Ea sola

明日から,新しい作品に参加.
今年の年始に,香港で出会ったアーティストの新作パフォーマンスに,LED照明を持って加わる.ベトナム人で,パリ在住のEa Solaさんの作品で,僕にとっては全くの未知数.彼女は,この5年間劇場作品を作るのは休止していたということで,僕はDVD以外では彼女の作品を知らない.それでも,彼女との会話とその映像を見て,参加を決めた.
ハノイ/ベトナムで作って,グローニンゲン/オランダでリハーサル,パリ/フランスとその他2都市で公演.結構長い旅になる.
初めて一緒に仕事をするので,コレがどういうふうに進むのかも分からないが,彼女は極めて明確なヴィジョンを持っていて,それを現実化していくような人だという印象を受けたので,今まで僕が思いもしなかったようなLEDの使い方ができるかもしれない.つまり,僕のイメージが先行するという作り方じゃなく,まず彼女から何か課題が出てくる可能性が大きい.
未知の人との仕事は,不安もあるが楽しみだ.
11月の上旬は,パリで公演.
とりあえず,明日はトランジットで,クアラルンプールに一泊.
去年,Refined Colors公演でお世話になった人達と,再会の予定.
時間があれば,チャイナタウンのマッサージ屋にも寄りたいなっと.

Hanoi 1

10月13日,まずはクアラルンプールへ.
そんなに混んでないだろうし,空港で1時間半もあれば大丈夫かと思って,少しゆっくり家を出ると,いきなり踏切の故障ではるかが止まる.
最初は漫画を読んでいて,ぜんぜん気がつかなかったのだが,新大阪の手前の駅で長い間動かない.結局30分遅れで動き出したが,関空に近づくにつれ,今度は何かが踏切を横断したといっては,何度も停車する.どうやら閉まったままの遮断機を越えて,無理矢理人などが横断すると,それを感知して停車信号が出る模様.
そんなに踏切があるのかと思って,改めて窓の外を眺めると,あるわあるわ岸和田の近くだと思うが,細い道を断ち切るように線路が走っていて,数十メートルおきに踏切が続く.こりゃ,長い間遮断機が閉まったままだと,ぶち切れて渡り出す人もいるだろう.事実,ちょっと広い道には,長い車の列ができている所もあった.正に悪循環.
結局1時間遅れではるかは関空に到着.マレーシアエアラインのカウンターに走ると,今まさに窓口が閉まったところ.エアラインの表示をはずしているスタッフに,柵の外から声をかけて,何とかチェックイン.そのままスタッフ付き添いでセキュリティー・パスコンと通ることになり,本や雑誌はおろか風邪薬も買えず機内に.
クアラでは,チャイナタウンの真ん中に一泊.去年何度か通ったマッサージ屋のすぐ近くなので,さっそく覗きに行くが,店が跡形もない.楽しみにしていたのに,ショック...
夜は,去年お世話になった交流基金の方と,懐かしの屋台でビールがぶがぶ.
10月14日,ハノイへ.
マレーシアエアラインなので,KLcentralステーションでチェックイン.大きな荷物を預けて身軽に空港へ向かう.
昼過ぎにハノイ着.9年ぶり.3年前くらいにも一度ベトナムに来たが,そのときはサイゴン滞在のみだった.
ハノイは,街路樹というには大きすぎるくらいの木々が街中に茂って,相変わらず美しい.これで,バイクや車のクラクションがなければ,世界でも有数の素晴らしい町かもしれない.
めっきり自転車やシクロは減って,街中はバイクの洪水.おまけに信号はあまり見かけず,車も増えて,それらが有機的にお互いを避けながら動いていく姿は,えもいわれずダイナミック.
ホテルに着いてしばらくしたら,Soがリハーサル場へ案内してくれるために,向かえに来てくれる.彼も今日香港から着いたとのことだが,もう既に何度もリハーサルを観に来ていて,よく事情が分かっている.香港−ハノイ間は飛行機で1時間半とかで,僕が思っていたより近い.日本はやはり東の果てだ.
夜20時から,衣装を付けての通しリハ.
ダンサー達は,知ってはいたがすごく若い.Eaさんは彼/彼女らと3ヶ月,扇風機のみでエアコンがない練習場に籠もって,灼熱の中この作品を作り上げていったとのこと.すごい情熱だと思う.
作品は非常に面白い.Soは「まったく今までになかったユニークな作品だ」というが,僕としては必ずしもそうとは言えない.でも,いま世界の何処で公演しても,遜色のないものだとは思う.
今年になって観た幾つかの作品の中で,気になった公演と何処か通じるものがあるのだ.それは,「まったく新しい」ものではないと思うが,的確にいま必要な何かを内包している.
10月15日
ゆっくり寝ようと思っていたら,朝早くからホテルの部屋を引っ越しすることに.
どの部屋も広くて良いのだが,唯一ある窓の外が隣の壁で,ほとんど日が射さない部屋だったので文句を言ったら,一階上に替えてくれた.外の壁が途切れて,空が見えるのは良いが,朝9時から,さあ移れすぐ移れとせき立てるのは,どうよ?
そのまま勢いに乗って,部屋の模様替え.住み心地のよいスモールオフィスへ.
午後にはまたSoが向かえに来てくれて,欧米旅行者御用達のMOCA CAFEに寄ったあと,練習場へ.
まだ作品の流れが掴めていない僕のために,Eaさんの解説込みで全員で流れだけ通してくれる.数人のダンサーの顔とキャラクターが認識できた.
その後,音の編集のため,ハノイでコンテンポラリー・ミュージックの作曲等をしているという,ミュージシャンの自宅へ.僕は作業があったわけではないが,物見遊山でついていく.
10月16日
昼食に招いてもらって,幸せな午後を過ごす.メニューは若鶏のオーブン焼き一人一羽ずつ.小振りの鶏でちょうど良いボリューム.お腹に餅米と蓮の実が詰めてあって,えもいわぬ滋味.
Eaさんは,ダンサー達への小さなプレゼントをパッキングしている.
今晩もフル・リハーサル.連日の通しリハとその後のミィーティングは,稽古というよりは,ヨーロッパ公演に向けてのある種イニシエーションのようなものなのかも?なんといっても,ほとんどのダンサーにとっては,初めての国外公演.しかもコンテンポラリーダンスの公演.ハノイ国立バレエで学んでいる/いた彼らにとっては,自分たちがちゃんと理解して作品を踊っているのかどうか,ずいぶん不安が残っている模様.加えて,見学に来ていたハノイバレエの関係者らしき人々は,おしなべてコメントせずに帰っていく.
それでも作品の強度が保たれているのは,この三ヶ月でEaさんと彼らの間に信頼関係が築かれているからだろう.

