakai
09_izuru
10_mochimoto
11_trail yama2
12_さぐりあい
皆さま,ゴクロウサマでした.
この6日から9日までの間も,見本市に加えて別のミーティングなんかも入って,一日中都内をウロウロ,おかげで東京の地下鉄に少し詳しくなった.
そして,9日夜のWS打ち上げで,かなり開放されたものの,強欲にも翌日山口YCAMでの高谷と坂本さんのインスタレーションLIFEのオープニングに顔を出すと決めていたので,10日朝はドキドキしながら早朝に目覚める.麻布十番から,生まれて初めて羽田空港へ行き,昼に山口宇部空港へ向かう飛行機に乗ったら,何だか顔見知りが一杯.東京でだって,こんなに皆さん顔を揃えないでしょう,という面子がみんな山口へ向かっている...その期待に背く事のない,美しい作品でした.
皆さん,機会があったら5月28日までに是非YCAMへ.
坂本龍一+高谷史郎 “LIFE – fluid, invisible, inaudible …”
http://rsst.ycam.jp
翌日11日は,早朝にYCAMのAsさんに新山口駅まで送っていただいて,のぞみーはるかと乗り継いで関空からシンガポールへ.
12日からは怒濤の仕込み.
朝9時に現場に入って,夜中過ぎに宿に帰る毎日.
6面のスクリーンを吊って,床面打ちまで含めて7台のビデオプロジェクターとLED照明+通常の舞台照明を仕込み,ミュージシャンのステージと観客席用のプラットフォームも設置.
スクリーンもプラットフォームも,専門の業者が入っていて,ちゃんと仕事をしてくれるのはいいが,現場の状況にはお構いなし.こっちが,どんなにバタバタしていても,運んできたものはとにかく現場に搬入してくる.まあ,そりゃ当たり前の事ですが...
で,16日4日目に至も,まだ仕込みは完了してません.
ああ眠い...楽しいけれど,大丈夫か?僕の人生...と家族...
写真は,仕込み風景と,TheatreWorkからすぐ近くのお洒落エリアの風景.ごっつ未来的だけどここいらでは日常的な風景.

Few days ago

Cake
もう何時がいつやら,何がなにやらわからない状態だが,いちおう自分のための忘備録として,ここしばらくの事を記入.
2月24日だか25日.アイホールに,dotsの新作を観に行く.チャレンジプロジェクトという,一連の試みの一環.このプロジェクトは,若いアーテストに,それぞれ複数回,舞台公演の機会を与えようという,素晴らしい試み.複数回というのがミソ,プロデューサーの志賀さんはよくわかってらっしゃる.アーティストの選考もすごくいいと思う.
それで,dotsの新作はというと,今まで3回ほど公演を観たと思うが,その中でいちばん良かった.主催の桑折君は,ダンスではなくて演劇でもなくて,あくまでパフォーマンスを作るのだ,という意思がはっきりしていて,そこを起点に試行錯誤を繰り返している.今までは,まだまだ方向が定まらず,いろいろ悩んでいる様子だったが,今回はどうやら自分の風向きをとらえたような感じだった.
3月1日は,僕の母親と妻の誕生祝いを,一緒にやってしまう.それぞれ4日と10日生まれなのだけれど,ちょうどこの日仕事が休みで,しかも10日には僕は京都にいないので,こちらの都合で祝わせていただく.ごめんなさい,何だか勝手な都合で...でもまあ,朝から娘と3人で,なかなか楽しい散歩もしたし,卵や乳製品を使っていない,アレルギー・フリーなバースディーケーキも美味しかったので,よしという事で...
2日は,大阪の精華小劇場へ指輪ホテルの公演を観に行く.珍しく,作品を観るより先に知り合って,しかもそれが国外で,それからは何だか縁があるようで京都でも会い,一緒にご飯を食べに行ったりもして,そして初めて作品を観る.
中途半端なものだったら,貶すのも褒めるのも大変だなぁなどと思っていたのだけれど,十分に面白かった.ちょくちょく噂は聞いていて,それは女の子が半裸で走り回るみたいな類いの事だったけど,まあそういう事もあったかもしれないが,それにはちゃんと理由が付いている感じ.主催の羊屋さんが,性差だ何だかんだに意識的なのかどうかとかも,話題にあがる事があるようだけど,それも別にあざとく受け狙いをしているわけではなく,本人の個性とも相まって,自然とそういう作風になるのでしょう.
僕としては,たぶん「演劇」に分類されるであろう舞台を観るのは久々で,あらま,日本の演劇も捨てたもんじゃないし,日本語使ってても,国外で無理なく公演できる舞台作品が可能かもしれないなと,新たな可能性を感じた公演でした.
そして5日からは,東京芸術見本市でのRefined Colorsのプレゼンと,森下スタジオでのワークショップのため上京.実はこの一週間ほど前から,プレゼンのための資料のプリントと,DVDの編集・焼き増しに追われまくり.映像の編集は,RCのメンバーががんばってくれたが,その出来上がりのチェックとDVDの焼き増しで,Macの前を離れられない日々が続いた.その合間を縫って,色々やっていたのだけれど,さすがに4日は睡眠時間を削って,東京行きの準備.この歳になって,まだまだこんな生活です...
そして,5日午後には麻布の友人宅に荷物を置いて,森下スタジオでWSの設営準備.その合間に見本市のオープニングにちょこっと顔を出すと,各地で出会った知り合いがいっぱい日本まで出向いてきている.まだまだこんなに日本の舞台作品が人気あるなんて,知りませんでした.いちおう関係者なんですが,面目ない.
写真は,上述のケーキ.

Refined Colors Workshop

Station_3
本当に慌ただしい日々で,いろいろ書きたい事はあるのだけれど,なかなか時間がとれない.
とりあえず,京都>東京>山口とめぐって,今朝山口から関空に移動して,そこからシンガポールに到着.ようやく落ち着いた.以降しばらくは,ここに滞在.
東京でのLED照明を使ったワークショップが,とても面白かったんだけど,ちょうどColorWaveの制作者でありマイミクさんであるねこみみさんが,感想を公開されている.
http://www2s.biglobe.ne.jp/~neko33/event/m070309/index.htm
僕もまた改めてこの数日をまとめてみたいが,取り急ぎご紹介まで.
写真は早朝の新山口駅.ここから関空へ,うーん寂しい.
早朝にも関わらず湯田から駅まで送ってくれたAsさん,ありがとう!

Oh..

Panda
13日にシンガポールから帰って,15日にバンコク在住のシンガポーリアンTan Fu Kuen氏と京都で再会.彼は東京で開かれていたアジアダンス会議のために来日.連日の過密スケジュールでへとへとだといっていたが,相変わらず面白い話を聞かせてくれた.特に,韓国版国際交流基金(コリアン・ファウンデーションというのかな?)の台頭や,その次は確実に中国という,当たり前ではあるが現場を知っている言葉は重い.
で,16日はアジア続きで,大阪のDANCE BOX & Art Theater dBへ OSAKA-Asia Contemporary Dance Festival2007を観に行く.4日前にシンガポールで別れた,ダンサーのRizman氏がソロで参戦中.彼は,3月にシンガポール/TheratreWorksの72-13で本制作と公演をするDrift Netのメインダンサー.http://www.72-13.com/
他にも面白いところとしては,日本からは山下残,そしてインドネシアからJecko Siompoが参加.
残君は,振付家というよりメタ振付家.他が例えば,恰好良い振り付けとか面白い動きとかを考えている間に,「そも振り付けとはなんじゃろか?」というような事をずっと考えてる感じ.(いや,別に本人に聞いた事はないけれど...)
そしてJecko Siompoは,初めて観たのだがいまだ全容が見えない感じ.今回は1人で来日公演したが,どうも何人かで作品を作っているよう.映像も使っているが,今回の作品のためというより,独立した映像作品をちょっとはめ込んだよう.すごく面白そうなのだけど,今回のプレゼンでは(あえてプレゼンといおう)その片鱗しか窺えなかった.フルバージョンの作品が来ればいいのに.
それと逆に,オーストラリアからわざわざ中道具や小道具まで持ち込んできた舞踏の二人組は,身体の形が面白いだけ.残念ながら衣装やなんやかやをアレンジしただけで,やってる事は昔の舞踏.日本に持ってくる意味は?
17日は,娘の保育園の生活発表会.18日は,何故だか同じ保育園に,沖縄は西表から「まーちゃんバンド」という沖縄民謡バンドが来てコンサート.娘がたぶん覚えているであろう,初めてのコンサートか?
19日は造形大Studio21で,山海塾・舞踏手の岩下徹とトチアキタイヨウによる即興ダンス公演 with Pan sonicのMika Vainioと渋谷慶一郎.
音も踊りも即興で,しかもノイズやサイン波といった物語性やドラマのない音だから,動きはそのバリエーションと繋ぎのうまさに比重がかかる.つまり踊りは,これまでの研鑽と引き出しの多さでみせるようなものになっていて,その点では圧倒的に岩下さんが面白かった.
ただ,例えば武術の型なら,その後ろに戦うための理論がそびえていて,各フォームからそれが垣間見えるようでみていて飽きないのだが,舞踏の型のバックグラウンドは,僕には全然わからない.なので,面白い動きや意味深な形は散見されるし,それを音に乗せていく作業も興味深いが,1時間も続くとただただ踊り続けている事自体に関心が行って,中身からは興味が削がれてしまった.
20日は,続いてStudio21でPan sonic,Goem,渋谷慶一郎とevalaの音楽と映像をリンクさせたコンサート.
これは,Pan sonicの圧倒的な一人勝ち.音の組み立ても何もかも,シンプルでしかも強力.特に音とシンクロした映像は,他の人たちが手を変え品を替え「もたしている」のに対して,ひとつのソースの変化のバリエーションだけで,十分に面白いものを作り出している.彼らはこの映像のインターフェイスでも,十分遊んでいろいろ試している感じ.すごいなぁ.
ちなみに,渋谷さんは,せめて使っている映像のリソースがわかるような部分は,きちんと見せるか消し切った方が良いと思う.Channel4やたぶんスペインの放送局のニュース番組から録画した映像を加工して使っているみたいだけど,何だか扱いが中途半端.
22日は,家族3人で神戸の王子動物園にパンダに会いに行く.娘との長年の約束.しかもこの日を逃すと,次は5月頃まで3人の予定が合わないかもしれない.暖かな良い天気だった事とも相まって,広くて気持ちのいい動物園でした.京都の動物園は,狭くて動物がかわいそう.同じ閉じこめられるのなら,王子動物園の方がずいぶんとマシだろう.パンダもコアラもカバも犀も白熊もヤマアラシも猿も大型猫類も満喫.
25日は,アイホールにdotsの新作を観に行く予定.
ああ,確定申告が...
ああ,東京芸術見本市が...
ああ,Refined Colors WorkShop@森下スタジオが...
http://dance-media.com/tech-workshop/index.htm
ああ,Drift Net@TheatreWorks/シンガポールが...
http://www.72-13.com/
あわわわわ

