Reading

Book M

知人の強力なプッシュがあって,「マルチチュード」−アントニオ・ネグリとマイケル・ハートの共著を読み始めるが,前にも書いたようになかなか集中できなくて大変.
しかし数十ページ読んだだけで,今まで読んだ哲学書(作家が,この本は哲学書だと自身で定義している)とは,ずいぶん趣が違うことを実感.
おそらく,もともと哲学は,「その時,その時代」を生き抜くための知恵だったんだろうけれど,これまで僕が接してきたのは,直接的な「今」の事じゃなくて,ちょっと過ぎ去ってしまった事象に対する分析か,もっと大きく人類の営み全般に対する考察のようなものだった.僕の読んだ中では,唯一フーコーが死ぬ前に書き残したエッセーの中に,エイズ渦にみまわれる世界に残された希望というか新しい関係のようなものを書き記した文章が,例外的に「その時」に対応していたと思うけれど,でもそれはあくまでもエッセーだった.
「マルチチュード」は,この世界が対面している今を,いかにサバイブしていくかを,切実にしかも冷静に考察している(ような気がする).まだ,そんなに読み進んでいないうちから何だが,「今,この時」に向かって,こういうアプローチが積み重ねられて,それを本として読めるのは,たぶん稀な出来事だろう.それだけ世界が切羽詰まってるし,転換点に来ているんだ.
2004年に書かれたこの本が,既にもう日本語訳で2刷を重ねているということや,最初から哲学書としては廉価な形態で出版されていることからも,いま読むべきだと,多くの人が判断して尽力してきた結果が,この本なのだろう.
何とか,パワーブックを閉じて,この本を読み切ってしまいたいなぁ.(て,書いてるうちに読み進めろよって!)

Procedure

ID photo

国際免許を取りに,久々に長岡の免許試験場へ行く.
相変わらずの,アクセスの悪さに愕然.というか,こんな厚紙に持参の写真を貼っただけのモノ,しかも書類一枚書くだけで,試験も何のチェックもなく取れるモノを,なぜわざわざあんな遠くまで出向いて2650円も支払わないと手に入れられないのか,はなはだ疑問.
おまけに,申請したら「はい,1時間後に取りに来て下さい.」って,何でこれ作るのにそんなに時間が...
だいたい,2650円って,何の値段だ???
警察が道路交通を管理しているから,自動車免許の管理もしている,というのを何となく当たり前のように思ってきたけれど,何かおかしくないか?自分で許可して,自分で管理して,自分で取り締まって,しかももうずいぶん前から一大巨大産業じゃん.
免許試験場の講師も偉いさんも,駐禁のレッカー屋さんも,パーキングメーターの管理のオジサンも,みんな警察OBかそのお友達でしょう?
とまあ腹は立ったが,その効率の悪い外出のおかげで,「マルチチュード」の上巻をかなり読み進めた.
まだ上巻か?!という声もあるだろうけれど,面白い分だけいろいろ考えてしまって,なかなか進まない.
「哲学書」というより,サバイバル技術のハウツー本.基本となる概念が,丁寧に本文中で説明されている事からも,著者が思考の実験や新しい概念の創出より,その現実世界での実践を主眼にしているのが良く分かる.
ただ,ちょっと気になるのが,思考を展開していく上で重要な鍵となる概念,「生権力」と「生政治的生産」という単語.これらの単語が,もう既に日本語としてこの分野では定着しているものかどうか,勉強不足でわからないけれど,どうもしっくり来ない.文脈からは,著者がこのマルチチュードの中で初めて使った造語のようだが,英語では「biopower」「biopolitical production」となっている.僕はこの「バイオ」が接頭語としてついた英単語を見た時に,極めて素直にそして感覚的にも,「生権力」と「生政治的生産」という単語に訳されている概念に納得がいった.
翻訳者も,きっと悩みに悩んでこの「生」という字を選んだんだろうけれど,何だかなぁ,意味というより文字のイメージや並びのデザイン的に,ずれてるような気がする.
そんなこと気にせず,ちゃっちゃと読み進め,といわれそうだが,言葉の格好良さも大事なのよ.
でもとにかく,久々に興奮する内容.

