このブログは、自分の仕事や観ることのできた公演の感想などを書くのが主な目的で、個人攻撃をするためのものじゃない。なので、否定的なことでは、できるだけ個人名は出したくないけど、このところ考えている内容を説明するのに、あえて個人攻撃なのをわかりつつ、今日は大橋弘忠というヒトに関して書いてみたい。
このヒト、東京大学工学系研究科システム創成学専攻教授という肩書き。ぱっと見、わりと情報系の研究者に見えるが、なぜか各地で原発推進の講演をして回っていた。過去形なのは、3.11.以降、さっぱり噂を聞かないから。
彼は数年前に、京都大学原子炉実験所助教・小出裕章氏も参加された、佐賀県で行われたプルサーマル公開討論会でも話していて、その際に、
「プルトニウムは飲んでも安全」
「 地震など原発には関係ない話 」
「 格納容器が破損するなどあり得ない。1億年に1回の確率 」 などと発言し、「 わからないのなら家に帰ってお子さんに聞け」等と聴衆に語っている。
http://youtu.be/2WVTSIZNiVs
その発言自体、よくもまあこんなに自信満々にこんな内容を聴衆にと、思えるものだが、その内容よりもこの構図がより深刻に問題だと思う。
つまり、彼は東京大学教授という肩書きを背負っていて、聴衆はそれを信じている。片や、反論している小出さんは助教。助教が悪いわけではないけれど、この差を信じるヒトが、多かったという感も拭えない。それが、今はかなり崩れただろうけど、でも権威がガラガラと崩れていくということは、一概には喜べない。
この、大橋弘忠というヒトを、今や誰も信じないだろうというのは当然だろうと思うが、話はこのヒトデナシだけにとどまらない。そこが問題。
いわゆる御用学者というヒトは、ざくざく出て来る。
http://www47.atwiki.jp/goyo-gakusha/pages/13.html
彼らは、当然東大やその他有名大の教授とか名誉何たらで、だからこそ、その地位を使って原発推進アピールに勤めた。
それだけじゃなくて、もう忘れてしまったヒトも多いのか、あまり話題に出ないが、野球の星野監督とかその他有名人も、例の「二酸化炭素出さないから原発はエコ」キャンペーンコマーシャルに出ていた。つまり、たぶんお金をもらって、信じるところを決めた(と表明した)。
しかもそれは、未来に多大な負債を残す選択に関してだ。
こんな人たちが、いまだ日本の最高学府などにいて、これからの未来を担う若者に何を教えるというのだろう?この人たちに学ぶ若者は、何を信じられる?何を目標にする?
偉くなったら、適当な嘘をまるで真実のように、肩書きを使って説得力を持って話せるから、それでざくざくお金が儲かるってか!
少なくとも、いま現在、日本の学問や「知」、そして政治に対する信頼は、どんどん萎えて行っているのではないか?
でも、実は今こそ学問や「知」をリスペクトする気持ちが、必要な時ではないだろうか。不信感ばっかりでは、何処にも進めない。
僕にしても、個人的に小出さんやあと少数のジャーナリストの方を信じているけれど、システムとして、機関としてのマスコミや研究機関は、信じられない。
これを払拭していく努力を「いま」しないと、未来はどんどん先が見えなくなる。
蛇足ながら、この大橋弘忠の東大にあるラボのHPは、震災後それまで載っていた原子力の文字をさっさと削除して、関係者が分かる「メンバー」や「アクセス」を工事中に差し替えた。
http://syrinx.q.t.u-tokyo.ac.jp/members.html
このお方、専門研究分野は研究室のページにもあるように、複雑流体、進化計算、経済物理、ネットワークサイエンス等の「コンピュータシミュレーション」だ。
ネットワークやコンピュータに関する研究者が、過去の自分の(原発に関する)シミュレーションを無かったことにしたいからといって、自分の手が届くHPから関係する内容を消して、後は東大か何処かに籠って鳴りを潜めているなんて、現実認識が甘すぎるんじゃないか?
前述のYouTubeの動画などが、どれだけの人に視聴されて、どれだけバックアップがあり、消されても次々と上げられるのか、ネットワークの専門家なのに想像がつかなかったのだろうか?
