公演は,無事に終了.
寒暖の差が極端な,気まぐれな天候のせいか,最後まで風邪は全快しなかったが,公演自体はうまくいったと思う.
前回memorandumで,同じこのフェスに来た時には,Forumという大箱のナイトクラブのような場所で,舞台の前3分の2くらいを仮設,天井部もトラスを吊り込むという,まず会場を作るのに一大労力を費やすという状況だった.しかし,今回はアートセンターの中の使いやすい劇場で,スタッフもバリバリ動くし,音響・照明機材も十分という恵まれた環境.3日間3回の公演共に,お客さんもほぼ満員で,何不自由なかった.
でも,それだけ恵まれているのに,天の邪鬼なのか風邪のせいか,何だかどうも街に馴染めない.Australia全体を知ってるわけじゃないし,今いるMelbourneだって,よく知らない.そんなぼくが言うのもなんだが,どうも不思議な感覚がつきまとう.そのわだかまりをつらつらと考えていて浮かんだのが,何だかシェルターの中にいるような,という感じだった.きっと入国時のチェックの厳しさや(Australiaは独自の自然環境を守るために,外からのいろいろな物の持ち込みを厳しく管理している),きわめて効率良く,誰にでも分かるように設定されたルールやなんやかやが,単純にぼくの思い込みを作っているだけだろうが,どうもなんだかやんわりとすべてが管理されている場所のように感じる.
もちろんここだって,駅前に行けば,行き場のない時間を持て余した若者がたむろしているし,ゴミだらけの路地もある.それに管理といったって,オーウェルの世界みたいに,悪意のあるビック・ブラザーが一挙手一頭足を見張ってるというのでもない.でも,何だか「後が無い」感じがするのだ.
シェルターの中は居心地がいい,安全だし行き届いている.でもそれは裏を返せば,外は大変だという事だ.シェルターは,外部が非常事態になってこそ,意味がある.
まだ,たぶん外もここも,そんなに違いはないと思う.まだ,別にここはシェルターではないのかもしれない.すべてが人工的な気がするのは,Australiaの強力な大自然に対抗して,自然に街がそういう発達をしているからかもしれない.でも,何だかね,外からの訪問者としては,そんな気がしたわけだ.
もっとも,日本だって外部に閉じてるのは,ここ以上かもしれないけど...
今日の午後は,Robert Wilsonの新作,I La Galigoを観劇.これまでにも確か2本別の作品を観た事があるが,生まれて初めて一秒も微睡みもせず,途中退場もなしで3時間に及ぶRobert Wilson作品を観た.シンガポールのEsplanadeがコプロダクションで参加し初演もしたこの作品は,インドネシアから50人強に及ぶダンサー・シンガー・語り部・ミュージシャンを連れてきておこなう一大神話絵巻.何度も繰り広げられる,上手から下手に流れる神話的な行列といい,いかにも絵巻っぽい.Robert Wilson/西洋(?)の視線で残虐シーンも口当たりよく編集された演出と,美しくデザインされた照明.3時間途切れる事のない,インドネシアン・ミュージシャンによるヴォイスと演奏.大変な労力を使った,綺麗な作品でした.それだけといえば,それだけだけど.
今晩,あと一本作品を観て,明日は帰国.
写真は,舞台でミーティングするダム・メンバー,使いやすかったPlayhouseのステージ,今回もっとも強力でかっこよかった劇場の搬入リフト.何とMAX25トンの稼働重量,Voyageの機材がトラックごと楽々と上がっていく.そして,melubourneの地下鉄.
Melbourne 1
「声を失う」 – といっても,何かにあきれたわけではない,
10月14日の夜に飛行機に乗り,15日朝にBrisbaneに到着.空港のシステムがすごく分かりにくい上に,フライトが遅れて乗り継ぎ便を逃し,予定より2時間後の便でMelbourneに到着.その頃にはもう,咽がいがらくて風邪の兆候があったのだが,ちょっと無理をしてBelgiumから来たパフォーマンスを1本観劇.無理をしてでも観て良かった!といえる面白い物だったが,移り気な春の寒さのせいもあって体調はどんどん下降.翌朝起きた時点で,僕の声は自分の物とは思えないがらがら声に.
しかし,それはVoyageの仕込み初日のことである.初日の午後からは.照明のフォーカスがメイン,何が何でも大きな声で喋らなければならぬ.
常用している風邪薬と,いくつか携帯してきたホメオパシーのレメディーをちゃんぽん.そのかいあってか,別に熱も出ず咳もそれほどではなく,咽の痛みも不思議とないのだけれど,夕方以降にはほとんど話せなくなってしまった.
おしゃべりはどちらかというと苦手なほうだし,別に普段はそんなに話せなくても困らない気がするが,舞台仕込みの真っ最中となると,話はまったく別である.困ったというか情けないというか,何か自分が悪いような感覚に捕らわれる.
僕の敬愛するルポライターに,「AV女優」というタイトルの,まさしく日本のアダルトビデオの女優さん達にインタビューして歩いた大著をものしている,永沢光雄さんという方がいる.その彼が喉頭ガンで声を失くしてからあとの自伝というかエッセイがあり,それがなんというか,まったく泣けてくる,でも生きようという気になるとてもいい本なのだけれど,その本の事が無性に思い出された.
もっとも,僕の状況はただの風邪だが...
もしくは,最近読んだ失語症の話.周りの状況は,完璧に理解しているのに,ただそれが話せないというだけで,どこにも伝わらない.そのもどかしさ,ふがいなさのせいで,つい自分を責めてしまうという...
幸いな事に,一晩寝たら,声はある程度戻ってきた.今まで長く生きてきて,こんな体験は初めてである.ぎっくり腰をやったときもそうだが,無くしてみて初めて,それがどんなに得難いモノだったかが分かる.いやそんな,たいしたこっちゃないんですけどね...でも,発話できるというのは,すごいなと.
Melbourneの春は,日々の寒暖の差が激しくて,昨日は凍えるようだったのに,今日は一気に春めいて気持ちのいい気候です.
Rest
滋賀の公演は無事に終了.
今回のツアーの初めから取り組んできた作品のアップデートが出来て,個人的には大変満足.お世辞にもお客さんが多かったとは言えないけれど,内容的には,かなり密度があったと思う.
あの空間を贅沢に使わさせてくれた,滋賀会館には非常に感謝.やはり,必要な要素を全部組んで,いろいろ試せる場所がないと,作品のアップデートは難しい.
公演後の打ち上げに,久々に街に出て,いまだ時差ボケが残っていることを実感.公演時間が早かったので,街に出たのも早かったのだが,いやあ眠い眠い.
その後2日間,子供と同じリズムで過ごして,早寝早起きを心がけるが,いまだ何となくぼーっとしている.
しかし,今からダムの公演でメルボルンに出発.時差がないのがせめてもの救いか.
Shiga Theater
30日朝に帰国して,その夜に京都芸術センターへ.
キュピキュピの石橋君が美術を担当した「きりしとほろ上人伝」は,その舞台美術と全体の進行役である女義太夫の謡語りが素晴らしかった.でも話の内容は箸にも棒にもかからない.いくら原作が芥川だといっても,こんな時代にキリスト教の布教寓話を文楽・浄瑠璃・狂言絡みで作るという設定が,どういうつもりなのか理解に苦しむ.(といいつつ,そこでちょいと仕事をしていたわけだが...)
10月1日は,子供とすごす.すごくよく喋るようになっている.話し相手に,自分の欲求なり感情を理解してもらおうという姿勢で,彼女なりに理論を展開してきて,とても面白い.
10月2日,朝から滋賀会館で,Refined Colorsワークショップと公演の仕込み開始.
自宅から40分弱の通勤になるので,時差ボケの体にはきつい.しかし,昔からお世話になっている舞台屋さんのBさんや,ダムの若手がスタッフとしてかかわってくれているので,仕事はやりやすい.プランを立てていた図面と現場の寸法が違ったり,現場で考えようと後回しにしたまま忘れていた事など色々あったにもかかわらず,満足のいくセットが建つ.
PAも,ダムでオペレートしてもらっているFさんに手配してもらって,D&Bのパワフルなものを入れてもらった.今回わざわざ,通常のsubwooferよりさらに低音に特化したB2-SUBsを持ってきてくれはったので,広い会場にもかかわらずM鍋氏も満足するだろう,かなりの低音が出ている.
http://www.dmaudio.co.uk/b2.html
しかし,どうやらチケットの売れ行きが悪いようで,担当者が頭を抱えている.予算的な事もあるだろうけれど,それより結構な広さの会場なので,かなりがんばらないとぽつぽつとしか席が埋まって見えないのがつらい.
せっかくこれだけ時間もお金もかけてやるんだから,大勢の人に観てもらいたいなあ.
皆さん,大津はそんなに遠くないですよ.
そしてそして,ワークショップもまだまだ空きがあります.
http://cgi.shiga-bunshin.or.jp/shiga/event-syosai.php?number=1708
実際の舞台を使って,monochromeダンサーズのインストラクターも付いて,D&BのパワフルPAで自分の好きな音を鳴らして,しかも簡単に望むようにLED照明で色と光を操り,その中で踊るというこの企画.3日間で2000円という,破れかぶれな料金設定が,あまりにも安すぎたか?
希有な体験が出来るんですが...
というわけで,今日も滋賀に通います.
いや,ほんと,思ってるより近いです.
Entrance fee
10月26日27日29日:
やっと,Singaporeに到着.Bucharestを出てから20時間強.
話は前後するが,27日に無事にBucharest公演終了.
今回の舞台は,少し角度が付いている上に床が地絣敷き.地絣というのは,簡単に言えば床を被う大きな一枚布.歌舞伎の道具から来ていると思うが,日本舞踊などでも使うし,たぶん舞踏でもよく使う.Bucharestの劇場が用意した地絣は,中国の劇団が持ってきたものだといっていたから,京劇がルーツかも知れない.
monochromeのメンバーは,全員地絣初体験という事で,ずいぶん大変だったようだ.おまけに,地の床がとても状態が悪く,ある程度は養生してもらったもののデコボコがとれず,痛いし踊りにくいしという状態だった.
でも,公演自体は悪くなかった.ダンサーの皆さんゴクロウサマ.そして在ルーマニア日本大使館の方々,とてもお世話になりました.ありがとうございました.
