9月24日25日:
24日は今回最大のヤマ場,FaroからルーマニアのBucharestへの移動,ツアーメンバー8人+公演機材一式150キロ(トランク5個),Faro-Lisbon-Frankfurt-Bucharestだった.
まずは,空港で通関.これはA.T.A.Carnetという輸送用の通関書類を作ってあるので,難なくパス.Carnetは簡単に言えば,いったんその国にこれこれの機材を持って入るけれど,中で売っぱらう事無く全部持って帰ります,という保証証明書.
次にチェックイン,8人で個人の荷物も含めて12個を預ける.ヨーロッパは個人の手荷物預かり上限が20キロなので,160キロまでならセーフだが,もちろんそれで済むはずが無い.だって機材の重量が既に150キロある.カウンターのおねーさんは,顔色変えずに淡々と荷物にラベルを貼って送っていくので,一瞬無問題なのか?と気持ちが踊るが,そのおねーさんはそのまま表情を変える事なくサラッと「はい,合計で286キロなので126キロオーバー分の超過料金を払ってください.」といった.一瞬その場で気絶でもして見せようかと思ったが,相手はさらに上手で手慣れているというか,続けて「特別に一人5キロまでサービスしてあげるから8人で200キロまでは無料,86キロ分の超過でいいわ.」と続ける.
それですぱっと交渉切断,まけてと言い出す前に40キロまけられて,今更後5キロずつまけろとか言い出しにくい.もともと,100キロオーバーは覚悟の上だった事もあり,指示通り料金支払いのカウンターへ.これが間違い.というのは,超過料金の設定が,日本で調べた額より高かった.各航空会社によって差はあるが,料金はたいていそのルートのエコノミークラスもしくはルートによってはファーストクラス(これで全然金額が違うが)の正規料金の数パーセントが,1キロごとの超過に対して課せられる.これが,思っていた金額よりかなり高かった...
この時点でかなりへこむが,明日朝からはBucharestで仕込みが始まる.機材は必ず僕らと一緒に動かなければいけない.
ここでちょっとごててみるが,これまた航空会社がうまく考えているのか偶然か,Frankfurtまでのキャリアであるポルトガル航空の規定なら,超過料金は約半分で済むという.じゃそれで,と即答しそうになるが,よく聞いてみるとその場合は,Frankfurtでいったん荷物を受け取って,再度チェックインし,そこでまたルフトハンザに料金を払って再度荷物を預けろと言う.つまりルフトの料金設定がかなり高いわけで,それを全行程に適応するか,もしくは分けるならいったん荷物が出てくると...
乗り換え時間は2時間.かなり迷うが,どうにも慎重になってあきらめてその場で支払う.人生勝ち負けで言うと,負けたようでかなり悔しい...でも荷物が出てくるまで待って,再度並んでチェックイン・交渉・コントロールを通ってセキュリティー検査を受けてBucharest行きに乗り込むまでを1時間40分程度で,しかもあの広いFrankfurt空港の中,8人全員でこなさなければいけないと思うと,どうもガッツが湧かなかった.
でも,しつこいけれど,負けたようで悔しい.
まあ,そのかいあって,深夜のBucharestOTP空港で,無事12個すべての荷物を受け取り,迎えに来てくださった日本大使館の方と落ち合う.
そして,25日中にセットアップから通しリハまで完了.まあ,たいしたもんだと自分を褒めておこう.(でも悔しい!)
写真は,Teatrul Ion CreangaとBucharestの光景(色)をLiddellで照明の数値に取り込んでいるところ.
Frankfurt
Bucharestでの公演は無事成功.
ただいま,帰途途中のFrankfurt.節約予算のフライトなので,なんと帰り着くまで36時間ほどかかる...
Bucharest-Frankfurt-Singapore-Bangkok-大阪.途中,ここで6時間,Singaporeで3時間のトランジット.
ちなみに,昨日27日から30日まで,京都芸術センターで「きりしとほろ上人伝」という,狂言師やら文楽の方やらが京都市だかの企画で集まって作ったパフォーマンスが上演されているのですが,その美術をキュピキュピの石橋君がやっていて,僕もLED照明のプログラムでちょこっと参加しています.といっても,まだ完成作を観ていませんが...
なので,30日には観劇予定.朝に帰り着いて夜には芸術センターへ.
ああ,ホットスポットの時間が切れる.では,今度はSingaporeからかな.
Entrance fee
10月26日27日29日:
やっと,Singaporeに到着.Bucharestを出てから20時間強.
話は前後するが,27日に無事にBucharest公演終了.