そんな、シミュレーションの専門家に、苦労して入った東大で、学生達は何を学んで何を信じるのだろう。
こういう行動自体も、失笑を買うだけでなく、この国の若者の希望を大幅に減じていると思う。
Familiar action
facebook上のグループ「福島第一原発を考えます」からの提案です。
このグループとは別の、脱原発100万人アクションの呼びかけを受けてのことかもしれませんが、「6月11日(土)午後から官邸や国会周辺に、お散歩しましょう」という提案が出ています。デモではなく、あくまでも個人意思でのお散歩です。
僕は、地元でデモに行こうと考えていて、東京までは行けませんが、でももし東京の方で時間があったら、散歩に出かけてみて下さい。原発を抱えた未来に、少しでも不信感があるなら、とりあえず半歩でも一歩でも進んでみましょう。
あと、反原発のシンボルとして、「黄色のリボンや黄色の帽子など黄色の物を身につけましょう」という呼びかけもあります。
ピンクリボンなどと同じく、これも意思表示。原発の話題を話したくても話せないような状況があるなら、何か手助けになるかもしれません。
つけてる時と外す時があってもいいと思います。とにかく、気になることがあるなら、話をする機会にできればいいと思います。
これは僕の経験ですが、話を振ってみれば、ほぼみんな、なにがしか気になっているんですよね、もちろん。
Notes related to nuclear power plants
昨日、福島第一原発に関して、精力的に発言し動いておられる、木下さんと話す会に行って来ました。
その中で、いろいろな話は聞いたのだけれど、一番耳に残ったのが下記の話。こういう話が一番かと、怒られそうな気もするが・・・
官僚や政治家が、事実を隠蔽してもそのうち必ずバレる、改竄などすれば、バレた時の罪がより大きくなる。じゃあどうするか?「調べない」、知らなければ、隠す必要も誤摩化す必要も無い。
う〜ん、いや何と言いましょうか、無知を笑うような、あきれるような態度ではいけないのだ。それだと、相手の方が一枚も二枚も上手だ。
あと、個人的にシビアだったのは、関西電力の原発依存度が日本で一番高いという事実。
これは、知ってはいたのだけれど、改めて確認するというか認識すると、かなり重い。2位の四国電力が53.4%で関西電力は53.6%。
このパソコンも、部屋の明かりも、半分以上は原発で作ったエネルギーで動いているわけだ。依存度が高いということは、転換できたとしても時間がかかるし、最後まで残る確率が高いということだ。おまけに、福井の原発銀座から、近畿の水がめ琵琶湖までの距離は20km程度。
しかし、やはり考えるにつれて、僕には問題はいまの原発事故問題だけにはとどまらない。
仮にこの先事故が無く、最大限健全に原発が動いていたとしても、そのために出る使用済み核燃料や破棄物は、いまの僕らの手に余る。
自分では解決できない問題を作り続けて、いまの栄華を誇るというか快適性を追求するというのは、それを個人でやった場合、僕にはどう見てもカード破産者などのちゃんと計算のできない問題のある人か、キチガイにしか思えない。
これだけ原発を使っていても、いまだ(核の)ゴミ処理をできたところは地球上に無いのだ。それでは、未来に顔向けができない。そういう挟持が、国の指針を考えるところに残っていないというのが、もっとも問題だと思う。
TPAM in Yokohama Summer Session 2011
バタバタしているうちに、2ヶ月が過ぎました。
その間に、引っ越しして、家の改装をして、それ以外にもいろいろありましたが、書く時期を逃してしまいました。
で、8月6日に、こういうのに喚んでもらって話します。
http://www.parc-jc.org/event_tpamiyss2011.html#s3
僕が参加するのは、8月6日13時からのセッション3:「舞台技術の現場から」です。
こういう場に喚んでもらえて話せるのは、ありがたいです。何処まで、テーマに沿った話ができるのかは、難しいところですが・・・
=========================================
TPAM in Yokohama Summer Session2011
国際舞台芸術ミーティングin横浜サマーセッション
2011年8月5日(金)~7日(日)
ヨコハマ創造都市センター(YCC)3F
参加費:3日券 1000円 / 1日券 500円(要事前予約・定員になり次第受付終了)
開場:各回の30分前
====================================
8月5日(金)
16:00~18:00
◆セッション1:「東日本大震災を受けて中間支援組織が行っていること」
モデレーター:坂田雄平(Arts Vision Network 311 事務局長)
参加予定:メセナ協議会、アートNPOリンク、Arts Vision Network 311 他
19:00~21:00
◆セッション2:「俺は演劇だと思ってやっている」
スピーカー:坂口恭平(作家・アーティスト)
=====================================
8月6日(土)
13:00~15:00
◆セッション3:「舞台技術の現場から」
スピーカー:藤本隆行(インディペンデントディレクター/照明デザイナー)、