ただ一つ残念なのは,すべて終わったあとから,今公演が無料だったと聞いた事.直前に聞いても有料にするのは無理だったかも知れないけれど,大使館の方と話はできたはず.
僕は,無料公演というのは絶対に納得できない.確かに,もともとかかる予算と入場収入では,到底つり合わないし,助成や援助がなければ作品の制作も難しい.それにお国柄というのもあって,インドなどでは劇場公演は基本的に無料だと聞いた事もある.
それでも,僕はいくばくかの入場料と自分の時間を対価に,会場に足を運んで作品を観に来てくれた人と関係を持ちたい.もちろん僕だって,「招待」で劇場に入る事もあるけれど,できるだけ料金を払う事にしている.だって,面白くなかった時に,ちゃんと文句言えないじゃん.それに,ただだといい加減に観る,という事もあり得ると思ってる.もちろん,みんなそうだというわけじゃないけれど...
ルーマニアの人が納得できる額でいいから,入場収入を取ってほしかったなぁ.
さあ,ではこれからタイ経由で大阪へ.
Frankfurt
Bucharestでの公演は無事成功.
ただいま,帰途途中のFrankfurt.節約予算のフライトなので,なんと帰り着くまで36時間ほどかかる...
Bucharest-Frankfurt-Singapore-Bangkok-大阪.途中,ここで6時間,Singaporeで3時間のトランジット.
ちなみに,昨日27日から30日まで,京都芸術センターで「きりしとほろ上人伝」という,狂言師やら文楽の方やらが京都市だかの企画で集まって作ったパフォーマンスが上演されているのですが,その美術をキュピキュピの石橋君がやっていて,僕もLED照明のプログラムでちょこっと参加しています.といっても,まだ完成作を観ていませんが...
なので,30日には観劇予定.朝に帰り着いて夜には芸術センターへ.
ああ,ホットスポットの時間が切れる.では,今度はSingaporeからかな.
Bucharest
9月24日25日:
24日は今回最大のヤマ場,FaroからルーマニアのBucharestへの移動,ツアーメンバー8人+公演機材一式150キロ(トランク5個),Faro-Lisbon-Frankfurt-Bucharestだった.
まずは,空港で通関.これはA.T.A.Carnetという輸送用の通関書類を作ってあるので,難なくパス.Carnetは簡単に言えば,いったんその国にこれこれの機材を持って入るけれど,中で売っぱらう事無く全部持って帰ります,という保証証明書.
次にチェックイン,8人で個人の荷物も含めて12個を預ける.ヨーロッパは個人の手荷物預かり上限が20キロなので,160キロまでならセーフだが,もちろんそれで済むはずが無い.だって機材の重量が既に150キロある.カウンターのおねーさんは,顔色変えずに淡々と荷物にラベルを貼って送っていくので,一瞬無問題なのか?と気持ちが踊るが,そのおねーさんはそのまま表情を変える事なくサラッと「はい,合計で286キロなので126キロオーバー分の超過料金を払ってください.」といった.一瞬その場で気絶でもして見せようかと思ったが,相手はさらに上手で手慣れているというか,続けて「特別に一人5キロまでサービスしてあげるから8人で200キロまでは無料,86キロ分の超過でいいわ.」と続ける.
それですぱっと交渉切断,まけてと言い出す前に40キロまけられて,今更後5キロずつまけろとか言い出しにくい.もともと,100キロオーバーは覚悟の上だった事もあり,指示通り料金支払いのカウンターへ.これが間違い.というのは,超過料金の設定が,日本で調べた額より高かった.各航空会社によって差はあるが,料金はたいていそのルートのエコノミークラスもしくはルートによってはファーストクラス(これで全然金額が違うが)の正規料金の数パーセントが,1キロごとの超過に対して課せられる.これが,思っていた金額よりかなり高かった...
この時点でかなりへこむが,明日朝からはBucharestで仕込みが始まる.機材は必ず僕らと一緒に動かなければいけない.
ここでちょっとごててみるが,これまた航空会社がうまく考えているのか偶然か,Frankfurtまでのキャリアであるポルトガル航空の規定なら,超過料金は約半分で済むという.じゃそれで,と即答しそうになるが,よく聞いてみるとその場合は,Frankfurtでいったん荷物を受け取って,再度チェックインし,そこでまたルフトハンザに料金を払って再度荷物を預けろと言う.つまりルフトの料金設定がかなり高いわけで,それを全行程に適応するか,もしくは分けるならいったん荷物が出てくると...
乗り換え時間は2時間.かなり迷うが,どうにも慎重になってあきらめてその場で支払う.人生勝ち負けで言うと,負けたようでかなり悔しい...でも荷物が出てくるまで待って,再度並んでチェックイン・交渉・コントロールを通ってセキュリティー検査を受けてBucharest行きに乗り込むまでを1時間40分程度で,しかもあの広いFrankfurt空港の中,8人全員でこなさなければいけないと思うと,どうもガッツが湧かなかった.
でも,しつこいけれど,負けたようで悔しい.
まあ,そのかいあって,深夜のBucharestOTP空港で,無事12個すべての荷物を受け取り,迎えに来てくださった日本大使館の方と落ち合う.
そして,25日中にセットアップから通しリハまで完了.まあ,たいしたもんだと自分を褒めておこう.(でも悔しい!)
写真は,Teatrul Ion CreangaとBucharestの光景(色)をLiddellで照明の数値に取り込んでいるところ.
Loule
9月21日22日23日:
Faroから十数キロ,車で20分程度のところにあるLouleという町に移動.ここにあるCINE TEATRO LOULETANOで23日一晩のみの公演.「水の家」チームはLisbonで公演しているが,僕はこの10日間,このLoule公演のためにPortugalに滞在していたといえる.
Faroに近いものの,ホテルもLouleに用意されて,FaroのCAPaとはさようなら.またいつか,滞在制作などできれば良いなぁ.僕はかなりPortugalの水があっているようだ.
ところが,そんな気持ちとは裏腹に,Louleの劇場はかなり厳しい.古くてかわいいところなのだが,かなり高い天井のスノコからは,たった3本のバトンしか下がっていない.奥行きも間口も10メートルはある舞台の上にたった3本,それだけ.一番前のプロセニアムに下がっている一文字は,プロセからワイアーで直に吊り下げてある.加えて,CINE TEATROの名の通り,間口いっぱいの稼働スクリーンがあり,それを舞台奥一杯まで押しやっても,ホリゾント幕の下からスクリーン枠の足が飛び出る.スノコには危険だから誰も上がってはならぬと言われるし,2層あるバルコニーの上層には,危ないからお客を入れられないという.(落ちるのか?バルコニーごと...)
それでも,見た目はちゃんと劇場なので,かえって至らないところが目立って仕方がない.客席からはバトンが何本あるかなんて見えないから,なぜホリゾント幕の上場も照明バトンも丸見えなのか,よくわからない.
今までにも厳しい場所はいくつもあったけれど,それはもう空間そのものがいかにも大変なところで,あまりちぐはぐな感じはなかった.かえって,そういうところでLEDを同期バリバリで動かす事で,作品がパワーアップした感があって得をしていたのだが,どうも今回は困ったもんである.
音響も,追加でサブ・ウーハーをLisbonから持ってきてもらったりしてがんばっているのだが,客席の天井が高くその全体積の割には機材不足で,いまいち迫力に欠ける.ここでも立派な見栄えというか構造が仇になっているわけだ.
シンプル・ミニマルな白い箱というセットは,最終的にはそれなりにかっちりしたが,その上部や周りの諸々がどうもワサワサでいけない.
何だかね,こんなこともあるわけだ.
もちろん,Refined Colorsだから,ここでもそれなりに公演できるという自信はあるが,想定外の場所だといえるなあ.
Armona
9月19日・20日:
Faroで出来る仕事も,だいたい一段落したので,近くの島に一泊で遊びに出かける.他のメンバーはみんなLisbonかその辺りにいるようで,久々の一人旅である.といっても,Armonaというその島は,Faroから電車で15分の隣町でフェリーに乗り換え,そのから20分程度の船旅.ただ,電車は1時間に1本,フェリーに至っては1日4便と,なかなか近くて遠い.
前日18日の午後に,2時間ほどの干潟ツアーに参加し,その行程で訪れた沖の無人島がかなり良かった.出来れば島で一晩過ごしたいと思ったのだが,宿はおろかキャンプサイトもなく,島に留まる事は出来ないという.それでまああきらめたんだけど,その近くの別の島であるArmonaにはバンガローがあると聞き,とりあえず出かけてみる事にした.
島といっても干潟の延長で,潮が満ちても沈まない土地が外海に向かって出来たという風情.そこに漁師さんやら,行ってみて分かったのだが,かなりの数のリタイア組み(年配のカップル)が,ゆったりとかわいい小さな家を建てて住んでいる.僕は実は沖縄の竹富島のファンだが,勝手にArmonaをポルトガルの竹富島と呼ぶ事にした.
島には背骨のように細いメインストリートが走り,その両脇に家が並び,港からまっすぐ20分も歩くと反対の端には綺麗なビーチが広がっている.
もう夏も終わりというからか,ビーチには人少々,鳥たくさん,犬1匹という状態で,爽快な事この上ない.水はかなり冷たかったが,まだ日差しは熱くて,泳げないことはない.
バンガローは,ちゃちい割には結構な値段だったが,小屋の裏にはまた違う浜が広がり,夕方の引き潮時には,島のジイサンたちが潮干狩りをしている.
数件ある食堂の一つで食べた,アサリのチャウダーも旨かったし,夜中に真っ暗なビーチで見上げた星空も凄かった.あんなにはっきり天の川が見えたのは,ここ以外ではオーストラリアの砂漠かヒマラヤのラダックか...
興に乗って早起きして,朝日を見に行くと,漁師さんが岸近くで腰まで水に浸かって漁をしていた.どうも,砂を掻き分けて貝を採っているらしい,しかしあの水の冷たさに短パン素足とは...頭の下がる風景でした.
そのうちいつかまた,数週間家でも借りて夏休みしてみたいもんだ.
写真は,島のメインストリートとビーチ,点々と並ぶかわいい家というかその前庭と,バンガローの裏手の浜の夕暮れ,そして夜中の村中と朝の海.
Faro 1
9月14日15日:
Budapest-Munich-Lisbonと乗り継いで,ポルトガルの南のFaroに到着.