Spring Festival

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前にも書いたが,今年の旧正月/春節は2月18日.17日(土)が大晦日みたいなもんかな.
香港の旧正月を過ごした事があるけど,シンガポールはまた違った賑わい方.香港は,当然街中が春節一色になるが,シンガポールではチャイナタウンが賑わう.まあ,当たり前だが...でも,行ってみてわかるのだが,空間的に限定されている分,その中の賑わいは密度が高い.まだ一週間先なのに,街は春節一色.年越しのお菓子やらご馳走やら,派手な飾りやら果物やらを買うために,平日の昼間から人が繰り出している.
会社によっては,今週から2週間の休みに入る所もあるらしい.先日会った人の中には,一週間ほど北海道にスキーに行く!?という人もいた.シンガポールからわざわざ???という気もするが,雪には大きな憧れがあるみたい.僕はシンガポールでごろごろしている方が,よっぽど良いように思うが,でも,アジアからのリゾート先が日本の北海道というのは,なかなか北海道がんばってるなというか,「東京」や「寿司・芸者」や「デジタル・ハイテク」以外にもアピールしている部分があるというのは,素直に嬉しい.
そんな,新年に備えて賑わうシンガポールから,残念ながら帰国.次回は,本格的な滞在制作公演になるが,それは来月の事.

Local journey?

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シンガポールでの,コラボレーションのためのワークショップは終了.
3月末に実際に公演する現場での制作だったから,照明や舞台デザイン的には非常にありがたかった.
内容は,まだまだこれから詰めて行かなくてはいけないが,参加者がどういう事がやりたいのか,どういう事ができるのか,各自のスキルも含めて見当がついたし,有効な時間だった.
土曜日に,10名程度の関係者や機材スポンサーを招いて15分ほどのショーイングを行い,日曜は事務的な事も含めての打ち合わせと撤収.
その土曜のショーイングが終わってからみんなでご飯を食べ,それから面白い所へ行った.
イベントの名前はロジャーというのだけれど,悲しいかなスペルがわからない...
何でも毎回場所を変えつつ,古き良き近代(モダン)建築を会場にして,そこにアーティストやデザイナーが集まって,各自の仕事をプレゼンテーションする催し.
今回は,チャイナタウンの近くの高台に立つ丸ビル最上階.この丸ビル,4枚目の写真の場所から見ると円柱形だが実はC字型で,たぶん南にだと思うが口が開いていて,中はずんっと空洞.最初の写真みたいに,内側の窓から眺めると向かいの部屋の玄関が見える.
37階の会場は,オーナーが建築家さんだそうで,中に事務所や広大な応接室,ベットルームや書斎や何だかんだと,いや広い広い.玄関は37階だが,中に入ると上にもう一階,下にももう一階フロアーがある.
全てのユニットがこういうように入れ子構造になっているのかどうかは不明だが,まるで一軒家にいるよう.しかも窓からは,絶景の夜景!そこここにおかれた大きな鉢植えの効果もあって,まるでBaliかどこかのリゾートに迷い込んだような感覚.そういえば,応接室から繋がるバルコニーは,窓というか仕切りがなかったような...とにかく,解放感のあるおしゃれなお住まい.
こんな所が仕事場兼生活の場というのは,心底羨ましい.良いもの見せて頂きました.
折しも,旧正月(Chinese Newyear)まで後一週間あまり.チャイナタウン周辺は,既に毎日毎夜繰り出す人で溢れてきている.これから17日18日の週末にかけて,まだどんどん人が増えてくるのだそうだ.
そんな喧騒を静かに見下ろすように,あの37階の主は暮らしているのだろうか.

Massage

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明日は今回のワークショップのプレゼンがあるので10時入りだが,今日までの日々のスケジュールは,午後2時入り夜10時終わり.
なかなか余裕のある心得たスケジュールで,昨日までは午前中にちょっと観光兼買い物に出かけたり,洗濯したり,やる事がいろいろあったのだが,今日は満を持してというか遂に来たかというか,アジアなら当然というべきか,マッサージ屋へ.
ネットの検索に引っかかった所が,偶然にも現場のすぐ近くで,一も二もなく直行.
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http://amet.livedoor.biz/archives/cat_10005364.html
マッサージ『L.C Fu Li Hua Foot Reflexology Centre』 6339-0787
リャンコートの明治屋と同じフロアー(B1)にあるマッサージ屋だ。
店内は狭いので、週末などは予約していくほうがいい。
スペシャルパッケージ 足裏40分&肩首背中30分 43シンガポールドル(約3千円)
マッサージは強烈だ。膝下まで、入念に指圧してくれる。強めが好きな人にお薦めだ。
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43シンガポールドルは,今日のレートだと3500円くらいだが,もう十分納得の70分.
揉み返しが怖い事は怖いが,もともと,おっちゃんが全体重/全存在をかけてぐいぐいもみ込んでくれるような按摩が好きです私.というワタシにはぴったしの,力技のしかしツボは押さえたマッサージでした.(ただ,足裏の強烈さでは,数年前にバンコクで通った足裏治療院の勝ち.)
たぶん,帰るまでにもう一度行くかな...

This life

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もう10年以上も前になるが,初めてこの街/国を訪れた時は,なんて小奇麗で面白味のない所なんだろう,と思っていた.まだリー・クワンユーががんばっていて,やれ長髪だとパスポート・コントロールで追い返されただの,道に唾を吐いたら罰金とられるだの,いろいろ聞いていたうえに,他アジア諸国と比べて少々物価も高かった.
でもそれは,どちらかというと,僕の経験と知識が,足りなかったせいかもしれない.もしくは,ここ10年で,ものすごーく,シンガポールが変わったか.いずれにせよ,どんな街にも悪場所はあるものだ.完璧に管理された綺麗な街なんてあるはずがない.(あれだけいろいろ厳しくやっていたクワンユーの息子が現国家元首で,事情はよく知らないが世襲制にも見える胡散臭さがあるのも,また面白い.)
その点,いまのシンガポールは,なかなか良いバランスをとっているような感じ.相変わらず買い物天国がウリに見えるが,ちゃんと文化も,中身が積み重なっているようにみえる.えらそうな言い方になってしまったけど,人々がそれほど仕事や何か競争に追われ続けてへとへとになっているわけでなく,自分たちで楽しみながら生きてる感じ.生活が辛くなさそうに見える.
そう見えるのは,街が変わったのか,僕が変わったのか.
日本の方が,自分の人生を放り出しちゃいたい人が多そうで,欲望がねじくれて影に潜り始末に悪い.
シンガポール滞在,なかなか楽しいです.単にここの景気がかなり良いからかもしれないけど...
写真は,アラブストリートと,そこで水パイプをたしなむ怪しいひと.ものすごい色彩の食堂.近代的なアーケード.一心に願うおっちゃん.