Hanoi 2

昨日20日は,ハノイに来てから初めてのオフ.稽古もないし,誰かと会う予定も連絡が入る約束もない.
だいたい,1日の行動のパターンも決まってきて,朝がかなり遅くなってきているので,昼過ぎくらいまではホテル周辺をうろうろ,その後旧市街の散策に.町の真ん中にあるHOAN KIEM湖北側の職人通りが残るエリアを,歩き回る.このあたりはハノイ屈指の観光エリアでもあり,おみやげ物やさんも多く並ぶが,判子屋さんや墓石屋さんや名物料理屋なども,並木の茂る細い通りに軒を並べている.
ちなみにメモ代わりに現在の物価のことなど書いておくと,朝(といってもかなり遅いが)起きて,朝食は日本でも知られているPho(米の幅広か,割りと太い麺)やBun(米の細い麺)やMien(小麦の半乾燥麺)の汁麺.牛肉がのっていたり生ハーブたっぷりだったり,ワンタンが入っていたりして,だいたい10,000ドン(現在約74円).
それからカフェに行って,コンデンスミルク抜きのコーヒーを頼む.お馴染みのアルミ・フィルターで出てくるが,この頃はサービス競争も激化しているようで,コーヒーが落ちるのを待つ間の繋ぎとして,蓮の実のお茶が付いてきたり,コーヒーが冷めないように深めの受け皿にお湯をはってそこにカップが入っていたりする.この苦くてまったりしたコーヒーがだいたい7,000ドン.
それで,一息入れたら,ネットカフェへ.街中のネットカフェはほぼADSL接続なようで,そこそこ速い.何処に行ってもネットゲームにはまっている子供だらけ.
僕の泊まっているあたりでは日本人旅行者をあまり見かけず,まずはマイクロソフトのダウンロードサイトから,日本語フォントを落として入れることから始めなければいけないが,別に誰もインストールするのを咎めるでもなくプロテクトがかかっているでもない.それで1時間ほどメールチェックやニュースサイトを回って,3,000ドン.なんと25円程度.
しかし,日本語をうつのはなかなか難しく,仕方がないのでホテルの自室からアナログ回線/iPass経由で繋いでいるが(ベトナム国内では,僕の使える他のもう少し安い接続ポイントがない),これが1分20数円の料金がかかる.実に街中の60倍!!!他人の弱みにつけ込んだ,悪徳商法としか思えない.
その他,もし街中で売っているDVDを買うと16,000ドン(120円).全身マッサージ1時間,110,000ドン.旅行者相手の綺麗なカフェで,お洒落な定食とビールで56,000ドンくらい.
今日21日は,最終リハ.
僕はフランスの照明スタッフから仕込み図が送られてくるのを,待っている状態.まだ直接彼らと話したことがないので,どういう経過になっているのか,はっきり分からない.言うなれば僕は,あとから組み込まれた形なので,彼らとしてもLEDの詳細などが分からず,戸惑っているのかもしれない.
とにかく,あと数日のハノイ滞在.少し時間に余裕があるのが嬉しい.
写真は,カフェとDJ屋さんとホテルの部屋.DJ屋さんというのは,外から見ててっきりレコード屋さんかと思って入ったら,ぽつんとPCがあるだけ.どうやら客のリクエストに沿って曲を選んで繋ぎながら,CD-Rに焼いてくれるらしい.らしいというのは,言葉が通じず会話が成り立たなかったので...今度誰か通訳代わりを見つけて,もう一度尋ねてみたい.