この町に拠点を置く,no Fundo do Fundo.がオーガナイズするフェスティバルに参加.毎年一カ国に焦点を当てて,そこから多くのカンパニーを喚ぶという形のフェスを続けていて,今年は日本年.7つのカンパニーが日本からやって来る.
http://nofundodofundo.com.sapo.pt
ここはFaroの街中にCAPaというビルを持っていて,3階建ての各層にステージ件稽古場と,それを取り巻くようにキッチン兼オフィスや,レジデンス・ルームがある.基本的に,観客を入れる舞台は1階と決めているようだけど,昨日・今日のプログラムでは,1階で大阪から来たj.a.m. Dance Theatreの公演「Carlo x Carlo」を,3階でMonochrome Circusの「水の家」を続けて観れるようになっている.
ただし,古いビルをリノベしているので,各所にかなり無理があり,例えば2.3階から外へ出るには,1階の舞台中を横切るしかない.つまり,1階での公演後は,お客さんは舞台を突っ切って奥の狭い階段を3階まで上がり,次の公演を観る.面白い趣向ではあるけれど,まあ日本だと防災上絶対許されないような状況.
あと,水場がレジデンスルームのある3階にはいっさい無く,2階の共同シャワートイレを使う他ないとか,部屋によっては小さな窓しかないとか,アジアのゲストハウス並の環境なパートもあるが,しかし日本ではなかなか実現できないような素晴らしい施設でもある.
とにかく,宿泊予算を気にせず招待できるわけだし,こちらとしては部屋を出たら即稽古場/制作室,オフィスにはLANもあるし,いちおう日常生活は出来る.なんといっても,公演場所も同じなわけだから,時間を気にせず仕込める.
規模も環境もまったく違うが,80年代の終わりに京都の無門館で,ひと月かけてダムのクリエーションをしていた頃を思い出した.
前にも書いたが,Refined ColorsのLisbon公演がキャンセルされたので,僕は21日から入るLoule(ここから電車で十数分らしい)での公演まで,しばし休憩.「水の家」チームはFaro-Lisbonの2ヶ所での公演の後にLouleで合流.
ポルトガルは,それほど暑くもなく,日が沈むともうかなり寒いけれど,日中は爽やかな素晴らしい気候.魚も旨いし,物価も前に来た時よりはずいぶん上がっているように感じるけれど,でもまだそれほど高くない.せっかくの機会なので,ぼちぼち仕事を片づけつつ,読書に励もうかと思う.
写真は,CAPaの2階・3階とキッチン兼オフィス.1階は,j.a.m. さんのセットが飾ってあるので,ちょっと写真は遠慮します.それと,屋上から海側を見た風景.遠くに小さく海が見えるけれど,実は歩いても15分くらい.
MU theatre
9月13日:
Budapest MU theaterでの公演終了.120席の客席が2回の公演ともほぼ埋まり,反応も良かったので一安心.急な調整で,無理やり僕たちのツアー行程にあわせて喚んでくれたところなので,広報もあまり時間がなかっただろうに,何とかなって良かった.
しかし,PrahaもBudapestも,劇場側はどれだけお客さんが来てくれるのか,本番当日開演前まで,まったく把握していないようだ.前売りという制度が定着していないのか?どちらのプロデューサーも,どれくらい来てくれるのかなと尋ねたら,「それは開演の十分前まで,誰にも分からない」と,天に祈っていた.そんなことで大丈夫か,と心配にもなるが,まあ所変われば品変わるで,いろんなやり方がある.
確か,シチリアだったと思うが,前売りの方が当日券より高かった.確実に席が取れるからだというが,それで誰も当日までチケットを買わないので,どれだけ人が来るのかまったく分からない.でも,指定席券と考えれば,交通機関などは前売りが高いか...いや,飛行機だとこの頃「早割り」なんてのもあるし...
まあともかく,どちらにしても入場収入だけで公演を成立させる事は,どこでも困難.そういう意味では,ほとんどは商売として独立して成り立っていない.古くはパトロネージュ,今では行政や企業の社会貢献と名を変えているけれど,そういうものと関係するか,もしくは劇団四季みたいに,とことんエンタメで不特定大多数を喜ばす事だけ考えて邁進するかな訳だ.あれはあれで,すごい事だと思うけれど,ほとんどがブロードウェーのコピーというのは,いかがなものか???Japanese Broadway Copy Companyとかに変名したほうが,分かりやすいんではないかな.
写真は,やはり深いBudapestの地下鉄,MUの客席と提灯のぶら下がったガーデンカフェ,初日公演前のフォト・コールの様子.テレビも含めて,かなりの取材が来てくれた.
Budapest
9月12日:
BudapestのMU Theatre (http://www.mu.hu/)での公演初日終了.今回のツアーで最後にぎりぎり決まった場所で,劇場側も夏休み明けのまだエンジンのかかりきっていない状態のようで,いろいろトラブったがそこはRefined Colors,なんとか乗り切る.
もともと,条件の整っていない場所での公演を視野に入れているので,たいていの事には対処できる.
短い準備期間と急にかき集めた予算の中で,劇場はがんばってセットの壁を立ててくれたのだが,これが搬入口の関係で,あらかじめパネルを作って持ち込む事が出来ず,材料を持ち込んで舞台中ですべて製作.この完成予定が本番前日の16時だったんだけど,時間に行くとまだ半分も出来ていない...その前,午前中に壁の立てる位置確認に行った時には,大工さんが黙々と搬入しているだけで,だれも英語が通じない...
袖中とテクニカルブースを繋ぐインカムを頼んでおいたんだが,実はインカムそのものが劇場にない...ちゃんとがんばって働いてくれるんだが,劇場側のテクニカルが,音響兼照明兼舞台のフェリーさん一人っきりしかいない... と,少々の問題はあっても,本番当日の13:00にはセットアップ完了.開演まで7時間の余裕.最終的に,PAシステム/スピーカーのパワー不足は否めないが,それでも思ってたよりはまし.PrahaのPAがなかなか良かったので,比べてしまうとずいぶん物足りないが,全然ダメなわけじゃない.
劇場は,シアトルのOnTheBoardに似ていて,古いながらも味のある小劇場.埃だらけだし,窓があるし,その遮光の暗幕はボロボロだし,欠点を数え上げたらきりがないが,それでもBudapestの無数の劇団やダンスカンパニーが,ここで歴史を作ってきたんだと思う.彼らにとっては,たぶんとても重要な場所だろう.僕にとっても,なんだかんだいって憎めない,居心地のいい場所です.
このMUだけでなく,街中には,ちょっとしたガーデン・スペースやリノベ前の空間を,提灯で飾り立てたサマー・カフェがいっぱいある.もう夜はかなり涼しくなってきたが,それでも日が沈むと庭木の間に吊った提灯の下で,老若男女がビール片手におしゃべりの花を咲かしている.それがとっても楽しそうで,いい感じだ.
残念ながらカフェはまだ撮っていないけど,写真は,有名な温泉/プールのエントランスと,世界で二番目に古い路線もあるらしい地下鉄の車内,2路線ずいぶん違うデザイン.
Praha-Budapest
9月9日:
PrahaからBudapestに移動.今ツアー最初の難関.7時間の列車移動は,それほど問題ではないが,機材一式の入ったトランク5個も,手持ちで運ばなければいけない.アジアツアーは全行程手持ちだった事を考えると,たいした事ではないんだけど,手持ちと業者輸送が混在していると,個人の荷物がやはり多くなって列車の乗り降りなどが難しい.
それでもまあ,コンパートメントの吊り棚に,無理やりトランクを押し上げて,荷物に囲まれながら7時間を過ごす.久々にゆっくり本を読んだ.
そして,無事にBudapest到着.今回のホテルは全室LAN完備.街はPrahaほど観光地臭くなくて,良い雰囲気.まだ夜に少し歩いただけだけど,期待できます.
写真は夜のPraha,街で一番かっこよかったPraha metroのエスカレーター.そしてBudapest到着の模様.
Praha
2日に大阪を出て,シンガポールとチューリッヒを経由して,3日朝にPraha着.低予算・弱小プロダクションなので,久々に値段の安いアジア経由のフライトになった.かなり堪えた...でも,3日朝に着いてその日は丸々休みなので,朝っぱらからみんなでCzech名物のビールを飲み,僕はそうそうに寝る.夜8時に起きたら,南君とヒロが去年の公演のビデオ編集をしつつ酒盛りをしていたので,それに参加.でも,どうもみんなずっと起きていたようで,こっちが調子が上がってきた頃には,次々と沈没.仕方がないので,僕も再度寝る.
中・東欧は,SloveniaとPolandは知っているが,CzechもHungaryもRumaniaも,今回初めて.
Prahaの宿は,ネットで探したアパートメントでの共同生活.といっても,広いベットルームが3室とキッチン・ダイニング・お風呂にトイレという余裕の間取りで,そこに6人入り,あと2人が別のフロアーの1ベットルーム・アパートに滞在.
Prahaの町は,もう既に西欧の観光地と大して変わらないくらいゴチャゴチャしている.10数年前に初めて訪れた時のSloveniaや数年前のバルト三国は,開発されていない古いヨーロッパの香りやソ連時代の名残と,自由市場経済の急激な流入で,アジアの町とはまた別の刺激があったのに...ちょっと来るのが遅すぎたか.
物価は,体感的には日本の半分くらいだけど,Czech人の平均収入から推測すると,僕らはかなりぜいたくな暮らしぶりなので(3食外食,フルーツや飲み物も安い安いと買いまくり食べまくり),堅実に自炊で暮らせばもっと安いと思う.
会場のArcha Theatreは,繁華街の地下にある劇場.日本の例で言えばスパイラル・ホールみたいな作りだが,空間の三方を囲むようにバルコニーがあり,その長辺がレールになっていて,ブリッジが自由に移動できる.LAのREDCATにも同じようなシステムがあったが,これがまあ便利なんだかどうなんだか.
確かに照明の吊り込みなどは楽だが,バルコニーのエッジが床から3m程のところにあるので,それより高い大道具や袖幕などが吊られてしまうと,ブリッジは動けなくなる.RCだと壁が立ってしまうと,もうブリッジは使えない.そこで,ほかにちゃんとした作業機材,例えばジニーとかがあればいいんだが,なまじっかブリッジでほとんど用が済んでしまうので,ほかにあるのは頼りない梯子だけ.どうもね,何だか最初だけお金をかけて,あとの実働作業はかなり不自由という,日本の「箱物行政」にも通じる話.