14-26

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一昨日と昨日の2回,京都は吉田神社の節分祭に行く.
大晦日から新年にかけて,ウチの近所の平安神宮の参道は,数々の出店で賑わうが,吉田山の節分祭はそれ以上である.しかも参道から坂を上がって,火炉祭のあるエリアを過ぎ,上の日本各地の神社の総元締めみたいな神社に至るまでの山道は,非常に風情もあるし,夜が更けても人が繰り出していて,面白い事この上ない.
炭焼きの鰯にかぶりつきつつ日本酒でも飲めたら最高なのだが,娘を抱えつつのお参りの上,あまりの人出に,酔っぱらうのは断念.ついでに言えば,火炉に火が点く23時までウロウロするのも,同行の妻はともかく3歳の娘と70歳のお婆には無理そうだったので,おとなしく22時前に家に帰る.しかし,去年は京都にいなくてお参りすらできなかったので,それから思うと満喫しました.それに,年々少しずつ娘の成長にあわせてお参りの時間が火炉の点火の時間に近づいていくだろうから,それも楽しみである.(実際今年は土曜が火炉祭だったので,ちょっと危険を感じるほどの人出でした.)
で,翌4日の今日は,一路シンガポールへ.
タイトルの14-26は,京都とここの最高気温.しかし,覚悟していたほどには暑くない.むしろ初夏の気持ち良さが先に立つ.
今回は,3月末の公演の為のワークショップ.
この「ワークショップ」という言葉は,英語の便利な言葉で,いろいろ使われすぎていて意味がとりづらいが,今回は製作メンバーの顔合わせとミーティング.一週間強の滞在でいったん日本に帰り,次は3月に本製作と公演に来る.
宿泊は,この公演のオーガナイザーであるTheatreWorks所有のアパートメント.公演は,彼らのスタジオである「72-13」.
日本には,公共の劇場はいっぱい建って,良いカンパニーだっていっぱいあるかもしれないけれど,そのどれひとつとして,こういう制作環境は持ててないよなぁ.平等に,薄ーく,広ーく,サポートします,という日本の現状との差を感じるなぁ.
写真は,今居るアパート.

RCWS

3月初めに,東京でRefined Colorsのワークショップを開催します.
http://dance-media.com/tech-workshop/index.htm
お時間のある方は,ぜひぜひ遊びに来て下さい.
自分の振りと好きな音に,自分で選んだ色の明かりを付けるWSです.望めば,音の編集もできます.

DANCE X MUSIC!

少し前になるが,1月24日に京都芸術センターでDANCE X MUSIC!を観た.
JCDN主催で,「振付家と音楽家の新たな試み」と副題のついたこのシリーズは,今回2回目とのこと.コンテンポラリーの振付家と音楽家を引き合わせて,滞在制作の場まで含めたプロダクションを立ち上げるというのは,日本の現状を見ると素晴らしいことだと思う.
もともと舞台作品は,ムーヴメントと音,装置と照明などの要素の相互作用で成り立つものだが,特にダンス作品の音と動きは,たいてい緊密な関係にある.なのに,自分の好きな曲だからとか,強いインスパイヤを受けたからといって,市販されているCDの曲を使って作品を立ち上げるというのが,あまりにも安直に行われている気がする.
もちろん,ある時代の気分や特定の世代の感情と強く結びついている曲というのがあって,作品の内容によってそういう曲の使用が不可欠,ということがあるのもわかる.でも,でも,それにしても,仮に必死で山のような曲の中から,自分たちのイメージにあうものを探し出したとしても,それはどうなんだろうと思ってしまう.
ちょっと違うかもしれないが,以前,J.P.ゴルチェのショップで買ってきた服を着て踊ったダンサーが,フライヤーに「衣装:J.P.ゴルチェ」と書いていたというのを聞いたことがある.これは,たぶん誰が考えたっておかしいと思うだろうけれど,アリモノの曲を使うというのも,僕は同じような印象を受ける.
だってそこには,音楽家もしくは音響制作者と振付家/舞台制作者との,創作のやりとりが抜け落ちている.
しかも,デジタル機器の普及もあって,誰でも簡単に音作りに取り組める現状である.(今回の作品では,デジタルな音は使われていなかったけれど...)
それに,調べたわけではないけれど,舞台作品の振り付けなどに関わる人よりも,音作りに関わっている人の方が,数は多いのではないだろうか.振付家はCDの山を発掘するより,音楽家との出会いを求めた方がよほど有効で,しかもそれほど難しくないんじゃないだろうか?音楽家は,振付家がいなくても,容易に作品が作れる.でも,振付家が,音楽抜きで作品を作るのは難しい.(不可能ではないけれど.)だからたぶん,振付家側からのアプローチが必要なのだ.
なのに,いまだに音源はCDから借りてきました,という作品が散見されるのは,どうも残念なことだ.それには,予算的なことまで含めて,いろいろな日本的理由があるんだろうけれど,作品を作る側の気持ちというか意識が,いちばん大きく関わっているんじゃないか?
確かに時間もお金もかかるし,難しいことは一杯ある.でもね,バレエの古典作品だって,最初は振付家と作曲家のコラボレーションから生まれたものだ.
そういう状況に,制作サイドであるJCDNが関わって,こういう舞台を用意するというのは,至極まっとうで説得力がある.
とまあ,長い前置きだったけれど,かなり面白い舞台でした.
最初の,森下真樹さんとTHIS=MISA x SAKOUのコラボレーションは,その力技に圧倒される.シリアスなダンスダンスしたパートから,ずいぶんコミカルなパートまであって,最初僕は「面白けれど,何となく今の気分じゃのらないなぁ」などと勝手な思いで観ていたのだが,首根っこ捕まれて引きずりあげられるような感じで,終いにはずいぶんと笑ったし楽しんでいた.
THIS=MISA x SAKOUの音楽の力をかなり強く感じたけれど,森下さんの動きも負けていなかったし,何より参加者3人全員の相乗作用でこの作品を作り上げたというのがよくわかった,良いものでした.
つづく,「ほうほう堂」と「にかスープ&さやソース」の作品は,かなり残念な感じ.僕の好みの問題だが,ほうほう堂の動きが,どう楽しめばいいのかわからなかった.「日々出会う衝動や微細な感覚に焦点をあてた独自のダンス」らしいが,独自というより幼児的,それに動きの形は独自のものかもしれないけれど,振りの構造というか作り方みたいな所は,極めてオーソドックスなものに感じられた.
音とのコラボレーションというのも,組んず解れつ音楽と格闘したというよりも,あらかじめ想定した行程を何とかやったというような感じ.(あくまでも僕の感想です.)
「にかスープ&さやソース」の音楽+パフォーマンスがとても面白かっただけに,残念でした.でも,こういう試みは重要だし,アーティストも,やり続けることでしか自分たちの方法は見つけられない.
次が楽しみな企画でした.

2007

Guruguru
今年になってから,今年の予定が決まってきている.
遅すぎるだろ,いくら何でも...と焦ってはいるが,嬉しさもある.実は,新作を作る話しが進行中.それがようやく,現実的に形になりつつある.
他に,Singaporeのアーティストとのコラボレーションや,ダムのパフォーマー・ソロ公演での照明のお手伝い,RCの東京公演の可能性など,ほぼ決まったものから3月頃の助成金の結果次第のものまで様々だが,いずれも進行中・調整中.僕が,パチンコや宝くじも含めて賭け事全般に興味ないのは,人生が博打みたいなものだからか...
娘と妻と,金魚を買いに行った.なくなった実家から古風な水槽をサルベージしてきていて,そこで飼おうと思って.
僕の思惑としては,闘魚(ペタ)なら長生きしそうだし,派手で良いかと思って熱帯魚屋さんに行ったんだけど,そこで娘が選んだのが,なんとも金魚らしい金魚.闘魚を飼うなら水槽に蓋が要る(飛び出してしまうらしい),との熱帯魚屋さんの兄ちゃんのアドバイスもあり,ペタはあきらめてその真っ赤な金魚に決定.娘が素早く,「ぐるぐる」と命名.小さな生き物が身近にいるのは,なかなかよろしい.