Simple reality

今朝ニュースを見ることもなく見ていたら,大阪の靱公園と城ホール公園で,20数名のホームレスの強制立ち退きがあったと報じていた.コンピューターに向かいながら,何とはなく耳に入ってきた言葉に驚いたのだが,この立ち退きの実行に,職員やら警察官やら作業員で計900人ほどが動員された,と報じていた.
おいおい,聞き違いかな?900人って?
「世界バラ会議」への整備に向けて,との理由がついている.あと,先日同じ大阪の何処かの公園に住むホームレスの人に,住民票を登録する権利だか何だかが裁判で認められたとのニュースがあったから,その反動かも知れない.
でも,おかしくないか?900人って?仮に,仮に一人一万円の日給でこの900人が働いてるとしたら,いったい幾らのお金が動いたのか.それを20数名の追い出された方の為に有効に使うのは,何かの平等に反するのかも知れない.でも,誰が行くのか分からないけれど,決して大阪の人みんなが行くわけではない「世界バラ会議」の為には,20数名のホームレスを住処から追い出すために,900人の人手/お金を動員しても良い,というのは単純におかしくないか?
同じくニュースで,イスラエルの首相代理が国連や西側諸国に,ハマスのパレスチナに関して,イスラエルの存在を認めず自爆テロなどの武力行使を繰り返す限り,国際社会はハマスのパレスチナ(ブッシュの好きな民主的で公正な選挙で選ばれた政党による統治)を認めないようにと要請していた.
自爆テロや投石は,確かに悪い.でもその報復として,戦闘機からミサイルをぶっ放したり,軍隊を投入して街を統制したり,生活を分断するような壁を立てたりするのは,その主体が国家だからという理由だけで許されるのか?
それを棚に上げて,ハマスの暴力性だけを強調して,パレスチナを認めるなというメッセージを流し,そのニュースはすぐにこうやって日本にも到達し,国連や各国代表にスムースに届く,というのはおかしくないか?
世界は単純じゃない.でも,例えば子供に,上記の出来事の「正当性」を説明できるか?
「大量破壊兵器がある」と言って始めた戦争を,「すいません,ありませんでした」と言った後も続ける/支援する理由を,子供にも納得できるように話せるか?
真実は,単純じゃないかも知れない.たぶん.
でも,おかしいことをおかしいという声が子供に届かない限り,「世界はそんなもんだ」と,子供が思うようになるのは止められないし,責められない.
個人の声は,昔より見えるし,繋がるツールも出てきているように思う.便利なものは,誰にとっても便利な諸刃の剣だろう.

Seville 1


31日の夕方に日本を発って,香港−ロンドンと乗り継いで,2月1日の午後セビリアに到着.既に暖かく,気持ちの良い季候.
劇場は,Teatro Central .以前大きい方のホールで,ダムのS/NとORを公演している.
今回は,130席程度の小さいホールで2回公演.
セビリア万博にあわせて建てられたこの劇場は,万博会場と同じく河を挟んだ旧市街の対岸に建ち,朽ち果てて行くままに捨て置かれている万博跡に寄り添うようにして,そこだけがちゃんと機能している.プログラムも面白いし,設備もそれなり.
特筆すべきは,いつも用意してくれるホテルが,かなり居心地が良い.そんなに宿泊料金の高い宿ではないんだけど,アパートメントタイプで部屋が広く,アンダルシア情緒たっぷりのパティオを囲むように並んでいる.石造りの部屋は,暖房を入れていてもまだ少し寒いけれど,夏の屋内は涼しくて気持ちいいことだろう.
2日は,仕込みとリハ.途中まで快調だったが,床置きのLED照明を仕込んだ時点で,機材が動かなくなりその後暴走.かなり焦る.どうも電源周りが怪しい.
以前も,スペインでは,電源関係で痛い目に遭っている.まあ,アースの付いていない機器を持ち込む方が悪いのかも知れないが...
結局,電源の取り口を換えたり,配線を整理している間に,何とか復旧.しかし,確かな原因は不明.何とも恐ろしい.何とか,夜にリハーサルを通す事ができて終了.そのまま元電でまとめて電源を落として,今朝まずPCから立ち上げて電源を入れたら無事に動いた.
ちなみに,2日の夜は終わったら23時.ホテルに帰って,改めて外に出るのもたいへんなので,ミィーティングを兼ねてみんな集まって部屋で自炊.その朝にメルカドに買い出しに行ってあったので,その材料で簡単な炒め物などを作る.野生種っぽいブロッコリーとズッキーニと蛸をオリーブオイルでさっと炒めて,ついでにエビとアボガドの和え物と,赤ピーマンにオイルと塩とレモンだけの超簡単なサラダ.どの食材も,日本の半値以下の感覚,しかも美味しい.
写真は,街の散策,生ハムを削ぎ切るオヤジ,メルカドの八百屋の並びと,劇場の遠景,それとホテルの部屋でのミーティングというか飲み会.