堀内真人(KAAT神奈川芸術劇場技術監督)、遠藤豊(ルフトツーク)
15:30~17:30
◆セッション4:「<表現>としてのデモ」
スピーカー:宮沢章夫(劇作家・演出家・小説家)、三田格(評論家)
モデレーター:桜井圭介(音楽家・ダンス批評家・吾妻橋ダンスクロッシング主宰)
======================================
8月7日(日)
11:00~13:00
◆セッション5:ディスカッション「舞台芸術制作者が求めるネットワーク」
コーディネート:ネビュラエクストラサポート、国際舞台芸術交流センター
15:00~17:00
◆セッション6:「原子力発電所の『事故』とは何か?」
スピーカー:後藤政志(芝浦工業大学非常勤講師)、鴻英良(演劇批評家)
モデレーター:丸岡ひろみ(国際舞台芸術交流センター)
======================================
【お申し込み方法】
要予約、当日清算。
1日券(500円)は予約時にご指定いただいた日のみ有効です。
3日券(1,000円)は50枚限定。
定員150名。定員に達し次第受付を終了させていただきます。
以下の内容をss2011@parc-jc.org宛てにEメールでお申し込みください。
1)お名前(フリガナ)
2)ご所属
3)連絡先(当日つながるもの)
4)E-mailアドレス
5)3日券/1日券どちらをご希望か(1日券ご希望の場合は日付もご指定ください)
【会場】YCCの地図 別途送付します。
ヨコハマ創造都市センター(YCC)3F
〒231-8315 横浜市中区本町6-50-1
●みなとみらい線「馬車道駅」1b出口[野毛・桜木町口(アイランドタワー連絡口)]
●JR・市営地下鉄「桜木町駅」徒歩5分
●JR・市営地下鉄「関内駅」徒歩7分
*駐車場はございません。近隣の有料駐車場をご利用ください。
【お問い合わせ】
PARC – 国際舞台芸術交流センター
Tel: 03-5724-4660
Fax: 03-5724-4661
Email: info@parc-jc.org
主催・企画・制作:PARC – 国際舞台芸術交流センター
共催:財団法人横浜市芸術文化振興財団
助成:横浜市マザーポートエリア活性化推進事業
後援:横浜市文化観光局
ヨコハマトリエンナーレ2011連携プログラム
■関連イベント
サーカムスタンス『サトルモブ:これが最後であるかのように』
Circumstance “as if it were the last time (a subtlemob)”
英国のアーティストユニットのサーカムスタンスによる街を舞台にした観客参加型のパフォーマンス。
参加者は、事前に指定されたウェブサイトからMP3のサウンドトラックをダウンロード。
イベント当日、地図に示された場所にいき、サウンドトラックを再生すると、物語がスタートします。
参加者ひとりひとりが物語の主人公となり、日常の光景の中で映画のような体験を生み出すという新しい形のパフォーマンス。
日時:8月6日(土)18:30~ 横浜市内某所
参加費:無料
主催:ブリティシュ・カウンシル、急な坂スタジオ、STスポット
共催:横浜市
ヨコハマトリエンナーレ2011連携プログラム
*詳しい情報と参加のお申し込みはこちら http://subtlemob.com/
======================================
Schedule from September
昨日、せっかく木下黄太さんの、京都での公演会があったのだけれど、残念ながら参加できなかった。
10日は、東京であるそうです。
http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927
ネットでの情報収集も大事だけれど、直接話を聞いてみると、また新たなリアリティが重なってきます。
さてそれで、放射能はもちろん気になるが、それでも日々の暮らしもあるので、9月からの予定です。
9月18日(日) 新作能「水の輪」公演@近江八幡(滋賀)
下記ページ下の方に、公演の紹介が載っています。
http://www.omi8.com/topics/h-matsuri.htm
10月7日(金)~ 9日(日)スマートイルミネーション横浜(横浜)
http://www.zounohana.com/event/post_33.html
10月12日(水)~ 14日(金)デジタル・ライティング・パフォーマンス「lost 01/03」@VOICE gallery(京都)
各回30席限定、お待ちしています。
http://lost0103.jimdo.com/
10月22日(土)「Node /砂漠の老人」@新・港村(横浜)
来年制作予定の新作のキックオフトライアル
http://www.kazuoohnodancestudio.com/japanese/perform/kof2011.html
10月30日(日) 新作能「水の輪」公演@山本能楽堂(大阪)
今年の「水の輪」公演は、近江八幡>大阪>ブルガリアと続きます
http://www.noh-theater.com/tokuinoh.htm
どれも大事な仕事ですが、特に京都での「lost 01/03」、小さな公演ですがお時間の許す方はぜひおいで下さい。お待ちしています。
Mizuno_Wa at Oumi Hachiman 18 Sep.