Old people IT

母親の所に,妹の所からe-macが戻ってきた.
少々邪魔臭い話しだが,数年前に両親の住み家にADSLをひいて,コンピューターを設置した.父親は会社の仕事でPCを使っていたし,僕はe-mailでのコンタクトが一番確実な生活の体制だし,何より妻の出産があって,そのすぐ後に妻と娘は僕の実家に身を寄せていたので,連絡用として実家のe-macは役に立った.ところが,僕たちが自分の家に戻ってしまうと,そのe-macを僕の父はうまく使えなかったようだ.
今から考えると,まあそれも無理ない.Win機しか使った事のない高齢者としては,自宅はMacで会社はPCという環境は,手に余っただろう.
そんな状況もあって,ある日,関東に住む妹が遊びに来た折りに,そのe-macを持って帰ってしまった.これはどうも,父親がそう仕向けたっぽい.今となっては,その父が他界しているので詳細はわからないが,とにかく母1人の所へこの正月にそのe-macが戻ってきた.何でも,妹の所は新しいMacを買うのだそうだ.
それでまあ,事情はどうあれ,新居に移って一人暮らしを謳歌している(ように見える)母親の所にコンピューターがあって,ネットに繋がっていれば,こちらとしても都合がいい.何といっても,母は僕の家から歩いて数分の所に住み,子供を預ける事も多い.食事も,一週間に数回はどちらかの家で一緒にとる,なかなか良い状況なのだ.僕が仕事で外に出た時も,自宅と母親宅の両方にリモートでアクセスできるほうが,何かと都合がいい.
なのでこの正月の時間がある時に,母親宅をADSL回線にしプロバイダーと契約し,ついでに妻と母と僕の携帯もsoftbankに統一し,ネットと携帯環境を整える事に.僕が国内にいる時は携帯で,海外からはSkypeで,お得なコミュニケーション環境を作ろうという目論見である.
ところがこれが,なかなか大変.
ある程度,ネット環境が広がり終えた日本の状況としては,いかに今まで親和性の低かった対象者をユーザーとしてインターネットに繋げていくかというのが課題だと思うのだが,そこんとこ全然出来てません.
いったんネットに入ると,それなりに高齢者に対する配慮が各種プロバイダーにも散見されるし,MacのOSでも使いやすいインターフェイスを提供しようという意識はある.携帯電話機だって,字を大きくする機能は結構付いている.
しかぁし!しかし,いざ新規にどこかのプロバイダーと契約しようとすると,また,番号そのままで新たな携帯電話会社に乗り換えようとすると,そこには何だかワケノワカラナイうじゃうじゃが蠢いているのだ!
はっきり言って,ネットも携帯も,老人から子供まで使える家電製品の世界とは,まだまだかけ離れている.
どれだけ素晴らしい製品が開発されようが,そのモノを使う基盤が,専門的な知識のない多くの人を排除するようなものだと,何の役にも立たないじゃん.
例えば,LithuaniaだかEstoniaだか,バルト三国のどれかの国では,誰でもネットに繋げる電話番号が国から提供されていた.
とにかくコンピューターがあってそこに電話すれば,誰でもネットに入れる.IDもパスワードも要らない.回線のスピードはそんなに速くなかったけれど,情報にはアクセスできる.そこからもっと早い回線のプロバイダーなり,他のサービスなりに繋がっていけるわけだ.もちろんそれは,言葉は古くなったがIT化された世界に対応していくための国家戦略な訳だ.
これからの戦力になる若者への投資だが,それは同時に高齢者へのケアーも兼ねている.ちなみに,僕のような旅行者にとっても,とてもありがたいサービスだった.日本も,莫大な予算使って何とか記念館を建てるよりも,そういう基本整備を何とか出来ないかなぁ.どうも,金持ちの国ほどそういう所にお金がかかる.ケチ臭いったらありゃしない.
とにかく,ネットに関する情報は,ネットの中に一番溢れている.例えば,日本の老人がインターネットを始めたいと思ったら,今の環境でいったい何処から手を付けたらいい?家電屋に行って大枚はたいて機械を買って,店の言うままに契約して...おまけにガスや電気などのライフラインに加えて,月々の支払いも増える.そんなものにあえて手を出そうという魅力を,ネットにアクセスしていない老人に提供できているのだろうか?
入ってしまえば,いろいろ良いものもある.キーボードとマウスによる入力はハードルではあるが,70歳過ぎの母親だって,携帯のくそややこしい番号キーで,楽しそうにメールを打っているのだ.何とかなる.そう,問題は繋がるまでなのだ.
とりあえず携帯は,今日のうちに母親のものをsoftbankに乗り換えた.何だかワケノワカラナイ制約&サービスが付いて,電話本体もタダみたいな値段で手に入る.国内通話なら,softbank同士はほとんどお金もかからない.といっても基本料金は3000円近く要るわけで,それだけ払えば後はもういいよという感じ.まあ,考え方がネットと同じ.欲望の入り口を作っておいて,あとの儲けはその中でいろいろ仕掛けていこうという事でしょう.これで,ほぼ1日を費やした.時間のあるお正月だからこそ出来る事だと,自分に納得させておこう.
何だかんだいっても,僕的には年々目に見えるように便利になっていっている世界ではある.
今年もよろしくお願いします.

The brain

年の瀬で,ようやく溜まっていた雑事も一段落,日本の社会的にも休暇ムードが高まって,メールの数も激減.この機会に,机まわりの大掃除に着手し,あわせて平積みになっていた未読の本を読み始める.
そして,Michael S. Gazzaniga著「脳のなかの倫理—脳倫理学序説」と,中田力著「脳の中の水分子」を,ようやく読み終えた.
カタカナ表記ではガザニガさんと書かれているGazzanigaは,2001年にアメリカ合衆国の大統領生命倫理評議会のメンバーに選ばれた,古参の脳機能研究の専門家.ブッシュの評議会のメンバーかいと思いきや,とても現実的に「科学」の立場から倫理学にアプローチした,好感の持てる内容.
特に,人間の「信念」が如何にさしたる根拠もなく形成されるかと,直感的な道徳的判断(例えば,他人をむやみに殺してはいけないとか)は人類にほぼ共通するものだが、その解釈や理由付けが文化や個人によって異なるのだというくだりは,当たり前の事なんだけど,こういうポジションの人の発言としては秀逸.
まあ,その意見が自分の思うように現実に反映されてれば,本なんか書かないんだろうが,読むほうとしては分かりやすく現在の状況が,医学的専門家の視点で整理されている好著.
一方の中田力さんは,日本の文部省学術審議会により,中核的研究拠点のプロジェクトリーダー(何のこっちゃか,分からなさ過ぎ)に選ばれた,新潟大学統合脳機能研究センターの設立者.また,MRIやその進化系のfMRIという,今では当たり前になった,生体の状況をその本体を傷める事なしに観察できるようにした装置の開発者として,その筋では有名な専門家.
この人の心のお師匠さんというべき人が,ライナス・ポーリング博士という,ノーベル賞を2つも(化学賞と平和賞)もらった凄い人で,そのついに直接会う事の無かったポーリング博士の仮説との出会いが,中田さんの思考のエンジンとなって,如何に「脳と心/(意識)」の研究に発展していったかという話し.
これがまあ,探偵小説でも読むかのように,スリリングで面白い.
ある種の天才,とまでは言わないまでも達人には,人間的な余裕があって,自分のまわりの状況を苦境も含めて全て楽しんでいるように見受けられる事がある.まあこれは,回想として語られるからそうなのかもしれないが,そのあらゆる状況を楽しみつつ次へと向かうポジティブな思考の発展が,少々小難しい理論のパートも読み進めさせてくれる.
これがこの中田さんの最新刊なのだが,読み終えたらもうすぐに既刊の全二冊,「脳の方程式いち・たす・いち」と「脳の方程式 ぷらす・あるふぁ」が読みたくなってしまった.

Fever again

Fever
娘が熱を出したので,忘年会は軒並みキャンセル.
折しも,王子動物園に大熊猫を見に行こうと約束していた,その前日の事.
娘は保育園では,チューリップ組のパンダさんである.
なんじゃそりゃ?と初めて聞いた時には思ったものだが,子供と一緒に暮らしてみて初めて納得,乳児・幼児は字が読めない.「そんなこと当たり前じゃん」と思う向きもあろうが,理屈ではわかっていても,これは案外大変なんである.保育園には,当然うじゃうじゃと同じ年頃の子供達がいて,彼/彼女等はおんなじような服や寝巻きやタオルやその他持ち物を持っている.保母・保父さんは名前が読めるが,子供達には類似品の中から自分の物を見つけ出す「タグ」が必要なんである.
その為の動物マークは,親が任意で早い者勝ちで選ぶわけだが,娘の場合はそれがパンダ.
そんなどうでもいいようなアイコンだが,人の幼児期の刷り込みの強さは何だか凄くて,娘はパンダに目がない.とにかく,無条件のパンダ・ファン.熊も好きだがパンダは特別.象も好きだがパンダは特別.キリンも好きだが...
そんなにパンダが好きになって,将来の生活に支障はないのかと,少し心配になる...(嘘)
子供が産まれると,自分の過去を追体験できる.
まったくもって記憶の底に埋もれていたような事柄が,時系列に関わりなくポッカリと浮かび上がってくる.
全裸のような剥き出しの悔しさや,底抜けの喜びが,その時の強力な印象と共に浮かび上がる.
どうして忘れていたのだろう,と思うような強い感情が,後々の日々の雑事に埋もれているのだ.
彼女の毎日は,何故?の連続である.
写真は,熱でぼぅとしている彼女.
ちなみに,娘は大の写真嫌いである.知人に,このブログに載せている写真の彼女は,いつも難しい顔をしているといわれたが,別に娘が笑わないわけではない,カメラを向けられるのが,恥ずかしいんだか,嬉しくないんだか,何だかそういう感情があるのだ.