しかし,壁はパネルではなくてスクリーンながらも,かなりの高さにがんばってセットしてくれたし,スピーカーも十分なパワーのものをそろえてくれた.正直言って,Czechでどこまで出来るか不安もあったが,十分な機材と環境です.
昨日初日が終わって,客席も180席が埋まって満員御礼.まずは順調なツアーの滑り出しです.
写真は,劇場とアパートの部屋.最後はM鍋+M君部屋.入って5分でこの状態.
Soon comming September
いよいよ9月が近くなり,Refined Colors 東欧・ポルトガルツアーの準備に追われている.しかもありがたい事に,別のLED関係の仕事も入って,その上10月のダム・メルボルン公演の出荷もある.暑い京都を自転車で走り回っていると,爽快に汗をかいて,夕方にはお風呂に入って,なかなか夏休みっぽい8月後半でもある.
でも,思ってた事の半分くらいしか出来ないうちに,9月の声を聞こうとしている.やばい...(まあ,ずいぶん長く娘と一緒に過ごせたから,良いか...)
とにかく,9月から10月初めの予定(10月は,滋賀大津での公演).
紆余曲折のうちにやっと決まった...なかなか思ったようには行かないけれど,喚んでもらえるのは,とても嬉しい.
もし,この頃近くにいる人は,ぜひ遊びに来て下さい.
2006年 9月
Archa Theatre
6日(水)・7日(木)20:00 –
住所: Na Porici 26, 110 00 Praha 1, Czech
TEL : +420 221 716 111
http://www.archatheatre.cz/main.php?s1=program&id=695
Mu Theatre
12日(月)・13日(火)20:00 –
住所: Korossi Jozsef utca 17, H-1117 Budapest, Hungary
TEL : +36 1 209 4014
http://www.mu.hu/
Cine Teatro Louletano
23日(土)
住所: Avenida Jose da Costa Mealha, 8100 Loule, Portugal
http://nofundodofundo.com.sapo.pt/home.html
Teatrul Ion Creanga
26日(火)・27日(水)
住所: Piata Amzei, Nr.13, Bucharest, Rumania
TEL :+40 21 317 85 90(チケットオフィス)
10月
滋賀会館
Refined Colors Workshop:
6日(金)18:30-21:30
7日(土)11:00-15:00
8日(日)11:00-14:00 成果発表(一般公開)14:30-16:00
Refined Colors Performance:
9日(月・祝)16:30 –
住所:〒520-0044 大津市京町三丁目4-22
TEL: 077 522 6191
http://www.shiga-bunshin.or.jp/shiga/index.html
ポルトガルの公演は,Cine Teatro Louletanoでの一公演だけでなく,リスボンも入ってたんだけど,オーガナイザーと劇場の調整がうまくいかなくてキャンセルに...モノクロームのメンバーによる作品は2都市で上演が決まっているので,ポルトガルに行く理由は十分にあるわけだが,テクニカルは結構長いオフとなった.でもまあ,ノートブックが1枚あれば,出来る事/やらなければいけない事は山ほどあるので,バリバリがんばろうと思う.
10月の滋賀会館は,久々にワークショップも行います.自分の振り付けを自ら選んだ音の中,自分で色もタイミングも決めた照明で踊ってみたいと思っている方々,気軽に受けてください.限界はもちろんありますが,経験や照明の知識がなくても,自分のイメージを現実に観る事が出来ます.
ということで,8月が終わるわけですな.
USA VISA
アメリカとイスラエルに腹ばかり立てていても,何も変わらないと思いつつ,またアメリカ関連でムカツク事しきり.
11月にEaさんの公演で,ノースカロライナに行く事になり,そのために芸人さん用のP1-VISAをとらなければいけない.ダムの公演でも既に数回収得しているが,今回はその手続きをすべて自分でしなければいけない.
ネット上で必要書類を確認し,申請書に記入,自動でpdf化されたそれを出力し,その他もろもろの書類と一緒に持って,大阪の領事館に「面接」に行かねばならない.
その面接予約の時点で,100ドル払えとアメリカは言う.しかも,ヴィザがおりようがおりまいが関係なしに,一度支払った100ドルは返ってこない.8月のレートで11600円のお支払い.何だかね,他人の弱みにつけ込んで,金もうけかい.
まあでも支払いはいいや,どうせアメリカのプレゼンターに返してもらうから.でもね,その提出書類の記入項目の多い事.なんだよ,「この10年間に行った国を全部書け」とか,「小学校以上の学歴(入学・卒業日時含む)すべて」とか,たかが一週間程度の滞在に,ここまで聞くか.しかも,これで同じヴィザとるの3度目か4度目だぞ.
それで,ようやっと必要書類に記入し,写真やパスポートもそろえて,予約した日時に領事館へ.
これがまたまあ,入館するまでにも一苦労.日本でも,よほど恨まれているのかアメリカ...空港のセーフティ・チェックなみ.中に入ると,早々とチェイニー・ブッシュ・ライスの写真がお出迎え.(この3人の肖像は至る所に飾られている)
僕らの前には,スカーフを被った,どう見ても外国人のおばさんとかもいて,いったいどれだけせっぱ詰まった事情で,今ヴィザ申請に来てるんだろう...
さて,やっと中に入った,でここからが本題だが,まず僕らは3階に上がって「申請書受け付け」のための窓口に並ばなければいけない.これがまた,長蛇の列.
しかし,しかしだ,なぜウェブ上でいやほど申請書に記入して,しかも「面接予約」で日時指定までして100ドル払って,ここで並んでいちからやり直しな訳だ?ちなみに,オーストラリアのヴィザも取る必要があるのだが,こっちは電子申請で面接無し,すべてウェブからの書き込みだけで済む.
この「申請書受け付け」は,申請書を書き込んで面接予約までした人が,全員受けなければいけない.じゃあ時間指定の面接予約は何なの?と思いつつ辛抱強く並び,5つくらいある窓口(全員日本人のスタッフ)に,辛抱強く進む.
そして,やっと自分の番が来た.
ここでわかるのは,「僕らが来た」ことのみが重要であるという事.ちらっと写真と実際の顔を確認され,たわいもない質問に一つ二つ答えれば終了.あとは,すべてコンピューター上で確認された模様.
でも,これはまだ意義が感じられる.
そして次に2階に降りて面接を受ける.今度は窓口にアメリカ人が並んでいる.でも,「面接」ってなんだ?必要なデータ収集や本人確認は,どう考えても3階での「面接受け付け」で済んでる.
ここで僕の面接のお相手となったのは,何だか有名な大学出てUSA外務省に入って(よく知らないけど),ひょんな事から大阪の領事館勤めになってしまったような兄ちゃん.とにかく毎日毎日毎日毎日,有象無象のヴィザ申請者のお相手をし続ける,悩み多いインテリさんだ.
彼はまず喋らなかった.僕は今回一緒にツアーに行く3名で面接を受けているが,現地からのインビテーションのオリジナルは一通しかなく,それを僕が持っている.もうすぐにでも隣の窓口で,別のメンバーが面接を受ける.
そんなことを話そうとしたら,その面接官は,何も言わず手で制した.どうも口をききたく無い模様.
「あらま,面接というからには,やはり英語で話さなあかんのかな?」と英語に切り替えて説明しようとしたら,今度は露骨に否な顔をされる.しかし,彼はまだ何も話さない.しかも,何だか怒ってるし...
でも心配で,説明を続けようとしたら,彼は日本語「大丈夫」といった.
なんだ日本語はなせるんだ,まあこの仕事なら当たり前か.でも,英語の方がやはりネイティヴだろう.こっちは「面接」というのは何か意味があると思ってるから,ひょっとしたら英語力の確認かと思って,なおも英語で話すと,彼はいきなり怒り出した.「日本語の方が早いですから! それで仕事は? えっ? もう一度ゆっくり言って! ああそう,じゃ一週間後くらいにはヴィザ届きますから.はい終わり」
って,何の意味もないじゃん.単にこいつらに仕事を与えるためだけに,この「面接」という儀式が用意されてるわけだ.面倒な事もあるだろう確認作業は,すべて3階での受け付けで済んでる.それが終わって,また並んで,苦虫かみつぶしたような兄ちゃんに,日本語で喋れよ,と文句言われて,100ドル払って,ありがたくヴィザを手にした(はず,まだパスポートは返ってきていない)訳だ.
あの兄ちゃん,どうも僕だけに怒っていたわけではなくて,前の申請時にも居たような...それで前も「感じ悪い」と誰かが言っていたような...
仮にも日本に来たからには,ひょっとしたらあの兄ちゃんも,大学かどこかで日本に関係した事を,自ら望んで学んだのかも知れない.地位も給料も,それなりのもんなんだろう.
それが,毎日毎日毎日むかっ腹を立てながら,領事館で意味も無いような仕事に従事しているわけだ.何だかねぇ,あまりに不幸だ.僕の後ろに回された,頭をスカーフで隠していたおばちゃんは,どうなったんだろう...
OMG!
いったい何が原因なのか,昨日MacBookProが奇妙なクラッシュをした.
夕方にいったん切っていたパワーを入れて,打ち合わせに行く前のチェックをしようとすると,何だか様子がおかしい.
ディスクトップが初期化されていて,OSインストール直後のようになっている.慌てて,数時間前まで書いていた図面を見ると,ちゃんとデータは残っている.
この時点で,打ち合わせの時間が近づいたのでとにかく家を出る.その時は,何となく困ったなぁ,という感じである.まさか,こんな手ひどい状態になっているとは...
ミーティングの最中に予定を確認しようとiCalを開けた途端に血の気が引く.まっさらのカレンダーが開いた...ぴっかぴかの1年生の予定表である.でも,そこでパニックを起こすわけにもいかず,とりあえず打ち合わせを済ませて,家に帰る.
この時点で,頭の中では「ウィルスか?ウィルスなのか??」という言葉が渦巻いている.何だか得体の知れないものに,マックの中のデータが,バクバク食われているイメージである.
帰って,改めてチェックすると,まずMailを立ち上げたら,これまたぴっかぴかの使用承諾書から立ち上がる.つまり,何のメールも残っていない.