今回の舞台は,少し角度が付いている上に床が地絣敷き.地絣というのは,簡単に言えば床を被う大きな一枚布.歌舞伎の道具から来ていると思うが,日本舞踊などでも使うし,たぶん舞踏でもよく使う.Bucharestの劇場が用意した地絣は,中国の劇団が持ってきたものだといっていたから,京劇がルーツかも知れない.
monochromeのメンバーは,全員地絣初体験という事で,ずいぶん大変だったようだ.おまけに,地の床がとても状態が悪く,ある程度は養生してもらったもののデコボコがとれず,痛いし踊りにくいしという状態だった.
でも,公演自体は悪くなかった.ダンサーの皆さんゴクロウサマ.そして在ルーマニア日本大使館の方々,とてもお世話になりました.ありがとうございました.
ただ一つ残念なのは,すべて終わったあとから,今公演が無料だったと聞いた事.直前に聞いても有料にするのは無理だったかも知れないけれど,大使館の方と話はできたはず.
僕は,無料公演というのは絶対に納得できない.確かに,もともとかかる予算と入場収入では,到底つり合わないし,助成や援助がなければ作品の制作も難しい.それにお国柄というのもあって,インドなどでは劇場公演は基本的に無料だと聞いた事もある.
それでも,僕はいくばくかの入場料と自分の時間を対価に,会場に足を運んで作品を観に来てくれた人と関係を持ちたい.もちろん僕だって,「招待」で劇場に入る事もあるけれど,できるだけ料金を払う事にしている.だって,面白くなかった時に,ちゃんと文句言えないじゃん.それに,ただだといい加減に観る,という事もあり得ると思ってる.もちろん,みんなそうだというわけじゃないけれど...
ルーマニアの人が納得できる額でいいから,入場収入を取ってほしかったなぁ.
さあ,ではこれからタイ経由で大阪へ.
Shiga Theater
30日朝に帰国して,その夜に京都芸術センターへ.
キュピキュピの石橋君が美術を担当した「きりしとほろ上人伝」は,その舞台美術と全体の進行役である女義太夫の謡語りが素晴らしかった.でも話の内容は箸にも棒にもかからない.いくら原作が芥川だといっても,こんな時代にキリスト教の布教寓話を文楽・浄瑠璃・狂言絡みで作るという設定が,どういうつもりなのか理解に苦しむ.(といいつつ,そこでちょいと仕事をしていたわけだが...)
10月1日は,子供とすごす.すごくよく喋るようになっている.話し相手に,自分の欲求なり感情を理解してもらおうという姿勢で,彼女なりに理論を展開してきて,とても面白い.
10月2日,朝から滋賀会館で,Refined Colorsワークショップと公演の仕込み開始.
自宅から40分弱の通勤になるので,時差ボケの体にはきつい.しかし,昔からお世話になっている舞台屋さんのBさんや,ダムの若手がスタッフとしてかかわってくれているので,仕事はやりやすい.プランを立てていた図面と現場の寸法が違ったり,現場で考えようと後回しにしたまま忘れていた事など色々あったにもかかわらず,満足のいくセットが建つ.
PAも,ダムでオペレートしてもらっているFさんに手配してもらって,D&Bのパワフルなものを入れてもらった.今回わざわざ,通常のsubwooferよりさらに低音に特化したB2-SUBsを持ってきてくれはったので,広い会場にもかかわらずM鍋氏も満足するだろう,かなりの低音が出ている.
http://www.dmaudio.co.uk/b2.html
しかし,どうやらチケットの売れ行きが悪いようで,担当者が頭を抱えている.予算的な事もあるだろうけれど,それより結構な広さの会場なので,かなりがんばらないとぽつぽつとしか席が埋まって見えないのがつらい.
せっかくこれだけ時間もお金もかけてやるんだから,大勢の人に観てもらいたいなあ.
皆さん,大津はそんなに遠くないですよ.
そしてそして,ワークショップもまだまだ空きがあります.
http://cgi.shiga-bunshin.or.jp/shiga/event-syosai.php?number=1708
実際の舞台を使って,monochromeダンサーズのインストラクターも付いて,D&BのパワフルPAで自分の好きな音を鳴らして,しかも簡単に望むようにLED照明で色と光を操り,その中で踊るというこの企画.3日間で2000円という,破れかぶれな料金設定が,あまりにも安すぎたか?
希有な体験が出来るんですが...
というわけで,今日も滋賀に通います.
いや,ほんと,思ってるより近いです.
Rest
滋賀の公演は無事に終了.
今回のツアーの初めから取り組んできた作品のアップデートが出来て,個人的には大変満足.お世辞にもお客さんが多かったとは言えないけれど,内容的には,かなり密度があったと思う.
あの空間を贅沢に使わさせてくれた,滋賀会館には非常に感謝.やはり,必要な要素を全部組んで,いろいろ試せる場所がないと,作品のアップデートは難しい.
公演後の打ち上げに,久々に街に出て,いまだ時差ボケが残っていることを実感.公演時間が早かったので,街に出たのも早かったのだが,いやあ眠い眠い.