Water of the house project

12月15日(金):
京都芸術センターで,モノクロームサーカスの「水の家」 projectを観る.
もちろん,一緒にRefined Colorsをやっているからという贔屓目はあると思うが,かなり良かった.
モノクロームサーカス(以下MCと表記)の作品は,実はそんなにたくさん観ていない,記憶に残っている限りでは,「収穫祭」を黒谷でやっているのに遊びに行った事があって,次は芸術センターでの「大収穫祭」,そしてRefined Colorsの最初の打ち合わせに行った,カフェ・アンデパンダンでの公演くらいだと思う.
それから思うと今回の作品群は,良い意味で,ずいぶんと様変わりしたダンス作品になっている.
もともと,なぜRefined Colorsを,MCのディレクターである坂本君と作ろうと思ったかというと,「大収穫祭」を観た時に,彼の作品に対する柔軟性とでもいうべきものに,魅かれたからである.
僕の勝手な印象で書くと,ダンスの人は,「してはいけない/できない」とでも言うべき事を結構抱え込んでいて,その「いけない」を,わざわざ自分で設定しておきながら,再度自分で壊そうとしているような所がある.でもそれは,自分で勝手に,「してはいけない」と思い込んだモノなのだ.
モノクロームサーカス/坂本氏には,そういう自己規制が,あまり無いように見えた.なので,ずいぶんテクニカル寄りな,僕の発想から始まる作品の構想にも,答えてくれるんじゃないかと思ったわけです.
今日観た,「水の家」 projectのどこが良かったかというと,時間に関しても,その自己規制を取り払った自由さがあって,「好きなように作って,出来た時間が作品の時間」という,まあ当たり前といえばそうなのだが,その確信の上に実在する事になった,「凛々しさ」を感じる作品群だった.
必要な時間だけ切り取って編集されたようなダンスは,ある種のストイシズムに溢れていて,それがこのプロジェクトの魅力に繋がっている.
もし,明日時間のある人は,ぜひ行って観てみて下さい.
■日時
12月
 15日(金) 19:30 (A)
 16日(土) 14:00 (B)  18:00 (A)
 17日(日) 14:00 (B)
■会場 京都芸術センター・フリースペース
■出演者
「水の家」 
  演出・振付:坂本公成, 振付・ダンス:森裕子+森川弘和
「怪物」 
  演出・振付:坂本公成, 振付・ダンス:佐伯有香, 音響:真鍋大度
「最後の微笑」 
  演出・振付:坂本公成+ディディエ・テロン, 音響:真鍋大度
  振付・ダンス:
   森裕子+佐伯有香+荻野ちよ+森川弘和(A)
   森裕子+佐伯有香+荻野ちよ+合田有紀(B)
          

A public office

役人は,どうもコソコソしている,間違いを認めない,狡いというイメージがありますなぁ.
マイミクのこ〜にょさんが,mixy内の日記で役所とのもめ事を書いているのに触発されて,僕もちょっと最近の出来事を...もっとも,マイミクさんほどシリアスな話ではないですが.
先日,左京区役所へ行きました.11月末で僕の保険証の期限が切れたのに,新しいのが届いていなかったからです.もう12月を1週間は過ぎた頃です.
で,窓口で尋ねると,まるでパートで働いているような気楽さのおばさん(でも当然公務員)が,ああそうですかという感じで奥へ行き,僕の新しい保険証を持って来ました.何でも,11月15日に書き留めで配達に行ったが,留守だったので持って帰り,そのまま郵便局での預かり期限が切れたので,区役所に戻っていたとの事.
役所に戻ってきてその辺に保管され,前の保険証の期限が切れれば,その持ち主が困るのは当たり前,「保険証が届けられずに戻ってきてますよ.」というようなお知らせは送らないのですか?と聞くと,窓口のおばさんは「上司に聞いてきます.」と席を外す.で,「配達に伺った15日に,その旨を書いた文書を投函しているはずです.」という.
それはそうかもしれませんが,その頃僕は仕事で海外に出ていて,帰った時にはそのお知らせは,山のような郵便物に埋もれてしまって,目に留まらなかったのかもしれません.もしかしたら,何かの間違いでお知らせ自体がポストに入っていなかったという事もありますよね,と言うと,窓口の人は「配達時に,お知らせをポストに入れているはずです.」と繰り返す.
いやそうじゃなくて,新しい保険証が配達されずに戻ってきて,古いものの期限が切れたら,その持ち主は困るでしょう.その時に,新しいのが役所に戻ってきてますよ,というお知らせは送らないのですか?と尋ねると,「配達時に,お知らせをポストに入れているはずです.」と繰り返す.
何度か,いやそうじゃなくて,知らぬ間に保険証の期限が切れて,新しいのが届かなくて,その理由がわからなくて,なかなか役所に来る時間がとれない人は困るでしょう.と説明を繰り返すが,おばさんは,「配達時のお知らせがその書類です」と「上司に聞いてきます」を繰り返す.
2〜3回繰り返して,僕の根負け.時間の無駄だと思って,捨て台詞を残して退散した.
ここまでは,たぶんよくある話.
吃驚したのは,その2日後に,ペラペラのわら半紙に刷ったお知らせが入った封筒が,役所から届いた.
内容は,「あなたの保険証が,受け取り人不在で役所に戻ってきています.」というもの.
これは,一般的なものなんだろうか?
たまたま,このタイミングで送られてきた?
あの窓口のおばさんが,「そんなもの,ありません.」と言っていたに等しいお知らせだが,実際は存在したんだろうか?
すごくややこしい人に思われて,これ以上面倒にならないように,急きょ作られた?
役所にどう思われようと,知ったこっちゃないが,もし向こうがこっちを気にしているとなると,ちょっと気になる.
役所って,当たり前の話だけど,こっちの個人情報をかなり握ってるわけで,そこで働くスタッフが全員,滅私奉公で公に奉仕する善人なんていう事は,今どき誰も信じちゃいないだろう.
でも,実際に役所がこっちに向かって目を向けたかもと感じるのは,ちょっと気持ちの悪いものである.

Her birthday

Bd3
12月6日で娘が3歳になった.
いやいやなんともめでたい.よく無事で育ったもんだ.
こんなに嬉しい事はない.
写真は,卵や牛乳を使っていないケーキを前にする娘.粟餅生地のケーキ台に,サツマイモのクリーム.苺やブルーベリーも爽やかで,非常に美味しい.
ラッキーな事に,近くにある生チョコレートを出すオーガニック・ティハウスのシェフ/パティシエさんが,アレルギー対応のケーキを作って下さる.これが確実に年々進化している.写真のケーキも,去年のものより美味しくなっている.