何とか、雨やまないものでしょうか。当日雨天だと、残念ながら中止です。
このページの下の方に、何となく紹介載ってます。
http://www.omi8.com/topics/h-matsuri.htm
Lost all power supply
ここしばらく、仕事の告知的な事はFBでやっていて、自分のブログページに来る事もなかった。
前から、比較的長い文章を書けるブログで、ただただ仕事の告知をするのは、なんか違う感じで、でも自分のその時々の思いつきを、短くツイートできる気持ちも器用さもなく、その点FBはなぜだか何の遠慮もなく公演の集客に使えたりして、何だかいろいろ便利なわけです。
でも今日ちょっと思いついたので、久々に書いてみます。
3.11の後、世界を覆っていた黒く厚い雲が、何となく薄れて来たような気にさせられている今日この頃ですが、もちろんそんないい話は微塵も無く、そして原発の話はその事故が起きた時の災厄の大きさだけを話題にしていたのでは片手落ちな感じがしていて、それよりも、「今がもっとも大切で、今の充足の為には未来に負債を残していっても良し」という倫理観というか考え方が、大きな問題ではないのかというのは、前にも書きました。
事故が起きてその被害だけが問題なら、もちろんそれだけでも、永き未来に渡る大問題なわけだけれど、喉元過ぎれば何とかで、直接移住などさせられた人以外では、どうがんばっても問題意識は薄れていく。
事実、東電はいけしゃあしゃあと、国つまりは税金から追加の援助を引き出しつつ、社員にはボーナスを支給しているような状況。
それすら、「あれはひどいなぁ」と言いつつ、具体的にどうしたらいいか分からない人たちは(自分も含む)、内心怒っているだけで、いつの間にか眼を背けているわけです。
そうやって、そこにある事に眼をつぶって、無い物にしていくのは、直接自分に関わりないと思われる問題に対処する日本人の、スタンダードな対応に思える。
ならば、事故/犯罪対応だけに的を絞らず、どうしてこうなっちゃったんだろう、と嘆いてみる方が、少しは自分の身の内に反映されるので、その「どうしてみんな未来への責任を放棄しちゃうような、挟持の無い人になっちゃったんでしょう?」という事を考えようとしているわけですが、それに加えてもうひとつ、未来に関わる問題を思いつきました。
今頃何言ってんですか!と多くの人に怒られそうですが、いちおう考えをまとめる為に書いてみます。
福島の事故は、あり得ないと言われている「全電源喪失」が原因で起きたと言われています。津波の前の地震ですでにやられていたという説もありますが、とりあえずは津波が来て全電源が喪失したからと・・・
これは、まったくもって想定外だという事ですが、未来永劫想定外なんでしょうか?