Hanoi 3

10月24日
あっという間のハノイ滞在だったが,今日オランダのGroninguen市に向かう.現地のグランドシアターで27日から装置・照明・音響も含めてのリハーサル.パリからフランス人テクニカルチーム,ドイツから映像担当の人も合流する.
実は最初26日からリハと聞いていたので,今日の出発便を押さえたのだが,いつの間にか27日に変わっていた.でもまあ今更変更も出来ないので,僕だけ1日早くGroninguen入りすることに.
このグランドシアターは,不思議な縁で,ダムのダンサーである川口さんが2001年に彼のソロを作ったところでもある.その彼の作品を日本で上演することになり,その時の照明デザインを僕が担当させてもらって,初めてLED照明を使った.そのLED照明が縁で,香港でEaさんと会い今回の仕事になって,今からGrand theatre de Groningenに向かうわけである.
さてさて,パリとハノイとあと実は香港でも動いている人がいて,ちょっとプロダクションのコミュニケーションが悪い感じだが,ついにほとんどのメンバーがオランダに集合する.どうなることか,楽しみだなあ.

Hue

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6月4日にシンガポールからベトナム中部の古都Hueに移動.
ドイツとシンガポールの公演は,特別なバージョンで,Eaさんが10年以上前に作った「乾燥と雨」のVol.1と2を,再編集して合わせて公演した.このVol.1のパフォーマーは全員おばあさん.作った当時で平均70歳代,現在80歳代.(お一人はお亡くなりになっていたそうだ.)この方たちが,元気でよく動き,そしてよく喋る.何とか会話したかったのだけれど,残念ながら何度か目で挨拶を交わすのみ.とにかく一言も言葉がわからない...
その歴史が体にしみ込んだような彼女たちとは,シンガポールでお別れ,HueではVol.2のみが正規の長さで公演される.
このHueのフェス.ビエンナーレということで,それでももう5回以上つまり10年ほどは続いているらしい.
とにかく規模が大きくて,確か世界遺産のはずの王宮跡のあちこちにステージが組まれているが,それが全部野外.ほぼすべて屋根無しで,舞台にも客席にもさんさんと日が降り注ぐ.
日中の気温がだいたい38度ほどで,直射日光に当たるとそれ以上.また逆に,雨が降らない保証ももちろんなく,事実数年前は大雨で日程がずれている.日が暮れるのがだいたい7時ごろで,4時ごろからは風が出てきて少しは体を動かす気になる.
最初スケジュールを聞いたときに,日中4時くらいまでは,あまり働けないと聞かされて,何だか怠けてるんじゃないかと思ったものだが,とてもとても...とにかく午後2時くらいになると,ホテルから出て近くの食堂に行くのも命がけ,だらだら汗をかいてふらふらになってたどり着くことになる.
つまり現場は設置から照明のフォーカスやサウンドチェックまですべてを夜中にして,しかもLED機材の雨対策まで行わなくてはいけない.それでいてその機材は,日中溶けてしまいそうな日差しにも曝されることになる.
むかし,夏になるとバイトで鴨川や平安神宮などに野外ステージを組む人足に借り出されたものだけれど,今回はもっと大変でした.それとも僕が単に年を取っただけかな.
写真は,完成していくステージの様子と横から見たところ.公演中も,観客が数人横から観ていた.

A holiday in Hue

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6月9日.
Hueの公演は,計3回.2回目と3回目の間に1日休日がある.この日はワールドカップが開幕する日で,その所為かどうかは知らないけれど,とにかく1日休み.
ダンサーの一人がHue出身ということで,彼の育った家でのホームパーティに,みんなを招待してくれた.
決して豪邸とは言えないけれど,とても落ち着く家の庭にテーブルが並べてあり,これでもかというくらいのご馳走が出てくる.家の裏は畑でその向こうは河.蟹やらシジミを使った麺料理,豚肉や春巻きやさまざまな野菜に果物,冷えたビールと多分杏で作っただろうきついお酒が振る舞われ,夜もまだ早いうちから,もうべろんべろん.
ベトナムの人は呑み方が中国式で,立て続けに乾杯の嵐.小さな杯にきつい杏の焼酎を注いでいっき呑み.ダンサーたちが面白がって代わる代わる注ぎに来るもので,すっかりやられてしまった...
でもすごく楽しい夜と,美しい家と庭でした.
写真は,明け方セッティングの帰りに見た蓮池,フェスの会場,そして招いてもらった家と庭での宴会.