An artist from Lebanon

今年7月の,ヒズボラによるイスラエル兵士二名拉致から始まる,イスラエルのレバノン侵攻の記憶も新しいかの地から,レバノンのアーティストが来日,東京で講演会の予定.
以下に案内を貼っておくので,チャンスのある方は是非!
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■東京国際芸術祭2007プレ企画 
 ラビア・ムルエ(レバノン)来日講演会 
▼ 日時:2006年12月20日 (水) 19時〜21時
▼ 会場 :にしすがも創造舎特設劇場
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
⇒ラビア・ムルエ(レバノン)来日講演会 詳細&お申込み
 【 http://tif.anj.or.jp/news/lebanon.html】
演劇から映像、美術、音楽まで軽やかにジャンルを横断し、
世界のアート界に旋風を巻き起こすレバノンの鬼才、ラビア・ムルエ。
2007年3月に行われる東京国際芸術祭での新作・世界初演に先駆けて来日、
新作に向けた抱負を語ります。
内戦というトラウマがしみ込んだ国、宗教的な共同体によって定義される
社会において、芸術に残された可能性とは何か? 個人が果たすべき役割
とは何か? 2006年夏のイスラエル軍によるレバノン攻撃や相次ぐ暗殺事件
によって内戦の再発が危惧されている現在のレバノン。その現実に生きる
アーティストが今、レバノンで表現を続けることの意味を鋭く問いかけます。
■ラビア・ムルエ プロフィール■
1967年レバノン・ベイルート生まれ。現在もベイルートを拠点に活動、
世界の主要な芸術祭や劇場、美術館で精力的に作品を発表し、
世界的な話題を呼んでいる。日本でも東京国際芸術祭の招きで2004年
『ビオハラフィア』を上演、好評を博した。内戦を経てなお揺れ動く
レバノン社会の傷と矛盾を執拗に表象し、解体するパフォーマンスや
映像作品は、検閲すれすれの挑発と絶妙のユーモアに溢れ、
メディアや共同体が作り出す虚構と現実の境界を激しく揺さぶる。
—————————————————-
■開催概要
—————————————————-
▼日 時:2006年12月20日 (水) 19時〜21時
▼会 場:
にしすがも創造舎 特設劇場
〒170-0001 豊島区西巣鴨4-9-1 旧朝日中学校
地図はこちら http://tif.anj.or.jp/contact/index.html
▼入場料:1000円
▼申込方法:
お申込み方法:
1: HPから予約 http://tif.anj.or.jp/news/lebanon.html
2: 電話で予約 03-5961-5202
*定員になり次第締め切らせていただきますので、お早めにご予約下さい。
また、ご予約なしで当日いらっしゃるお客様にはお席をご案内できない
場合がございますので、必ず事前にご予約いただきますようお願い致します。
▼お問合せ:
東京国際芸術祭
tif@anj.or.jp
Tel 03-5961-5202 Fax 03-5961-5207
主催:NPO法人アートネットワーク・ジャパン
共催:国際交流基金(ジャパンファウンデーション)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
REAL VOICE OF LEBANON Conference by Rabih Mroue(from Beirut)
– Special Event for Tokyo International Arts Festival 2007 –
Date: Wednesday, December 20, 2006 19:00 – 21:00
Language: English (with Japanese translation)
Venue: Nishi-sugamo Arts Factory (4-9-1, Nishi-sugamo,Toshima-ku,Tokyo)
Fee: 1,000 yen (including tax) (Payment by cash at the venue.)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
Rabih Mroue is a Lebanese prodigy who works ubiquitously across
the borders of theater, visual art, fine art and music and triggers
a storm in the global art community. Prior to the new production
(world premiere) at Tokyo International Arts Festival in March 2007,
Rabih visits Japan to express his aspiration for the new production.
What potential remains in arts in a country deeply traumatized by
the civil war and in a society defined by a religious community?
What the role of individuals? In Lebanon, there is a growing concern
of reoccurrence of civil war after Israel’s attack in the summer of
2006 and a series of assassination. An artist working in Beirut
questions the meaning of continuing art expression in Lebanon.
(in English with Japanese translation)
Rabih Mroue:
Born in Beirut, Lebanon in 1967. Rabih works based in Beirut and actively
performs at major arts festivals, theaters and museums over the world,
attracting increasing attention globally. He performed “Biokhraphia” at
Tokyo International Arts Festival 2004 to win rave reviews.
A provocative multimedia performance almost to the limit of censorship,
and exquisite humor relentlessly represents and destructs the faults and
contradictions of Lebanese society that he belongs to and fiercely
criticizes its fictitiousness made up by media and communities.
Reservation:
from websie: http://tif.anj.or.jp/news/lebanon.html
or Call: 03-5961-5202
Venue : Nishi-sugamo Arts Factory
address 4-9-1, Nishi-sugamo,Toshima-ku,Tokyo
MAP http://tif.anj.or.jp/contact/index.html
For further information please contact us at:
Tokyo International Arts Festival
tif@anj.or.jp
Tel: 03-5961-5202
Fax: 03-5961-5207

Kyoto BRIGHTON

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今年も,京都造形大空間デザイン学科/椿組_三回生の,京都ブライトンホテルでのX’masデコレーションのお手伝い.
http://www.brightonhotels.co.jp/kyoto/hotelevent/event/2006_12/illumination/index.html?F=XM
Brighton_3
今年は,去年にも増してLEDとLiddellをフューチャー.そして,Jazz.
朝6時から夜中1時まで繰り返される,たった6曲のジャズの選曲まで含めて,評価は分かれるだろうが,こういう「パブリックな」と言っていいスペースで,20日間以上の長期展示を授業として行えるのは,単純に凄いと思う.
これは,大学のやる気と言うより,椿さんの熱意かな.
お時間に余裕のある方,ホテルでお茶がてら,どんなことになってるか見に行ってみて下さい.

In mourning

こういう事をこの場に書くのはどうかとも思うが,今年の6月に実父が他界した.突然の死というわけではなく,ある程度の覚悟はしていたのだが,その翌月に妻の父が逝ってしまった時には,かなり驚いた.
それで,ひどく慌ただしい6月と7月だったわけだが,一連のお別れが終わった後に困ったのは,こういうのは,誰にどのように伝えなければいけないのかという判断だった.誰だっていきなり僕に,「この前,父親が二人とも逝っちゃってね...」などと話しかけられたら,びっくりするだろうし,そんな話を聞かされてどうリアクションすればいいかも困るだろう.
と,以上は言い訳で,多くの友人・知人にようやく喪中葉書を出し終わった今日まで,父親二人のコトはほとんど誰にも話さなかった.
僕の実父は十数年前に,アルコール依存症で一度死にかけている.そしてそれを期に断酒して,同じ元依存症の人たちが集う断酒会の支えもあって,その後死ぬまでの十数年間は一滴のアルコールも口にしなかった.断酒するまでの彼の人生は,本当につらかっただろうと今なら僕も思えるが,その渦中は家族もかなり大変で,彼の気持ちを思いやる事は難しかった.それでも,最後の十数年間,父親はずいぶんがんばったと思う.えらそうな事を書けば,この年月がなくてあの時逝ってしまっていたら,それはそれは悲しい人生だっただろう.
その無理な飲酒が祟って,断酒してからの彼の身体は,肝臓はもとより体中ボロボロだった.それでもそれなりに,母親ともいろいろな所に旅行にも行き,長年住み慣れた住み家から新居に引っ越しも済まし,ある程度のけじめというか準備も整えた後に何度か入退院を繰り返し,6月に帰らぬ人となった.
実は僕は,父親が逝く前と,逝ってしまった時には,別々の仕事でそれぞれ海外に出ていて,今際の時にもお葬式にも間に合わなかった.というか,もともともしかしたらそういう事になるかもという了解を,僕の母親も含めた(そして父親もわかっていたはず)家族から得ていて,「次に帰るまで元気で.」という言葉が父と交わした最後の会話になった.
もちろん,親不孝のそしりは免れないが,我が儘を承知でいうと,そんなに不幸な別れ方だったとも思わない.ただ,僕の両親はやっと新居に落ち着いたばかりだったので,あと数年間くらい,これまでの事を取り返すように,もう少しゆっくりと寛いだ時間があればもっと良かったのにとは思う.
逆に,妻の父親は,治療のはずの手術の後,そのままついに麻酔から覚めなかった.本人はもとより家族の誰一人として,こんな結果は思いも寄らなかったはずだ.かつ,意識は戻らないものの,数日間は呼吸も心臓もしっかりしていたので,その間の手術に対する葛藤というか疑心というか様々な思いは,ずいぶんと妻や家族を苦しめた.
僕は,此処でも不孝者で,最後に義父と言葉を交わしたのはずいぶん前で,次に会った時には,もう眠り続けておられる時だった.妻の両親は,少し離れた土地に住んでいて,日々の忙しさとそれを理由に,長らく遊びに行かなかった.後悔しても,今から取り返せる事ではない.すいませんでした...
暑い夏の義父のお葬式には,娘も連れて家族3人で妻の里に帰った.人を送る儀式が,今僕らが住んでいる所よりずいぶん濃密に残っている場所で,それなりのお別れをすませたように感じたのだけれど,義母や妻や兄弟姉妹にとっては,それでもまだにわかには別れがたい,突然の死だった.
今年の夏は,そんな一生忘れられない夏でした.
その簡単なお知らせの喪中葉書を,12月になる前にといわれて慌てて出したので,此処にもいちおう書いておきます.