その後2日間,子供と同じリズムで過ごして,早寝早起きを心がけるが,いまだ何となくぼーっとしている.
しかし,今からダムの公演でメルボルンに出発.時差がないのがせめてもの救いか.
Melbourne 1
「声を失う」 – といっても,何かにあきれたわけではない,
10月14日の夜に飛行機に乗り,15日朝にBrisbaneに到着.空港のシステムがすごく分かりにくい上に,フライトが遅れて乗り継ぎ便を逃し,予定より2時間後の便でMelbourneに到着.その頃にはもう,咽がいがらくて風邪の兆候があったのだが,ちょっと無理をしてBelgiumから来たパフォーマンスを1本観劇.無理をしてでも観て良かった!といえる面白い物だったが,移り気な春の寒さのせいもあって体調はどんどん下降.翌朝起きた時点で,僕の声は自分の物とは思えないがらがら声に.
しかし,それはVoyageの仕込み初日のことである.初日の午後からは.照明のフォーカスがメイン,何が何でも大きな声で喋らなければならぬ.
常用している風邪薬と,いくつか携帯してきたホメオパシーのレメディーをちゃんぽん.そのかいあってか,別に熱も出ず咳もそれほどではなく,咽の痛みも不思議とないのだけれど,夕方以降にはほとんど話せなくなってしまった.
おしゃべりはどちらかというと苦手なほうだし,別に普段はそんなに話せなくても困らない気がするが,舞台仕込みの真っ最中となると,話はまったく別である.困ったというか情けないというか,何か自分が悪いような感覚に捕らわれる.
僕の敬愛するルポライターに,「AV女優」というタイトルの,まさしく日本のアダルトビデオの女優さん達にインタビューして歩いた大著をものしている,永沢光雄さんという方がいる.その彼が喉頭ガンで声を失くしてからあとの自伝というかエッセイがあり,それがなんというか,まったく泣けてくる,でも生きようという気になるとてもいい本なのだけれど,その本の事が無性に思い出された.
もっとも,僕の状況はただの風邪だが...
もしくは,最近読んだ失語症の話.周りの状況は,完璧に理解しているのに,ただそれが話せないというだけで,どこにも伝わらない.そのもどかしさ,ふがいなさのせいで,つい自分を責めてしまうという...
幸いな事に,一晩寝たら,声はある程度戻ってきた.今まで長く生きてきて,こんな体験は初めてである.ぎっくり腰をやったときもそうだが,無くしてみて初めて,それがどんなに得難いモノだったかが分かる.いやそんな,たいしたこっちゃないんですけどね...でも,発話できるというのは,すごいなと.
Melbourneの春は,日々の寒暖の差が激しくて,昨日は凍えるようだったのに,今日は一気に春めいて気持ちのいい気候です.
Melbourne 2
公演は,無事に終了.
寒暖の差が極端な,気まぐれな天候のせいか,最後まで風邪は全快しなかったが,公演自体はうまくいったと思う.
前回memorandumで,同じこのフェスに来た時には,Forumという大箱のナイトクラブのような場所で,舞台の前3分の2くらいを仮設,天井部もトラスを吊り込むという,まず会場を作るのに一大労力を費やすという状況だった.しかし,今回はアートセンターの中の使いやすい劇場で,スタッフもバリバリ動くし,音響・照明機材も十分という恵まれた環境.3日間3回の公演共に,お客さんもほぼ満員で,何不自由なかった.
でも,それだけ恵まれているのに,天の邪鬼なのか風邪のせいか,何だかどうも街に馴染めない.Australia全体を知ってるわけじゃないし,今いるMelbourneだって,よく知らない.そんなぼくが言うのもなんだが,どうも不思議な感覚がつきまとう.そのわだかまりをつらつらと考えていて浮かんだのが,何だかシェルターの中にいるような,という感じだった.きっと入国時のチェックの厳しさや(Australiaは独自の自然環境を守るために,外からのいろいろな物の持ち込みを厳しく管理している),きわめて効率良く,誰にでも分かるように設定されたルールやなんやかやが,単純にぼくの思い込みを作っているだけだろうが,どうもなんだかやんわりとすべてが管理されている場所のように感じる.
もちろんここだって,駅前に行けば,行き場のない時間を持て余した若者がたむろしているし,ゴミだらけの路地もある.それに管理といったって,オーウェルの世界みたいに,悪意のあるビック・ブラザーが一挙手一頭足を見張ってるというのでもない.でも,何だか「後が無い」感じがするのだ.
シェルターの中は居心地がいい,安全だし行き届いている.でもそれは裏を返せば,外は大変だという事だ.シェルターは,外部が非常事態になってこそ,意味がある.