The final day at Hue

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6月10日
Hue公演最終日.
Hueのフェスティバルの観客管理は変わっていて,会場である王宮跡に入る時に受け付けがあって,その後は中に幾つかあるステージを観客が自由に行き来できる.ディズニーランドのようなテーマパーク方式とでもいうのだろうか.
結果,多くの子供を含めたお客さんは,あらかじめ知らされているスケジュールというよりは,音に反応してそこら中をうろうろする.
つまり,あっちのステージから大きな音が聞こえてきたらそちらに向かい,また違う場所から面白そうな音が聞こえたらざざざっとそっちに行く.各ステージに仕切りはないので,観客は客席側のみならず,舞台裏からも,舞台袖横からもぞろぞろ歩いてくるし,公演中も自由に移動する.
最初Hueについた時に,僕らの前の公演(ジャズ・フュージョンのコンサート)を,同じ舞台で見た時には,正直その野放し状態にあきれた.子供は走り回り,携帯に大声で話してるおっちゃんは居るは,人の出入りは激しいは,とても大変な感じだった.
それが,同じように決してマナーができているとはいえなかったけれど,同じ舞台でおこなった公演を,かなり熱心に観てくれるお客さんが沢山いて,それだけでもこのフェスで公演したことは,とてもよかったといえる.
夜の闇が降りて灯の入った舞台は,かなりのクォリティーを保っていて,周りの喧騒にも負けずに舞台の魅力を発散していた.
写真はかなり暗くなった頃の舞台リハと,撤収が終わったところ.

Hanoi

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6月11日,Hanoiに移動.
その後2日間休憩の後,劇場入り.
Hanoiの公演は,かなり大きな劇場でおこなわれた.シンガポールの劇場は凍えるほど寒かったのだが,Hueの灼熱の野外を体験した後ではとても魅力的に思えて,Hanoiの劇場での仕込みも,暑さから逃れられるという点ではかなり期待していた.
ところがどっこい,仕込みの2日間はエアコンが動かなかった.僕は,この劇場に空調はないのだと思っていたくらいである.
ソ連の影響下で作られたこの施設は,大仰でほこりっぽくって,比喩ではなくて薄暗くどろどろのスチームサウナで,12時間ほどセットアップを続けるような状況だった.一日の終わりには,顔から服から咽の奥まで,ドロドロでれでれ汗まみれ.
おまけにソ連系の劇場は色んな規格が少しずつ大きくて,しかも機材がかなり古い.バルト三国をツアーした時も同じような目に遭ったが(でもとにかくバルトの劇場は掃除されていたし暑くはなかった),バトンが太すぎて照明のハンガーが入らない.彼らは,パイプをトラス構造にはせずに,太くして広い舞台間口に対応している.
では,どうやって照明が付いているかというと,ちょっとやそっとでは外せないような輪っかとボルトナットで,バトンに固定されているのだ.
また,舞台の管理と,バトンの上げ下ろしは劇場の職員,つまり公務員の仕事である.この方達が,まあとても日本のある種の公務員の方達に似ているというか,自分たちはクーラーの効いた小部屋か出てきてもステージ横の一つだけある大きな扇風機の前に陣取って,何度かオーダーするとやっと腰を上げて,頼んだ件の担当者を探しに行く.
おばさんが多かったが,とにかくあまり本公演には関係のなさそうなことを喋り続け,時間には厳しくさっさとどこかへ消えていく.
何とか体裁が整った1日だけの本公演日には,会場整備が混乱の極みに達して,いちおう恰好良く指定席で売り出していた席をお客さんに提供するために,2日前からセットしていた客席中のオペレーションテーブルを別の場所に退けられないかと,怒った顔で文句を言いに来る会場責任者までいる始末.
そんなこんなで最高に厳しかったHanoi公演だけど,Hueと同じかそれ以上に舞台のクォリティーは高かった.それはダンサーやミュージシャンのみならず,舞台装置や照明音響も含めての相互作用で,久々に感じたケミストリーだった.数日前まであんなに埃だらけでぼろぼろの場所だったところが,満員のお客さんも含めて,特別な時間と場所に変わる.大げさかもしれないが,ベトナムの舞台史に記憶される公演に参加できたような気がした.
こういうことがあるから,この仕事は辞められない.
写真は,初めて見た蛍光灯のアッパーホリゾントライトとそれに対峙するホーおじさん像,公演後の挨拶,結構話しかけてくれた退場するお客さん達.