「なんじゃこりゃぁ!」と叫びそうになるが,家人や娘が寝ているので,ぐっとこらえる.もしやと思ってアドレス帳を開くと,これも真っ白...
ひっひぃいいいと,ユーザー/ライブラリーを見ると,ほぼ何もない.
思わず,焼酎を飲み始める.
絶対にウィルスだと思って,とにかくソフトウェア・アップデートに繋げてみるが,これがなぜだか繋がらない.こりゃてっきり,世界中のMacユーザーがパニクっていて,セキュリティーのアップデーターを手に入れようとしているのだと妄想し,とにかくMacのパワーを落とす.常日ごろからイタチごっこを続けているWindowsよりは,対応が遅いが,しばらくすればワクチンが配布されるだろうし,それまで打つ手が無いわけだから,傷口が広がらないようにしようという判断である.
そして今朝,大騒ぎになっているのではないかとネットを見てみるが,Macのウィルスのウの字もない.
いったいどうなっているのか????
しかし,僕のインテルマックは,昨日と同じ状態である.とにかく,何かが起こってユーザー/ライブラリーが消失している.
ライブラリーが無くなると,どういう目に遭うか.
メールが消えた.アドレス帳が消えた.Safariのブックマークも消えた.入力の辞書も消えた.ディスクトップの設定も,ドックの位置も,ファンクションキーの設定も消えた...
えらいこってある..?.!..(日本語変)
とにかく原因がわからない.どなたか,見当のつく方はいませんか?
仕方がないので,5月末にG4がクラッシュした時に丸ごとバックアップしておいたデータのライブラリーを移植.上記のすべてが,今年5月末の状態までには復旧.
かろうじてここ数日のメールは,サーバーに残っていたものを拾えたが,こちらから送信したものは消えてしまった.予定もすべてiCalに書き込んでいたので,いつ何をすればいいのやら...
今更泣いても悔やんでも始まらない.
皆さん,こまめにライブラリーのバックアップをとりましょう.
あと,原因に心当たりのある方はご一報を!
Recently
7月29日:ポかリン記憶舎『煙の行方』@須佐命舎/京都
僕の知る限り,関西でもっとも演劇やダンスを観ていて,かつその感想などをウェブで公開している方のお勧め.
役者(全員女性)がすべて浴衣で,西陣の独特な雰囲気の残った一角での公演 from 東京.
僕の観た回は,午後のまだ日が高い時刻の公演で,会場の舞台奥が西向きの全面窓というシチュエーション.雲が多いものの,時折日差しも強いという天気であり,舞台奥の窓の外は木々の茂る庭で,時折雲に日差しが陰るものの,公演時間の多くは,舞台床に木洩れ日が影を揺らしている.その移り変わりが絶妙.
もちろん,人意で外光と影がコントロールされているわけではないのだが,良くできた脚本と演出(ツボを得た音響効果も含む)で,まるで移り変わる日差しも,芝居に組み込まれているような気にさえなる.
たぶん夜の回も,それはそれで面白かっただろうと思う.昼の回に,うまく組み込まれていた補助光といい,劇場の便利さがない場所でも,十分面白いものを見せてくれそうな,底力を感じる公演でした.
8月1日:アダンとローズ・イン・タイドランドの映画2本@みなみ会館
この日は,ファーストディということで,どの上演も性別年齢問わず1,000円均一.
数年ぶりに,映画館で映画を見る.
ついつい新作を飛行機内で見る生活が続いていて,なかなか映画館へ足を運ばない.なるべく頭をあまり使わないようなハリウッド映画を選んで機内では見て,自分が見るべきと思う作品はちゃんと映画館へ行こうと思うのだが,なかなかそうはいかない.しかも,飛行機で見る映画は,記憶がぶつ切りで,最初と最後の数十分だけ知っているような作品が,結構ある.これは最低...
で,固い決意でMacを落としてみなみ会館へ.
「アダン」は,田中一村の半生を映画化したもの.
一村が評価された頃に,その熱狂を知る身としては,かなり思い入れがあって観に行ったわけだ.
しかし...この監督にも主役の一村を演じた役者にも,どうにも違和感を覚えっぱなし...脇を固める古手川祐子や村田雄治にはなんの違和感もないのに,ひとたび一村役の役者が喋り始めると,映画の世界への没入感が冷めていく.
もし,この役者がわざとこういう演技をしているのなら,それを認めた監督が悪い.監督が,そういう演技を付けたのなら,よりいっそう監督が悪い.もしこの役者が,そういう台詞回ししか出来ない人なら,それを選んだ監督が悪い.
とにかく,一村役の役者が喋り始めると冷める.そう思い出すと,動きまで,彼だけ酷いオーバーアクションに見えてくる.何だか一村を,普通の人ではないと強調したいあまり,世界で一匹しかいない珍獣のように扱っているように見えてくる.
確かに一村は,そういう人だったのかも知れないが,映画の表現として,それを強調する必要があるんだろうか?
この監督は,僕たちの記憶に名を残す個人の半生を映画化する仕事を続けているとの事だが,思い入れのある人に関する作品ほど,観ない方がいいかな,と思ってしまう作品でした.手っ取り早く,主人公の経歴を知るには,いいかも知れないけどね.
ローズ・イン・タイドランド by テリー・ギリアムは,最高!
日本にも,天使のような純真さと残虐性を合わせ持つ少女の肖像(作家自身の弁)を,自画像だといって描くイラストレーター,もとい,現代美術作家さんがいらっしゃるが,その数千倍数万倍は凄い,絶対自分ではアーティストだなんて言わないだろうギリアムの傑作 by 主人公のジェライザ=ローズを演じるはカナダのJodelle Ferland.
病めるアメリカを皮肉っていると思って見れば,幾らでもそういう点は散見できるが,そんなこと途中から吹き飛んでしまうような面白さである.最初の方で,父ちゃんの「ショート・バケーション」のために,せっせとクスリの準備をするローズのかいがいしさに,思わず笑い出して期待感が高まるが,そんな理屈臭い先読みを軽々と超えるように,ローズの演技が微妙なバランスで,なんとも居心地が良いような悪いような,不思議な世界を紡ぎ出していく.
何か体調によっては,こんなに入れ込めないかも知れないな,と思わせるキワモノ感は強いけれど,とにかく,面白うございました.
Nishisugamo
東京方面の方.
もうすぐの事ですが,こういう催しがあるそうです.
お時間のある方は,是非.
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■にしすがも創造舎 Camo-Cafe Vol.2
【緊急企画】ベイルート、真夏の夜の(悪)夢
−レバノンに捧ぐ短編映像作品上映&トーク
日時:2006年8月5日(土)18時スタート
会場:にしすがも創造舎 Camo-Cafe (校舎2Fサロン)
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今世界で最もダイナミックなアートの胎動を遂げる都市のひとつベイルート。
しかし今、ベイルートを含むレバノン全土は、イスラエル軍による攻撃で
危機的状況に直面しています。
東京国際芸術祭2007では、在レバノンの気鋭のアーティスト、
ラビア・ムルエの新作(国際共同制作、世界初演)を計画中ですが、
このような危機的状況に対し、改めてレバノンのアーティストたちへの
連帯を表明すべく、日本のアーティストやアート関係者とともに、
Camo-Cafe 緊急企画を開催いたします。
世界の舞台芸術界のみならず現代美術界でも大きな注目を集める
気鋭のアーティスト・演出家ラビア・ムルエ、
東京フィルメックス2005など世界の映画祭で高い評価を受ける
映画監督ジョアナ・ハジトゥーマ&カリル・ジョレイジュをはじめ、
レバノンが生んだ世界のトップ・アーティストの短編映像作品を特別上映。
日本初公開作品も含む必見の内容です。
特別ゲストには、つい先日まで戦火のベイルートで研究を続けていた
アラブ映画専門家・佐野光子さん、パレスチナの劇団とのコラボレーション
を経てますます世界にコミットするアーティスト・椿昇さん、
レバノン・ベイルートの様々な断片を写真におさめる写真家・松嶋浩平さんら、
中東・レバノン×アートの目撃者・活動家が集結。
最新映像&トークで、レバノンを語りつくします。
Camo-Cafeならではの、アラブ風ドリンク付。是非、お運び下さい!
■特別上映作品■
「Face A / Face B 」 by ラビア・ムルエ
「魂と血をもって」 by ラビア・ムルエ
「Rounds」* by ジョアナ・ハジトゥーマ&カリル・ジョレイジュ
「灰」* by ジョアナ・ハジトゥーマ&カリル・ジョレイジュ
ほか * 日本未公開作品
■Camo-Cafe トーク■
ゲストトーカー:
佐野光子(アラブ映画研究者/在ベイルート)
椿 昇 (アーティスト) (予定)
松嶋浩平(フォトグラファー) ほか
ホストトーカー:
相馬千秋(ANJ/東京国際芸術祭 国際プログラム担当)
■Camo-Cafe メニュー■
レバノン産アニス酒、赤・白ワイン モロッコ風ミントティー etc. 各300円
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開催概要 http://anj.or.jp
▼日 時:2006年8月5日(土)18時スタート
▼会 場:にしすがも創造舎 Camo-Cafe (校舎2Fサロン)
地図はこちらから http://sozosha.anj.or.jp/map/
▼入場料:1000円(1ドリンク付)
▼申込方法:なるべく事前にメールにてお申込下さい。c-soma@anj.or.jp
タイトルは「Camo-Cafe Vol.2参加希望」とご明記ください。
▼お問合せ:NPO法人アートネットワーク・ジャパン
tel : 03-5961-5200 fax : 03-5961-5207 c-soma@anj.or.jp (担当:相馬)
主催/NPO法人アートネットワーク・ジャパン
協賛/松下電器産業株式会社
Lebanon
Lebanonからのレポート,
http://signs-of-the-times.org/signs/editorials/signs20060719_NotefromLebanon.php
が,mixi内で日本語に翻訳されていた.
使用,再配布,改良,何でもありという事なので,とにかくそのまま貼り付けます.
これがどこまで現状を伝えているのか,判断は個人の自由.
僕は,主に日本語にしかアクセスできない人たちに,このレポートが少しでも広がる事が大事だと思います.