そして、福島4号機にもプルサーマル用のMOX燃料が使用済み燃料プールに貯蔵されていますが、これも冷やし続けないと熱暴走して溶け出して、外に放射能をまき散らすわけですよね。しかも、普通の使用済み核燃料の冷却期間でも30年といわれているのに、MOX燃料はその10倍、300年は冷やし続けないと暴れだすといわれている。
つまり、今すぐ原発を停めても、それから30年、場所によっては300年は電気を使って冷やし続けないと、冷却水の循環が止まったら秒読みで、今の福島みたいな状況が間違いなく起こっていくわけですよね。
震災後、取って付けた応急措置として、津波の来ない高台に緊急用の発電機を設置して、これでもう大丈夫と言っている原発がありましたけど、その発電機だって燃料がないと役に立たない。
現代人は、電気が無ければ大半は死んでしまうかもしれないけれど、でも全滅ってことはないでしょう。だけど、全ての原発は、いま仮に全部停めたとしても、300年間は燃料なり太陽光なり風力なりで、ずーっと電力を供給しないと、貯蔵プール内の使用済み燃料が溶け出して、周辺から始まって風向きによってはその周囲の広範囲を、人が住めない場所にしてしまう。
考えてみれば、いまはそれなりにお金もあって、必要な分は石油買えば何とかなるわってなもんですが、仮に経済が悪化してそれもままならなくなって、いま送電を切ればどこかの病院で多数の人が死んでしまうという状況になっても、それでも病院より優先して廃炉にした原発に電力供給していかないと、国が亡んでしまうという状況になるわけです。
これは視点を変えると、とっても簡単に国を滅ぼす事もできる。
日本なんか無くなっちゃえばいいのにと思ってる人がいたとしたら、こんなにいっぱいターゲットがあるのは楽ですよね。しかも、施設をぶっ壊さなくても、電力さえ断てばそのうち勝手に崩壊してくれる。簡単に脅せる。電力線と燃料の供給源さえ断てばいいんだから。
それを考えると、まだある程度国の信用があるうちに、他国に比べて経済がそれほど崩壊していないうちに、一刻も早く弱みは無くしていった方が懸命だと思うのですが、どうでしょう。
プルトニウムでそのうち核兵器が作れても、その肝心の守ろうという国の身の内に、動脈瘤みたいな場所が54カ所もあったら、そのモニターと治療費だけでも、将来予算を確保して支払い続けられるかどうか怪しいもんです。しかも、保険もきかない上に、長い場合は今から治療にかかっても300年かかる。それは迷ってる場合ではなくて、今すぐ取りかからないと。
迷ってるフリをしているのは、300年後なんて知ったこっちゃないやい、というヒトデナシばかりで、それこそが挟持を無くした、未来に責任を持たないゾンビなんだと思います。
何とかしなくちゃ。
Nuclear power plant restart
責任の取れないことはするな!と教えられた。
自分の事だけ考えて、周りの見えない人にはなるなと、育てられた。
責任転化になるかもしれないが、この地震だらけの日本に54基もの原発が出来るのを認めたのは、国というシステムを信頼していたからだ。
まさか「偉い人」が、ゴミ捨て場も決まっていないのに、どんどんゴミを作るはずがないだろう。
しかも、そのゴミが、いまの自分たちでは無力化できない=責任の取れない猛毒のはずがないだろう。
まさか施設自体が、「電気が来ない」だけで、爆発して地球全体に毒をまき散らすような浅はかな作りじゃないだろうと、人の「あたりまえ」を信じていたからだ。
電気が来ない/作れない事態なんて、いくらでも想像できる。
天災だってテロだって、いやもっと緩やかに、経済が落ち込んで燃料確保が難しくなり、ウランだって底が知れてる資源で輸入品なんだから、それらが買えなくなる日がいずれ来たって驚かない。
そんな事態が決して来ません(もう既に一度来たが)という前提でないと成立せず、電気がなかったら溶け出して爆発して、人が広範囲にに渡って被害を被るものを、いま必要だからって動かしていいだなんて、そんなに無責任でいいのか?
絶対起こりえません!と、強弁していた事態が起こりえた事の、論理的な過ちは是正されたのか?
自分に都合の良い事ばっかり信じていたっていう、自己中の甘さは自覚できたのか?
今回より数メートル高い津波にも対応できるようにしても、次は今までにない暴風雨かもしれない。もっと大きい地震かも、産油国のストかも、遠い国の戦争かも、いち職員の凡ミスかも・・・電気という人工的なものが、来ない/作れない可能性なんて、ぜったいゼロに出来ない。
まさかそんないい加減な事を前提にするなんて、ちゃんとした大人はしてはいけないと、そういうふうに自覚してこの世界に加わる事が、最低限の参入条件じゃないのか?
あたりまえで当然の「人の基本」として、僕はそう教えられたぞ!