Sevilla2


セビリアでのオフ.日曜なので,飲み屋とレストラン以外は,ほぼ閉まっている.昼間からちょいとビールをひっかけて,うろうろと散歩した後は,ほとんど寝て過ごす.自分でもびっくりするくらい,長時間寝てしまった...
街の入り組んだ路地には車も通らず,日曜の昼間はとても静かだ.そして所々にある広場では,何だかわからないけれど黒山の人だかり.別にイベントがあるわけでもなく,Barから溢れ出した人達が,セルベッサ片手に盛大に立ち話をしているのだ.彼らは,会話をするためにお酒を飲む.
昨日と一昨日の公演はお客さんの反応も良く,劇場のプログラム・ディレクターであり,今回のツアーをまとめてくれたマノロ氏も,ずいぶん喜んでくれた.彼はパリ公演を観て今回招待してくれたのだが,そのパリでやった旧5人バージョンよりも今回の3人バージョンが良かった,といってくれたのはとても嬉しかった.去年の夏に,みんなで作り替えた甲斐があったというものだ.
ところで,スペインにはコインランドリーが無い.少なくともセビリアにはないと,ホテルの受付のおねーさんが断言していた.しかしそれは,どの家庭にも絶対に洗濯機があるということかな?それとも,手洗いが普通だとか?
明日グラナダに移動なので,ホテルのサービスを使うわけにもいかず,仕方がないのでバスタブで盛大に洗濯.はたして明日までに乾くか?
写真は,公演のステージと客席,2日間通い詰めたバルの親切なオヤジさん.ちなみに,前回のEa Solaツアーでデジカメが壊れて,新たに買い換えた.新機FinePixF11はISO1600と,物凄く暗いところも明るく写る.肉眼より増感して,色も綺麗に映るというのは,何とも不思議な感じ.

写真は,舞台と観客席と,毎晩通った飲み屋の親父さん,息子さん,とうとう中に入ってみんなで記念撮影.素敵なホテルの中庭とエントランス,街中のナランハの樹.

Granada

Sevillaから列車でGranadaに移動.シェラネバダを望む,古い都.
15年ほど前に,ダムの公演で訪れたはずだが,街の様子はほとんど記憶にない.かろうじて,アルバイシン(旧ユダヤ人街,つまりアラブっぽく入り組んだ街並みの下町)地区とアルハンブラ宮殿だけ何となく覚えている程度.
ここの主催は,Teatro Alhambraなのだが,EU法で非常口のない劇場は使えなくなったとかで全面リノベ中らしく,街の周縁にあるTeatro Jose Tamayoで公演することに.この劇場は,新興地方都市の文化センターという趣で,ファーストフード店みたいに味気ない.ただし,スタッフはみんな親切で,しかも英語を話す人も多くて,たいへん助かる.でも,非常口がないという,つまり相当古くて,しかも街の中心にあるTeatro Alhambraで公演する方が,ビジュアル的には相当面白かった気がして,少し残念.
街中から遠い分,集客が不安だったのだが,昨日の初日には多くのお客さんが来てくれた.380席程度の客席がほぼ埋まって,しかもシアター・スクールの生徒達がかなりいたようで,反応は上々.公演後にもいろいろ声をかけてくれた.簡単な英語は皆話せるので,喜んでくれたことはわかるのだが,それ以上の話はスペイン語の応酬で内容は身振りから推察するのみ.それでも,陽気に話しかけてくれる,彼らが嬉しい.
明日は,早朝にバスでマラガに向かい,着いたらそのまま仕込み突入.今ツアーでもっともタイトな1日.でも,昼休みはきっちり14時から16時までの2時間とるんだなぁ.基本的に仕事は朝10時から14時までと昼食後16時から21時か22時まで.晩ご飯は,その後ゆっくり飲みながらとる模様.でももちろん昼にも,ワインかセルベッサは欠かせない.
スタッフがいうには,事務職は朝8時半から働いているらしい.早くからがんばっている人もいるんだと,よくよく聞いてみると,その場合は15時で全ての仕事を終えて帰宅するんだと.良いなぁ,スペイン人.それで別に国として困ってるわけではなさそうだし...
写真は,遠くシェラネバダを望み二足直立するレッサーパンダのごときM鍋氏と,劇場,劇中、バラシ後の乾杯!フラメンコのリズム