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レバノンより
by ラニア・マスリ; 2006年7月17日
http://signs-of-the-times.org/signs/editorials/signs20060719_NotefromLebanon.php
皆さんが心配していただいているというお手紙に感謝します。
確かに私はレバノンにおります、そして、どこかしらの国が攻撃を受けているという状況のなかで生き延びているという意味では、安全にしております。
まず、皆さんに申し上げたいことは:私たちには世界からの怒りの声が必要だ、ということです。
水曜日(7/13)以来、私たちは悪意のある、不正な攻撃に曝されており、これはより激しくなってきています。
悪意のあるというのは、多分皆さんは西側のメディアが報道しないので知らないかもしれません。これらの写真も西側が印刷しないので見ていなかったかもしれません。
(メディアは写真があることは知っているのですが、これを印刷しようとはしないのです。)
写真はここでご覧ください。http://www.angryarab.blogspot.com/
攻撃ということでは、インフラの損害レベルは1982年のイスラエルによる侵攻によるものを超えています。
各空港は攻撃を受け、旅行には適さなくなりました。主要な空港は(唯一の商業空港ですが)数日に亘って何回も攻撃を受けました。より小規模な軍用空港は、これらのどれもここ何年も使用されていませんでしたが、これらも攻撃され使用不能になりました。
南部から北部に至るまでの各港はイスラエルによって攻撃を受けてきました。
まずはじめに、ジョウニエ港が爆撃されました。
(これについては少し突っ込んだ疑問が湧きますが:アメリカ、フランス、イギリスやイタリア、これらの政府は在レバノン市民に避難を呼びかけたわけですが、どうやって彼らを避難させたのでしょうか?)
数カ所の主要な石油集積所や発電所も破壊されました。
この国の全ての石油集積所は破壊されるおそれがあるという噂まであります。
国内の主要な橋も破壊されました。正確には64の橋です。
どこの橋を渡ろうかなどと言うことは、次のターゲットにされる怖れがあるために口に出すことも躊躇しなければなりません。
この国の主要な交通要所が南部から北部に至るまで破壊されてしまいました。
これは、何を意味すると思いますか?
これは、レバノン国内全てに亘って主要都市間を旅行することは物理的に不可能ということを意味します。
誰も国を出てシリアに行くことも出来ないのです。もっと重要なことは、誰も単に安全にある地域からある地域に移動することもできないのです。
街から街への移動も困難であり、特に南部では村の中でも、ある場所から別の場所への移動ですら危険になっています。
一つの主要道路がまだ使用されていますが(北ベイルートからトリポリに向かう高速道路です)、昨晩からイスラエルはシェッカにあるトンネルを爆撃すると脅しています。
これによって、この主要道路も使うことは、ジュベイル/ビブロスから北部へ、またはその逆という移動も不可能ということになってしまっています。
(基本的なレバノンの地理を言いますと、レバノン中央部から北部へと向かう場合の主要都市は:ベイルート、ジョウニエ、ジュベイル/ビブロス、バトロウン、シェッカ、トリポリということになります。)
この南部の村への攻撃は特に悪意のこもったものと言えます。
イスラエル軍は攻撃対象の村々に避難を呼びかけましたが、その一方で村民が避難する道路を破壊していたのです。
メッセージは明確と言えるでしょう。
『家を出ろ、我々はお前達を殺す。家に居ろ、我々はお前達を殺す。』
彼らはこの両方をやったのです。
これは全体で何を意味するのでしょうか?
イスラエルはレバノン国民を「逃亡」しないように国内に縛り付けて、恐怖によって服従するように仕向けています。
これはテロリズムであり、それも最も純粋な形のテロリズムです。
イスラエルは、この国の全ての主要なコミュニティを攻撃しようとしていますし、我々を孤立させて、食料や医薬品の欠乏や他の生活必需品不足に追い込むことによって序々に「降伏」させようとしているのです。
既に多くの村や主要都市であるソール/タイレでは生活必需品の不足を表明しています。
悪意があるのです。イスラエルの攻撃はインフラに限定されることも無く、「意図的」に市民も標的にしているのです。意図的にやっています。
南部の家々は意図的に標的にされ、攻撃を受けたのです。彼らの意図をどうやって証明しましょうか?
幾つかありますが、まずは平原において爆弾が野原に落ちずに家々に命中しています。我々は1996年のカーナ虐殺において、この種の高精度爆撃を見てきました。この時は、イスラエル攻撃軍は市民が隠れている国連の駐屯地帯を爆撃したのですが、軍は国連スタッフの居住地域の近くはおろか駐屯地を囲む樹木でさえ爆撃しませんでした。
南部では人々が家族ごと殺されました。個別の攻撃によって、4つの家族が、お父さんもお母さんも子供も、虐殺されました。
彼らの体は千切れ、顔は焼けただれていました。
これは、イギリスのインディペンデント紙による攻撃の第一報ですが:
『イスラエルの戦闘機が”まずレバノン南部の都市、ナバティア近郊の小村ドゥウェイルに飛来し、次に爆撃機がイスラム教シーア派の宗教指導者の家に一発の爆弾を落とし、この指導者は死亡した。彼の妻および8人の子供たちも同様に死亡した。
一人は首が落ちた。村人が発見できたのは、一人の赤ん坊の頭部と胴体だけであり、一人の若者がカメラの前でこれを示して怒りをあらわにしていた。
その後、爆撃機はドゥウェイルの別の家に行き、今度は7人家族を吹き飛ばした。”』
とあります。
第5波の攻撃において、イスラエルのテロリスト軍は4家族の住む建物を爆撃しました。生存者は誰もいませんでした。
別の攻撃では、ある家族がイスラエル戦闘機から撒かれた避難を呼びかけるビラを見て国連の建物に避難しようと向かいました。ところが、国連はこの家族を追い払いました。家族が国連の建物を去ろうとしたとき、彼らのバンは爆撃され、粉々になって飛び散ってしまいました。
www.angryarab.blogspot.comで写真を見てください。見てもらいたいのです。
このような虐殺は延々と続けられてきています。そして、このような虐殺の歴史は、覚えておいて欲しいのですが、イスラエルの侵攻の歴史においてはとくに珍しいものではないのです。
悪意に満ちた、野蛮で怖ろしく、不正なことです。正義ではないのです。
銘記しましょう:イスラエル軍によるレバノン国境への攻撃は、イスラエルの兵士の拘束に伴って水曜日から始まったわけではありません。ここ一ヶ月間以上に亘ってイスラエル軍は国境地帯で実弾演習を行ってきましたが、このときにレバノン人の羊飼いが殺されています。
これに対する「国際社会」の反応は?・・沈黙でした。
また銘記しましょう:イスラエルは自国の監獄にレバノン人を収監し続けています。そしてヒズボラからの要求はここ数年に亘って明確です。ヒズボラは囚人の解放のために活動するということです。レバノン人だけがイスラエルの監獄に入れられているわけではありません。ここには数千人のアラブ系の囚人がいるのです。
イギリスのガーディアン紙による不正確なレポートに対して、ヒズボラの総務長官であるハッサン・ナルサッラ氏は極めて明確に、ヒズボラはこの2人のイスラエル兵士を交渉の材料に使うと述べ、特定の条件は明らかにしていません。
彼は、イスラエル国内のアラブ系囚人の解放があるときにのみ2人の兵士を解放するとは言っていないのです。
もう一つ銘記します:イスラエルは意図的に放置したレバノン南部における40万発におよぶ地雷の配置図を引き渡すことを拒否しています。これらの地雷は継続的にレバノンの子供を殺しているのです。
ヒズボラの行動に賛成するか否かに関わらず、ヒズボラの行動をリアクションと見るか扇動と見るかに関わらず、イスラエルによる攻撃は(ヒズボラの行動に)釣り合ったものではありません。
具体的には、ヒズボラがイスラエル兵士を誘拐したとして、イスラエル軍は市民に対する意図的な攻撃を行ってきており、違法でテロリストじみた懲罰を国全体に対して行おうとしているのです。
『(イスラエルの)軍総督であるダン・ハルーツは”(レバノンにおいて)安全なところはどこにもない。、、それだけだ。”』と語った。(ガーディアン紙による)
もう一度申し上げましょう。我々は皆、レバノンにおける状況は悪くなると見ています。また、より多くの虐殺およびレバノンの基本インフラの破壊が行われると見ています。
** オーストラリアやドイツで人々が抗議の声を上げています。アメリカでも抗議しています!レバノンの人々に共感して抗議しています。—レバノンの人々は暴虐を前に団結して立ちふさがっているのです。分断は政治家から生まれるものであり、人々の間から生まれるものではありません。
パレスチナの人々に共感した抗議も行われています。—パレスチナの人々はイスラエルの暴虐を前にして強く耐えてきました。
アメリカ人としては、特に責任があるのです。なぜかというと、これらの虐殺と破壊に使われた武器は、アメリカ人の税金のドルで支払われており、ジョージ・ブッシュと言いなりの議会によってこれが支持されているからです。
** これらの写真をお住まいの地域の地方紙に提供してください。地方紙の記者に会って、レバノンで何か起こっているかを話してください。www.electroniclebanon.netの最新記事を見てください。公平な報道を要求しましょう。殺されているレバノンの人々は名前も顔もあるのです。
(集まった詳細な情報はお分けします。)
** 国会議員に電話して、即刻および無条件のイスラエルの暴虐の停止を要求しましょう。
最後にもう一つだけ皆さんに:南部にいる友人にはいつも電話をしていますが、全く同じコメントが返ってきます。それは、
『私たちは強いし、逆境に負けはしない。私たちは勝つ。魂の強さは抵抗のための最強の武器なのだ。』
というものです。
Rania Masri rania.masri@****
El Koura, Lebanon
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The world’s policeman
レバノンは,相当酷いことになっている.
しかしあくまでもイスラエル擁護を続けるアメリカを見ていると,何が世界の警察かと...
党派を問わず,ユダヤ資本のロビー活動に議員生命をコントロールされている政治家しかいない国が,世界で唯一の超大国であり我らが日本の庇護者にして世界正義の体現な訳だ.要するに村の警察職員すべてが,ヤクザの組の世話になっていて,そいつらのすることは見て見ぬふりと...そんな世界に住んでるばかりか,その警察の末端組織の一員な訳ですな,僕ら日本国民は.