About mail

11月17日:素晴らしい,秋晴れ.
昨夜,Chapel HillでのEaさんの初日が無事に明けた.
まだまだ照明的には納得できない所もあるが,とにかく大きな支障はなく公演できて,ひとまずほっとしている.
この作品とのつきあいも,もう1年を超えるし,作品の立ち上げから関わっているので,かなり内容が頭に入っていて,何とかオペレーションができた感じ.
もともと僕の担当だったLEDのキュー数が80くらいあって,新たに通常の劇場照明のキューがこれまた70CUEくらい加わって,全部で150弱のきっかけがある.他の人の仕事を知らないので,はっきりとは言えないが,これはたぶん70分くらいのパフォーマンスにしては,かなり多いんじゃないかな.
もっとも,Refined Colorsは,全体の2/3くらいがタイムコードで同期して走っているので,シーンによってはもっとキュー数が多い.
MAXでテクストとして書き出した時間を,そのままLIDDELLに読み込んでキューを書いたりできるので,最初にいろいろ試していた時には,4分ぐらいのシーンで2000キュー以上になった事もある.まあこれなんかは,パチパチ鳴る音,いち音いち音に光の点滅を割り振ったりしていたんだけど,結局あまり多過ぎるとかえって分からなくなるので,いまはかなり減った.
でも,話は戻るが,昨夜の公演は,すべてのキューを手で操作しているので,きっかけを覚えるだけで一苦労.
それでも,とにかく覚えてしまえば,こっちのもんである.
ところで,どうもアメリカに入って以来,メールが送信できていないようである.別に跳ね返ってくるわけではないので最初は分からなかったのだが,日が経つにつれて,返事が来ないのを訝った電話が携帯にかかってくるようになり,それで判明.こっちも,メールを送ったのに一向に返信がないのでいらだっていたりしたのだが,どうもどのメールも送り先には届いていない模様.
スカイプは繋がるし,こうやってブログの更新などもできるのだが...
僕のメールサーバーの問題かとも思ったのだが,一緒に来ている他のテクニカルも,別のサーバーを使っているのに同じように送れていないとの事.困った!
とにかく,ここにいる限りにっちもさっちもいかないので,帰国したらすぐ再送します.もし僕から何か返信があるはずなのに,何も届いていない方がいれば,その旨メール下さい.おそらく受信は全部できていると思うので,帰国したら返信します.
明日には,日本に向かうので,今日がChapel Hillでの最終日.
聞く所によると,この街のほとんどを占めるUNC(ノースキャロライナ大学)は,アメリカ最古の公立大学らしい.他にももっと古い大学はありそうなもんだが,ハーバードとかそういう僕でも名前を知っている所は,皆プライベートスクールだとの事.
しかしまあ,何でこんな田舎にと思っていたら,この辺り一帯は,アメリカいちの煙草と綿製品の産地らしい.特にアメリカの煙草メーカーのほとんどは,ここに拠点があるとの事.なんともまあ,のほほんとして牧歌的に見えるが,その氏素性は奴隷制バリバリの白人ご都合主義の産物だったわけで,そこにこの国初の公立大学ができたと.
町自体が大学で,たいていの大学街がそうであるように,今は白や黒や黄色やいろんな色の目や髪の人々が,誰に遠慮もなく闊歩しているし,中にいる限り快適だが,この州の他の地域はどうなんだろう?
そして当然ながら,ノースキャロライナは圧倒的に共和党支持らしい(また聞きです,違ったらごめん).バーなどでも,ちょっと耳を澄ますと,ブッシュがどうした,とかの会話が聞こえてくる.まともには聞き取れないので,雰囲気だけの解釈だけど,今回の民主党の躍進で,共和党内でもかなりブッシュ批判は高まっているんだろう.
でも,思うんだけど,共和党が攻撃的で民主党が平和的かというと,そういうことではないだろうという気がする.
もちろんブッシュのいかれた原理キリスト教的倫理観や好戦性は最低だが,彼はたぶん単純でアホなだけだ.で,何でそんな人が現職の大統領になれたのか,しかも2選目だ,というほうが問題で,そういうのもたぶん共和党だからという答えではないんだと思う.
ああもちろん,そんなアメリカの事に茶々入れてるうちに,日本も同じように酷い事になってるようで,いつまでもご主人様のアメリカに尻尾振って付いて行こうとしていると,そのうちぽいっと道端に捨てられそうな状況である.そういえば,安倍さんって,何となく捨て犬が似合いそうな顔.

NW

Chapelhill
Northwest航空では,ついに国際線でもアルコール類が有料化されていた.しかも,ビールでもワインでも何でも一律5ドル.缶ビールの350ml一本5ドルはぼり過ぎでない?
前夜の無理が祟って,エコノミー座席で爆睡.目覚めてもしばらく身体が固まって動かず,首や肩がガチガチに.
関空の出発が,機体のトラブルで2時間遅れ,当然乗り継ぎは逃し,一便遅れて着いたノースキャロライナの空港では,今度は空港側の機材の故障で着陸後30分ほど機内に缶詰め.大丈夫か,アメリカの航空業界?
日曜に飛んだので,現地との連絡も思うようにとれず(メールはおろか携帯も繋がらない),迎えのタクシーは当然もう待っているはずもなく,自分で捉まえたタクシーでたどり着いたのは,世界の果てのようなHoliday Inn, Chapel Hill.
ネットだけは,各部屋に無料の無線がバンバン飛んでて快調なので,さっそくGoogleEarthで現在位置を見てみるが,これがもう周りにあるのは森と道路とコンビニ.Chapel Hillの街に行くのも,車が必要な模様.
今日は,旅の疲れから回復するrecover day なので,街を散歩しようかと思っていたけど,それも億劫に.
自宅の旧iBookにやっとiSightが付いたので,Skypeでビデオ電話.時差がちょうどいい感じで,こっちの朝7時に繋げると,日本は夜9時.子供が寝る前に,顔を見て話が出来る.
しかし,こういう技術とサービスが現実のものになってるなんて,やっぱり凄いなぁ(しかもタダ).今居るような広大な田舎があるからこそ,アメリカでこういう技術が発達していくのかしらん.で,日本でも,マンションの隣の部屋が,一生訪れないような遠い場所になって行くと.まあ,ネットのせいで,日本で近所付き合いがなくなって行っているわけではないが...
Chapel Hillどこか分かるかな.

Move around

753
久々に,ほぼ徹夜状態.
もともとロング・スリーパーなだけに,明日(もう今日か)は,使い物にならないかもしれない.(はやく寝ろ!)
といっても,もうすぐ機上の人.久々に,Eaさんの公演で,アメリカはノースキャロライナのChapel Hillという所へ向かう.
http://www.carolinaperformingarts.org/performances/event.aspx?id=dde5643f-51f8-4a23-9ac4-b6761d6679b8
しかし,GoogleEarthで見る限り,かなり田舎.大学のある町というか,町化した大学という感じの所のようなので,案外楽しいかもしれないが...
アメリカの田舎って,どこよりも世界の辺境だと思う.
で,徹夜な訳は,今回初めて,通常の舞台照明とLED照明を,両方一人でオペレートする.今まではフランス人の相方がいたんだけど,予算の都合でカット.その皺寄せで,準備が間に合わずこういう事に.
まあそうは言っても,別に無理なスケジュールだったわけでも無く,ただ僕がのんびりしていたと.それでも,何とかキュー・プログラムも組み上げたので,まあよしとしよう.
のんびりついでに,娘の七五三に吉田神社に行ってきた.僕自身は,子供の頃も含めて,そういう神仏への風習が無い環境で育ったので,新鮮でなかなか面白い体験だった.ただ,この12月で3歳になる娘の七五三は,どうやら去年に行うものらしい.数えで3歳という事か.
しかし,ちょいと大きくなった今でも,着物を着せるのは大変なんだから,去年は無理だろうと思ったけれど,よく考えれば,昔の人は生まれてからずっと,着物で暮らしていたのだった.
で,娘の写真.
それでは,行ってきます.

Jean Genet

11月3日
京都造形芸術大学 舞台芸術研究センター 主催
ジャン・ジュネのテクストに基づくダンス公演『恋する虜』のための公開セミナー
「裏切りとしての身体—ジュネの言葉とダンスの出会う場所」
http://www.k-pac.org/kpac/study/061105_f.html
というのに行ってきた.
この試み,2年間かけてダンサーや舞台美術家,映像作家に現代フランス文学者に批評家と,まさに大学の研究機関ならではのクリエーション・メンバーが,きちんと作品を作っていこうという試み.
コラボレーションという言葉は,さまざまな分野で,いやになるほど使われているけれど,実際にクリエーター同士がじっくりとミーティングから始めて,ある程度の認識を共有して,作品を共同製作している例は本当に少ない.
たいていは,何だか大御所の彫刻家だかなんだかが作ったわけの分からない物の上で,ダンサーが適当に,こんなインスピレーションがこの物を見ていると湧いてきました,という感じで踊っている(ように僕には見える.)実際,このプロジェクトに参加している方々の作品でも,そういうのを観た覚えがあるが,今回は違った.
まさに,大学ならではの企画というか,実際にさまざまな人材を抱えていて,アカデミックなネットワークもあって,しかも劇場やスタジオまで持っている機関だからこそ,こういう長期プロジェクトが組めるんだという好例.
特に,僕の好みとしては,映像作家の伊藤高志さんと舞台美術家の杉山至さんの仕事が素晴らしい.これは言葉を変えると,パフォーマーとテクニカルサイドが,きちんと話し合いを積み重ねて,お互いに作品を理解しているという事だと思う.当たり前の事みたいだけど,これは日本の舞台作品の制作システムの中では,なかなか難しい.特に,自分の事をアーティスト/独立した作家だと思っていないテクニカルの人は,いきおい作品の内容より,出演者やディレクターなどの口から出た言葉だけを,現実化する事を仕事だと思っていて,作品の中身にはあまり関心が無いように見える.これはたぶん,制作場所や予算なども含めた,日本の制作環境にも原因があるのだが,この企画は,その環境に一石を投じるような試みだと思う.
ただ,できうるなら,音響と照明のスタッフも,作品のコラボレーターとして,同じレベルで作品に関わっていって欲しいと思う.(内実は知らないが,音響と照明のスタッフは,今回のクレジットには載っていても,プロジェクトのメンバーリストには名前が挙がっていなかった.)
そして,特に,これが批評家とかでなく舞台に上がる人,ダンサー・コレオグラファーで京都造形大学主任研究員(教授)の山田せつ子さんを中心に展開されているのも注目に値する.
また以前,「公務員的なダンスで全然面白くない」と書いた砂連尾理・寺田みさこさんのダンスも,今回は他の舞台要素と相まって,とても面白かった.僕は何かを研究しているわけではないので,個々のダンサーの作品を系統だってみるような事は,意識的にはしていない.そして,こうやって個人的な感想を時々ブログに書くぐらいだけれど,これからも機会があれば前の作品に関係なく,積極的に様々な作品を観ていきたいと思う.
そうそう,上記の二人も造形大で教えておられるそうで,そのポジションがこういう作品になって還ってくるわけだから,大学という場所もなかなか捨てた物じゃない.
あと,実は白井剛さんもこのプロジェクトに関わっていて,彼の仕事の断片が観られる事を楽しみにしていただけれど,今回は体調がすぐれず欠席との事.残念...
それと,別にたいした事ではなけれど,このブログのプロフィールに少し個人的な情報を載せました.
というのは,もともとは親しい知り合いや身内に向けて書いていたつもりなので,何も載せていなかった.だけど,このブログについつい忘備録的に公演の感想などを書いてしまう,しかも,かなり酷評してしまう時があるので,それならこちらの名前なども載せておかないと,フェアーじゃないと思ったわけです.
あくまでも個人的な感想で,批評とかでは全然無いけれど,そんなこの僕の感想に何かコメントなど付けようと思った人がいても,名前も分からないようではやっぱり躊躇してしまうだろうしね.
プロフィールへのリンクは,写真(娘)の下に小さくあります.