まだ,たぶん外もここも,そんなに違いはないと思う.まだ,別にここはシェルターではないのかもしれない.すべてが人工的な気がするのは,Australiaの強力な大自然に対抗して,自然に街がそういう発達をしているからかもしれない.でも,何だかね,外からの訪問者としては,そんな気がしたわけだ.
もっとも,日本だって外部に閉じてるのは,ここ以上かもしれないけど...
今日の午後は,Robert Wilsonの新作,I La Galigoを観劇.これまでにも確か2本別の作品を観た事があるが,生まれて初めて一秒も微睡みもせず,途中退場もなしで3時間に及ぶRobert Wilson作品を観た.シンガポールのEsplanadeがコプロダクションで参加し初演もしたこの作品は,インドネシアから50人強に及ぶダンサー・シンガー・語り部・ミュージシャンを連れてきておこなう一大神話絵巻.何度も繰り広げられる,上手から下手に流れる神話的な行列といい,いかにも絵巻っぽい.Robert Wilson/西洋(?)の視線で残虐シーンも口当たりよく編集された演出と,美しくデザインされた照明.3時間途切れる事のない,インドネシアン・ミュージシャンによるヴォイスと演奏.大変な労力を使った,綺麗な作品でした.それだけといえば,それだけだけど.
今晩,あと一本作品を観て,明日は帰国.
写真は,舞台でミーティングするダム・メンバー,使いやすかったPlayhouseのステージ,今回もっとも強力でかっこよかった劇場の搬入リフト.何とMAX25トンの稼働重量,Voyageの機材がトラックごと楽々と上がっていく.そして,melubourneの地下鉄.
Melbourne 3
10月23日に無事帰国.
今回印象に残った公演を,忘れないうちに記録.
“Tragedia Endogonidia BR.#4” : “Societas Raffaello Sanzio” from Brussels present.
Directied by Romeo Castellucci.
今回観た中では,もっとも秀逸.
三方が,見た目は大理石プレートの高い壁に囲まれた舞台.なので袖がないので,転換時はいちいち割り緞帳が閉まる.でも,その閉まった,たぶん持ち込みの白い緞帳を使って,遮られて見えない舞台中がめちゃくちゃ明るくなっているような光の演出もあり,すべての要素をうまく利用している.
抽象的な,その何もない舞台に,最低限の要素を置いて,幻想的でインパクトの強い舞台をものしている.
次々と,新しい可能性のある舞台は出てくるが,それをいち早くオーストラリアまで喚んでしまうこのフェスは凄い.それに毎年だし...
とにかく,光の使い方が良かった.機材をチェックしたわけじゃないけれど,HMIと通常の舞台照明と蛍光灯,それにビデオプロジェクターも照明の一種としてうまく扱っていた.それらと,マジックでも使えそうな道具を駆使した舞台装置をあわせて,映画ばりの,つまり目前の舞台でリアルタイムに,普通だったら目視するのは不可能なような効果を,うまい事現実化してました.
“the 51st(dream) state” : Sekou Sundiata.
こっちは,超クール.
このSekou Sundiataというおっちゃんは詩人らしい.舞台上は映像や通常照明に加えてストロボなんかも効果に使い,4人のこれまた恰好良いコーラスガールとドラム・ウッドベース・キーボードと,何やらその筋では有名そうなホーンのおっちゃんを加えたバンドもSekou Sundiataと一緒に舞台に立つ.
4人のコーラスは,それぞれソロでも歌い,バイオリンも弾く東洋系(たぶんベトナム人だと思ってたら,名前は中国系)と,NYのハーレムでゴスペル歌ってそうな弾丸ねーちゃん,中東の香りぷんぷんの美人さんに,南アメリカ出身ぽいグラマラスなおねーさんと,よくぞ揃えたマルチ・カルチャラルな美人揃い.みんな歌唱力抜群.
しかし,その強力なバンドのパワーも全体の半分程度に抑えて,メインはSekou Sundiata氏自身の詩の朗読に比重があるところが,ものすごく渋い.しかも,当然ながらそれがうまい.
といっても,その流暢な英語と多彩な発話の表現,早口言葉も真っ青なスピードに,ほとんど一言も言葉の内容は分かりませんでした.まあ,何について喋ってるかくらいは,何となく見当付いたんですが...
それでも,その全体の構成には,ものすごく感服.
映像も自由に使えるだろうし,ミュージシャンもすごくうまくて,舞台要素(音響・照明を含む)もよくデザインされてて,優秀なスタッフがいる事が分かる.それらをうまくコントロールしながら,あくまでもメインは詩人本人の朗読に比重を置くというのは,実際に作るとなったら相当難しい.だって,ある程度は,何でも出来るし,それで誤魔化したくなる.
う〜ん,大人な感じ.
しかし,こういう内容になると,全然言葉についていけない,自分の英語力が恨めしい.