今回のイスラエルの暴発は,占領地からの撤退に反対するイスラエル政権右派による,計画的なものだとか.何とか中東諸国との平和的共存路線で国を維持しようともくろんでいた,シャロンのプランは吹き飛んでしまった.そのプラン自体,既にどうしようもないものだったけれど,いまの事態は輪をかけて悪い.
キリスト教徒も多く住むレバノンの攻撃に関して,アメリカのキリスト教原理主義者が,反対しないばかりかそれを容認し煽っているように見えるのも,頭がいかれているとしか思えない.そんなに,イスラエルが大戦争に突入することが大事か...
衛星放送で観ている限り,アメリカ・CNNとドイツ・ZDFはイスラエル側からのレポートばかりでレバノンの状況をなんら伝えていない.CNNなんか今朝の時点で「レバノンでは少なくとも1名以上の死傷者が出た模様.」とか言っていた.イギリス・BBCとスペイン・TVE並びにアメリカ・ABCは,レバノンに入った国連スタッフのレポートを流していた.
今日は,日本のニュース番組を見ていないけれど,この国ではどこまで報道されていたんだろう?
いまの日本人が,デモなどの街頭での直接行動を苦手とするなら,無理して出なくてもいい.街に出ることだけが抗議の手段じゃない.とにかくどんな方法でも,反対表明をしていかないと,僕たちはヒトゴロシの片棒を担ぎ続けたまんまだ.
A fairy tale?
7月14日:
梅田芸術劇場で,維新派の「ナツノトビラ」を観る.
http://www.ishinha.com/index.php
屋内で観る維新派の公演は,京大西部講堂で観た,庭に大きな木がある話と,確か「流星」だったと思うが,梅田の学校の体育館跡での作品,そして数年前の新国立の公演,に続いて4度目.
さて今回は梅コマである.あまりにも普段の演目とのギャップがあって,それだけで痛快な感じがある.
ただ,どうもずっと違和感を感じていたのも事実.
単刀直入に書くと,野外でない維新派は,どうにも毒気を抜かれたように感じた.
変な例えだけど,僕にとって維新派は,「ゲゲゲの鬼太郎」みたいなイメージがあった.異形のファンタジーだが,その底には何かが深く影を落としている.「鬼太郎」でいえば,レイテ島で戦死した兵士の髑髏が,ジャングルの木々の成長と共に持ち上げられて,高い梢に野晒しになって笑ってる,みたいな,そんなような毒気が纏わりついているイメージ.
ところが,昨日観たのは「トトロ」だった...
トトロを否定するわけではない.全然ない.全くない.
事実,日本を代表するアニメだし,世界的にも受け入れられているクォリティー,昨日の舞台にしても,勇壮なセット,音の粒が際立つような音響,影と一体になった照明,独特の役者.紛れもない「維新派」の公演.
でも,いつのまにか毒気は抜けていた.(現代日本らしいヒトゴロシは表象されていたけれど,全編に漂うノスタルジーに掻き消されて,繰り返し消費されるイメージになっていた.)
もしかしたら,ずいぶん前からトトロを観ていたのかも知れない.それはそれで十分楽しめるし,また観てみたいだろう.
それに「野外」の気が,影を添えていたんじゃないのか...だとしたら,そこも松本さんのクリエーションの秘密というか手法であり,その一点で,やはり維新派は「野外」で観たいと,再確認した次第です.
ちなみに,終演後久々にUさんと,焼き鳥屋で一杯.阪急の急行終電に乗って,京都に戻る.
楽しゅうございました.
GALA PERFORMANCE
7月8日:
京都芸術センターで,6月5日から7月2日まで行われたダンスワークショップの講師陣による,オムニバス公演「GALA PERFORMANCE」を観る.
坂本公成+森裕子
納谷衣美×山下残
黒子さなえ
砂連尾理+寺田みきこ
セレノグラフィカ
関西のダンスをあまり知らない僕でも,聞いた事のあるラインナップ.すべて20分程度作品だが,だからこそ個々がよくわかる気がする,とてもお得な公演.
初めて観たアーティストもいるし,これらの作品が個々のアーティストのすべてとは到底言えないと思うが,今回観た限り,
一緒に仕事するなら「坂本公成+森裕子」. (というか,もう既にRefined Colorsを一緒に作っている...ちなみに10月初めに滋賀大津での公演とWS決まりました.)
ファンクラブに入るなら,「納谷衣美×山下残」.
身体が良く動いたり,さまざまなメソッドを知っているだけでは,面白い作品は作れないし(黒子さなえ),仮に作ったとしても,それがまるで公務員の仕事みたいに無難なものだと,全然わくわくしない.(砂連尾理+寺田みきこ)
セレノグラフィカは,もう少し引いて全体を見る視点があった方が良いんでないのと思うが,この一つの作品にいろいろなバージョンがあるらしいし,面白かったので,次の機会があればぜひ見てみたい.
という,これが個人的感想.あくまでも,僕の私的感想です.
それで最も印象に残ったのが,折り込みチラシに挟まれていた,「高嶺格」9月初めアイホール公演のチラシ.
International
今日は1日中,北朝鮮が発射したミサイル7発で持ち切りの日本.
しかしアメリカはなぜ,北朝鮮に対しては,こんなにも寛容なんだろう.大量破壊兵器も核も持っていないといっていたイラクには,話をでっち上げてまで侵攻し,またイランに関しても同じようなことをしそうなのに,ミサイルはあるし核もあるぞと,大声でアピールしている北は放ったらかしで,できれば中国にお任せしたい様子である.やっぱ,石油出ないしなぁ.
そういえば,とある雑誌で,ブッシュ大統領に肯定的か否定的かというアンケートを,東京のサラリーマンにやっていて,肯定的に思うと答えた人が30パーセントもいてぶったまげた.その理由というのが,「おだてておけば困った時に助けてくれそう」とか「まっすぐではっきりした意見の持ち主だから」とか,頭を抱えたくなるようなものである.そのまっすぐで頼れるおっさんの命令で死んでいった何万もの人(アメリカ人兵士も含む)は,たまったもんじゃないよ.
しかし,馬鹿でも自分の利になるならおだてて持ち上げりゃいいや,という腐った思考が,とても日本人らしいとすんなり思えるのも,何だか嫌なもんである.結局,まだイランもイラクも対岸の火事なのかな.
話は変わるが,先日訳があって,手持ちのユーロを円に替えた.といってもたいした額ではないが,この,僕が住んでいる国際観光都市だという京都で,まずはなかなか両替できるところが見つからない.結構街中の,周りに名所旧跡といわれるところがいろいろある場所なのにである.
ある銀行など,円からドルの両替はお受けしているんですが...という始末.やっぱここはアメリカの植民地か.
それで,やっと見つけた銀行では,わずかな額(日本円で数万円)の両替に,書類を書いて15分くらい待たされる始末.おいおい,アジアの主要な都市なら,10分の1くらいの時間と労力で両替できるぞ.
白人で英語を話す外国人以外は,思いっきり入国しづらいこの国だけど,国際観光都市だと大声で言っている都市内くらい,もう少し便利になって欲しいもんだ.
そんな中で一つ嬉しかったのが,近所に新しくできた,町屋をリノベしたゲストハウス.
http://gh-project.com
もともと旅館だったところがそのうち外国人用の下宿になり,その後3年ほど空き家として放りっぱなしだったところを,今回リノベしてゲストハウスとしてオープンするらしい.こんなところに?!というかなり便利で意外なロケーションといい,京都らしい鰻の寝床な造りに,京都の町屋らしい内装と坪庭,ドミトリーは1泊2500円という値段もベリーナイス.
サイトのリンクを見て驚いたのだが,京都市内だけでもかなりの数のゲストハウスがある.さんざんゲストハウスを利用しておきながら,GHといえば海外のもんで日本にはあんまり無いと思っていた自分が,かなり時代遅れだと思い知らされる.玄関のオープニングの告知を見て,ついふらふらとお邪魔した妻と娘と僕に対して,オープニング直前の各部屋をわざわざ案内してくれた若いおかみさん(たぶん)に感謝.
エントランスにBarも併設されているので,そのうちまたお邪魔します.
結局,こういう独立した個人が自分の事で動いて,その結果,国際的な街を作っていくのだと思いました.市や国は,それをちゃんとサポートすればいいのに.
Bathroom

ツアーから帰って,しばらく次のツアーまで時間があるときは,たいてい数日ボーッと過ごしてしまうが,今回は復帰するまでに,いつもよりかなり時間がかかった.その間も,まあちょこちょこと,ベトナムから帰ってきたLED機材を受け取ったり,毎日娘を保育園に迎えに行ったりと,リストラされたお父さんみたいなことはしていたのだけれど,ようやくここに来て身体を動かす気になった.
それで,ここ3日間専念していた作業は,自宅(賃貸マンション)の浴室の塗り替え.もちろん,大家さんには内緒.
実は,ここ数ヶ月,2歳半の娘がお風呂に入るのを嫌がっていた.アレルギーがある彼女は,毎日入浴すべきなのだけれど,どうも天井に少し広がっていたカビ/シミが何かに見えて怖いらしい.
とにかく何と言おうが怖いようで,それを怖くないと言い聞かせても効果はない.怖いものは怖い.
なので,娘が楽しく入浴するためには,浴室をぴっかぴかの楽しいお風呂にするしかなかったわけだが,これまで其の為のまとまった時間がとれなかった.
そこでこの社会復帰のリハビリに,自宅浴室のリノベーションを敢行.
久々にホームセンターに行ってみれば,マスキングテープ付きの養生紙が格安で売っているし,近所の画材屋に行けばスポーツ飲料のような袋詰めでジェル・メデュウムが売っている.アクリル絵の具とモデリング・ペーストやマット・メデュウムなど,昔々に親しんだ画材を改めて確認しながら買って帰って,風呂場でペタペタ塗っていると,思っていた以上に楽しかった.調合して選んだ色が筆の先から広がっていって,かなり長期間ここにとどまるかと思うと,嬉しくなる.
こういう仕事は,「自分」を維持するために必須だなぁ.
さて,9月にはRefined Colorsヨーロッパツアー,10月はダムのMelbourne公演,11月はEaさんのアメリカ公演と,8月末まで図面とメールのやりとりが目白押しのスケジュール.またコンピューターの前に座り続ける日々が戻ってくるのだねぇ.
写真は,ぴっかぴかのお風呂場の天井と配管(と,アヒル達).
Hanoi
6月11日,Hanoiに移動.