Problem-solving skills

しばらく前に,帰国してます.
それで今日は,京都の町を自転車で,リサーチ&買い物.というのも,京都市の環境課が行っている,「電動式生ゴミ処理機購入助成金」というのに当たった.これは,申請して選ばれれば,3万5千円を上限に,生ゴミ処理機の購入金額の半額が京都市から返ってくるというもの.
ちょっと調べてみると,大体売れ線の,乾燥式家庭用ゴミ処理機が6〜7万なので,その半額を市が払ってくれるという事.まあ1件で3万前後というのは,そんなものかと思うけれど,対象が2000件だか2500件という話なので,全体予算としてはかなり大きい.でも,ゴミ処理場を建てる事に比べたら,微々たる予算だし,それで各家庭に処理機が入って,各々が支払う電気代でゴミが減れば,ゴミ袋有料化とあわせてそれなりの効果はある.なかなか頭のいい戦略だと思うのだけれど,京都市のゴミ袋有料化はいろいろ取りざたされても(それもたいてい,準備が出来ていないだの分別収集が大ざっぱすぎるだの,否定的な事ばかり),助成の方はそれほどでもない.家電店のゴミ処理機コーナーには助成金のチラシがあったが,それじゃあ元から興味のある人しか見やしない.戦略は良くても,広報がダメだとなぁ...
とにかく,価格.comで最安5万円くらいの値がついている人気商品を購入すべく,寺町四条や外側の大型量販店を自転車で回る.
それで,もっとも安かったのが,税込み送料無料で,6万3千円.
高いなぁ,こういう既製品を買うなら,ネットの方がやはり断然安い.しかし,まあ送料は含まれていないが,最安の所と比べて1万円も高いというのは,どこがどう違うんだろう?昔みたいに,買った所が,その使い方から修理,果ては廃棄まで,全部面倒見ますという,近所づきあい的な関係なら分からなくもないが,どうせどこだって,売ってしまえばあとはメーカー任せでしょ.
しかし,助成金の但し書きには必須条件として,京都市内の店舗で購入の事とある.
で,それとはまったく関係ないが,久々に京の街を自転車で走り回ったら,ものすごく目についたのが,携帯のメールをチェックもしくは送信しながら走っている自転車だった.
最初は,バッカじゃなかろか危ないなぁ,と思ってたんだけど,そのうち怖くなった.
本読みながら,自転車乗れるか?
そんなの無理でしょ? じゃあ,なぜ携帯の画面なら,読めると思うんだろう?
すれ違ったのが,ことごとく若者だったのも気になった.あえて言っちゃいますが,みんな二十歳から三十歳くらいの人でした.
それで,ほとんど無理やりだけど,タイトルの「問題解決能力」.
以前読んだ脳の本で,一番衝撃的だった「環境ホルモン」の話.まあ,いろいろ恐ろしそうな事が取りざたされていた(この頃は話の端にあまり上らないけど)環境ホルモンだけど,身体に異常が出たり,精神的に障害が出るのは,ある意味分かりやすい.それより怖いのは,人間の機能としての,問題解決能力の劣化だという.
つまり端的に言うと,このままでは,何か重大な問題に直面した時に,どうしていいか分からなくて,呆然としてしまう人が増えるかもしれない.
これはかなり怖い.いっけん普通に暮らせるし,決められたシステムの中では,たぶん何の支障もなく社会のいちパーツを務められるだろう.でもその人が,特異な事態では,使い物にならなくなってしまうのだ.
しかも,どこまでそういう事になってしまっているのか,非常事態が起こるまで,確かめようもない.
もっと恐ろしいのは,いつの間にか自分も含めて周り全員の,解決能力が衰える事である.これは,ある意味惚けるよりずいぶん深刻だ.
ここからは,本の受け売りではなくて,僕の勝手な意見だが,問題解決能力が減退すると,どういう特徴が現れるか考えてみると...
・マニュアルに頼るようになる.
だって,自分で何とか出来ないなら,他人の知見に頼るしかない.
・他者とのコミュニケーションができなくなる/うわべだけになる/人目を気にしなくなる.
ほとんどのトラブルは,他者との交渉によって解決されるから.
・データや身の回りや,その他いろいろ,整理整頓できない人が増える.
解決の糸口は,まず整理して状況を把握する事だと,僕は思っているので.
これって,今どきの若者の...
と,自転車に乗って走っていると,いろいろ想像は膨らむ.
願わくば,これが僕の強迫観念的な,思い込みでありますように.

Melbourne 3

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10月23日に無事帰国.
今回印象に残った公演を,忘れないうちに記録.
“Tragedia Endogonidia BR.#4” : “Societas Raffaello Sanzio” from Brussels present.
Directied by Romeo Castellucci.
今回観た中では,もっとも秀逸.
三方が,見た目は大理石プレートの高い壁に囲まれた舞台.なので袖がないので,転換時はいちいち割り緞帳が閉まる.でも,その閉まった,たぶん持ち込みの白い緞帳を使って,遮られて見えない舞台中がめちゃくちゃ明るくなっているような光の演出もあり,すべての要素をうまく利用している.
抽象的な,その何もない舞台に,最低限の要素を置いて,幻想的でインパクトの強い舞台をものしている.
次々と,新しい可能性のある舞台は出てくるが,それをいち早くオーストラリアまで喚んでしまうこのフェスは凄い.それに毎年だし...
とにかく,光の使い方が良かった.機材をチェックしたわけじゃないけれど,HMIと通常の舞台照明と蛍光灯,それにビデオプロジェクターも照明の一種としてうまく扱っていた.それらと,マジックでも使えそうな道具を駆使した舞台装置をあわせて,映画ばりの,つまり目前の舞台でリアルタイムに,普通だったら目視するのは不可能なような効果を,うまい事現実化してました.
“the 51st(dream) state” : Sekou Sundiata.
こっちは,超クール.
このSekou Sundiataというおっちゃんは詩人らしい.舞台上は映像や通常照明に加えてストロボなんかも効果に使い,4人のこれまた恰好良いコーラスガールとドラム・ウッドベース・キーボードと,何やらその筋では有名そうなホーンのおっちゃんを加えたバンドもSekou Sundiataと一緒に舞台に立つ.
4人のコーラスは,それぞれソロでも歌い,バイオリンも弾く東洋系(たぶんベトナム人だと思ってたら,名前は中国系)と,NYのハーレムでゴスペル歌ってそうな弾丸ねーちゃん,中東の香りぷんぷんの美人さんに,南アメリカ出身ぽいグラマラスなおねーさんと,よくぞ揃えたマルチ・カルチャラルな美人揃い.みんな歌唱力抜群.
しかし,その強力なバンドのパワーも全体の半分程度に抑えて,メインはSekou Sundiata氏自身の詩の朗読に比重があるところが,ものすごく渋い.しかも,当然ながらそれがうまい.
といっても,その流暢な英語と多彩な発話の表現,早口言葉も真っ青なスピードに,ほとんど一言も言葉の内容は分かりませんでした.まあ,何について喋ってるかくらいは,何となく見当付いたんですが...
それでも,その全体の構成には,ものすごく感服.
映像も自由に使えるだろうし,ミュージシャンもすごくうまくて,舞台要素(音響・照明を含む)もよくデザインされてて,優秀なスタッフがいる事が分かる.それらをうまくコントロールしながら,あくまでもメインは詩人本人の朗読に比重を置くというのは,実際に作るとなったら相当難しい.だって,ある程度は,何でも出来るし,それで誤魔化したくなる.
う〜ん,大人な感じ.
しかし,こういう内容になると,全然言葉についていけない,自分の英語力が恨めしい.