Malaga

2月10日-12日
5時45分起き.タクシーでバスターミナルへ向かい,7時発の便でマラガへ.9時過ぎに,最終公演地であるTheatre Canovasに到着.
ステージ前半上部のスノコ高が5m程度しかなく,その後舞台奥までの3mくらいは,天井まで10m以上ある変な構造.前は,何に使われていた建物なんだろう?
また,もっとも注目すべきは,その舞台の高さ!客席床から舞台框まで,1m20cmをゆうに超える.つまり,ダンサーが舞台奥で床に寝ると,姿が消える...
劇場から断面図が送られてこなかったので,現場に入るまで何の対処もできなかったのだが,急遽客席前2列をブロック.どの席から見ても,観客の頭が舞台上を遮ることはないのだが,この2列からは立ち上がりでもしない限り,舞台上で何が行われているのかわかりゃしない.劇場スタッフも,問題は心得たものらしく,交渉はスムースに進む.前のグラナダでも,あまり床面は見えなかったのだが,それはそれで新たな見せ方ができたので,ここでもダンサーを含めてみんな,悲観的な様子は見せずに立ち位置を決めていく.実際僕も,リハを前で見てみるが,ダンサーの動きと光の関係が,新鮮で面白い.
もっとも心配されていた「紐」のシーンも,床面があまり見えなくてもどうやら内容は伝わるらしく,公演後に聞いた感想でも,あまり的はずれなものはなかった.もっとも,シンプルな英語かジェスチャー混じりのスペイン語の感想だけれど...
とにかくまあ,反応は上々.ただ,どうも観客の年齢層が,グラナダよりだいぶ高い感じだった.
この劇場は,美術大学やら音大に囲まれたところに建っているのだが,どうもそこの生徒より先生の方が多く観に来てくれていた模様.
ちなみに来月3月19日には,Ryoji Ikeda [C4I]も同劇場で公演予定.もしその頃近くにいる人は必見です.
写真は,劇場外観と問題の高〜い舞台,終演後の記念写真,モテモテダンサー,夜食で乾杯,あとグラナダのバスターミナルで早朝から,荷物をぶちまけて忘れ物を確認するM鍋氏.(紛失した高価なイアホンは,後発のダンサーによって,ホテルのベットと壁の間に挟まっているところを無事救出される.)

Casares


2月13日
前日無事に,Malagaでの最終公演終了.
機材をパッキングの後,みんなで教会横のレストラン街へ繰り出すが,日曜夜とあってあまり活気はない.僕たちだけ盛り上がって,乾杯.
とにもかくにも無事全公演が終了.完成には至らなかったが,何度も作り直しているシーンのサウンドトラックを,またほぼアップデートできたのも大きな収穫.秋には,新しい音で公演できるはず.
そして,この朝には.ダンサーのユカ嬢と音響のM鍋氏と僕の三人で,レンタカーを借りてアンダルシアのドライブに出発.
実は今を去ること15年前の1991年にも,GranadaでのpH公演の後に,ダムのメンバーと同じようなルートを回っている.しかしその頃は好奇心満タンですごいハードスケジュールをこなし,結局バタバタとした印象だったので,今回は僕としてはもう少し気楽にのんびりこの辺りを回りたいところ.(前回はグラナダから出発し,南はモロッコのタンジェ,西はポルトガルのリスボン,そして最後に北はマドリッドに戻るという行程を,一週間でこなした.)
日程は4泊で,最終日はSevillaに戻って,翌日5時起きで空港へ.
とりあえず,白い村として有名なCasaresに向かう.
途中,「ナビは任して下さい」と豪語していたM鍋氏によって迷い込んだ,何処ともわからない姥捨て山,もといリタイア老人の楽園らしきリゾートで,錯乱したM鍋氏が着衣のまま2月の海に飛び込む(写真参照)という珍事があるが,あとは概ね順調.
Casaresuは,どのガイドブックにも載っているような有名な村になってしまったが,前回訪れた時は,本当に素朴な山中の小さな村だった記憶がある.
今回到着時は,村の入り口近い道の路肩には,縦列駐車の車が列をなし,観光バスもそれに混じり,本気で引き返そうかと相談したのだが,村の中に入ってしまえばそれほど観光客で溢れかえっているという状況じゃなかった.宿泊施設は2軒しかなく,安い方は前と同じ街の広場に面したバルの上階で,近所にある肉屋さんの経営.相変わらずまったく英語の通じないおばあさんが部屋の鍵を渡してくれるが,家業の肉屋はガラスケースだけ残して廃業していた.宿代は,一人一部屋借りて,トイレシャワー共同で,20ユーロ.
街の中は車とバイクとバルの数がずいぶん増えていたが,その佇まいはあまり変わらない.もっとも大きな変化といえば,頂上にある教会の廃墟が改修され始めていたことだろうか.
夜は,バルを何軒かハシゴした後,マラガのスーパーで買い込んだワインをがぶがぶ.