その後2日間休憩の後,劇場入り.
Hanoiの公演は,かなり大きな劇場でおこなわれた.シンガポールの劇場は凍えるほど寒かったのだが,Hueの灼熱の野外を体験した後ではとても魅力的に思えて,Hanoiの劇場での仕込みも,暑さから逃れられるという点ではかなり期待していた.
ところがどっこい,仕込みの2日間はエアコンが動かなかった.僕は,この劇場に空調はないのだと思っていたくらいである.
ソ連の影響下で作られたこの施設は,大仰でほこりっぽくって,比喩ではなくて薄暗くどろどろのスチームサウナで,12時間ほどセットアップを続けるような状況だった.一日の終わりには,顔から服から咽の奥まで,ドロドロでれでれ汗まみれ.
おまけにソ連系の劇場は色んな規格が少しずつ大きくて,しかも機材がかなり古い.バルト三国をツアーした時も同じような目に遭ったが(でもとにかくバルトの劇場は掃除されていたし暑くはなかった),バトンが太すぎて照明のハンガーが入らない.彼らは,パイプをトラス構造にはせずに,太くして広い舞台間口に対応している.
では,どうやって照明が付いているかというと,ちょっとやそっとでは外せないような輪っかとボルトナットで,バトンに固定されているのだ.
また,舞台の管理と,バトンの上げ下ろしは劇場の職員,つまり公務員の仕事である.この方達が,まあとても日本のある種の公務員の方達に似ているというか,自分たちはクーラーの効いた小部屋か出てきてもステージ横の一つだけある大きな扇風機の前に陣取って,何度かオーダーするとやっと腰を上げて,頼んだ件の担当者を探しに行く.
おばさんが多かったが,とにかくあまり本公演には関係のなさそうなことを喋り続け,時間には厳しくさっさとどこかへ消えていく.
何とか体裁が整った1日だけの本公演日には,会場整備が混乱の極みに達して,いちおう恰好良く指定席で売り出していた席をお客さんに提供するために,2日前からセットしていた客席中のオペレーションテーブルを別の場所に退けられないかと,怒った顔で文句を言いに来る会場責任者までいる始末.
そんなこんなで最高に厳しかったHanoi公演だけど,Hueと同じかそれ以上に舞台のクォリティーは高かった.それはダンサーやミュージシャンのみならず,舞台装置や照明音響も含めての相互作用で,久々に感じたケミストリーだった.数日前まであんなに埃だらけでぼろぼろの場所だったところが,満員のお客さんも含めて,特別な時間と場所に変わる.大げさかもしれないが,ベトナムの舞台史に記憶される公演に参加できたような気がした.
こういうことがあるから,この仕事は辞められない.
写真は,初めて見た蛍光灯のアッパーホリゾントライトとそれに対峙するホーおじさん像,公演後の挨拶,結構話しかけてくれた退場するお客さん達.
The final day at Hue
6月10日
Hue公演最終日.
Hueのフェスティバルの観客管理は変わっていて,会場である王宮跡に入る時に受け付けがあって,その後は中に幾つかあるステージを観客が自由に行き来できる.ディズニーランドのようなテーマパーク方式とでもいうのだろうか.
結果,多くの子供を含めたお客さんは,あらかじめ知らされているスケジュールというよりは,音に反応してそこら中をうろうろする.
つまり,あっちのステージから大きな音が聞こえてきたらそちらに向かい,また違う場所から面白そうな音が聞こえたらざざざっとそっちに行く.各ステージに仕切りはないので,観客は客席側のみならず,舞台裏からも,舞台袖横からもぞろぞろ歩いてくるし,公演中も自由に移動する.
最初Hueについた時に,僕らの前の公演(ジャズ・フュージョンのコンサート)を,同じ舞台で見た時には,正直その野放し状態にあきれた.子供は走り回り,携帯に大声で話してるおっちゃんは居るは,人の出入りは激しいは,とても大変な感じだった.
それが,同じように決してマナーができているとはいえなかったけれど,同じ舞台でおこなった公演を,かなり熱心に観てくれるお客さんが沢山いて,それだけでもこのフェスで公演したことは,とてもよかったといえる.
夜の闇が降りて灯の入った舞台は,かなりのクォリティーを保っていて,周りの喧騒にも負けずに舞台の魅力を発散していた.
写真はかなり暗くなった頃の舞台リハと,撤収が終わったところ.
A holiday in Hue
6月9日.
Hueの公演は,計3回.2回目と3回目の間に1日休日がある.この日はワールドカップが開幕する日で,その所為かどうかは知らないけれど,とにかく1日休み.
ダンサーの一人がHue出身ということで,彼の育った家でのホームパーティに,みんなを招待してくれた.
決して豪邸とは言えないけれど,とても落ち着く家の庭にテーブルが並べてあり,これでもかというくらいのご馳走が出てくる.家の裏は畑でその向こうは河.蟹やらシジミを使った麺料理,豚肉や春巻きやさまざまな野菜に果物,冷えたビールと多分杏で作っただろうきついお酒が振る舞われ,夜もまだ早いうちから,もうべろんべろん.
ベトナムの人は呑み方が中国式で,立て続けに乾杯の嵐.小さな杯にきつい杏の焼酎を注いでいっき呑み.ダンサーたちが面白がって代わる代わる注ぎに来るもので,すっかりやられてしまった...
でもすごく楽しい夜と,美しい家と庭でした.
写真は,明け方セッティングの帰りに見た蓮池,フェスの会場,そして招いてもらった家と庭での宴会.
Hue
6月4日にシンガポールからベトナム中部の古都Hueに移動.
ドイツとシンガポールの公演は,特別なバージョンで,Eaさんが10年以上前に作った「乾燥と雨」のVol.1と2を,再編集して合わせて公演した.このVol.1のパフォーマーは全員おばあさん.作った当時で平均70歳代,現在80歳代.(お一人はお亡くなりになっていたそうだ.)この方たちが,元気でよく動き,そしてよく喋る.何とか会話したかったのだけれど,残念ながら何度か目で挨拶を交わすのみ.とにかく一言も言葉がわからない...
その歴史が体にしみ込んだような彼女たちとは,シンガポールでお別れ,HueではVol.2のみが正規の長さで公演される.
このHueのフェス.ビエンナーレということで,それでももう5回以上つまり10年ほどは続いているらしい.
とにかく規模が大きくて,確か世界遺産のはずの王宮跡のあちこちにステージが組まれているが,それが全部野外.ほぼすべて屋根無しで,舞台にも客席にもさんさんと日が降り注ぐ.
日中の気温がだいたい38度ほどで,直射日光に当たるとそれ以上.また逆に,雨が降らない保証ももちろんなく,事実数年前は大雨で日程がずれている.日が暮れるのがだいたい7時ごろで,4時ごろからは風が出てきて少しは体を動かす気になる.
最初スケジュールを聞いたときに,日中4時くらいまでは,あまり働けないと聞かされて,何だか怠けてるんじゃないかと思ったものだが,とてもとても...とにかく午後2時くらいになると,ホテルから出て近くの食堂に行くのも命がけ,だらだら汗をかいてふらふらになってたどり着くことになる.
つまり現場は設置から照明のフォーカスやサウンドチェックまですべてを夜中にして,しかもLED機材の雨対策まで行わなくてはいけない.それでいてその機材は,日中溶けてしまいそうな日差しにも曝されることになる.
むかし,夏になるとバイトで鴨川や平安神宮などに野外ステージを組む人足に借り出されたものだけれど,今回はもっと大変でした.それとも僕が単に年を取っただけかな.
写真は,完成していくステージの様子と横から見たところ.公演中も,観客が数人横から観ていた.
Singapore
また時間のあるときに,などと書いてから,もう10日以上経ってしまった.
シンガポールのVictoria Theatreは,フェスティバル後にリノベーションのために2年間閉めるのだそうな.建て替えるだけなら,もっと短期間ですむだろうけれど,歴史的な外見は残そうということらしい.
今年のSingapore Arts Festivalのプログラムは,ダンスではEa Solaの他に,Nederlands Dans Theater IやRosasなど,シアター部門ではStation House Operaなども参加している.そしてもちろんシンガポールのアーティストもたくさん参加.
ここや香港で大きなフェスに参加するたびに思うんだけど,なぜ日本ではこういう規模のフェスがきちんと継続して行われないんだろう?東京国際芸術祭の中東シリーズはすごいと思うけれど,こういうフェスとはまた違う目的を設定したものだし,横浜の名前もこの頃あまり聞かない気がする.来るのは超ビックネームが単発で,しかもばか高い値段でばかり.
多くの観客に良いものを見せるのももちろん大事だけど,いち公演に5〜6千円や時には1万円以上なんて払ってたら,そうそう劇場に通えない.日本の観客は「金持ち」の上に馬鹿が付くと,プロモーターに思われてるんじゃないだろうか.
それに例えば日本のアーティストが,こういう規模のフェスに参加してさまざまなカンパニーなどと出会って,言葉を交わす機会がもっと必要だと思うんだけどなぁ.そして,それが継続することに意味がある.
決して西側にすり寄っていくことが大事だとは思わないけれど,知らないうちに日本はどんどん世界の端っこに戻っていってるんじゃないだろうか.
写真は,Victoria Theatre内部と公演後の舞台挨拶,そしてホテルの部屋から見えた一昨年Refined Colorsを公演したEsplanadeアートセンター(ハエの目玉みたいなヤツ.良いアートセンターです)
Ljubljana-Kyoto-Singapore
Ljubljanaでの公演を無事終え帰国.
24時間京都にいて,家族に会って洗濯をしてご飯を食べて,EaさんのツアーのためSingaporeへ.
久々のアジア.シンガポール・アート・フェスティバルでの公演会場は,ダムが昔にmemorandumを公演したのと同じVictoria Theatre.アジアはやっぱり楽しい.蒸し暑いけれど...
詳しくは,また時間のあるときに.
(近くのフードコートにあるマクドナルドが,無料の無線LANを解放している.いまも,そこから送信.店に入らなくても,近くのカフェからでもネットワークに入れる.マクドはすべての店舗でこんなサービスをしているのかな?)
写真は、Ljublianaの劇場とオペブース、そして遊びに連れて行ってもらったアートスペースというかコミュニティというか、閉鎖された軍の施設をスクワットして運営されている。